「『ゴジラ ‐1.0』を越えてゆけ」ゴジラ-1.0 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
『ゴジラ ‐1.0』を越えてゆけ
再び活動を再開して以来、ハリウッド版やアニメーションなど多岐に渡るが、やはり見たいのは日本製作による実写。
10年以上一切休止中だったあの時と比べれば7年なんて短い方だし、その間何かしら動きあったが、それでもこの日を待っていた。
ハリウッド版やアニメ版を除き、通算30作目。一足早く生誕70年記念。
『シン・ゴジラ』から7年ぶりとなる日本実写ゴジラ最新作!
これが、見たかったんだ…!
これまでにも何度か復活を果たしてきたゴジラ。が、今回ほど難しい事は無かっただろう。
言うまでもなく、あの『シン・ゴジラ』の後だから。
マンネリを打破出来ずにいたシリーズに大変革をもたらしただけではなく、シリーズでも記録と記憶に残る大ヒット&数々の賞まで。ゴジラが映画賞に輝くとは…!
間違いなく『シン・ゴジラ』の前と後で比べられも評価もされる。つまり『シン・ゴジラ』は、大成功と共に次のゴジラ製作者にとんでもなく高いハードルを作ってしまった訳だ。
次のゴジラをやる人は大変だろうなぁ…。山崎貴も『シン・ゴジラ』を見てそう思った一人。
それがまさか、自分に回って来ようとは…。劇中の台詞“貧乏くじ”は監督本人を揶揄しているという。
勿論嫌々引き受けた訳ではない。山崎のゴジラ愛は有名な話。事実私も、『シン・ゴジラ』でゴジラが久し振りに製作される際、監督は山崎かな?…とまず思った。エンタメ性&クオリティー&VFXのレベル…いずれの観点から今ゴジラを作るには、最も適した監督と思ったからだ。
『ALWAYS』『永遠の0』『寄生獣』『海賊と呼ばれた男』『DESTINY』…現代の日本映画屈指のヒットメイカー。その一方…
『BALLAD』『SPACE BATTLESHIP ヤマト』は賛否両論。『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』『STAND BY ME ドラえもん2』は酷評。前作『ゴーストブック』は大コケ…。
時々作品に大きくムラあり。特徴的な“泣かせの演出”も好き嫌い分かれる。期待の反面、不安も確か。
これだけの注目を浴びてゴジラで失敗したら、山崎はほとんど再起不能の痛手になるだろう。
山崎のゴジラ愛は本物か…? 秘密のベールに包まれた“山崎ゴジラ”が遂に姿を現す…。
率直の感想を。
山崎のゴジラ愛は本物だった。庵野&樋口コンビに続いて、またまたやってくれた!
『シン・ゴジラ』とどっちが良かったかなんて今はまだ即決出来ない。こちらはまだ一回しか見てないし、『シン・ゴジラ』や他のシリーズは何度も見て愛着がある。
が、本作も今後自分の中でそうなっていくだろう。でなくとも現時点でもシリーズ上位には食い込む。
今唯一、これだけは言える。早口&専門用語飛び交う『シン・ゴジラ』よりずっと見易い。
ファンは勿論、ゴジラ一切未見の方でも難なく見れる。『シン・ゴジラ』で新たなファンを獲得し、本作でさらに間口を広げたと言えよう。
山崎貴が監督を務めると同時に初情報が解禁されて以来、気になって仕方なかった事。
今回のゴジラの誕生の経緯は…?
時代設定は戦後すぐ。これはシリーズ初めて。最古の時代設定。
なので驚いた。ゴジラの誕生は1954年のビキニ環礁の水爆実験なのだから、それよりも前の時代にどうやってゴジラが誕生する…?
これは私が無知だったと言うしかない。1946年にビキニ環礁で行われた“クロスロード作戦”。何もビキニ環礁の水爆実験は1954年だけじゃない。このクロスロード作戦を最初とし、1958年まで実に23回も行われている。ゴジラ誕生のきっかけは幾らでもあったという訳だ。水爆実験が続けられる限り。
これなら1954年以前にゴジラが誕生しても説明と納得が付く。その上で、『シン・ゴジラ』同様第1作の世界と切り離し、こちらもまた新しいゴジラを作ろうという意気込みが伝わってきた。
確かに第1作は我々ゴジラファンにとって“バイブル”だ。でも、いつまでも縛られていては本当に新しいゴジラ映画は作れない。もうそこに縛られず、自由に創造していいのだ。
しかしちゃんと第1作へのオマージュは抜かりない。初めて姿を現した島の名前、その島の伝説からの由来と呼称…やはり代々から受け継がれるゴジラなのだ。
クロスロード作戦で完全にゴジラと化した。その前に、大戸島に姿を現したゴジラ。『シン・ゴジラ』で言う所の“蒲田くん”か“品川”くん辺り…?
開幕いきなり現れた意外性とインパクトもさることながら、これだけでも凶暴性は充分。
大戸島守備隊基地の整備兵たちは襲撃に遭い、ほぼ全滅。
生き残った一人のパイロットの敷島。彼にとってこの島での出来事はトラウマに。
特攻隊だったが、島に着陸した理由…。ゴジラ襲撃の際、機関銃を撃てなかった事…。それ故多くの死者を出してしまった事…。
日本に復員してからも思い出す。戦争とゴジラという悪夢を…。
感情的ドラマを一切排し、徹底したシミュレーションとして描き、リアリティーを追求した『シン・ゴジラ』。
それとは違う山崎ゴジラ。時代設定も演出も、お馴染みの山崎節は健在。
戦争時代や昭和が多い山崎作品。本作もまたその一連の作品の一つ。
『シン・ゴジラ』が現代を舞台にした最上級の作品なら、自分は何が出来るか…?
必然と自分が得意な古い時代が舞台。尚且つ戦後すぐにする事で、戦力も武器もアメリカの協力も受けられない状況下で、日本人はどうゴジラに立ち向かうのか…?
それが本作の源になったという。戦後すぐでも3・11後でもコロナ禍でも、日本人は試される。
“0(ゼロ)”から“-(マイナス)”に叩き落とされるのか、それとも乗り越える事が出来るのか。
本作に於いても日本とゴジラの関係、ゴジラの存在意義はしっかり明示されている。
ゴジラはその時日本が抱える恐怖と乗り越えるべきもののメタファーだ。
敷島の視点で語られていく。
生きて帰ってきた事に罪悪感を抱く中、孤児を連れた若い女性・典子と出会う。
ひょんな事から一緒に暮らす事に。傍目には“家族”だが、結婚はせず。お互い意識はしているだろうが、敷島は心を開こうとしない。
自分は幸せになっちゃいけない…。
序盤は戦後すぐの市井のドラマであり、神木隆之介&浜辺美波で朝ドラの続きのように思う人もいるだろう。(二人も監督も口を大にして言っているが、撮影は本作が先)
生活の為に危険な魚雷撤去の仕事。それで知り合った艇長の秋津、乗組員の水島、技術者の野田。
生活も少しずつ恵まれ、友人らも出来たが、敷島はまだ心からの幸せと生きる意味を見出だせない。自分の戦争はまだ終わっていない…。
そんな時、再びあの悪夢と対峙する。
日本に近付く巨大な何か。魚雷撤去はあくまで表向きで、本当の仕事はその足止め。
敷島は直感する。“奴”だ…。
ゴジラ出現。
この一般人目線からの遭遇は、これまでにないものになっている。
海上。敷島たちが乗る船を追うゴジラの巨大な頭部。予告編の時から気になっていたこのシーンは、シリーズ屈指の臨場感と恐怖感! 私はこのシーンだけでも称賛を送りたい。
日本のゴジラでこれほどまでにゴジラを間近に捉えたのは初。あれは怖い! 調達した魚雷での攻撃や爆発も我が身に迫るほど。
それを足らしめた本作のVFX技術が本当に素晴らしい。
山崎組にとっても日本VFXにとっても史上最高レベル。遂に日本映画もここまで来たか…!
思えば第1作の特撮技術も当時世界最高レベルだった。ハリウッドでは『スター・ウォーズ』や『アバター』だろうが、日本ではゴジラだ!
その真価はいよいよゴジラが東京に上陸して発揮される。
銀座を襲撃。電車を咥え、蹴散らし、ビルを次々薙ぎ倒す。今となっちゃあ高層ビル群はゴジラより遥かに大きいが、この時代はゴジラより巨大なものは無かった。
身長は今回、初代と同じ50mに設定。これがさらにゴジラの恐怖と臨場感をより身近に感じさせる事に成功している。ゴジラの新作が作られる度に我が我がと最大身長更新していくが、別にそれが悪い訳ではないが、そんなにデカくする必要はない。例えば『ジュラシック・パーク』の恐竜はゴジラより遥かに小さいが、恐怖を感じた。身近に迫る対比があって恐怖を感じるのだ。
ゴジラが歩くだけで地面が陥没する。ゴジラの足の爪先で逃げ惑う人々。このショットもゾクゾクさせる。
見上げると、そこに…
この銀座襲撃で遂にその全貌を現したゴジラ。
足は非常に逞しくなり、背ビレも巨大。ケロイド状の皮膚。
何より印象的なのは、顔や全体像も何処か得体の知れない無機質だった『シン・ゴジラ』より生物感がある。
生物であり、大怪獣であり、街を蹂躙する姿は神々しく。
これがゴジラだ!…と咆哮せんばかりの王道的でありつつ、また進化も遂げ、デザインも歴代トップクラスのカッコ良さ。
勿論熱線は放射。銀座の一角が吹き飛ぶシーンは圧巻…。背ビレがただ発光するだけじゃなくさらにせりあがるのは印象的。ゴジラの熱線の演出は、各監督の見せ場でもある。にしてもゴジラの熱線、かつてと比べたら半端ねぇーもんになったなぁ…。
驚愕の自己再生能力。
圧倒的な熱線。
この時代の日本ではとても太刀打ち出来ない力の差…。
本当にどうやって立ち向かうのか…?
野田がある作戦を。『シン・ゴジラ』もそうだが、この脅威への対抗手段は、人間の頭脳と科学力。
でも決定的に違うのは、『シン・ゴジラ』はインテリたちの最先端科学だったのに対し、こちらは超アナログ。しかも絶対的な確信はなく、“穴”も多い。
船も僅か数隻。やっと戦闘機が一機。
さらに、挑むは民間人たち。軍人もヒーローも居ない。
こんなんでゴジラと闘えるのか…?
やるしかない。
いや、やらなければならない。
今それをやれるのは、俺たちだ。
これもシリーズの通例。ゴジラと対し、絶対的絶望と不利の中でこそ、日本は勇気と力を強靭なものにする。
でもそれは、玉砕覚悟ではない。この国は命を粗末にしてきた。
生きて抗う。生きて闘う。生き残る。
自分の為。大切な人の為。未来の為。この国の為。
だが、敷島だけは違った。復員以来、死に場所を探していたような敷島。銀座襲撃で典子をも失い…。
それぞれの思惑が交錯する中、ゴジラとの決戦。ヤシオ…じゃなくて、“海原作戦”。
銀座襲撃シーン。
そしてクライマックスの“海原作戦”。
この2つの迫力の見せ場を飾るは、伊福部音楽!
今回は使われないのかな?…と思っていたので、がっつり流れ、感激ひとしお…。ま、ゴジラファンの山崎がスルーする訳ないわな。
佐藤直紀によるドラマチックな音楽もいいが(この人がゴジラ音楽を手掛けるのを待っていた!)、高揚感と興奮は最高潮!
作戦失敗か?…と思われた時、多くの民間の助っ人が。皆、思いは同じ。
そして敷島捨て身の特攻により、遂にゴジラを…。
が、敷島は…。いや彼も、もう命を粗末にする愚か者ではなかった。
ゴジラと闘った事で、生きる力を見出だせた。
最後に嬉しい再会。お馴染みの山崎泣かせ演出。でも、今回はこれでいいだろう。
庵野&樋口コンビが自分たちの好きを詰め込んだ『シン・ゴジラ』。本作も、山崎が自分の好きを詰め込んだゴジラと言えよう。
期待と予想以上に、見事で面白かった山崎ゴジラであった。
満足!
となると必然的に…
“次”に期待してしまう。
それとも続編か…? ラストシーンの典子の首の痣は…? 海中深く沈んでいったゴジラの心臓が…!
こりゃまたハードルが上がってしまった。
だがそれは、プレッシャーだけじゃない。
『シン・ゴジラ』を越えてゆけ。
『ゴジラ ‐1.0』を越えてゆけ。
日本映画への更なる高みへのエールだ。
近大さん
コメントありがとうございます。
本当に勉強になりました。
本当に詳しいですね。
「シン・ゴジラ」の理屈っぽさも好きでしたが、
この映画は分かりやすいし本当に面白かったです。
1月12日公開のゴジラは、マイナスワン/マイナスカラー
だそうですね。
また雰囲気が激変でしょうね。
レビュー、楽しみにしています。
本当に満足のいくゴジラでした。
シン.ゴジラは途中退席してしまいましたが。
今回のG-1.0は満足するゴジラになってました。
再生するゴジラにも目が離せなくなりそうです。
最高のレビューでした...。
本作の魅力が余すことなく書かれている。もう、早く2回目見たくて仕方なくなりました。不安をかき消し、期待を大きく上回るゴジラを完成させた山崎貴監督。続きはどうなるでしょうね...。一先ず、ありがとう!