劇場公開日 2023年11月3日

「これこそ作られなければならなかった本当のゴジラの続編です 70年かかってやっと正しいゴジラ映画ができたのです」ゴジラ-1.0 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0これこそ作られなければならなかった本当のゴジラの続編です 70年かかってやっと正しいゴジラ映画ができたのです

2023年11月3日
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鑑賞方法:映画館

ゴジラ -1.0
2023年11月3日公開

もちろん69年前のこの日に最初のゴジラが公開されたから11月3日に公開日が設定されたのです
だからゴジラファン、特撮ファン、根っからのオタクなら、どうしても当日に観にいくことに意味がありました

結論から言うと、史上最高のゴジラ映画でした

感動しました
期待を遥かに上回ってきました
衝撃をうけました
これこそ作られなければならなかった本当のゴジラの続編です
70年かかってやっと正しいゴジラ映画ができたのです

本作は初代のゴジラより7年前の1947年に時代を設定しなおしたリメイクです

ですが、これは続編なのです
「ゴジラの逆襲」から「シン・ゴジラ」を私達は経験してきてもまだ正しいゴジラの続編の答えを得ていなかったのです

本作がそれです
これが待たれてきた正しいゴジラ映画だったのです

ゴジラとはいったい何か?
日本を壊滅させ得る超絶的な災害の暗喩です
戦災の生々しい記憶、核戦争の予感がゴジラを生んだのです

だからそれを継承していなければ、正しい続編足り得ないのです
「シン・ゴジラ」は東日本大震災と原子力災害、政治の崩壊という日本が壊滅寸前にまで追い込まれたからこそ生まれた傑作でした
しかしそれでもまだ足らなかったのです

21世紀の私達はウクライナ戦争を目撃しました
戦争は21世紀でもあり得えたのです

もはや存在しないと言われたゴジラが現れ、否応なく圧倒的な力で、平和な暮らしをいとも簡単に破壊し尽くしていく様を私達はまざまざと見たのです

戦争を放棄したと勝手に宣言していても、ゴジラはそんなものを歯牙にもかけないことを現実として知ってしまったのです

つまり本作の世界は、ウクライナ戦争を目撃した21世紀の日本と地続きの世界なのです

本作の世界は、敗戦直後で陸海軍の軍備は放棄され軍隊は既に解散しています
自衛隊も、もちろんまだ存在しません
そしてゴジラの出現に米軍は、ウクライナ戦争のように出動してはくれず、とりあえずの武器だけしか提供してくれないのです
日本政府は情報封鎖して国民を混乱させないようにしかできない
そのような世界です

それでも軍隊ではない軍隊を組織して、憲法や法律上の正当性すらないのにゴジラに立ち向かう人びとのドラマです

すなわち本作は戦後の日本そのものの物語なのです
サンフランシスコ条約で日本が再独立を果たして、憲法9条の下で軍隊でない軍隊という自衛隊をもってなんとか平和を維持してきたという物語の暗喩なのです

そう自衛隊が設立されたのは初代ゴジラの公開と同じ1954年なのです
来年がゴジラと同じく70年だったのです

だから本作は1954年と2023年の間の69年を埋めるべき本当のゴジラの続編なのです

2023年の現代の日本
ゴジラが象徴しているものが、本当に現実としてやってこようとしています
そのときいったいどうなってしまうのか
それを真っ正面から映画にしているのです
だから本作は本当のゴジラの続編と言えるのです

現実から逃げていても、否応なくもなく日本は壊滅させられる
理屈も対話も通らない相手という存在は本当にいることを私達は見たのです

それでも愛する人、幼い子供を守りたいならどうするのか?

戦争するくらいなら、殺されよう!

繁華街でそんなビラを撒いてギターをかき鳴らして太鼓を叩く老人達

それが正しいのでしょうか?

その問いかけに、今まで私達日本人は、本作の主人公の敷島のように逃げ回ってきました

でも、いま私達はウクライナでゴジラが出現してどうなったかを見たのです

そして東シナ海でゴジラ接近のシグナルを受信もしました
朝鮮半島からは、ゴジラの熱線がきらめいて日本列島をなんども飛び越えて行くのも目撃したのです

70年間、現実を見ずに逃げ回ってきたツケを払う時がきたのです

生きろ!抗え!
本作にはこの惹句がつけられています
これこそ本作が伝えようとしたメッセージなのだと思います

まもなくゴジラが上陸しようとしています
その覚悟をするときが迫っていると本作はメッセージを送っているのです

劇中、元駆逐艦「雪風」艦長が「強制は出来ません、無理な人はこの場を去って構いません」と言います

しかし誰かがやらないとならない仕事なのです

あなたは去る方の人ですか?
残る方の人ですか?

決断する時が来たのだと告げているのです

主人公の名前は敷島です
敷島とは、大和と同じく日本の別称なのです
あなたはそこに気がつきましたか?

庵野監督がいうようにツッコミどころは満載です
ヒマラヤのようにあります
でも分かってやっていることがビシビシつたわってきます
分かってやっていることと、知識もなく無自覚にやっていることとは100億光年の隔たりがあるのです
庵野監督の言葉は嫉妬の裏返しのように聞こえました

2014年のハリウッドゴジラを撮ったギャレス・エドワーズ監督も嫉妬したとのコメントを出されています
掛け値なしに正直な発言だと思います

実写版の「宇宙戦艦ヤマト」の惨状がトラウマでした
だから山崎貴監督がゴジラ70周年記念作を撮ると聞いて不安を感じました
「ゴジラ Final wars」の50周年記念作に泥を塗った有り得ないほどの空前の大失敗
その二の舞になりかねないと本当に不安でした

「Always 続・三丁目の夕日」でのゴジラシーンで山崎監督にゴジラ愛は有ることは分かっていたのですが、それでも不安だったのです

もしかしたらタイトルの「-1.0」とは
そのことを意味しているのかも知れません
マイナスの期待からの出発です
しかも前作は「シン・ゴジラ」だったのですから

しかし、本作はその「Always 三丁目の夕日」、「永遠の0」、「アルキメデスの大戦」で見せた山崎監督の最良の部分がピタリと焦点を合わせて恐るべき傑作を生み出したのだと思います

脱帽です
不安を感じた自分を恥じます
史上最高のゴジラ映画だと断言します

星5つではたりません
100個でも200個でも、ありったけつけましょう

蛇足
今日の海上自衛隊は、本作で登場したままの機雷を掃海する部隊からの発足だったそうです

追記
何故1947年なのか?
それに何か意味があるのか?
それが気になっていました
ずっとつらつら考えてきてやっと分かった気がします

本作が何故1947年に設定されているのか?
それは日本国憲法が1947年に施行されたからです
そして発布されたのはその前年の11月3日だったのです

追記その2
大石典子が大空襲の火の海の中、押しつけられるように赤の他人から託された子供明子の事が気になって居ました
なぜ他人の子供の設定なのか?と
シンプルに典子の子供の設定になぜしなかったのか?と
明子は典子の実子で、典子は戦争未亡人の設定でストーリーには何の影響もなく成り立ちます
なぜ敢えて設定を複雑にしたのでしょうか?
そこには必ず意味があるはずだと

明子は終戦前の3月10日の東京大空襲以前に生まれていますが、彼女は1945年の生まれで間違いないようです
つまり彼女は戦後の日本を象徴している存在なのだとやっと思い至りました
だから敷島は「お前の父親ではない」と何度も明子にいうのです
戦前とは血が繋がっていないと、軍国主義の大日本帝国と戦後の日本国とは血が繋がっていない赤の他人なのだと主張しているのです
それでも、敷島と大石典子は、そのまだ幼い明子を愛おしみ育て命をかけて守ろうとするのです
問答無用で押し付けられたといういうことなら1947年の新憲法も同じです
つまり明子は新憲法の下新しく生まれた日本国という暗喩が子供の形をしている存在だったのです
だから明子の演技はわざとたどたどしく演出されていたのです

戦後の平和日本を守りたい
たとえ他人から押し付けられた子供であっても愛しいのです
しかしその子を守る為には逃げ回っていてばかりでは駄目だ
軍隊でない軍隊で戦わざるを得ないこともある
それが本作のメッセージの全貌だったのです
やっとわかりました、山崎監督
素晴らしい作品をありがとうございました
全面的に同意します

そしてアカデミー賞受賞おめでとうございます

台湾、韓国、中国、東南アジア各国のアジアでは本作は未だ公開されていないことを知りました
何らかの興行ビジネス上の問題があったのかも知れません
いやもしかしたら、ここに本作の本当のメッセージの意味を勝手な考えとして記してますが、それが当たらずとも遠からずだった証拠だったのかも知れないと思いました

アジアで公開すると政治的な批判を受ける可能性があるとの懸念を持って、東宝は敢えてアジア市場を放棄したのかも知れません
もちろん勝手な邪推にしか過ぎません

あき240
えーじさんのコメント
2024年5月3日

いつもながら、深い洞察力感銘致しました。ありがとうございました。

えーじ
mango happyさんのコメント
2024年3月14日

共感しました!

mango happy