「問題作だけに悩む」僕らはみーんな生きている R41さんの映画レビュー(感想・評価)
問題作だけに悩む
問題作とは、このようなものではないかと思う。
映画「凶悪」と似た犯罪構造をモチーフに現代人の人間関係を描いている。
難解なのがタイトルだ。
どこにでも当てはまるようなコピーのように見える。
介護される人も、認知症患者も、殺害のターゲットになる人も皆、確かに「生きている」
そして注目してしまう「みーんな」という軽くふざけたような言葉。
さて、
20歳の主人公シュン
小説家になる夢 その影響を与えたのが父 母との不仲の末の離婚
垣間見える母の勝手な主張 少し前の教育ママという言葉が頭をよぎる。
シュンは母からの電話には出ない。
絶えず母の意見が正しいことにしていて、本当は対峙したいけど面倒くさいから話したくない。
バイト先の弁当屋
物語の中心は保険金目当ての連続殺人事件だが、本当に描いているのはシュンの内面とユカの内面だろう。
そこに普通にやさしくて頼りがいのあるユリコの正体を知ることによって起きる不信感を対立軸として描かれている。
若い彼らの純朴な内面が、大人たちによって歪められてゆく。
決して普通ではない「殺人計画」を聞いてしまっても、彼らは通報したり誰かに相談したりしない。
それは無関心ではなく、それをすることでどう感じるのかという単純な「疑問」でしかないから、だろうか。
会長はユリコを意識的に支配しているように思う。
ユリコはそのことを「あの人が喜ぶことが私の生きがい」だという。
実質的に夫ケンジを殺害したユリコの本心が知りたいシュンは、彼女にどんな気持ちかを尋ねてみた。
それは彼女への断罪ではなく、率直に彼女の本当の気持ちを知りたいと思ったのだろう。
その先にあったのが書きかけの小説。
つまりそのための取材活動
しかしシュンの言葉に逆切れするユリコ
「あなたになんかわからない。誰かを愛したことある? 私のしたことは間違っていても後悔していない。あなたみたいに他人に無関心な人の方がかわいそう。一番不自由なのはあなたでしょ」
ユリコの言葉は、ケンジが「お腹の中の子供も、毒を飲ませていることも全部知っている」とぶちまけたことによる言いようのないショックと何も言い返せなかったことへの裏返しだろう。
同時に会長に対する潜在的不満の裏返しでもある。
つまりユリコは、殺す対象の人物に無関心な自分 会長に言われたままにしか行動できない不自由さ それを正当化して生きている「私」について説明したことになる。
ユカ
彼女の出生の秘密
会長が父であること 彼女を産んで自殺した母 両親を憎み世間に対する怒りを胸に忍ばせながら、会長を殺害する機会を狙っている。
「子供にも、親を選ぶ権利があればいいと思っています」
シュンの母にそう言った。
もちろん本心を漏らしたのだ。
しかし、
会長は何でも知っていた。しかもユカの母がまだ生きていると言った。
店先で当たり前のように飯を食らう会長。
サラダを持ってこい 水を持ってこい
殺したい相手にいいように使われながら殺意を覚えるユカ
彼女の殺意を感じた会長は、「秘密」を語り始めた。
二人が「計画」を聞いていたことはユリコによって会長に伝わっているだろうが、おそらく二人は彼らに「無視」されてしまうほどの小さな存在なのだろう。
その事について何も語らない会長 ただいつものように飯を食っていただけだと思っていた。
殺意に答えるように口を開いた会長
ユカは、自分が奴らにどこまでも踊らされていたことを悟ったのだろう。
最後にシュンとユカは総菜を作る。
その中に毒を一瓶全部入れた。
それを持って二人で出かけた先はおそらく介護施設。
ユカは施設の中で気になっていた人がいたのだろう。
それが母だったのだと気づいたのかもしれない。
もし彼らが毒入り総菜を介護施設に提供すれば、前代未聞の事態になる。
ここにこの作品が問題作たる所以がある。
そんなことをして何になる? 通常はそう思う。
純朴な青年シュンが、似たような匂いのするユカを好きになるのはわかる。
彼女の出生の秘密と会長の殺害意識を知ってなお、「それがユカの目的なら、立派だと思う」と発言した言葉に驚きつつ、どこかに「かもしれない」と感じてしまう。
前途有望な若者でありながら、「愛されてなかったのね」とシュンの母がユカに言った言葉は、おそらくシュンが母親に感じていたことそのものなのだろう。
愛されずに育だったことは、大都会東京で垣間見たいろいろな「現実」によって、自分にとって大切、または必要だと思われるものを取捨選択させたのだろう。
そんなことしたらどうなるのかではなく、それを選択せずにはいられなくさせている家庭や社会があったからそうしたに過ぎないと、彼らは思っているのかもしれない。
もうすでにデリバリーを済ませ、予定通り雑誌の編集者と会って小説の原稿を渡した。
当初は「都会に出てきた若者が、都会の女性に恋をする」物語だった。
しかし現実に見た都会の人々は皆、腐った魚の目をして生きていた。
釣ってきたばかりの魚の目でさえ白く濁っている。
これは会長に関わる人々すべての人々を象徴している。
その魚を食べてしまったシュンもまた、関わった一人なのだろう。
会長の釣った魚を頑なに食べようとしないユカも物語の中心人物の一人だ。
もしかしたら、
この作品のタイトルには抜けている文字があり、
それは、「僕らはみーんな腐った魚の目をして生きている」のかもしれない。
シュンの心にあるのは絶望や無関心などではなく、彼にとって純粋な人生の道標なのだろう。
恋愛モノから犯罪モノに変更して書き上げた彼に編集者はいう。
「君はこんな作風じゃなかったよね。あんまり自分を殺して仕事をしない方がいいと思うよ」
恋愛という都会生活での「理想」があった。
でも現実は腐った魚たちの坩堝だった。
作風が変わったのではなく、現実に気づいただけだった。
そして実は、シュン自身も腐った魚だった。
最も大きな腐った魚の「餌」である要介護者の「掃除」
腐った魚にはこれ以上餌を与えない。
冒頭に何度か登場した鏡
ユリコは偽の自分を作り出し、ユカは体裁のいい自分を作り出し、ミキの寂しい人生を映し出す。しかしそこに共通性はなく、シュンの母のシーンもない。
この作品は問題作だけに考えさせられるが、どう捉えればいいのか自分で答えを出すしかない。
ただ、物語が追いかけているのは犯罪の問題ではなく、シュンとユカの心境だ。
彼らは能動的な行動をしているようで、すべてが外的要因によって歪められている。
このことからこの作品が問うているのは、家庭的、社会的な動きが若者にどのように影響を与えているかということなのだろう。
難しく重い作品だった。