「映画の中で主人公の漫画(作品)が明確に示されないのがこの映画の致命的欠点なのでは?」零落 komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
映画の中で主人公の漫画(作品)が明確に示されないのがこの映画の致命的欠点なのでは?
(完全ネタバレですので、必ず鑑賞後にお読み下さい)
※原作は未読です
期待して見たのですが、個人的にはダメな作品になってしまいました。
その要因は以下3点だったと思われます。
ダメな要因の1点目は、主人公の深澤薫(斎藤工さん)がどのような表現の漫画を理想として描いていたのかがほとんど示されない点だと思われました。
主人公の深澤薫は、かつては人気があり売れていましたが、最近はその人気に限りが出てきた漫画家とこの映画で描かれています。
そして深澤薫は、流行を追ったり売れることを求める(売れている)漫画を毛嫌いしています。
しかし、では深澤薫が表現したい作品(漫画)はどのようなものだったのか?
それが示されないまま映画は進行するので、深澤薫の主張(≒映画)の中身が空洞のままこの映画はラストまで進んでしまったと思われました。
ダメな要因の2点目は、では主人公の深澤薫が否定していた、流行や売れている(だけ?)の作品は具体的にどのようなものなのか、それもほぼ示されていないところです。
流行や売れている(だけ?)の作品は、深澤薫の長年のアシスタントだった冨田奈央(山下リオさん)が描いた漫画によって、深澤薫がその作品を読む場面で少しだけ示されます。
しかし、その編集者が求めるプロットに従った(流行や売れることを求めた)冨田奈央の漫画も、深澤薫は読んだ時に褒めていますし、その漫画を通して流行や売れることを求めた作品とは何なのかまでは、明確には観客には伝わりません。
つまり、流行や売れることを求めた作品とは何なのかが明確にされないので、逆にここから対比的に主人公の深澤薫が求める理想の作品がどのような表現なのかも分からないのです。
ダメな要因の3点目は、主人公の深澤薫の周りの仕事関係での人物を、深澤薫のおかしさを際立させる為に、逆に極端に描いていたところです。
例えば、深澤薫の8年の連載終了後の打ち上げで携帯電話をいじり続ける編集者たち。
深澤薫の作品をまともに読まないままで取材しに来ているライター。
深澤薫がきちんとアシスタントの休職中のことも配慮しているのに、エキセントリックに「仕事を舐めないで下さい!」と深澤薫に激高するアシスタントの冨田奈央。
一般常識的にはあり得ない人物のオンパレードです。
もちろんどれもが実際に存在した人物だったのかもしれませんが、それぞれの人物はその極端な一面だけが描かれ、なぜそのような(異様な)行動を彼らがしているのかの裏側を描こうとしていないので、意味不明の人物たちのままで表現されていると私には思われました。
このような、主人公を際立たせるために、周りのわき役を道具的に扱う他の映画や作品もなくはありません。
しかしこのような道具的な人物描写は、薄っぺらい人間理解から出てしまっていて、”駄作”といわれる作品にしか許されない人物描写だと私には思われています。
(演者の役者の皆さんは脚本演出に従ってそれぞれ演じていると思われるので、全く罪はないとは他作品含めて思われていますが‥)
一方で、この映画の原作である漫画「零落」は、おそらくはその天才的な作品を数多く描いてきた漫画家・浅野いにおさんの他作品(あるいは「零落」で描かれている漫画自体)が前提になっている作品だと思われます。
つまり、原作漫画「零落」の読者は、浅野いにおさんの画力やコマ割りの秀逸さを甘受しながら、おそらくは、主人公の深澤薫の流行や売れている漫画に対する否定の主張に説得力を感じて、原作の方は読んでいたのではと推察します。
しかしこの映画『零落』は、肝心の深澤薫の作品中身がほぼ示されていないので、深澤薫の主張は全て上滑りし、仕事での周りの登場人物も全て誇張された道具にしか映らないのだと思われました。
そもそも、深澤薫が理想とするような作品にも現在性や表現の最先端(つまり流行や売れる要素)が含まれていると思われますし、一見は流行や売れることだけを狙っている作品でも普遍的な深澤薫が理想とするような内容も含まれているはずです。
つまり、理想の作品と、流行・売れる作品とを、明確に分けて捉えている認識自体がそもそも間違っていると私には思われるのです。
そんなに何事も単純に分けられると考えられるのは、浅はかな人間理解の人にしか許されない態度だと私には思われています。
この映画は、ラストに映画の冒頭でも出て来た猫顔の少女(玉城ティナさん)が、主人公の深澤薫は「○○だ」と明かして終わります。
しかし私には、深澤薫の主張に説得力を感じさせる場面のないこの映画を見て、(猫顔の少女が言っていた、深澤薫は「○○だ」は、単なる作者・監督の自惚れであり)主人公の深澤薫は、中身が空洞の【未成熟の人物だ】と思わされました。
全ての登場人物に多面性を持たせて愛があった傑作『無能の人』を撮った竹中直人 監督にしては、個人的には大変残念な中身の映画になってしまったと、僭越思われました。