生きててごめんなさいのレビュー・感想・評価
全28件中、1~20件目を表示
生きててごめんなさい、なんて思ってません
莉奈は、不器用で怠惰で、依存的で、そしてしたたかな女。穂志もえかが演じるから受け入れられるけど、見た目ふてぶてしい感じの女性が演じたら、きっと違う印象になるのでしょう。 自己肯定感がしたたかな生き方を支える。修一は出版社から公園管理の比較的堅い仕事に転職して、彼をゲットしたらまさしく力強く生きていける。親から見放されても、友達がいなくても、生きづらさを抱えていても、ちゃんと生きていける。イキゴメのハンドルネームなんて彼女のある意味隠れみの。弱さをまとって、しぶとくいきていける彼女、けっこう嫌いじゃありません。 作り込まれた脚本、伏線回収の巧みさなど、製作人のしたたかさにも感服しました。
【”イキゴメサン”生きるのが不器用だが、誠実なる心を持った若き男女の心の変遷を綴った恋物語。前半は観ていてキツイが、後半の展開及びラストシーンが特に秀逸であると思った作品でもある。】
■居酒屋でアルバイトをしていたリナ(穂志もえか)は、内気で客の会話を邪魔しないようにした行為が故に、逆に客を怒らせてしまい、首になってしまう。 その現場にいたシュウイチ(黒羽麻璃央)は、その姿を見てリナを追いかける。 そして二人は、共にアパートで暮らしはじめる。 作家を目指すシュウイチは、小さな出版社で働いているが、売れっ子コメンテイターのニシカワ(安井順平)の担当となるが、その編集担当に殆ど原稿を書かせるやり方に戸惑い、不満を募らせる。 ある日、高校の先輩で憧れの作家の編集を担当しているアイザワ(松井玲奈)と出会い、彼女が勤める出版社の新人賞にエントリーするが、原稿は遅々として進まない。 そんな中、偶々ニシカワとの打ち合わせに顔を出したリナを見たニシカワは、彼女に自分のアシスタントにならないかと、言われる。 ◆感想 ・リナもシュウイチも不器用だが、誠実なる心を持った真っ当な人間だと私は思う。 ・リナは他人に遠慮しながら生きて居るが、新しく働き始めたペット店の横に捨てられた犬を見過ごせず、助けようとする優しい心を持っているし、シュウイチもニシカワの仕事の仕方に納得せずに、自分の意志を貫く姿を見ても、不器用だがキチンと生きようとする性格が垣間見える。 ・そんな二人の仲が、リナがニシカワに気に入られた事で不協和音を発し始め、シュウイチはリナから”私のどこが好きなの。”と涙を流しながら問われた時に”可哀想なところ。”と答えてしまい、破局を迎えてしまう。不器用である。 ■一年が過ぎ、シュウイチはニシカワとの仕事でミスを犯し、会社に多額の借金を負わせ首に。新人賞の作品も、寝過ごして納期を守れずアイザワに詰られる。 一方、リナはシュウイチとの暮らしの中で呟いていた言葉をブログ”イキゴメ”に上げていたが、フォロワーが沢山いたために、それをまとめた本が売れて、一躍”イキゴメサン”と言う名前で、デビューするのである。 リナの才能が開花した瞬間であり、リナとシュウイチの関係が逆転した事も鮮明になる。 <再後半、シュウイチはリナの出版インタビューの場に足を運びそのたどたどしい受け答えを嬉しそうに観ている。 そして、且つて二人が一緒になるきっかけとなったリナがアルバイトを首になった居酒屋で久しぶりに対面で相手の状況を探るように話し始めるが、彼女はシュウイチが”気になる人は居る・・。”と話した事で、途中で店を飛び出す。 シュウイチが仕事を首になった原因と、自身の成功とのギャップに耐えられなくなったのかな、と勝手に思う。リナは優しいのである。 だが、シュウイチは走り去ろうとするリナの後を追って店を飛び出すのである。 リナは踏切を渡る際に泣きながら、”これはさ、一緒に渡って良いやつ?。”と言って、シーンは暗転するのである。 今作は、生きるのが不器用だが、誠実なる心を持った若き男女の心の変遷を綴った恋物語だと思う。 前半は観ていてキツイが、後半の展開及びラストシーンが特に秀逸であると思った作品でもある。>
タイトルはそそるがあれでいいのけ?
なんというか、初っ端からコントみたいに面白いシーンがある作品は期待してしまう。
文学的な描写に気づけた自分がうれしかったり。
莉奈はなんであそこで立ち止まっていたのか不明だった長い階段は、のぼった先には素晴らしい景色があるんじゃないかと期待させる階段であった。でも実際に広がっていた素晴らしい景色は、のぼった階段の先ではなく、のぼってきた階段の下に広がっていた。それは過去を表していたんだろう。よく気づいた俺、むふふ。みたいな。
梨奈のポッケの穴(なんかな?)から落ちた部屋の合鍵を修一が黙って自分のポッケに入れるシーンも象徴的だった。
修一のこれからの恋を匂わすシーンのあと、成功した梨奈と再会し、お互いの恋愛事情を確かめ合うシーン。
梨奈は成功はしたが今でも思いは修一にあるのが明らかだ。
修一は莉奈とは別の新しい恋の入口にあったが、莉奈との未来も修一の行動次第で再び始まる展開に。
その象徴的なシーンが、修一が莉奈と一緒に踏切を渡るのか否かというシーン。
あれは渡ったね!だって既に莉奈とのコンプレックスは解消済みだし未練が微塵もなければここまでの展開になっていない。
だけどそれはそれで修一にアプローチかけてた彼女が気の毒だなあ。だからあれは修一の勘違いということにしとこう。
最後だなー
最後はっきりさせてほしかったな。
修一は結局どうなんだよ。モテるんだろうな。莉奈と立場が逆転したっていいじゃないか!そんなに気になるなら!と、わしは思ったけど。
人生長いんだし。だめか?
多くの人に見てほしい作品
オープニングの居酒屋で言い合う男女。言動の激しさと注文のあやふやなことに右往左往する店員、その様子を見つめる一人客の男。 主人公が誰なのかわからない面白さが隠れている。 店員だけがつけている名札。「りな」 主人公は修一のようだが彼女も主人公と同じ位置にいるような気がした。 人の内面を描くのが作品であれば、その内面が変化するのが修一で、変化しないのがリナ。 一般常識のない女性 ただ生きているだけ 人はみな彼女に対してそう思っている。 「夢もなく、働いてない人はダメ人間か?」 これがこの作品が投げかけている問いだ。 リナは「ダメ人間とは何ですか? それは誰が決めるのですか? 生きていればそれでいいじゃないですか」 純粋なこの答えは、本来誰もが持つ心の普遍的な尊い場所に突き刺さる。 小説家になるのが夢で、人に認められる才能が有り、出版社に勤めている修一。 居酒屋でモンスターハラスメント客の怒りを買ったリナと出会い、一緒に暮らし始める。 修一が考える理想の文芸と隣席に座る女性同僚の推すブロガー。認識の違い。思考と心の違い。嘘と本音。これは伏線だと思っていたらそれが大どんでん返しだった。 誰から見てもダメ人間風なリナ。 しかし彼女には純真さとそれを素直な言葉にできる才能があった。 仕事上のトラブルから自宅に忘れてきたノートを持ってこさせたことがきっかけで、リナの才能が作家に認められる。 やがてそれが修一のプライドを蝕み、ジェラシーとなって表れる。 「私西川先生のところでアシスタントをお願いされてるの」 「そんなことリナにできるわけない」 リナは聞く「修一は私の何が好きなの?」 「かわいそうだから」 これが決定的になって二人は別れる。 リナと別れてしまった修一は西川先生との打ち合わせを反故にした。 逃げるように、先輩の出版社の新人賞に応募するために毎日書き続けた。 しかし、締め切りに間に合わず、先輩にもなじられた。 すべてが逆転した。「お前なんか真剣に生きている人の邪魔だ。お前は周りの人間を不幸にしただけだろう」 修一はダメ人間のレッテルを貼られた。 仕事上問題を起こした修一は会社をクビになり、出版業界をあきらめて公園遊具のメンテナンス会社に就職した。 そこで出会う恋の予感、過行く時間。 リナはアシスタントと自分のブログに2万人のフォロワーが付いたことで本を出版した。 ついに二人の人生が逆転した。 荷物を取りに戻ってきた彼女。「ねえ、送ってっていい?」 当時と逆になった状況。 そしてようやく本音で語り合う二人。でも彼女が落としていった部屋の鍵。別れ。 修一は彼女の出版記念トークショーに出かける。彼を見つけたリナ。 私は作品に引き込まれ、何も変わっていない彼女の素顔とそのたどたどしいトークを見ていたら、涙があふれてきた。もしかしたらこれが修一の気持ちなのかもしれない。 隠れるように修一を見守るリナ。そして出会ったあの居酒屋へ行く。あの場所。たどたどしい会話。 「恋人はいるの?」「気になる人ができた」 彼女はトイレに行くと言って店を飛び出した。 慌てて追いかける修一。 踏切。 「ねえ、これはさ、これはさ、一緒に渡っていいやつ?」 リナの質問に修一の横顔がアップされてこの作品は終了する。 ダメ人間 社会常識 生きづらさ… 誰かを好きになる純真さも捨てられた犬を助けたい思いも、同じ純粋さの中にあると思う。 あの捨てられた犬がリナのモチーフだ。 リナの行為はすべて誰かの言葉によって批判される。それが一般常識だからだ。 同棲し始めたころに修一に甘えるリナは、犬と同様純真無垢だ。 「一人じゃ何もできないくせに」と罵られも彼女は我慢できる。 でもリナにはどうしても受け入れられないことがある。それが「他の女」の存在だ。 裏切られることは彼女にとって絶対我慢できない。 リナは変わっているが鬱などの病名はない。彼女は自分自身にレッテルを貼らない。 そして自分に嘘をつかない。取り繕うこともしない。一般常識から外れていてもそのままの自分でいようとする。 これが彼女の魅力で、修一が持っていなかったもので、彼が忘れてしまったことだ。 その大切なものを、彼女と別れ、彼女の成功を見届けたことでわかったのかもしれない。 彼が編集長に「そんな本のどこがいいんだ」 初めての本音だった。その言葉に同僚も賛同した。彼女は「イキゴト」のフォロワーで、リナの視点を持っている者だ。 やがて修一は夢をあきらめるが、本来の自分自身を取り戻していく。 トークショーに行くことができたのも、嫉妬が消え自分自身に変化が起きたからだ。 変わらない彼女。その強さ、性格、それらを走りながら見た修一は彼女の問いかけにどうするのか? 「それは、あなただったらどうしますか?」 視聴者に委ねられているのだろう。 正解はない。どっちも正解だ。それは生き方であり考え方である。 そこに自由さがある。 タイトルの「生きててごめんなさい」とは、一般常識に囚われている現代人への当てつけだと思う。
反比例していく愛と執着
2023年劇場鑑賞11本目 優秀作 74点 顔が大好きな穂志もえかと生涯ベスト作品のヤクザと家族の監督 藤井道人が企画担当ということで楽しみにしていた作品 結論当サイトにもある通り高評価なのも頷ける出来でした 一見、男側がクズでひもで、女側が母性や私がいないと彼は生きていけないと思い養うみたいな構図は容易に想像できるけど、今作はその逆で、女側が宙ぶらりんな感じで、男側が仕事と幸せの瀬戸際でもがくみたいな構図が個人的には新しいと思ったし、穂志もえかのフニャっとした感じがが絶妙にマッチしていた 特に物語としてのターニングポイントである男女の立場というか、わかりやすくスポットの当たり方が逆転してからは世知辛く、才能が評価されたり、現代の世間が求めるクオリティとかコンテンツ、ニーズに呆れたり失望し、それの根源が彼女もその一人なのが憎いけど共依存している対象だから切り離すに切り離せない男目線がすごく良かった 終わり方が鑑賞後感がたなびく感じがこれまた印象的でした 是非
「実世界でもこんな事あるよな……」ってシーンが沢山ある。主軸の2人...
「実世界でもこんな事あるよな……」ってシーンが沢山ある。主軸の2人は勿論、出てくる登場人物それぞれに共感できた。最後も自分は2人がよりを戻しても幸せとは限らないと思ったから「仲直りしました!」みたいな終わり方じゃなくて良かった。レンタル配信で観たけれど「上映中に映画館に行ってみれば良かった!」と後悔するくらい面白い映画でした。
チネマット試写会にて。ムズムズするけど、これもまた1つの生き方だよ...
チネマット試写会にて。ムズムズするけど、これもまた1つの生き方だよな…としみじみ。自分を生きながら他人と生きることは、最もありきたりで難しいことかもしれない。 個としての生き方を優しく捉えながら、返ってくる痛みがまた残酷というか…。上手く生きられないことを自他共に認めていながら、そのぼんやりとした関係性を改めて見つめた時、人はまた1つ進むのだろうか。 最近よく見る痛エモ的な感じかと思いきや、充足感とは真逆にいるふたりの空っぽさが容赦ない。「#イキゴメ」なんか作るからなおさら。そんなマーケティングが合わないと感じるほど、理想だけの生き方にしか映らない。共感性は低く抑えられながら、現代的な若さを感じる。見ながら思うのは、世界を劇的に変える魔法も手段もない上に、理想論の痛さ。じゃあ、足りないふたりがバランス良く保てるかと言われると、そうでもない。様々な顔や正義が小さな枠の中で行き交う現代だからこそ、この不安定さに胸が締め付けられる。 主演は黒羽麻璃央さんと穂志もえかさん。不器用にも程があるだろ…と言いたくなる協調性の無さは、生きる為の術を知らない不器用さを引き立てる。かまってちゃんや夢想家、上手い言葉で形容できても、彼らの想いは微塵も届かない。それを諦めたような自分にとって、感覚が掴めない辺りも面白い。順応なのか、はたまた不器用なのか…名もなきボーダーに落とし込んだ柔さもこの作品の魅力だ。 このテーマであれば、振り抜きたくなるようなテンポと転調を持っているが、本作にはない。華も枯れ、愛を憂う2人の生活を問いながら過ぎる様に、今の若さを感じながら余韻に浸る。
ひとことReview!
『生きててごめんなさい』ならぬ『駄目人間でごめんなさい』みたいな感じか。何だか男も女も他力本願みたいな感じ。私はそんな生き方をしたくないけど、先にそうなるかもしれないな...そんな不安を感じた作品。
自分すぎて寒気がした
序盤、ギリギリ働いているということ以外、「りな」が自分そのものすぎて寒気がした。
仕事に行く夫(ではなく、作中では恋人だが)にベッドから起こしてもらう描写など、誰か我が家を盗撮しているのか?と思うほどの再現度だ。
1日の大半を寝て過ごしているところや、友達がいないところ、人間ではなく動物に感情移入するところも。
ハッキリ何とは言わないが「社会になじめない、普通じゃない人間」をこれでもかというほどリアルに書いていた。確かに、「生きててごめんなさい」というふりをしつつ、「生きてるだけでいいじゃないですか」と私も思ってる。
が、後半才能が認められて…とそこまではいい(ありうる)ものの、コミュニティに温かく迎え入れられ…のところは、「いや、そうはならんのよ…」と冷めながら見てしまった。
けれど終盤の、結局彼女も頓珍漢な解釈をされながらコンテンツとして大衆に搾取されているという、サクセスストーリー的に終わらないところを丁寧に書いてくれたのはとてもよかった。自信にあふれたキラキラインフルエンサーになってたらずっこけるところだ。
私も夫に聞いてみたい。どうして一緒にいてくれるの?と。
あと、会社は辞めないでおこうと思った。
受け手の解釈に大きく委ねた映画
何をやってもうまくいかず、自己中心的で自分勝手な莉奈を修一が見染めるところから映画は始まる。
初めは上手くいっていた2人だったが、それは修一が1人じゃ何も出来ない莉奈を世話することで自分の現実での惨めさを誤魔化していたからだった。
莉奈が仕事を始め、自分よりも充実した毎日を送る事実に耐えられなくなった修一が度々莉奈に対して想いを忖度なしにぶちまけるシーンが散見されるが、その度に我に返ったように謝る修一の姿はとてもリアルに描かれていたと思う。
またこの映画は特に対比構造が顕著に描かれていた。小説を書くシーンでの天才と凡人という言葉に表れているように、努力しても仕事も夢もうまくいかない修一と、それをあっさりこなして最後は出版まだしてしまう莉奈が対比で書かれている。
修一が莉奈を自分の中で下に格付けしそれに満足していたのが悪いことなのかと問われれば、実は莉奈も途中で犬を拾ってきて世話していたように、自分がうまく行き始めた途端自分を頼ってくれる対象を探す修一と同一の思考を辿っていた。それについても修一と莉奈、莉奈と犬の対比構造で表しているのは比較的わかりやすく良かった。
さらに家から駅に向かうシーンでも冒頭の修一が仕事に向かう場合と、莉奈が家に帰る場合とで対比されている。目的や目標があって駅に向かう人物は途中の階段に気付き、そうでない方は気付かずスルーしてしまう。それに加えて修一が階段を登った先になにもない、と一蹴したのに対し莉奈は振り返って景色を眺めていたのを踏まえると、修一は頑張った先の結果だけを求めており、莉奈は結果ではなくその過程を振り返って大切にしているという対比になっていた。(修一はなにも得られなかったが莉奈は得ることが出来たということの暗喩でもあったか?)
最後のシーン、修一は渡ったのか渡ってないのかが曖昧になっており、受けての解釈に結末を委ねている。私としては修一は自分を見つめ直し、新しく莉奈と関係を築いていったと解釈したいところである。
評価としては冒頭のシーンの真意が掴めなかったこと、文芸サークルの先輩の話が思ったより深掘りされなかったことを鑑みて星4としています。
#それでも今日も生きています。
こじらせ引きこもり女子莉奈。そんな彼女を分かってやれるのは俺だけだと思っている出版社で働く修一。しかし予期せぬところで莉奈の感性にスポットが当たった時、修一の自分でも知り得なかった嫉妬心が爆発する。 喉を潰された挙げ句捨てられた犬。自分自身が重なって見える。でも誰にだってそんな瞬間はある。まさに#生きててごめんなさいの瞬間。進むのか、引き返すのか。観る側に委ねられる二人のその後。とても好きな終わり方だった。そして穂志もえかの透明感が終始半端なかった。 冒頭のコントみたいな小芝居がちょっと心配になるスタートになってしまって残念。あのシーンなくてもよかった気がする。
これはさ、一緒に渡っていいやつ?
出版社で働く修一は莉奈と出会い、アパートの一室で同棲をしていた。
修一は作家の夢を抱きながらも日々編集の仕事に追われている。
一方の莉奈は周りと上手く付き合えず、仕事もせずにダラダラと家で過ごすことが多かった。
ある日、ひょんなことから莉奈は修一の担当するコメンテーター西川の目に留まり、修一の出版社で働くことになる。
周りからちやほやされ成功の階段を登り始める莉奈に対して、修一はいつしか心ない言葉を浴びせるようになり……
蟹が飛ぶ。
あんなに心を掴まれるOPは久しぶりだ。
ラストとオーバーラップする踏み切りでのタイトルバックも素敵。
描かれる日常が美しければ美しいほど辛い現実が胸を刺す。
「誰かのために生きるな、自分のために生きろ」
この映画ではそれを伝えたかったように思う。
そう、これは生き方についての物語。
定職につかずアルバイトも長続きしない、両親からも見放され連絡を取れる友人もいない莉奈。
修一無しでは生きていけない莉奈だったが、しっかり自分を貫き通したていた。
社会性がないことを否定され続けながらも、好きなものは好き、嫌なことは嫌と自分をしっかり生きてきた。
その面倒臭いほどの純粋さを武器に次第に社会へ馴染んでいく。
一方で修一は自分の意思を無にして仕事に命を懸けている。
一見するとエリートサラリーマンといった感じだが、彼は仕事のために生きていた。
昔から憧れていた先生に読んでもらえると意気込み、小説の新人賞にエントリーするも案の定失敗に終わる。
自分の好きなことも削り、仕事のために生きていた彼は社会的には生きているように見えて人間としては死んでいた。
行き場を失った感情は愛と混ざり合い、そんなつもりじゃないのに悪口を吐いて目の前の人を追い詰めてしまう。
「俺は莉奈に憧れてたのかもしれない」
同じ職場で働いているにもかかわらず、2人でこうも違ったのは決してパワハラ上司やセクハラコメンテーターのせいではないと思う。
同じ世界でもどうやって見るのかで、視点も立場も気持ちも全く変わってくる。
現代人にはそれが欠けているのかもしれない。
この映画を語る上で外せないのがヒロインについて。
この多くの人から嫌われそうな役柄をヒロインに据えたのがなかなかの革命。
はじめは「あー、こういう子ね」とあまり好きになれなかったが、彼女の内面を知れば知るほど興味が湧いてくる。
人間上部だけでは分からない。
こういうヒロインこそ、ヒロインとして最適なのかもしれない。
そして、それを演じきった穂志もえかが素晴らしい。
最近好きな女優は?と聞かれたら彼女の名前が出てくると思う。
それから黒羽麻璃央の表情の良いこと。
安井さんのイヤミな役もハマっていた。
ラスト。
修一は踏切を渡ったのだろうか。
生きてればそれでいいじゃないですか。
仕事と恋愛の残酷さがキツくて当分は観たくないけれど、すごく好き。
俺的主演女優賞
穂志のダメっぷりが素晴らしくて4星です。 ナイスキャスティング! ナイス演技! こういう女性と付き合った事ないので、甘えとか依存とかされる事に少し憧れがある、、、けど実際はしんどいんだろうなぁ。ダメな人って何か自分でも気づいてない才能持ってる感じがして、、少し怖い。 ストーリーは今時の恋愛物だが、依存と保護の関係は疑似恋愛なのか?恋愛に成りうるのか?という着眼点は面白いと思った。 タイトルは、なんか自傷系映画みたいでみんな敬遠しそう。原題の「イキゴメ」の方が良かったと思う。ポスターも古いロマンポルノみたいで良くない。 黒羽は頑張ってたが髪型が今泉作品の若葉竜也みたいで損してると思った。
階段を登りきった先にあるのは
修一には何もなかった。
莉奈には眼下に広がる街並みが見えた。
(登りきったという事実は変わらない)
テレビドラマにはない間、そしてそれに集中させる主演二人の魅力。2時間あきることなくスクリーンに惹きつけられました。
この二人の主演作を劇場公開時に観ていたってことが何年か経ったら自慢できるだろうな。
それ絶対に言ってはダメな言葉。言った本人もわかっててすぐに謝る。本当はそんなこと思ってなかったよって。
身につまされるほどよくわかるなぁ。
ペット産業の闇でもう一本作ってほしい。
哀しいね。
若い二人の恋愛だけでなくいろんなことに思いが膨らんでいく作品でした。
元AKBで女優と云えば、前田でも大島でもましてや川栄でもない、「冨手」や「(現:中村)加弥乃」だ!そんな「冨手麻妙」を観に往ったが・・・!?
2023年 「松井玲奈」演員、「冨手麻妙」演員、「梅田彩佳」演員、AKB3作品。 「松井玲奈」「冨手麻妙」が出演しているのはポスターやチラシを見れば判るが、今やミュージカル女優としての地位を確立している「梅田彩佳」が出ているのには驚いた!! ドキュメンタリー映画以外で何の共通点が見付からない元「48G」員がコレだけ介すのは初めてじゃ!?
現実に戻りたくないと久しぶりにふと思った 普段の自分は修一の感じの...
現実に戻りたくないと久しぶりにふと思った 普段の自分は修一の感じのスタンスだけど 気持ちはすごく利奈々に共感する きっとプライドがあって自立しているけど傷つきやすく自分勝手なのだろう。。 利奈のようなああいうタイプは案外タフ あの2人は好きなのか共依存なのか 経験があるからこそ分からない ああいう関係性が羨ましくもあったけれど やっぱり自立している関係がいい。 今の自分の自立を感じた。 共依存がうらやましくはなくなったのだ。 カメラワーク好きだった。 上映時間ギリギリに行けることになったので窓口でチケットを買った。 「生きててごめんなさい」という言葉を初めて言った気がして何とも不思議な気持ちになった。 とても繊細で美しかったな。 観る前に感じた予想と違って 少し心が軽くなっている。 え、てかキスシーンなどラブシーンと呼ばれるtheそういうシーンそういえばなかったじゃんと今気がついて驚いた!!!! ないことに違和感も寂しさもない 満腹感。ひええ。 このように気づかないってことが一番すごいことだと思う。。。 言葉としてない表現、違和感がないからすぐ忘れてしまっている美部がたくさんあった。 俳優ってある程度自分勝手でいないと 出来ないのかも。
身構えないで観て大丈夫
タイトルが重いですよね。
自分を否定する人を見ると、すごく悲しい気分になるからね。
ただ、この映画はタイトルの印象ほど重苦しくはなかったです。
かと言って、軽いって感じでもなかったけど。
身構えないで観て大丈夫な作品だと思います。
それでね、この映画のタイトルを背負っているのは穂志さん演じる莉奈なんだけど、彼女は自分を否定している様には見えなかったの。
なんか、自分を肯定する事も、否定する事も出来ない人って印象を受けたんです。
まあ、人間なんて皆そんなものかもしれないけど。
そして、この映画で凄いなと思ったのが、出会った時と最後とで二人が変わっていない様に見えた事。
二人を取り巻く状況は一変しているのに、本質の部分は全然変わっていないと感じさせてくれるの。
だからね、最後は二人にはよりを戻して欲しいなと思いつつも、よりを戻しても幸せにはならないかもと複雑な気持ちで観てた。
なので、ラストシーンはあそこで切ってくれて、私には丁度良かったです。
全28件中、1~20件目を表示