石門 : インタビュー
“性被害”“初体験”“妊娠”ひとりの演技未経験女性と歩んだ10年間 ホアン・ジー&大塚竜治が語り尽くす共感の物語
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“中華圏のアカデミー賞”と称される台北金馬獎(第60回)で日本資本の映画として初めて最優秀作品賞を受賞し、最優秀編集賞との2冠に輝いた映画「石門」(読み:せきもん)が、2月28日に公開された。
同作を手掛けたのは、は中国湖南省出身のホアン・ジーと東京出身の大塚竜治。中国と日本を拠点に活動する夫妻は、女性の性に関する問題をテーマに映画を共同製作してきた。このほど映画.comでは、2人のインタビューを敢行。過去作「卵と石」「フーリッシュ・バード」の話題を経由しながら、最新作「石門」の製作秘話を語ってもらった。(取材・文/徐昊辰)
【「石門」あらすじ】
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(C)YGP-FILM
2019年、中国湖南省の長沙市。20歳のリンは単発の仕事でお金を稼ぎながら、フライトアテンダントを目指して勉強している。郊外で産婦人科の診療所を営む両親は、死産の責任を追及され賠償金を要求されていた。そんなある日、リンは自分が妊娠1カ月であることを知る。子どもを持つことも中絶することも望まない彼女は、両親を助けるため賠償金の代わりとしてお腹の子を提供することを思いつくが……。
●「卵と石」「フーリッシュ・バード」、そして「石門」へ
――まずは過去作「卵と石」「フーリッシュ・バード」についてお聞きしたいです。というのもこの2作、「石門」とはストーリーのつながりはありませんが、テーマなどでつながっている部分があります。当初はこの3作を作るご予定がなかったとお聞きしています。そこで、まずは「卵と石」の企画経緯から教えていただけますか?
ホアン:「卵と石」は、私が子どもの頃に性被害を受けたことから生まれた作品です。衝動的に作った作品ですが、その後、ロッテルダム国際映画祭に入選しました。その時に大塚が今後の作品の構想を発表しましたが、実はどんな内容を撮るかはまったく考えていなかったんです。
「卵と石」は私の初長編映画。お金もなかったので、さまざまな学校に行って、放課後の学生の表情などを見て、キャストを探そうと考えていました。最終的には、都市部から離れた田舎の学校でヤオ・ホングイと出会いました。彼女は、私の質問に対して、言葉ではなく“表情”で答えました。彼女の目、彼女の体が“何かを語っている”ような気がしたんです。
大塚:当時の僕は、北京にいまして、ホアン監督から映像を見せてもらいました。ホアン監督が言ったように、ヤオ・ホングイの表情は何かを表現しているように見えました。「卵と石」はそもそもセリフをあまり使わない映画だったので、それも決め手になりました。
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(C)YELLOW-GREEN PI
●10年をともに歩むことになった“主演”ヤオ・ホングイについて
――ロッテルダム国際映画祭で以降の構想を発表したとのことですが、その時からすべての作品を“ヤオ・ホングイ主演作”として考えていましたか?
大塚:ロッテルダムにいた時、プログラマーから「ぜひ今後の作品について、企画を出してください」と言われたので、簡単に構想をまとめました。第1作「卵と石」が女子中学なので、2作目は女子高校生、3作目は女子大学生を主人公にした作品と書いていました。
当時は、3年ごとに1本の映画を作りたいと考えていました。「卵と石」から3年後、ヤオ・ホングイはちょうど高校3年生。実は「卵と石」撮影以降、ヤオ・ホングイとずっと会っていなかったんですが、3年後に再会した時は「変わっていないな」と思いました。ただ周囲と一定の距離を置いているように思えました。まるで自分ひとりで生きているように。しかも、彼女は高校の生活がつまらないと思っていて、さらに映画に対して未練があったようで、そこから「フーリッシュ・バード」の主人公も彼女に託しました。
――とはいえ、彼女はプロの俳優ではありませんから、演技指導などは大変だったのでは?
大塚:「卵と石」を撮影した時、ヤオ・ホングイはまだ13歳。すべてのシーンを撮る前に、彼女ときちんと確認した上で、撮影を行いました。当時、彼女は映画の撮影を経験したことがなかったので、時々迷ったりしました。最終的に撮影を終えられるまで3カ月かかりましたね。
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(C)YELLOW-GREEN PI・COOLIE FILMS
●第2作で確立した共同監督スタイル
――「卵と石」から「フーリッシュ・バード」に移る上で、もう一つの変化は、ホアン監督一人の体制から、大塚監督を加えた共同監督スタイルとなった点です。
ホアン:「卵と石」製作時もすでに一緒に共同作業をしていましたが、共同監督のことは考えていませんでした。「フーリッシュ・バード」を撮る時は、誰が何をするかははっきり分けることはできなかったので、共同監督という形にしたんです。
大塚:「卵と石」はホアン監督の発案で、彼女の視点で描かれた作品だったので、僕はあくまでも彼女の視点に協力する感じでした。「フーリッシュ・バード」の時は、完全に一体化していて、物語はもちろん、演出も音響も美術も、全部一緒に相談しながら決めたので、完全に“共同監督”となりました。
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――ホアン監督から見ると、共同監督での変化はどういった部分でしょうか? 大塚監督は日本出身という背景もあり、ある意味国際的視点が増えたと思いますが、いかがでしょうか?
ホアン:最も大きな変化は、主人公とその周囲のことだけに焦点をあてる作品ではなくなったこと。「フーリッシュ・バード」の場合、物語が行われた“場所”も、作品にとって重要なポイントになりました。ある意味、いままでのミクロの物語に、マクロの要素を入れたんです。「石門」の時に、その点はさらに明確化されましたね。私ひとりで作品を作るなら、キャラクターに注力し、細かく“人”を描きますが、大塚が入ることによって、私の視野が広がりました。
――「卵と石」「フーリッシュ・バード」「石門」は“性被害”“初体験”“妊娠”という“女性と性”に関する作品。タイトルも関連していますねよね。「卵→鳥」、そして「石→石門」となっています。
大塚:タイトルはかなり早い段階で決まりました。脚本は全然決まっていないときに(笑)。例えば「フーリッシュ・バード」を作るとき、主人公とフーリッシュ・バードの関係性を考えました。ちなみに、主人公の名前“林森”(リン)も同じです。「卵と石」のとき、そもそも主人公の名前など考えもしませんでしたが、「フーリッシュ・バード」はタイトルに合わせて“林森”にしました。それは“森林”を逆にしたもので、その意味も作品の世界観に通じるので、「石門」でも主人公の名前として“リン”を引き継ぎました。
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●念入りに行われた「石門」の取材 、約100名の学生にヒアリングを実施
――では、ここからは「石門」の話に入ります。「石門」で描かれた社会性は、前2作から一気に広がったように思えます。撮影前、かなりの取材&調査を行いましたか?
大塚:1年ぐらい準備しました。色んな学校に行って、約100名の学生に何度も取材したり、皆さんと一緒にディスカッションしたりしました。すべての学生に同じ質問をしました。皆さんの答えから“社会の全体像”を掴みたかったんです。取材時、偶然、学校のトイレで“卵子売買のチラシ”も見つけたりしたこともありましたね。
――取材時には“聞きにくい部分”もあったのではないでしょうか?
大塚:これはホアン監督のおかげです。皆さんはホアン監督の前では本当に色々話してくれました。
ホアン:おそらく、普段は“喋れるチャンス”がないのかもしれません。皆さんから「話したかった」という思いを感じました。誰かと話したかったし、時々悩んだりしている。だから、その話題を出すと、積極的に話してくれたんです。私もなぜこれについて聞くのかをしっかりと説明したので、話はどんどん深くなっていきました。
具体的には2段階に分けました。まずは基本的な生活について。「どのようにお金を稼ぐか」「どのようにお金を使うか」「あなたの夢は」といった質問を投げかけました。それが終わった頃に「これから、性などについてのプライベートの話を聞きたい。残りたい方は残ってください」と前置きしてから、残った方々と深い話をしていきました。その時は、大塚も離席してもらい、私ひとりで皆さんとコミュニケーションを取りました。
――その形だと、かなりの時間が必要ですよね。
ホアン:そうなんです。しかも、同じ学校だけを取材するのではなく、色々な学校でやりました。ですから、かなりの時間を要することになりました。
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――取材調査が終わってから脚本作業を進めると思いますが、その前にヤオ・ホングイとコミュニケーションしないといけないですよね。
大塚:ヤオ・ホングイは我々とやり取りをしたとき、何も答えませんでした(笑)。
ホアン:彼女はやはり言葉が苦手ですね。いつも遅れて“表情”で何かを伝えようとしてきます。
大塚:彼女が否定をしないなら、それはOKという意味です。特に現場にいる時、彼女は一層OKを出すようになりました。おそらく現場の雰囲気の影響もあったのでしょう。
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――今回のヤオ・ホングイは妊娠の過程を演じます。しかし、実経験がない彼女にとっては非常に難しい芝居です。
ホアン:そうなんです。我々は事前にこのキャラクターに何が起こるかを伝えています。それを演じるのが難しいのであれば、無理をしなくて大丈夫なんです。その場合は別の方を探しますから。
大塚:今回の撮影期間は本当に長かったんです。妊娠期間と同様の10カ月にも及びました。そのため撮影期間中、ヤオ・ホングイは我々と一緒に暮らしていました。ただ、10カ月間延々と撮影するわけではないので、全体的な段取りは不安定でした。時には急遽撮影したりすることもあったほど。ヤオ・ホングイも大変でした。妊婦の姿になっていなくてはなりませんでしたし、気持ちの整理ができない日は撮影ができなくなりました。
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●激動の中国社会 意識したのはデバイスの変化「いまの中国社会を語るには、スマホは避けられない」
――本作には中国社会の変化の激しさをところどころ感じました。特に“スマホ”の引用が素晴らしかったと思います。
ホアン:この10年間で「卵と石」「フーリッシュ・バード」「石門」の3作品を撮りました。そこにデジタルの変化を映画の中に意識的に入れています。たとえば「卵と石」の中では、電話がよく使われています。そして「フーリッシュ・バード」のなかでは携帯電話、「石門」のなかではスマホが登場しています。なぜこうしたのか――まずは作品の連続性を考えました。また、取材時に一番感じていたのは、いまの若者のコミュニケーションが完全にネットの世界で行われていること。ほとんどの交流は“会わない”形で進んでいるんです。
大塚:いまの中国社会を語るには、スマホは避けられない存在だと思っています。ここ十数年間、中国社会は止まることなく、高速で進んでいます。特にデジタル社会の変化が激しくて、次々と更新されています。ついていけない人も多かったんです。日本の場合は、もしかしたら“一旦落ち着いて考える”のかもしれませんが、中国はある意味“止められない”。私が中国に行ってからは、社会は毎日のように変わっています。
ホアン:本当にそうです。しかも、その変化はスマホの進化と深く関わっています。
大塚:だから、この変化、そして変化によって影響される人々のことを「石門」で描きたかったんです。“今の時代”の中国社会を描いているつもりです。
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●撮影中にコロナ禍に突入 キーワードとなるのは“鈍感”
――もうひとつ重要な要素はコロナです。撮影時は、いつ頃からコロナが始まりましたか?
ホアン:撮影スタートの時は、まだコロナ前の時でした。おそらく、撮影が9カ月に突入した頃に、コロナが蔓延し始めました。
――脚本への影響は?
大塚:いえ、特に影響はなかったんです。もともと、10カ月間の“リアル”を撮りたかったので、自然とコロナによる社会変化を映画のなかに取り入れていました。しかも、当時はちょうど「今後どのように作品を描いていくか」を考える最中でした。
「石門」に関しては“鈍感”というキーワードがあります。林森(リン)も、ある意味鈍感の人ですし、社会についていけない人々も、“鈍感”と言えるでしょう。だから、コロナになった後、この鈍感から一気に変わらないとといけなかった。その変化もなかなか面白かったんです。
ホアン:クランクアップでは、皆さんにお礼として渡したのはゴーグルでした。あの時の光景は一生忘れません。
――ちなみに、リンの母役は、ホアン監督の母親が演じていますよね。その理由を教えていただけますか?
ホアン:最初は「卵と石」「フーリッシュ・バード」にも出演した方にお願いしたかったんです。自分の両親と一緒に仕事をするのがちょっと怖かったですね。でも撮影帰還を10カ月に決めたので、もはや自分の両親以外のキャスティングは厳しいかなと思っていました。10カ月も撮影に付き合ってくれる人なんてそうそういませんから。
大塚:ホアン監督のお母さんは産科で働いているので、子どもを生む現場を長年経験しています。今回は出演だけではなく、脚本作りにも協力してくれました。
ホアン:ずっと経験していることで、物語にとても親近感を感じたと言っていました。ですから「演じることも、難しくない」と言われました。
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●なぜ“女性と性”を描き続けてきたのか「トレンドではなく“存在”を描きたい」
――「卵と石」が賞を獲得した頃は、まだ#MeToo運動以前のタイミングで、女性監督が描く女性映画が少なかったように思えます。そそして、#MeToo運動を契機に、この運動に関連する女性映画はもちろん、さまざま女性映画が一気に作られるようになりました。女性について描くというより、テーマだけを利用した作品も多く存在していますが、お二人の作品はずっと変わらず一貫性が感じます。この点が本当に素晴らしいと思いました。
ホアン:映像は、常に政治的潮流と関わっています。その政治的潮流に合わせて、多くの映像作品が作られています。我々は作品を作る時、その時の政治的潮流に抗いたいという思いではなく、政治的潮流の外側にある“社会に忘れられている人々”を描きたいという思いが強かったんです。ですから#MeToo運動が政治的潮流となり、さまざまなところで消費され、別の意味も持ち始めたりした時には距離を置きたいと思います。自分の作品がその流れの中で見られたくないと考えているからです。
大塚:#MeToo運動については、多くの方々がスマホを通して、それ自体を知りました。そして、すぐさまトレンドになります。その後、一部の映画製作者は、そのトレンドに合わせたテーマの映画を作りました。ある意味、トレンドの連続ですよね。
ホアン:そうなんです。ただ我々が作りたいのはトレンドではなく、真実というか、“存在”を描きたいんです。
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――では、最後にこれから「石門」をご覧になる観客に、メッセージをお願いいたします
大塚:コロナが始まったのは5年前でした。もう忘れられているか、もしくは忘れたかったかもしれません。ただ、コロナは色んな意味で“存在”しています。だから、“存在”しているコロナは過去のことではなく、逆に未来に関わる重要なことだと思っています。本作の主人公・林森(リン)は、いまの社会に生きている普通の人です。皆さんは彼女に、きっと共感できると信じています。