「脚色にも演出にも難あり。 だが、「ロッキー」にも「あしたのジョー」にもしたくない志向は伝わる。 主演俳優に牽引され、いかなる人生にも明日があるのだと感じさせる。」春に散る kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
脚色にも演出にも難あり。 だが、「ロッキー」にも「あしたのジョー」にもしたくない志向は伝わる。 主演俳優に牽引され、いかなる人生にも明日があるのだと感じさせる。
やっと今、この小説が映画化され、佐藤浩市と横浜流星がダブル主演と聞けば、原作ファンとしては期待せざるを得ない。しかも監督が瀬々敬久なら尚更だった。星航という人のことは知らないが、瀬々敬久はその人物と共同で脚本も手掛けている。
然るに、上下巻からなる小説を2時間強に収めた脚色の工夫は買うが、何だか釈然としない。
以下、やや苦言---------------------------
登場人物の設定を大胆に変えたのはよいが、焦点の絞り方が定まっていない印象を受けた。
原作は、元ボクサーの広岡仁一が主人公なのだが、四人の元ボクサーの老いらくの青春を描いている。そのトリガーとなるのが、若いボクサー黒木翔吾と訳アリ女性土井佳菜子なのだ。この老人たちと若者の六人の奇妙な共同生活の描写にかなりのページを割いている。
この映画では、老人たちの青春よりも広岡と黒木に焦点をあてようとしたのだと理解したのだが、ならばもっと余計なものを省いて広岡と黒木の師弟関係に集中できなかったか。やや散漫な感じがして、残念だ。
黒木翔吾(横浜流星)と土井佳菜子(橋本環奈)は完全オリジナルな設定に変更されている。
佳菜子を姪という設定にしたことで、広岡仁一(佐藤浩市)の生い立ちもオリジナルなものになっている。
広岡の現役時代もアメリカ時代も映画では描かれていないから、40年ぶりに帰国した彼の行動原理はそこからは量れない。
彼の人間形成に生い立ちが影響していると感じるかどうかは観る者次第だが、佐藤浩市の役者力がその数奇な生い立ちを滲ませて観客を惹きつけるのは、サスガとしか言いようがない。
脚本は、佐瀬健三(片岡鶴太郎)や真田令子(山口智子)との会話で広岡の人物像をあぶり出そうとしているが、ジムの前会長(令子の父)とのボクシング論の違いを持ち出したりしたので、返ってブレてしまった。広岡のボクシング論がどこまで黒木に伝授されたのか(あるいは、黒木の影響で広岡のボクシング論が変わったのか)が不明瞭で、つまりボクシング論の違いは物語に重要ではないのだ。
そんな要素を織り込む一方で、佳菜子が試合を見に来たり、同居し始めたりの関係の発展は説明を省いていて、唐突な印象だ。広岡と佳菜子を血縁関係に変えたのは、同居することの違和感を払拭する以外に意味があるのか解らず、佳菜子の存在があまり活きていない。
父親が死んで孤独になった姪が突然押しかけてきた…くらいに簡潔にしておいて、佳菜子との生活が広岡に何かをもたらすエピソードを入れても良かっただろうに。
四人の元ボクサーを三人に整理したのは良いが、結局は黒木を育てるのは広岡ほぼ一人で、佐瀬健三は協力者だが、藤原次郎(と星弘を合体させたキャラクター)(哀川翔)は別行動。ならばこの人物も削除してよかった気がする。
黒木は母親(坂井真紀)との関係などから人物像にやや迫っている。
プロボクシングという特殊な世界だからこその、刹那的なロマンを求める若者を演じた横浜流星には、鬼気迫るまでの熱量を感じた。
だが、母親を守りたくてボクサーになったという設定とはキャラクターが重ならない。対戦相手を慮ってしまう優しさがプロとしては仇になると広岡に指摘されたが、それを克服する過程が描かれていないから、黒木の成長物語を感じられないのだ。
黒木の対戦相手が二人登場する。
大塚俊(坂東龍汰)と中西利男(窪田正孝)だ。
窪田正孝がプライベートでボクシングジムに通っていることは有名だし、『ある男』でボクサーぶりは披露済みだ。坂東龍汰も確り体を作っていた。
ところが、肝心の試合の演出に臨場感が欠けている。あれは意図的だったのかもしれないが、そうならミスリードだと思う。
試合会場が陳腐なら、観客たちもセコンド陣も白々しく見えた。
中西の所属ジムの会長を演じた小澤征悦が下手くそに見えてしまったほどだ。
黒木が破滅的にボクシングに没頭するから、逆にボクシングをスポーツライクに描きたかったのかもしれないが、大塚と中西の試合後の態度が全く同じように単純に潔いのが戴けない。
特に悪役然とした中西のキャラクターは何だったのかと思う。プロレスみたいな乱闘をしろとは言わないが…。
この映画、本当に瀬々敬久の演出なのだろうか…
と、長々酷評したのは期待の裏返し----------
余命幾ばくもない初老の元ボクサーは、40年ぶりに再開した昔の仲間が荒んだ生活を送っていることを知る。残された時間で、彼らと昔を懐かしむ平穏な日々を過ごしたいと彼は思ったのだろう。
たが、偶然若いボクサーと出会ったことで彼の余生は大きく転換するのだ。
擬似親子のような若者と老人は、生き急ぎ、死に急ぐ。ボクシングを題材にして語られがちな「破滅の美学」のように見えて、実は二人の再生の物語であることが、終盤で心に染みてくる。
横浜流星の心身を削った迫力の演技。
佐藤浩市の語らずとも滲ませるイブシ銀の佇まい。
片岡鶴太郎の本物を感じさせる身のこなし。
二人が駆け抜けるほんの1年間の時の流れを、季節で示す手法が良い。
そして、タイトルが示唆する最期の春がやってくる。
散ってしまった後に「春に散る」というタイトルを表すのは間抜けな感じがしたが、映画はそこで終わらない。
若者には未来がある。
「俺に明日なんかねぇんだよ!」そう言い放つ若者の未来と今の両方を守ろうとした老トレーナー。彼が命に代えて託した思いは、若者の身体の中で生き続けているという、素敵なエンディングだった。
コメントありがとうございます。
原作を読まれた方の感想、大変参考になりました。
横浜流星は、インタビューなどを読んでいると、もともとの彼自身の生きる姿勢が黒木翔吾に重なる部分があるようで、そういう意味でもとてもよいキャスティングだったと思います。
原作では、同居生活を通して、それぞれの人物像がより鮮明に、或いは謎(どんな過去からの今なのか?)が深まる。
そんな感じなのでしょうか。想像するだけで深みが感じられますね。
でも、役者力だけでも、これだけのものが生まれるのだ、ということも証明されたとも言える。
やっぱり映画って凄い❗️
kazzさん、コメントありがとうございます。
kazzさんのおっしゃられる通り、無駄なモノを削ぎ落として広岡と黒木の物語に集中するか。もしくはすべての物語を濃密に描いて重厚な大作にするかだと思うんですが・・・
kazzさん、共感&コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、横浜流星くんがめきめき力をつけてる感じがしています。役の幅もどんどん広がってきて、今後の活躍がますます楽しみです。
コメントありがとうございます。
2つのコメントに大共感です!
瀬々監督はオリジナル脚本や企画に取り組む時でしょうね。
今作で世界戦が実現したのは、いかにも昭和ですね。プロレスはボクシングや相撲みたいに確立されてないので、急死とか引退後内臓疾患が多いのは、WWEでも逃れられませんね。
熱いレビューありがとうございます!
俳優陣はホント素晴らしかったですよね。
彼等ならあんな長いスローモーションなんか不要で臨場感を伝えてくれそうなのに、ちょっともったいなかったです。