劇場公開日 2023年8月25日

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「ふたりの出会いからタイトル戦までの1年間にてんこ盛りにしながら、ダレずに引きつけるのは瀬々監督の力業でしょう。ギッシリ濃密な力作です。」春に散る 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5ふたりの出会いからタイトル戦までの1年間にてんこ盛りにしながら、ダレずに引きつけるのは瀬々監督の力業でしょう。ギッシリ濃密な力作です。

2023年8月31日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

興奮

 ボクシング映画にハズレはない。そしてシンプル。リングでは倒すか倒されるか。殴り合いにのめり込む人々の生き様(時には死に様)や人間模様がドラマとなるのです。
 何者でもなかった主人公が、血と汗と涙の末に夢をかなえる。胸が熱くならないわけがありません。
 一方でボクシング映画は難しい。スポ根の王道を行く物語はこれまで何度も作られており、どこかで見たようなとなるからです。それだけに、試合の場面がウソくさいと全てが台無し。
 このところ俳優が体作りに精を出し撮影技術も蓄積されて、「BLUE/ブルー」「ケイコ 目を澄ませて」など力作が目立つこのジャンル。本作は沢木耕太郎の同名小説を、瀬々敬久監督で映画化しました。見応え十分、プロの力を感じさせる一作です。

●ストーリー
 40年ぶりに故郷の地を踏んだ、元ボクサーの広岡仁一(佐藤浩市)。引退を決めたアメリカでホテル事業を興し成功を収めていましたが、心臓に病を抱え、不完全燃焼だった人生にケリをつけようと突然帰国したのです。
 かつて所属したジムを訪れ、かつて広岡に恋心を抱き、今は亡き父から会長の座を継いだ令子(山口智子)に挨拶した広岡は、今はすっかり落ちぶれたという二人の仲間、佐瀬健三(片岡鶴太郎)、藤原次郎(哀川翔)に会いに行きます。
 ある夜、酒場で絡んできたチンピラを軽々と殴り倒した広岡。それを近くで見ていた黒木翔吾(横浜流星)は、そのパンチに見惚れて、思わず広岡に手を出してしまうのです。翔吾は、不公平な判定負けに怒り、一度はボクシングをやめた元ボクサーでした。しかし広岡は翔吾を必殺のクロスカウンターでKOしてしまいます。この一発で翔吾はボクシングへの情熱に目覚めるのでした。
 季節が巡り、一軒家を購入した広岡は、佐瀬や藤原に広岡の姪の佳菜子(橋本環奈)も加わり、不思議な共同生活が始めていました。そこへ翔吾が訪れ、再起を期してボクシングを教えてほしいと頼み込みます。
 やがて翔吾をチャンピオンにするという広岡の情熱は、翔吾はもちろん一度は夢を諦めた周りの人々を巻き込んでいきます。果たして、それぞれが命をかけて始めた新たな人生の行方は?

●感想
 元ボクサーの広岡と路地裏でクロスカウンターを打ち合う翔吾。この。瞬間”が、運命を決定づける出会いのシーンが鮮烈です。
 大筋は正統派。ともに不当な判定負けを喫した過去を持ち、黒木は再燃した勝負への熱意を広岡にぶつけ、老境に差し掛かった広岡は諦めた夢を黒木に託す。世界を目指す2人に、父子のごとき絆が生まれるのです。

 世代間の継承という主題は、老いたロッキーが青年を指導する「クリード チャンプを継ぐ男」を連想させます。味わいはもう少し複雑。翔吾にとっては人間的成長を遂げる通過儀礼の一年間でもある。対して仁一は黒輝明の「生きる」ではないが、残された人生でどんな仕事をするべきかとの問いに向き合うのです。
 原作では、老いた男の生き方、あり方をテーマにしたところに新しさがありました。映画は、一度はボクシングを諦めた青年の再起に同じぐらい重きを置いたのです。
 定番の展開となり、盛り上がりは保証されましたが、同時に既視感も出てしまいました。また主人公が2人になったため、感情が迷子になってしまいました。その点は難しいところです。
 惜しむらくは、ドラマ部分が駆け足なこと。上・下巻ある長い小説を、2時間13分の映画に収めたせいかもしれません。翔吾の恋人になる佳菜子(橋本環奈)、仁一に複雑な感情を抱くジムの会長、かっての仲間との人間模様にまで踏み込んだせいで、話が散漫になったきらいがあります。エピソードを絞るか、2部作にしても良かった気がするのです。  とにかくこれだけのドラマを、黒木と広岡の出会いからタイトル戦までの1年間にてんこ盛りにしながら、ダレずに引きつけるのは瀬々監督の力業でしょう。ギッシリ濃密な力作です。

●素晴らしい横浜流星の役作り
 ともあれ横浜がいい。最近の日本のボクシング映画では、「あゝ、荒野」の菅田将暉、「アンダードック」の森山未束も良かったですが、それ以上でしょう。肉体は本物のボクサーのようで、筋肉を付け鍛錬を積んだのが分かります。パンチにもキレがあり、走るシーンまで美しいのです。
 試合場面では音といい動きといい、本物らしく見せる工夫が十分。クライマックスの20分にわたる死闘は、まさに手に汗握ります。激しくストイックなトレーニング風景など、定番要素は十二分に盛り込まれ申し分ありません。
 原作では脇役だった中西を敵役に格上げし、翔吾陣営を挑発する世界王者にしたのもいいアイデアでした。演じた窪田正孝の小憎らしい演技と持ち前の身体能力も手伝って、ピリピリとする打ち合いとなりました。最後のスローモーションの多用と判定による決着を除けば、ボクシングシーンに不満はありません。

●広瀬は監督の分身
 老いや死をどう迎えるかの美学を描いた原作を踏まえた本作は、どこか黒澤監督の『生きる』につながるところを感じました。特に唐突に描かれるラストシーンはまさにそれです。
 瀬々は仁一に自分と同じ大分出身の設定を付与し、同い年の佐藤に主役を託しました。広岡がボクシンから離れていた空白期間は、瀬々が映画作家として日本社会の軋みを描き続けた時期と重なります。そして今、分断や格差を埋める架け橋となり、チャンスを与える存在となって本作に取り組んだのです。
 広岡に瀨々監督を重ねて鑑賞すれば、きっと瀨々監督の映画の情熱を感じることになるでしょうし、瀬々個人の“うた”が確かに聞こえてくることでしょう。

流山の小地蔵