「佐藤浩市と横浜流星、二人の演技だけで満点をつけられる」春に散る 好きな映画は何十回も見る人さんの映画レビュー(感想・評価)
佐藤浩市と横浜流星、二人の演技だけで満点をつけられる
※ボクシングはミリしらの人が書いてます
※ドラマ含めて実写映像が苦手な人が書いてます(あまり実写事情を知らないです)
近所の終映まで何回か見ると思うのですが、あまり入りがよくなかったようなので、鑑賞を迷っていらっしゃるどなたかのお耳に届けば…という気持ちで理解が浅いながらも初見でレビューを記載します。
酔っ払ってるので誤字脱字あったらご容赦ください。後ほど気づけば直します。
【春に散る】は、「純粋である」ことの儚さと尊さを、極限まで追求した作品です。
予告編での役者さん達の演技が強く印象に残っており、公開を待ちわびていました。結果、期待を超える出来でした。
表題のとおり、満点としたいと思います。
<最初に>
格闘技苦手、ボクシングとか殴り合いでしょ…という方でも見れる方が多いのではと思います(自分がそうなので)。
出オチですが、試合でもさほど悲惨なシーンはありません。作品のテーマも格闘技じゃないです。
もし作品が気になっているのなら、むしろそこで止まってしまって見ないのはもったいないです。
<最大の見所>
なんといっても、主演二人の演技力に尽きます。
話は何も想定外は起きない感じですが、この作品では、ストーリーの意外性や複雑さはかえってノイズになると思います。
佐藤浩市も横浜流星も映画全編、どの場面も一分の隙なく、予告の高品質を貫き通していました。彼らから目が離せないです。
・物静かでインテリの雰囲気もあるビジネス成功者、なんでこの人が闘拳やってたねんていうトレーナー役の佐藤浩市
・貧しい中でも限りなくピュアでまっすぐな、護る拳のボクサー役の横浜流星
生老病死、自分ではなにひとつままならない中、この二人の「生」が交錯したごく限られた時間での、極限まで不純物を取り除かれた透明感がすごすぎました…青春時代ではよくあるテーマと思いますが、親子よりも年が離れた世代間でここまで峻烈に輝けるものなのか、と衝撃を受けました。
ただこれは、佐藤浩市と横浜流星「だから」表現できた世界観だと思っています。おそらく、演出も最大限彼らを活かすことに専念されたのではと拝察します。
オレの親父になってよ…、ひとつのプライドも気負いも虚飾もなく、共に過ごした何千何万の思いをただこの一言にのせて、まっすぐに佐藤浩市に乞える横浜流星の技量の凄さ。
対して佐藤浩市は、死期への悟りから、これ以上になく優しく、懇請を拒絶します。これ以上奪うものを相手から増やせないという心情が漏れ聞こえてくるような、巧い演技です。
演出やカメラワークは完璧に二人を生かした構成になっており、非常に美しい場面でした。
この場面を見るだけでも、二千円を払う価値があります。
自分ではなにひとつままならない、というのはメインキャストも共通していて、メインキャスト陣も非常に好きでした。
かつての栄光から落ちぶれた元ボクサーの鶴太郎さんと哀川翔さん、親の介護で人生を台無しにしてきた環奈ちゃん、みんな、弱い糸のように諦念のなかを漂いながら、それでも優しくまっすぐ、自分にとっての大切ななにかを守るために強く生きるさまを好演されていて、心から幸せを願いたいキャラクターたちでした。
<ただ残念…>
否定的なことなのでちょっと言葉を濁しますが、「あしたのジョー」では葉子さん役に当たる方は好きになれなかったです…役のせいか役者さんのせいか明文化が難しいのですが、他のかたの配役でみたかったという感想は正直強く、周りがレベル高すぎてだいぶ差があったように思います。予告編でも唯一違和感があったちゃそう。
まあでもメインキャスト中ではあまり重要ではない役だったので、ここは我慢内の範疇としました。
<最後に>
桜が、本作のテーマになっています。
どれほど忙しなく生活していたとしても、来年もまた満開の桜を見たい…本作を見て、そう思いました。
春の嵐が、花をすべて散らしてしまう前に。