「「ボクシングってのはもっといいもんだろ?」」春に散る いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「ボクシングってのはもっといいもんだろ?」
知性がないと面白くない それは今作の観方で充分突きつけられ、自分自身の不足を露呈され恥辱に塗れ、敗北する
勿論、色々な観方を肯定するのも総合芸術足る映画の本領だが、敢えて様々な表現やメタファー、演出や舞台セットなどに忍ばさせたテーマ性に繋がる"気付き"をキャッチできるかどうか、そしてそれを己の脳内で再構築し抽出できる"装置が"備わっているか、削ぎ落とされたプリミティヴな心象を、今度は不足している己に浸透させるか、最終的に己の駄目な部分を乗り越えられるか、そんな作品の鑑賞学を教授できる作品だろうと思う
原作は未読だが、幾つかの改修はされているらしい 老コーチは4人から2人(1人は相手側コーチへ鞍替)、不動産業の女性→コーチの姪(宗教要素消去)etcにした理由は不明だが、自分が思うに制作陣に因るテーマ性の絞りや、訴える要素を重く静かに忍ばせたかったのではと感じたのだが・・・
必殺ブローに、クロスカウンターが度々演じられる 剣道や刀での決闘ではその一撃必殺の様式美は深く心に突き刺さる 勿論、科学的に証明はされているが、再現度にはかなりの鍛錬と複雑な知能が要求される 主体では矛盾な事象も客観視して初めてメカニズムが否応なく露呈される そしてそれを観賞して感動はするが、発露だけで、至った経緯は面倒で考えない自分・・・
鶴太郎が上映記念登壇に於いて『ボクシングは科学』云々と言っていたのをネットで読んだ 多分、このことを伝えたかったのだろうと今更ながら気付く ポイントを稼いでコツコツ積み上げることを目的化せず、その都度毎にインテリジェンスを閃かせているか、その結果としてのKOではなく判定勝負としての結果であることを目指すことは大変難しい チャンピオンが主人公のジムに迄出向いて煽った理由は、そこに気付いて同じステージで拳闘したいという希望を伝えたかったのだろう 勝つことが目的であることは否定することではないが、その過程は端折らずに登る
心臓病の再発に何度も何度も顔を歪め、苦悶の表情を表現する老コーチが、自身のポンコツ臓器への再起よりも一人の人間の再起を優先させた意味 それはラスト直前の突然横切った自転車の男へ、以前だったら暴力紛いを敢行していた主人公が、素直に謝意を示すあのカットで、カタルシスを演出するあの件に今作のインテリジェンスを集約させた構成を最大限賛美したい
そして又してもそれを気付けず、相変わらずネタバレサイトで理解する自分のインテリジェンスの欠如に、"羞恥心"でしか感じない自分の愚かさを痛切に思い知らされるのである・・・
原作は未読なのに、最後の自転車のシーンをそう思うか分かりません。
だって、はじめから、冒頭の雑魚のチンピラとは違うんですよ?
自転車でぶつかりそうになってなんか言われて喧嘩する気質じゃないのは、冒頭で分かっていたじゃないですか?!
コメントありがとうございます。
映画化における分析に、共感しました。日本のボクシング目線にはどこかネガティブなものがありますよね~井上選手が無傷で引退し、大金持ちになって初めて成功者のロールモデルになるのかもしれません。