オールド・ガード2のレビュー・感想・評価
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脱エンタメ老害のススメ
本シリーズで主演を務めるシャーリーズ・セロンは
「モンスター」(2003年)でアカデミー主演女優賞に
輝く一方で
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(2015年)
「アトミック・ブロンド」(2017年)
「ワイルドスピード」シリーズ など
最近はアクション映画を牽引する俳優の
一人となっている。
そんな経験豊富なセロンが
プロデューサーにも名を連ねて挑んだ本作。
49歳とは思えないほどに鍛え上げられた肉体から
繰り出される多彩なアクションシーンは
モデル出身の生まれ持った美貌と相まって
芸術的な美しさを印象付けていたし
ヴィランとして登場するユマ・サーマンも
感慨深いものがあった。
画像
「オールドガード2」より
前作同様、不死身という設定を
巧妙に活かしたシナリオは
昨今のアクション映画の中でも新しさを保っていたが
ラストシーンについては
3作目へのつながりを意識しすぎたことで
カタルシスの欠如が気になったりはした。
この辺はさまざまなレビューで書かれているが
よくある続編の壁だったりするので
3作目での巻き返しを期待するほか無い。
で、本題のポリコレ的演出についてであるが、
私は何も気ならなかった。
そもそも前作で既にゲイのカップルは登場していたし
女性が男性に立ち向かうという構図はあったし
今回、ヴィランが女性という点にも
ポリコレ的なジェンダーロール以上に
「キル・ビル」を意識した役を
ユマ・サーマンが引き受けたサプライズに
十分な価値を感じられた。
私は本作を語る上でポリコレを引き出すことに
違和感を覚えているわけだが
その理由は、女性が主要キャストを固めたり
男性をマイノリティーとして描く演出が
ヒロインアクションものにおける
古典的なアプローチだからである。
続きはnoteにて
【辻井宏仁】を検索して下さい。
ウルヴァリンのように
一億と二千年前から愛してる・・・やっちまいな。
アクション全般は手堅い。
武芸百般の演出、
車、クラシックカー、バイク、剣、短剣、
拳銃、小銃、長物それぞれ芝居、撮り方、
ドローンのスピード、手堅い。
(アンディとナイルのアクションはご愛嬌)
1はロックダウン時に観て、
感想をリモートで皆で話して、
そのままリモート会議をyoutubeにアップした記憶・・・
「数千年の世界観」の描写が、極めて希薄だ。
登場人物たちの口から語られるセリフによって、
過去が示唆されることはあっても、
それが映像として、
あるいは物語の背景として「表現」されることは、
クイン救出シーンのみでほとんどない。
たとえば『ウルヴァリン』のように、
断片的でも良いから、ダイジェストでも良いから、
彼らの歩んできた道のり、
経験してきた苦難、
時代ごとの変遷が視覚的に示されていれば、
キャラクターの言動に説得力が生まれ、
あの「書庫」の重み、
物語全体に圧倒的な「深み」が加わっていただろう。
次はそこからやな。
5年も待たせてこれは寂しい・・・
前作より地味。次作への壮大な前振り。
不死という反則技
アバターに『生身でないジェイクやノームの戦闘は生死の危機感(説得力)に欠ける。反して生身なトルーディはカッコいい。』と書いたしGHOSTINTHESHELLで気になったのは電脳化義体化するまえのトグサだった。フリーレンがいいのは「人間の寿命は短いってわかっていたのに…なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう…」と自戒するからだ。
つまり死なないものと死ぬものが併存するなら偏頗が生じるという話。死ぬもののことをしっかりと理解させないとどんなに魅力的な不死を描いても無理なわけで。
オールドガードにあるどうしようもない軽さも結局あんたら死なないんでしょというところに尽きる。サバゲーと変わんないんだから死闘の合間に余裕なジョークも交わすだろうさ。
いや、そう思われると思ったからアンディを不死じゃなくしたんだ──というのが今作ツーだが、時すでに遅しというか、すらりと長身でモデルみたいな、みたいなというか実際モデルでもあるシャーリーズセロンが屈強な野郎どもをばったばったと倒しまくって、不死じゃなくなったけど弾は当たんないし、間一髪でぜんぶかわしちまうし、なんなんこれという感じ。かならず「何世紀も」が入るジョークも白々しいし、不死から定命に変わった者の死が悲哀ポイントになっているのもあざと感ばりばりだった。
だいたい冒頭からして海の底に沈んでいた鉄の処女をひっぱりあげて顔を開けるとプパッとかいって女が息をするんだが、いやこれぜったいやりすぎだろという始まりで、中世の鉄の処女の見たことある人なら、いやこれ拷問器具つうより即死でしょという鉄串がいっぱい付いていて、そこに入って海の底に沈めれられて、何世紀後かに引っ張り上げられて、顔開けたらプハッとかいって女が息するのって普通に考えてどうなのよ。不死だから大丈夫なんだぜってことで通しちまうのかよ。
そんな調子でこのフランチャイズ自体がすでにばかっぽくて、なんか見るにたえなかった。すいません。
このばかっぽさはシャーリーズセロンがきれいなほど増していくのだが、ネットで拾った2025/07/04付のセレブコラムに『49歳シャーリーズ・セロン、26歳男性とのワンナイトの関係が「最高だった」と告白』という見出しの記事があって、元来非現実的な人物を非現実的な主人公に祭り上げたところにオールドガードの敗因があったような気もする。
ほかのハリウッド俳優同様にLGBTQ及び多様性庇護で養母でトランプ嫌いなのはともかく、年とらないし役にがっつり没入するからセロンを抜擢したのはわかるが、これはたぶんセロンじゃないほうがよかった気がする。セロンはきれい浮きするからYoung Adultやダークプレイスのように歪んだ役のほうがいい。
いったんばかっぽさを感じると話が入ってこないが、話そこそこで格闘ばっかりやっているので、なにやってんだきみたちはという印象だった。メイキャップ部隊と格闘監修とスタントが入り乱れる現場を想像すると尚更醒める。
とはいっても冒頭に鉄の処女よりも「前回までのあらすじ」がほしかった映画で、案の定ネトフリの映画TOP10「カッコ日本」に新入荷のこれと旧作のオールドガードがランクインしており日本人は律儀であると思ったが、映画はイーオンフラックスの方がよっぽどましだった。
imdb5.2、RottenTomatoes25%と42%。
外連味の増したアクションと、シャーリーズ・セロンの魅力
【イントロダクション】
シャーリーズ・セロン主演、不死者となった戦士達の戦いを描いたアクションシリーズ第2弾。
脚本は前作に引き続き、同名コミック原作(作画:レアンドロ・フェルナンデス)の原作者グレッグ・ルッカ。監督は、前作のジーナ・プリンス=バイスウッドからビクトリア・マホーニーにバトンタッチ。
【ストーリー】
嵐が吹き荒ぶ太平洋の何処か。一隻の船が、深海から鋼鉄の処女を引き上げた。中には、かつてアンディ(シャーリーズ・セロン)と行動を共にしていたクイン(ゴー・タインヴァン)がいた。
クロアチア、スプリト。前回のメリック製薬企業との戦いから半年後、アンディ達は新たにチームに加わったナイル(キキ・レイン)、元CIAのコプリー(キウェテル・イジョフォー)と共に、武器商人コンラッドの屋敷を襲撃し、彼が兵器を手にするのを防いだ。しかし、コンラッドもまた仲介業者に過ぎず、黒幕として浮上したのは、謎の女性ディスコード(ユマ・サーマン)だった。ディスコードの姿を夢で見たというナイルは、彼女が古い書物の集められた書斎で男性を刺し殺す姿を目撃したと語る。
フランス・パリ。メリック製薬事件での裏切りにより、仲間から100年の追放刑を言い渡されていたブッカー(マティアス・スーナールツ)の元をクインが訪ねていた。
アンディ一向はフランスを訪れ、アンディはコプリーと共にそこから韓国へ。ナイルはニッキーと共に「単独行動をする」と宣言したジョーの追跡に向かった。ジョーは、仲間に内緒で度々ブッカーの元を訪れており、ブッカーが部屋におらず血痕が残されている事から、彼の身に危機が迫った事を知る。
一方、アンディとコプリーは韓国・ソウルを訪れていた。そこには、アンディ達不死者について深い知識を持ち、世界中から彼らに纏わる伝説や功績を記した書物を蒐集するトゥアが居た。彼もまた不死者であり、ナイルが見た夢の被害者は彼であった。彼は数日前にディスコードに襲われ、自身が書いた不死者に関する書物を盗まれていたのだ。
【感想】
アクションシーンは前作より派手さが増した印象で、割と楽しめた。特に、序盤のコンラッドの屋敷を襲撃するシークエンスは、悪趣味な屋敷内の美術、ボートで屋敷の庭に突っ込む無茶っぷり、カーチェイス等の画的な外連味もあって良かった。
屋敷のシーンは、何処となく『ビバリーヒルズ・コップ』(1984)のような雰囲気を感じるのは私だけだろうか?(笑)また、冒頭でクインが引き上げられる様は、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』第3部の冒頭とも重なって見えた。
物語自体は明確な続編へと続く内容なので、本作だけでは評価がし辛い部分がある。とはいえ、やはり前作同様勿体ないと感じる部分は多かった。特に、クインのアンディに対する500年に渡る怨みが、ラストの数日間の看病だけで溶けていく展開には少々都合が良過ぎると感じた。
クインの中には、アンディに対する怨み以外にも仲間としての意識が消えずに残っていたという事だろうが、“かつての相棒と対決する”という盛り上がりを本作のクライマックスに持ってくるやり方もあったのは間違いない。そして、それを乗り越えてこそ、ラストで2人が再び共闘する流れにもカタルシスが生まれると思うのだが。2人の500年に渡る因縁の対決が、中盤ののっぺり気味な格闘戦だけでは、何とも物足りない。
ブッカーが前作の裏切りの贖罪として、アンディに不死性を譲渡するというのは、ベタだが展開としてはアリ。ただ、その描き方が何とも安っぽく、ドラマ性に欠けると思った。
しかし、シャーリーズ・セロン演じるアンディは変わらず魅力的だった。特に、本作では髪型もウルフカットとなっており、前作のショートカットよりも似合っていたと思う。そういった意味でも、本シリーズはシャーリーズ・セロンの魅力で持っているシリーズだと言えるかもしれない。
【“原初の不死者”と“最後の不死者”という無理のある設定】
ディスコードは、アンディよりも太古から存在している正真正銘の“原初の不死者”だった。そして、今やその不死性は失われ、彼女は迫り来る死に怯えている。だからこそ、伝説にある“最後の不死者”であるナイルの力を利用し、彼女に他の不死者から不死性を奪わせ、自分に与えさせて再び不死者になろうとしている。
…いや、ちょっと待て。ナイルこそが“終わらせる者”である以上、彼女が現れていないのに何故伝説だけが存在しているのだろうか。それも、「不死性を失った者は、自らが譲渡の意思を示せば他の者に不死性を譲渡出来る」などという都合の良い設定まで存在してである。ナイルが現れなければ「最後の不死者に傷付けられた者は、不死性を失う」という事も、譲渡の条件も分からないはずではないか。トゥアは「あくまで仮説」だと念押していたが、そんな仮説がどうやって誕生したのかも疑問である。
これが、“不死を与える者”と“奪う者”が居るというのならば、伝説として残るのは分かる。それならば、ディスコードは自らの不死性を他者に与え、人類史における偉大な功績を残す人物を助けさせていた。しかし、他者に不死性を与え続けた事で、自らの不死性は消失し、彼女は初めて「死」というものに怯える事になってしまった。そして、彼女は堕落した人類に失望し、不死性を与えた者達から能力を取り戻して自分だけが生き残ろうとする、という自然な流れでの目的が設定出来るのではないだろうか。
対する奪う者は、ディスコードとは対立する立場の一族として存在していた事にすれば良い。そして、本来ならばナイルはその末裔として“不死者を滅ぼす”という使命を背負っていたとする。本来、奪う側である彼女が、「ディスコードに利用されて使命を果たすのか?」、不死性を獲得し、「不死性と破壊性の両方を宿した存在として、どちらを選択するのか?」とすれば、次作でのナイルの立ち位置への期待感を煽り、物語上の最重要人物になっていったと思うのだが。
ところで、「不死性が何故与えられるか?」については、どうやら前作で示された以上は詳しく語られる事はなさそうだ。その点も勿体ないと思う。設定の煮詰め不足という印象だ。
【総評】
前作より外連味は増したアクション。但し、ストーリーについては、後付け感とご都合感の強い設定の追加、アンディとクインの因縁のアッサリとした解消ぶりに首を傾げざるを得なかった。だが、ここまで付き合った以上、完結編となる次作もしっかり見届けるつもりではある。
問題なのは、完結編となる次回作にGOサイン出るかだ。本国での批評家の反応も悪い様子だし、ここ映画.comでも評価は芳しくない様子だが…。
「帝国の逆襲」か!
中継ぎ映画
期待を裏切らず
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