フェイブルマンズのレビュー・感想・評価
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フェイブルマン家の人々
映画ファンの誰もが知っていて、その作品の多くが
を愛されている
世界で一番有名な監督・スティーヴン・スピルバーグの自伝映画。
始めて映画観た映画に取り憑かれて、8ミリフィルム撮影に熱中した
子供時代。
芸術家のお母さん(ミシェル・ウィリアムズ)
科学者のお父さん(ポール・ダノ)の風変わりだけど、
素敵な家族の長男に生まれたのサム。
お母さんはちょっと風変わりだけど、楽しい仲良し家族の中で、
最初の映画を観た日から、映画作りに熱中して70年。
今日に至るのです。
スピルバーグが78歳だったなんて!!
いつも若いとばかり思っていた。
この映画を観て実は2つの点に注目しました。
1つ、
カメラには思いがけない光景が写ってしまうことがある。
2つ、
映像作家は対象が個人的に好きか嫌いかは、関係なく、
光輝いてる対象や美しい人物、面白い映像を写してしまう。
1つ目の例は、
サムはホームビデオの編集をしていて、あることに気づく。
父親の助手で親友でほとんど同居人の
ペニー(セス・ローゲン)と母親のラブシーンが映り込んでいたのだ。
この事件にショックを受けたサム(ガブリエル・ラベル)は、
大好きだった映画作りから離れる事になる。
2の目の例は、
落ち込んでいるサムにガールフレンドのクローディアは
ハイスクールの「おサボり日」の記録映画を撮ることを提案する。
「おサボり日」とは卒業学年が授業をサボってビーチで遊ぶ日のこと。
仕方なく撮影するサムだったが・・・
サムがユダヤ人で小柄で非力な所を見て、酷いイジメ行為をするローガン。
高校一のモテ男でバスケットボールのスターのローガン(サム・レヒナー)
ローガンを疎ましく思いながらもサムの記録映画は、
ローガンの動きばかりを追い、
まるでローガンのプロモーション・ビデオのようになってしまう。
美しさをレンズはとらえずにはいられない。
スターの眩しさを映像で表現せずにはいられないのが映像作家の宿命なのか?
しかし脚光を浴びた形のローガンは、喜びより苦悩の表情を
覗かせて悔しがる。
スター性を持つものには持つもので、神に選ばれ者の苦悩や重荷がある事を
サムは知るのだった。
それとともにサムにはクラスメートや教師(みんな)を喜ばせるのが好き!!
昔から人の喜ぶ顔が好きだったのだろう!
この2つから、映像のマジックと、対象への抗い難い愛(欲望)
相反する魅力に畏れとともにサムは映画に魅せられていく。
そして天才の夫を持つ妻の苦悩・・・両親の離婚。
そしてユダヤ人と虐められた辛い過去。
も、同時に描かれる。
プロの監督になったスピルバーグが、
過去にはこんなトラウマ的な経験をしていた。
大学に馴染めない彼は映画スタジオに手紙を書きまくる。
その一つがプロデューサーの目に留まる。
そしてスタジオを訪れた彼はなんと心から尊敬する「ある人」に
合わせてもらうのだ。
そして貴重な貴重なアドバイスを貰う。
「ある人」を演じたのが、デヴィッド・リンチ監督とは?
すっかり縮んで小さくなってて皺くちゃで、とてもショックでした。
でも「ある人」の晩年の写真を見たらそっくり。
(似せていたんですね!)
(ラストですから是非ご自分の眼でアドバイスを確かめてね)
やっぱり太陽の帝国が好き
スピルバーグといえばSFでの評価、イメージが強そうだが、この人ほど心に響く人間ドラマを描けるのはそういないと思っている。地獄の脱出から太陽の帝国まで。あっという間だった。スピルバーグといえばカラーパープルだとか太陽の帝国に想いを馳せる理由が少し見えてくる気がする。
天才はかく誕生すべし
最近、いろんな映画監督さんの自伝みたいな映画が多いと思うのですが、やはり天才スピルバーグ監督の自伝的作品となると、他の作品とは格が違います。初めて見た映画が「地上最大のショウ」、そして両親の離婚に多大な影響を受けたというのは有名な話で、作品を通して家族への想いや映画への愛情がダイレクトに伝わってきます。主演の俳優さんもなんか「ジョーズ」を撮影していた頃のスピルバーグ本人にソックリです。
家族愛
映画づくりの話かと 思いきや… 家族や時代背景 差別など 自分との葛藤を表現してて そして最後の面接のシーンで 「わかったら早くココから出て行け!」 で終わるセンス たまんね〜(涙) 約3時間没入してしまった!
コンピューター技術と芸術との間に生まれた”映画の子”
かつて名物司会者のJ.リプトンが番組で「お父様はコンピューター技師でお母様は音楽家。『未知との遭遇』で電子音楽(シンセサイザー)を使って宇宙人と交信しようとした理由もそこにあるのでは?」との指摘をしたことがある。確かにスピルバーグの映画人生において、<最新技術と芸術性の融合>は切っても切れない。その着火点というか、喜びや悲しみと共に体内に刻まれた本質のようなものが、本作には詰まっている。ただし直球の自伝ではなく、創作上の人格を借りた形式で。この辺りも実にスピルバーグらしいところで、印象的な場面にあるように、映像は事実以上に物を言うし、見せたくない部分はカットすれば良いのだ。勢いに乗せて颯爽と捲し立てるのでなく、穏やかな光と共に親身に語りかけてくるような作りがいつも以上に心地よい。名作群の発想の原点とも思しきちょっとした描写も見逃せない。何度も観て、映画術の源泉を読み解きたくなる名作である。
映画は楽しいものなのか?
大好きなスピルバーグの自伝なので、楽しみに見にいった。
映画作りは楽しい、自分も高校の頃にスプライサーでフィルムを切っていた事を思い出す。
しかし、この映画は「映画って楽しい、皆を幸せにする」というのみではなく、時には人を不幸にしたり、傷つけることもある事を観客に知らしめる、非常に奥の深い映画であった。
スピルバーグの妹さんたちは生きているわけで。 この映画、作っちゃって良いの?
予想した映画と違った。
E.T.を作ってる時の裏話とか
ジュラシックパークのCGテストで興奮してるスピルバーグとか
そういう話とその発想の元になった幼少期の話が中心かと思った。
たしかに、彼のフィルムクリエイターとしての成長も描かれるが
この映画を見終わって最初の印象は、ミッツィ・フェイブルマン。お母さんだった。
お母さんがお父さんの親友と不倫し、離婚する映画だった。
「自分の母親があのように離婚していったら、自分は母を許せるだろうか?」
というのが見終わって最初に思ったことだ。
母であり、ピアニストという芸術家である母の葛藤。
すごくエキセントリックで、情熱的で、
そして子どもたちを愛している。
映画を見ている自分からすると、時に理解不能と思えるような行動ばかりだ。
でも同時にスピルバーグは
「すべての出来事には意味がある」
というメッセージを彼女のセリフを通して繰り返し発してくる。
そう、きっと意味はあるのだ。
でも、今もまだ完全には分かったとは言えない。
スピルバーグの記憶にあるそんなエピソードでこの映画は成り立っているように思える。
「愛のために家族を捨てるなんてそんな身勝手な女じゃない」と言いながら
結局、その身勝手を行使した。
なのに、最後にお母さんと話すシーンはどうだろう?
身勝手を許せと言ってくるお母さんにサミーは即「許します」と言い、
そのあとプロムの話を談笑する母と息子のなんと仲良さそうなこと。
そして、その後の父との暮らしの中で
お父さんに
「The Endはない」
と言わせることで
スピルバーグもまた家族を永遠に愛しているということを演出した。
例え、近くにいようとも、離れていようとも。
そもそも、この映画を私たちが見ることができていることそのものが家族全員がこの試練を乗りこえて、例えば妹から
「記憶がよみがえるから映画にするな」
と言われることなく、公開されたということ。
母は子どもたちみんなに許され、愛されたのだと思う。
(ただ他の、誰にも言わないよ系エピソードは許可を取ったのかな?知らんけど。)
そして、映画の世界に足を踏み入れて
映画の神から極意を伝授され
空に向かって飛び上がったところで映画は終わる。
「あ、ちゃんと極意を守ってるよ。」
って言って、終わる。
ひどく分かりにくいけど、ひどく分かりやすい、愛と芸術についての映画。
フェイブルマンズ。
何度か見たい映画になった。
宝石のような小さな映画
自伝的作品だという。映画を初めて観る日から始まり、どのようにしてスピルバーグを模した主人公サミー・フェイブルマンが、映画を撮ること、ものごとをフィルムに収めることに夢中になっていったかを、丁寧に紡いで行く。 家族や友だちなどとの関わりも描かれるが、通常の成長物語りとは違う。 サミーはレンズを覗き、フィルムを編集することで、世界のありようを認識する。撮影されたものの善悪より前に、彼はその美しさに魅了されてしまう。そこに映画づくりの魔力があり、それはとても恐ろしいものでもあるのだろう。 スピルバーグは今でも映画の魔力にとらわれたままなのだと、観るものは思い知る。 彼の目はすなわちカメラのレンズであり、世界は映画なのであろう。 ならば身も心も映画に捧げた状態のこの巨匠こそが映画そのものなのではないか、そんなふうに独りごつ。 ビンテージ感溢れるフィルムの色、俳優陣の演技のゆったりとしたうまさ、被写体のありようを最大限に捉えるカメラワーク。それらのすべてが、ただただ美しい。 映画に囚われてしまった少年。そんなこととは無関係に迫る、心の外にある現実という世界。 それといかに折り合いをつけるか、それとも折り合うことを拒絶するか。 映画という武器を手にした主人公が、実際にどうやってそれと戦っていくか。その先は、この映画では描かれない。 あくまでも小さな心に映画が満ちる美しさだけを、これ以上ないほど丹念に描く。 だれにでもあった少年少女の日々の夢。もう記憶の向こうにかすれて消えていきそうな小さな日々。 それをもういちど見せてくれる宝石のような映画だ。
トイレットペーパーのミイラに一番ハマった⭐️
初めて観た映画「地上最高のショウ」に心奪われ映画作りに没頭するようになったサミー少年
両親に愛され妹達も兄の映画作りに協力し幸せな家族の姿に前半は観客誰もが白い歯を見せて微笑み、口元も緩み優しい表情でスクリーンに入り込んでいた事だろう…
マスクが緩和されたと言えまだまだ観客が同志になる感を得られるのは先になりそうだな…
そして物語は進み成長したサミー
イジメや淡い恋…彼の思春期の悲しみや喜びなどが描かれ巨匠監督の自伝的物語と言う敷居の高さがなく美化され過ぎていないところに
誰もが共感出来るのかも知れない
後半、イジメの元凶ローガンが自身の外見にそぐわない内面の醜さをサミーが映したフィルムの中で気付き動揺し自己を責める
母の時もそうだったがサミーのフィルムは被写体の内の真実を映し出す
己の本質に気付き変わって行くであろうローガンとサミーのロッカー廊下のシーンには心揺さぶられました
家族愛と映画愛に溢れる上質作品!
キャストの皆さんの素晴らしき演技を拝めた事
この作品の観客になれた事に
スピルバーグ監督!感謝します!
未来に向かって走り出したサミーのその後も
見届けたい私です
スピルバーグ離れ
映画を作る僕的には果てしなく最高な映画だった。 ただ、10代20代はもう、スピルバーグを通ってきてない。 私はオタクなので、語り口調とユーモアのスピルバーグらしさに一喜一憂して終始興奮状態だったが、 多分これ、若者見たら寝ると思う。 あとは芸術を志したことがない人も。 ヒットする幅は狭いけど、ヒットするともう立てないくらい。 観てから一週間、何も映画が見れていない。 いじめっ子をヒーローみたいに映したエピソードが 好きな映画シーンのTOP10にはいるくらい鳥肌たった。 私すごいわかる。
両親への深い想いに溢れた作品
両親に連れられ、初めて映画館で観た映像に目を丸くした少年サミー・フェイブルマン。後々巨匠となる彼が、葛藤し歩んだ自らの青年期を描いた作品。
多くの俳優が演じたかったであろうサミー・フェイブルマンを、ガブリエル・ラベルが見事に演じる。
悩みながらも母として家族を支えるピアニストミッツィをミシェル・ウィリアムズが、家族を大きな愛で包むコンピューターエンジニアの父バートをボール・ダノが演じる。
母親を…そして父親を見つめるサミーの眼差しが痛い程切ない。
エンドロールで流れるピアノの音色が美しく、巨匠スピルバーグ監督の両親への溢れる思いに一層心が揺さぶられた。
ーリアに捧ぐ
ーアーノルドに捧ぐ
映画館での鑑賞
お相手はセス・ローゲン
全人類が彼の映画を観たことがあるスティーブン・スピルバーグ監督の自伝的作品にして、続けざまに公開される「映画の映画」の本命、予告だけで涙していた一作だが、スピルバーグはどう才能を開花させていったのかというより、ママの浮気で家庭がぐずぐずになっていくファミリームービーだった。たしかにタイトルはフェイブルマン家だし。とはいえ、オレに言われるまでもなくスピルバーグは映画を撮るのがうますぎるので、2時間半飽きることはない。 宇宙人や恐竜好きの内向的でオタクな青年が描かれるのかと思いきや、仲間とともに8ミリを回し、ガールフレンドができて…と、スピルバーグ、普通に青春していた。一方で、家族の崩壊やユダヤ人差別によるイジメがあったり、そういった負の要素ですらフィルムで表現し、それが彼の創作意欲の原点にあるということか。 珍しくまともな役のポール・ダノがファーストシーンで、人間の脳は1秒24コマの~と言うところ、エンパイア・オブ・ライトでのトビー・ジョーンズとまったく同じ発言。一方、ラストのジョン・フォードも全人類もれなく印象に残る。公開初日に観てから10日ほど経つが、始めと終わりを映画の映画らしく押さえてあるせいか、なんかいい作品だったと思わざるをえない。
スピルバーグの原体験を知る必見作
音楽を真面目に聴き始めた頃にデビューしたジャクソン・ブラウンやイーグルスを同期だと思うのと同様、スピルバーグやルーカスを同期だと勘違いしている。 そう、中学生の時に『激突!』と『アメリカン・グラフィティ』に出会った。 これはそんな同期の一人、スティーブン・スピルバーグの二十歳頃までを描いた自伝的な作品。50年間寄り添ってきたとはいえ、知らないことばかりだった。彼の原体験を知ることができて嬉しかった。 そして我がミューズ、ミシェル・ウィリアムズ💕 彼女を見てるだけで幸せになるっちゅうもんだ。 ラストはまさに泣き笑い🤣ジョン・フォード作品のポスターに嗚咽を漏らし、リンチの登場にクスッとした。実に爽やかなエンディングだった。 . . 自分が映画館で初めて観た映画は「モスラ対ゴジラ」だったかな。ザ・ピーナッツが出てたやつ。夢の中に何度も登場したゴジラ。どんな細い路地に逃げ込んでも必ず見つかってしまうのは何故だろうといつも悩んでた。 そう、そんなことを思い出さずにはいられない作品だった。
横綱相撲を思わせる圧倒的な「映画」
特別突飛なストーリーではなく、派手な絵作りをしてるわけでもない作品ですが、卓越した技術に支えられた厚みのある一本。 「何がすごいのか」を聞かれても答えにくいが、わずかな隙もない展開でいて、映画を撮ることの業を語りながら、要所要所でユーモアや感動を入れ込み楽しませてくれます。 これこそがハリウッド映画ですね。全盛期の貴乃花や白鵬のようや横綱相撲を思い出しました。しみじみと見て良かったと感じる作品でした。 何よりも茶目っ気すら感じるラストの締め方には唸らされます!
イン・マイ・メモリー
映画監督の自伝的作品が続いているが、遂にこの監督が!
スティーヴン・スピルバーグ。
関心の程は『ROMA/ローマ』『ベルファスト』の比ではないだろう。
如何にして“映画監督スピルバーグ”は誕生したのか。どうやったら“映画監督スピルバーグ”になれるのか。
映画監督を目指す若者たちはこれを見れば、君も未来のスピルバーグ!
…に容易くなれる訳ない。
映画監督として成功出来るのは星の数の中からほんの一握り…なんて現実的な話ではなく、
本作は確かにスピルバーグが自身の少年時代をモデルにしているが、あくまでモデルであって、何もかもそのままという訳ではない。主人公の少年の名は“スティーヴン”ではなく“サミー”。性も“スピルバーグ”ではなく“フェイブルマン”。
大部分は生い立ちに沿っているようだが、これはスピルバーグの“記憶”の物語。
誰だって自分の幼少時の頃をはっきりとは覚えていまい。忘れていたり、朧気に覚えていたり…。
でも、何かしらに影響受けたり、いつぞやのあの時とか、人生を長いフィルムに例えるなら全てでなくともあるワンシーンワンシーンを鮮明に覚えていたり、記憶に残っている事がある。
それを反映させ、スピルバーグは自身の記憶の中に、我々を誘ってくれる。
また本作は、“映画監督スピルバーグ”が誕生する前の話。
映画ファンなら一度は耳にした事ある筈。ユニバーサル・スタジオに勝手に自分のオフィスを作って忍び込んでいたとか、『刑事コロンボ』などのTVドラマの演出をしていたとか。そしてあの“サメ映画”で時代の寵児に…など、それらのエピソードは描かれない。ここを見たかった人には期待外れで、『フェイブルマンズ2』を作って欲しいくらいだろう。
でも私は、本作の話にこそ興味惹かれた。すなわち、
映画に虜になった瞬間。
影響計り知れない家族との記憶。
スピルバーグの本当の原点の原点。
冒頭シーンが秀逸。ばっちり心掴まれる。
両親に連れられ、初めて映画を観る。
まだ6歳。ちょっとおっかながっている。
でも、いざ観たら…。初めて観た映画は、『地上最大のショウ』。
サミー(スピルバーグ)少年にとっては、映画。あなたが人生で好きになったものは何ですか…?
私の場合はやはり映画。初めて観た映画は確か、ゴジラ(『vsビオランテ』)かドラえもん(『アニマル惑星』)。映画好きのきっかけになったのは、ゴジラ。観ながらそんな事を思い出した。
サミーは父に買って貰った模型の列車で劇中の事故シーンを再現。母に買って貰った8㎜カメラでそのシーンを映し出す。
私はカメラを回したりはしなかったが、(またまた怪獣で申し訳ないが)怪獣のソフビ人形で対決シーンなんかを再現したもんだ。
それだけに留まらず、妹たちを出演させてカメラを回し続ける。
旅行や家族の転機時(引っ越しなど)もカメラを手離さず、ティーンになってからは友達らと映画撮影。
私はそこまでには至らなかったが、さすがは未来のスーパー監督。この行動力、実践力。
きっかけと目覚め、再現、自分もやり始める…。
誰しもそんな思い出はきっとある筈。サミーの姿に自分を重ね合わせられる。
それだけ聞くとノスタルジックでハートフルな作品と思う。
勿論そうでありつつ、ほろ苦さも。
本作は家族のドラマと言っていい。
フェイブルマン一家。サミー、母ミッツィ、父バート、3人の妹。
仲良しで幸せな家族である。個性も強い。特に母。
ピアニストで芸術家肌。自由奔放おおらかな性格で、感情表現も豊か。
一方の父は電気技師で技術者。真面目な性格。
息子の映画への目覚めに対し、反応は別。母は尊重するが、父はあくまで道楽としか思っていない。
仕事人間の父の転職で引っ越しを繰り返す。
好きだった地もあれば、嫌いな地も。カリフォルニアの高校ではユダヤ人であるが故にいじめに…。
差別や自身のルーツ、思春期のモヤモヤもさることながら、特に悩ましたのは家族の関係。
家族と父の同僚で親友ベニーとキャンプ旅行へ。ベニーとはほぼ家族のような付き合いで“おじさん”も同然。
楽しいバケーションを過ごし、サミーはカメラにその模様を収める。家に帰り編集している時…、ある事に気付く。
それは見たくなかった。信じたくなかった。でも…。
カメラは時としてショッキングな瞬間をも映し出してしまう。
サミーが見てしまったのは…、母とベニーの親密な関係。
母はベニーを愛しているのか…? 父と母は愛し合っていないのか…?
サミーの心に家族へ対しての疑念や凝り、わだかまりが燻り続ける。家族を愛しているからこそ、それは尚更。
やがて恐れていた事態。両親の離婚。
スピルバーグの両親の離婚は知ってる人は知っているだろう。母に育てられ、母子家庭の影響はスピルバーグの初期作品でよく見掛けられる。
と同時に、“父の不在”もスピルバーグの初期作品でよく見掛けられた。
スピルバーグの実父は家族を捨てて家を出たとされていたが、後年誤解であった事が分かり、和解。いつの頃からかスピルバーグの作品で父親の存在が大きくなった印象を受けた事があった。
スピルバーグの両親はすでに他界。居なくなって初めて気付き、知る事だってある。だから、今こそ描ける。
過去と両親への向き合い。
スピルバーグのプライベートとパーソナルな部分をまじまじと。
いつしか、これはスピルバーグの記憶だけではない。私たち自身を見ているとさえ感じ始めた。
2時間半超えのヒューマンドラマ。
それでも飽きさせない作りは、さすがはスピルバーグ。
8㎜カメラで撮影した映画。スピルバーグが少年時代から映画を撮影していたのは有名で、劇中の作品はそれらの“セルフリメイク”。
あの戦争映画(『地獄への脱出』)なんかは後々の『プライベート・ライアン』の片鱗も。
他にも後の作品を彷彿させる箇所や要素も所々に。
スピルバーグの分身とでも言うべきサミーを演じたガブリエル・ラベル。
自分の好きなものへ一心不乱に夢中になる姿、ティーン故の葛藤、複雑な心の機微…それらを見事に体現。
母ミシェル・ウィリアムズの存在感。スピルバーグ自身や作品に於いて如何に母親の存在が大きかったか充分納得させるほど。だから、悔やまれる。オスカーで主演女優ではなく助演女優でノミネートされていたら…。この実力派女優が遂にオスカーに王手を掛けていたかもしれない。(主演で推した配給会社のバカバカバカ!)
ポール・ダノも絶品の名演。好調続くこの演技派に、また一つ代表作が。オスカーノミネート落選は残念。と言うか、嘘でしょ??
代わりにノミネートされたのは、伯父役のジャド・ハーシュ。42年ぶりのノミネートは天晴れだが、噂に聞いた通り出番は少なく、勿論インパクト残すが、正直ダノがノミネートされて欲しかったかな…。
本作の演技賞ノミネートに関してはちと納得いかない点もあるが、名アンサンブルなのは紛れもない。
常連スタッフもスピルバーグの物語を強力フォロー。
音楽のジョン・ウィリアムズは今夏の『インディ・ジョーンズ』最新作で映画音楽からの引退を表明。(その後撤回したとも言われているが…)
もしそうなら、スピルバーグとのタッグは本作がラスト。長年のタッグで数々の名作と名曲を生んできた二人のフィナーレが、盟友の自伝的作品というのが感慨深い。
美しい音楽で彩る。
好きなものが自分を悩ます事もある。
サミーもそう。家族の秘密を目撃してしまい、少しの間カメラを回さなくなったのもそれが原因だろう。
でも、自分は何が好きか。何が取り柄か。何を手にしていたか。
やはり、映画だ。
またカメラを手に取る。回し始める。
映画の持つ力は本当に魔法だ。
サミーは好奇心は旺盛だが、何処にでもいる普通の少年。
そんな彼がカメラを手にした事により、家族や周囲の輪の中へ。
高校生活でもそう。いじめられていたが、あるイベントでカメラを回し、その上映会で皆を沸かせる。
いじめっことの関係に変化も。
映画は人々に影響を与え、世界を変える。
それは何も理想事ではなかった。自身の実体験からの現実事。
映画は夢であり、リアル。
だからこそ我々は映画に魅せられる。映画が好きで好きで堪らない。
母親のモットーとでも言うべき言葉。
“全ての出来事には意味がある”
ラストに登場するあの映画監督(演デヴィッド・リンチ!)。彼から掛けられた格言。
“地平線は真ん中にあるとつまらない”
スピルバーグが歩んできた光と陰はこうして集約した。
格言は人それぞれ解釈出来るだろう。構図や人生哲学にも通じる。
真ん中は平坦で退屈。上や下は山あり谷あり。酸いも甘いもあって映画=人生は面白い画になる。
史上最高の映画監督から頂いた言葉に、少年は思わず「ヒャッホー!」。
地平線を“上”に、新たな史上最高の映画監督の歩みはここに始まったのだ。
そして今へ続く。
続きも観てみたい。
巨匠スピルバーグの自伝的な映画ということで、興味深く鑑賞させていただきました。 話の軸は家族の物語が中心なのですが、少年時代、青春時代の体験が、今のスピルバーグの作品作りに大きな影響を与えているのは言うまでもありません。すべての出来事には意味があるのだから。 映画作りのプロとして踏み出したところで物語は終わっていますが、第二章として続きも観てみたい。
戸田奈津子先生
どんどん映画に魂を売っていくスピルバーグにドン引きしている妹(メガネの方、ワンハリの天才子役の娘なのね)の反応が笑える ミシェル・ウィリアムズとポール・ダノ、セス・ローゲンに加え最後はデビッド・リンチ! ガールフレンド役の娘がぶっ飛んでいて最高!!
家族との思い出を映画の物語にした!
幼少期に父親に連れられて見せられた サーカスの映画がスピルバーグ監督自身が 映画に魅せられるきっかけとなりました。 彼は本を出版していつか家族を物語 「フェイブル亅にした映画を製作したいと書かれたそうですが今回の作品で自伝的映画が 実現されて良かったと思いました。 家族でキャンプに行った先でカメラで撮影したり、列車の模型を激突させた情景を自主映画にした少年時代でした。 父親はエンジニア、母親はピアノを弾く芸術家気質、妹たちがいました。 学校のいじめ、部活、差別的なことを経験しながら転機を迎えた16歳、スピルバーグ監督の映画はすべて家族の思い出が着想に含まれているそうです。 ラストの地平線が上か下かにより、映画の面白さが変わってくることは初めて知りました。 家族愛がつまったストーリーでした。
すべての出来事には意味がある
サミーにとっての初めての映画見物のシーンで、この映画は始まる。暗い映画館に入ることを怖がる幼少期のサミーに「映画とは…」といかにもエンジニアらしい(滑稽な)説明をする父バートに対し、芸術家肌の母親ミッツィは映画の素晴らしさを説き、サミーの恐怖心を解きほぐそうとする。何とも対称的な説明に笑ってしまったが、これがフェイブルマン家の悲劇の伏線になる。
竜巻が起こるや、三人の子供を車に乗せ、その見物に向かう母ミッツィ。その好奇心と行動力には驚かされる。そして「すべての出来事には意味がある」とミッツィは呟く。これから起こるすべてのことが映画監督スピルバーグの未来、作品に繋がるということを示唆しているのだろう。
自分の映した映像を編集する過程で母の浮気に気づいてしまう中学生(?)のサミー。家族を愛しながらも夫の親友との浮気に溺れてしまう母。そしていつしかその事に気づき苦しみながら、結局それを許す父バート。引っ越しの車のなかでのエピソード、飼い始めた猿に夫の親友であり、恋人でもあるベニーの名を付ける母親、離婚してベニーと暮らし始めた母親からの手紙と同封された写真を見てショックを受けながらもサミーの大学退学を許すバート。こうしたすべてのことが映画監督スピルバーグに繋がっている。
サミーの手腕によってヒーローのように編集されたドキュメンタリー映像に「こんな安っぽい人間じゃない」ということなのか「自分の内面と映像とのギャップに衝撃」なのかよくわからないが、ショックを受けて、怒るハイスクールの同級生で、サミーを苛めていたイケメンのローガン。人の心理(サミーもローガンも)の複雑さも興味深いが、面白い映像を作るためなら何でもできると言わんばかりのエピソードでもある。
スピルバーグの映画監督としての才能を垣間見せるエピソードと、彼の映画監督としてのバックボーンとなる幼少期から青年期までの出来事。特に母親ミッツィの存在、父親バートの存在、特に両親の離婚を巡る家族の葛藤、苦しみ、ミッツィとバートの振る舞いはとても興味深い。
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