「自伝と寓話(fable)の狭間で展開される家族の物語」フェイブルマンズ ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
自伝と寓話(fable)の狭間で展開される家族の物語
そうかこうして、『スティーヴン・スピルバーグ』という映画監督は
形作られて来たのだな、との思いを深くする。
電気技術者の父とピアニストの母。
奇しくも「理」と「芸」が交差する出自。
それを冒頭のシークエンスで実に上手く描き起こす。
映画とは何かを論理的に説明する父。
それに比して「兎に角、わくわくどきどきするの」と
より蠱惑的な誘いをする母。
暗闇を怖がる少年をどうやって映画館に連れ込むかの手練手管に、
両親の特性が現れる。
あとあと登場する妹達を含め、
こうした家族(Fabelmans)の存在が大きく影響したのだと。
彼の映画館での原体験は〔地上最大のショウ(1952年)〕。
それも五歳の頃だと言う。
翻って自分は「東映まんがまつり」だったことを考慮すると
彼我の差は大きい(笑)。
初めて観る大画面に興奮し
「すげ~」「面白れ~」とつい口に出していたら、
隣に座った人にキツク注意されたのは今でもトラウマ。
二本目は〔怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967年)〕だったのだが、
その後はふっつりと観に行けなくなってしまったのは何故だろう。
おっと、閑話休題。
以降、彼は観ることと合わせて
撮ることにものめり込む。
与えられた8ミリカメラで、
最初は家族旅行のスナップ的な記録が、
やがては妹達に演技をさせた物語り作品に、
あげくには同級生をも大挙動員した大作へと繋がり。
カメラとフィルムは常に共に在り、
楽しさを生み、時に苦々しさの元となり、
やがて生きる為のよすがへとなって行く。
が、その根底には、
初めて映画館で観た映画に驚きの目を瞠った原体験が。
中でも彼が最も入れ込んだシーンが
『リュミエール兄弟』による
〔ラ・シオタ駅への列車の到着(1895年)〕と
近似の描写なのは象徴的。
本作でとりわけ印象的なシーンがある。
母親の『ミッツィー(ミシェル・ウィリアムズ)』が実母を亡くしたあとで鬱状態となり、
夢現の中で、亡き母からの電話を取るシーン。
これって、〔ポルターガイスト2(1986年)〕で
『キャロル・アン』が(翌朝に亡くなる)おばあちゃんと
(おもちゃの)電話で話すシークエンスと瓜二つ。