「巨匠による美化された自伝映画なのか。」フェイブルマンズ レントさんの映画レビュー(感想・評価)
巨匠による美化された自伝映画なのか。
巨匠の作品、それも巨匠の自伝的作品にこの評価をつけるのはなかなか勇気がいることでございます。しかし、このサイトは単なる映画好きの人間が自分の無知を棚上げして好き勝手述べるサイト。所詮はど素人なので自分が感じたことを自由に述べればいいのだと自分を納得させる。
いくら巨匠の作品でも凡人の自分が楽しめなかったことを素直に書くことがこちらのサイトの存在意義なので遠慮なく書かせてもらおう。
さて、本作は幼い息子を初めて映画に連れてゆく場面から始まる。映画を怖がる息子に大人でも理解しづらい説明をする父親。幼い頃ヘタレだったスピルバーグらしいエピソード、でもなんか不自然。この始まりから感じた違和感は鑑賞中結局消えなかった。
その後、映画が始まってからいつまでたっても面白くならない。私の長年の映画鑑賞経験から開始十分前後で駄作か否かが大抵わかる。これは朝から体調が悪いせいかなとも思ったが、どうやらそうではないようだ。
まさかスピルバーグ作品で時計を気にするとは思いもしなかった。
ストーリーは前半は母の浮気、後半はいじめと両親の離婚と、そもそも本作の主役が若き日のスピルバーグでなければならない必要性があるのだろうか。
勿論、幼い頃から映画作りに没頭してきた、しかし大抵の映画監督はみなそうであろう。本作の主役がスピルバーグでなければ成立しえない作品とは到底思えない。
彼だけの物語、それはやはり幼き頃の学習障害であった点ではないだろうか。
彼がそう診断されたのはごく最近のこと。つまり当時は精神医療が進んでおらず障害であることさえ認識されてなかった。彼が人並みに勉強できなかったことが障害によるものだと理解されてないだけに彼や家族の当時の苦しみはひとしおだったはず。そのせいで酷いいじめにもあった。
しかし、そんなつらい時期を家族や周りの支え、そして映画への愛が支えとなり今のスピルバーグがいる。
本作は素直にそれを映画として描けばよかったのではないだろうか。そうすれば家族の絆、そして障害があっても支えがあれば克服できるというメッセージ性ある作品になりえたのではないか。
本作では学習障害の点はまったく描かれなかった。スピルバーグ自身がすでに公表している事実にもかかわらずである。この点の意図はわからない。
しかしたとえ障害があっても偉大な映画監督になれるんだという一番描いてほしかったテーマが描かれなかったのは非常に残念。
過保護すぎる幼年期から少年期のサムを見ていてまったく感情移入出来なかった。というか登場人物の誰に対しても。
実話ベースだから無理にドラマチックにできないとしても、もう少し見せ方を工夫できなかったものか。
たとえば前半の一番の見せ場、母の浮気をサムがフイルム編集中に知ってしまうくだり。ここはサムの表情だけを見せて観客には何が映っていたかは見せずに、母に見せるところで観客にも見せるようにすれば事実が発覚するまで観客は小さなサスペンスを楽しめたはず。実際スピルバーグはいままでこの様に観客を楽しませてきたのでは。
また、スピルバーグといえばユダヤ人差別。流石にこれはスルー出来ず、一応描かれていたがそれもとってつけたような感じであまり深刻には描かれない。そして卒業制作の映画で誰もが予想したいじめっ子との和解がそのまま描かれる。
ここでいじめっ子の葛藤だけは本作で唯一共感できたところではあった。映画と現実は違うという彼の言葉。彼が思う理想の自分と実際の自分との乖離に悩んでいるところが描かれていて本作で唯一感情移入出来た場面だった。
スピルバーグの自伝的作品でなければそもそも企画さえ通らなかったのではないかと思える凡庸な作品だった。
本作、スピルバーグ監督の自伝ということも後で知ったぐらいでお母さん嫌だなぁ、と思ったぐらい。レビュー、ごもっともと思います。ですが、再度TVとかで観ると以前よりおもしろく感じましたので、お試しを。
ユダヤ人差別のことですね。後半、転校先で何回か差別的に言われていたので、これが、『シンドラーのリスト』のきっかけになるのかと勝手に思っていました。
こんにちは♪
フォローしていただきましてありがとうございました😊
ちょうど
『ショーシャンクの空に』の劇場版を観て出た時でした。
やはり、大スクリーンはいいですね。話に引き込まれます。