「トルコに配慮しすぎて何を述べたいかはっきりしないタイプだが仕方はない…。」葬送のカーネーション yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
トルコに配慮しすぎて何を述べたいかはっきりしないタイプだが仕方はない…。
今年23本目(合計1,115本目/今月(2024年1月度)23本目)。
シネマートで見たのですが、あまりにセリフが少ないので音響がぶっ壊れてるんじゃないかとすら思ったくらいです。
またこの映画は「トルコ文化観光省」が協賛していること、および、日本・トルコ間は基本的に「仲が良い」ということはまず念頭に入れる必要があります。
そのうえで極端にセリフの少ない映画ですが、何となくロードムービーである点ははっきりします。この点、2023年だったか、イランかイラク国内のそれを描写した映画は、当該国の検閲が厳しすぎるので「本当にくみ取るしかない」状況になったのは確かではありますが、トルコといえば日本とは、表現の自由や検閲の多少の差はあっても「あれもこれもチェックする」という考え方には立っていないはずです。換言すれば、トルコをアジア圏、ヨーロッパ圏のどちらにいれるとしても、比較的「人権を尊重する国」ではあるはずです。
そのうえで一方で「難民」や「トルコ語と異なる言語が出てくる」といった語を考慮すると、トルコが抱える問題…、つまり、「広義の意味での」クルド人問題が背景にあるものと推測できますが(この点、この映画は去年かに東京で比較的早く公開されたときのQ&Aに「国内の難民を想定したものであるが、必ずしもトルコ国内ではなく、今でいえばロシア・ウクライナなどからの難民も含むと解釈して」というもの(大意)でしたが、「ロシア・ウクライナからの難民」を想定してこの映画を見ることはまず不可能なので、上記の発言もおそらくトルコ政府からのいろいろな規制がかかっていて「ギリギリ言える発言なのだろう」ということも推知ができます。
一方で日本ではというと、日本にはクルド人の方がいらっしゃるのと同時に、日本・トルコ間は仲が良く、トルコのような発展途上国を超えた先進国では「難民の存在」を(仮に知っていても)認知しないので「そんなものは存在しない」と突っぱねるわけですが、日本政府の考えも日本・トルコ間の関係は維持しつつも実際に滞在するクルド人をどうこうすることもできず(このことは、当事者が現在(令和5~6)においても、いわゆる「高齢化」に伴って「人不足」が懸念される産業である「解体工事」などの「工事現場」で多く働いている、という労働政策的な問題も絡んでくる事項であることから難しい)、実際、トルコが日本に「難民問題なんか存在しないんだ」と主張しても日本は関係を維持はしつつも、適法に在住する限りは無理やりなこともできず(行政訴訟が続出する)、こういった「特異な問題」を抱えつつこの映画の公開にこぎつけた経緯があり、「トルコの難民問題」(広い意味ではクルド人問題。おそらくもう少し絞れると思えるが、セリフがあまりにも少なすぎて無理)という特殊な分野を扱っていることから、字幕も驚くほど少なく(全部かき集めても原稿用紙1~2枚いくかどうかすら怪しい)、こう「ワケのわからない状態になったのでは」と思えます。ただこれも当事者(配給会社側)にはいかんともしがたい部分もあり、そこも考える必要はあるかな…というところです。
実際上記の「難民問題、広義の意味でのクルド人問題がテーマか」ということは調べればわかりますが、そこもある程度外国人問題にアンテナを張っていないとその「調べようか」に至らないという部分はあり、この点で明確に「クルド人」といった語が出る問題提起型の「マイスモールランド」などと比べるとどうしてもどうか…という部分はあります。
こういった事情もあいかさなって「極端に何を述べたいかわからない」という部分は多々あるので、もう仕方なしかなという気がします。まぁ大人の事情でいえばトルコに気を使ったのだろうという気もします。
採点に関しては以下の通りです。
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(減点0.3/映画の述べる趣旨が(トルコ等、表現の自由等が日本と同じ程度にある国の作品ということを考えると)極端にわかりづらい)
・ ある程度外国人の人権問題にアンテナをはっていれば「そういう問題なのかな」と思って帰って検索などすればこれらの「答え合わせ」にはたどり着けますが、この映画を見ただけでそこまで思いつくのはなかなかむつかしいのでは…と思えます(「クルド」という語も出ないし、まして「難民」という語は出ても「どこに行くのか」ということも明示sれない)。
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