「そして男達はいなくなった」理想郷 うぐいすさんの映画レビュー(感想・評価)
そして男達はいなくなった
Iターンでフランスからスペインの田舎へ移住した夫婦と地元住民の軋轢を描いた作品。
日本でも、過疎地への移住者や独立系の農家が古参のコミュニティからあの手この手で嫌がらせを受けるルポが各地から取り上げられ、事件化することも少なくない。
移住者夫妻の夫・アントワーヌに憎悪を隠すことなくぶつけてくる隣人兄弟や、二人の行いをあえて止めない村人たちの不気味さが生々しかった。いじめの主犯と外野そのままの構図は、閉鎖的なムラ社会に馴染みがない人にも異様さが伝わったのではないだろうか。
物語では海外企業の土地買収に関して賛否が分かれたことが衝突の発端となっているが、恐らくこの大金が絡まなくともアントワーヌと隣人兄弟はぶつかっていたのだろう。
先細りの家業を畳んで街に移る拠点や資金のアテもない村の人々が、土地や旧来の生き方に固執せざるを得ない事情も、まとまった資金をもってセカンドライフを送りに来たよそ者に妬みに似た気持ちを向ける心情も理解できる。そこで一線を越えてはいけないが、日本で事件化した数々の事例を思うと、気に食わない相手と毎日顔を合わせて少しずつ妬みや憎しみを募らせるうち、仕掛けた側・仕掛けられた側の誰ひとりとしてそうならないとは言い切れないのが恐ろしい。
物語のもう一つの軸が、移住者夫妻の妻・オルガの不屈の精神である。娘のマリーが指摘する通り、村に留まる選択は危険としか言えない。その胆力がどこからくるのか、彼女の精神にもっと触れたいと思った。
映画.comの本作の論評に掲載されている通り、最終的にはマリーはオルガの選択を認め「羨ましい」と伝えるのだが、そのシーンでマリーの表情がはっきりしないことや、街に帰る別れのシーンでの涙を見て、自分は「羨ましい」をポジティブな意味にとらえていいのか判断に迷った。マリーが羨ましいと思ったのは、人として女性としてそれだけ全霊を傾けられる番に出会ったことなのか、父と母の絆なのか、命がけの決意を貫く意志の強さなのか、夫が不在でも母や妻としての姿を貫く誇りなのか、芯をもって生きられる強さなのか。
果たしてマリーは「そうなりたい」という意味で「羨ましい」と言ったのだろうか。次元の違う崇高な強さに触れ説得を諦めた末に出た一言ではないのか、と深読みしてしまう程にオルガの不屈の姿勢は圧倒的だった。
犬は無事だが、ちっとも活躍しないという点が近年の映画作品の中では珍しかった。