「よい映画だと思ったけど、賢治の修羅が見たかった。」銀河鉄道の父 TWさんの映画レビュー(感想・評価)
よい映画だと思ったけど、賢治の修羅が見たかった。
宮沢賢治と言えば、父親との間に確執を抱えていたと本で読んだことがある。
映画にも出てきたように、父は浄土真宗、賢治は日蓮宗。
それが確執の一因であるという評論。
しかし、この映画を観る限りでは、その評論がなにかの間違いではないかと思わせるほど、父と賢治の間に家族愛が溢れていることが伺える。
事実どうだったかということは分からないが、愛情深い父親に育てられたように描かれている。
また父親との間だけではない、途中で亡くなった賢治の祖父や妹、それに母との間にも深い確かな絆がある。
宮沢賢治は『春と修羅』という詩において、
「四月の気層のひかりの底をつばきし歯軋り行き来する俺はひとりの修羅なのだ」
と語っており、私は賢治が苦悩いっぱいの人生を送った人間かのように勘違いしていたのかもしれない。
それともこの映画がそうした賢治の闇の一面をあえて描かなかったのか。
作中に「このままでは私は修羅に堕ちる」と賢治が父親に言うシーンがあったけれど、この映画の心温まるような家族愛のなかでは、その言葉の真意は読み取れない。
全体を通して、自分の人生について考えさせられたし、よい映画だと思ったけれど、一つ欲を言うなら、修羅について語る賢治のその修羅というものがなんだったのか見てみたかった。
全体としては、家族愛の溢れた心温まるよい映画だった。
あと、雪の降る情景が綺麗だった。
コメントする