「【”あの家族ありて、宮沢賢治ありき。”それまでの宮沢賢治像を粉砕した父の”駄目息子だが愛せずには居られない。”という想いが尊い。そして、妹トシを演じた森七菜さんの畢生の演技が輝く作品でもある。】」銀河鉄道の父 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”あの家族ありて、宮沢賢治ありき。”それまでの宮沢賢治像を粉砕した父の”駄目息子だが愛せずには居られない。”という想いが尊い。そして、妹トシを演じた森七菜さんの畢生の演技が輝く作品でもある。】
ー 序盤は、私が勝手に思っていた”聖人”宮沢賢治の姿とは違う、我儘で生きる道の定まらない賢治の姿にやや違和感及び新鮮な想いを覚えながら鑑賞。
因みに原作は未読である。-
◆感想
・前半は賢治(菅田将暉)の妹トシを演じた森七菜さんの演技に驚く。
ー 何時からこんなに凄い女優さんになったの!田中泯さん演じる厳格な祖父が認知症になり暴れた時に、”綺麗に死ね!”と言ってビンタを張るシーンには参りました。
更に彼の有名な”永訣の朝”の死の間際のトシを演じるシーンも参りました。
”うまれでくるたてうまれてくるたて/こんどはこたにわりやのごとばかりで/くるしまなあよにうまれてくる”という原作の言葉をトシが実際に伝えるシーン。
賢治が記した”永訣の朝”を換骨脱胎した最良の形ではないだろうか。
トシが居たから宮沢賢治は詩人になり、更に”日本のアンデルセン”になった事が分かるのである。-
・賢治が生まれた時からの父(役所広司)の溺愛振りは男親として良く分かるが、終生、嫌、賢治が死んでからも賢治全集を出版した父の息子への想いは素直に頭が下がる。
■やや違和感を感じたシーン、だが。
・賢治が日蓮宗に傾倒し、浄土真宗を信じる父に対し反発する故か、法蓮華経を狂ったように口にしながら、白装束で団扇太鼓を叩くシーン。
実際に賢治は日蓮宗に傾倒していたそうだが・・。
狂的感じがして、作風から浮いていた気がするのである。
あのシーンは賢治の不器用だが、ひたむきな性格が表れたシーンであるとも思う。
■賢治臨終のシーン
ー 名優、役所広司の演技が炸裂する、涙零れるシーンである。
彼の有名な”雨ニモマケズ”を賢治が患った際に、父が賢治が籠っていた祖父の家で見つけ、蝋燭の僅かな明かりで、驚きの表情で読む姿と発した言葉。
”良い詩だ、賢治”
からの、”雨ニモマケズ”を涙しながら大きな声で臨終間際の賢治に聞かせるシーン。
そして、賢治は僅かに目を開いて”初めて褒められたじゃ・・。”と呟くのである。
<今作は今や、世界の宮沢賢治を、父を筆頭にした家族の視点で描いた作品である。
そして、今の世間が認める宮沢賢治があるのは、彼を愛した彼の家族がいたからだという事に気付かされるのである。
更に言えば、役所広司、森七菜(今作の”MIP”だと、私は思う。)、菅田将暉、坂井真紀、田中泯という俳優陣達の演技の凄さにも改めて敬服した作品でもある。>
■追記 <2023年5月11日>
・当初、評点を3.5にしていたが、俳優陣の演技及び今までにない賢治像を見せてくれた事を鑑み、4.0に変更させて頂く。
理由は、今作鑑賞後、宮沢賢治の幾つかの作品(”よだかの星””ビジテリアン大祭”)を読み返した時に、今作が言わんとしている事が腑に落ちたからである。
※追記します。
誤解されている気がするのですが、私は史実と違うフィクションである事を否定しているのではありません。
「映画」というエンタメを制作する以上、どう料理するかは監督の腕の見せどころだと思っていますから史実を変えようが、原作と違おうが、その点はまったく構いません。
しかし、その「料理の仕方」が勿体無い、と言っているのです。
最高級の松坂牛をカチコチに固くなるまで焼いてケチャップたっぷりで肉の味がわからないようなハンバーガーにするのは勿体無い。
そこまで酷くなくても、例えば絶妙な味加減で最高に美味しく出来たチャーハンにマヨネーズをどばどばかけて混ぜられたら悲しいな、とか、まぁそういう感覚です。
食べる人の自由ですからそれを好む人を否定はしませんが、「料理人ならば、もう少し素材を活かす調理法を考えようよ?」と思うわけです。
箸にも棒にもかからない作品ならば長文レビューをしたためたりしません。
本作は非常に優れた点が多いからこそ「ここの部分、違う調理法があったんじゃないか?」と思うわけです。
せっかくの「賢治の父」というスペシャル素材の真価を活かしきらず「そのネームバリュー」だけで売ろうとした調理法が勿体無かった。そう感じて、残念でならないのです。惜しい!と思うからこその感想ですね。
「詩や作品を認めさせたのは家族の努力」だなんてとんでもない。
「生前の賢治本人の活動と、それを高く評価した作家達、詩人達、編集者達、思想家達」ですよ。
家族が介入する必要がないだけのパイプを、賢治は生前から作っていました。
学のある層のみならず農民や町人達にまで広く知れ渡ったのは「雨ニモマケズ」に目をつけた国家が「欲しがりません、勝つまでは」同様に戦意掲揚のフレーズとして大々的に利用したからでしょうけれどね。家族の努力じゃありません。
宮沢賢治については詳しくご存知の方も多いのか、私がレビューアップする前から私と同じ指摘をなさっている方々がこちらのレビューにも多数いらっしゃいます。
NOBUさんに「銀河鉄道の夜を世界に認めさせたのは賢治の親族であった」と誤認識させるレベルの影響力が本作にはある、という事ですね。
数字を挙げるためにはエンタメに振るのもやむなしか?と考えていましたが、やはり本作は害悪の面が大きいと再認識出来ましたよ。ありがとうございます。
いやいやいや、生前から文壇ではめちゃくちゃ認められていますよ。
草野新平の同人グループに参加し、高村光太郎、中原中也、八木重吉をはじめ錚々たるメンバーたち。
「春と修羅」は出版の3ヶ月後には詩人の佐藤惣之助や思想家の辻潤が雑誌「日本詩人」や「読売新聞」で絶賛してます。
それに当時、かなりの影響力があった「赤い鳥」の鈴木三重吉ですら、表面的には共産主義的思想を否定しているものの「注文の多い料理店」の広告を丸々1ページ、サービスで無料で掲載してくれています。
生前「児童文学」に発表した「グスコーブドリの伝記」なんて、その時の挿絵は棟方志功ですからね。認められていなかったら挿絵なんか協力してくれないですよ。
草野新平は「春と修羅」に非常に刺激を受け、賢治を自分の同人グループに誘い一緒に活動していましたが、直接会う機会を得る前に賢治は亡くなるんです。高村光太郎から訃報を受けた草野は花巻の実家を訪れ、弟の清六から原稿を預かって全集の刊行に尽力します。