彼岸のふたりのレビュー・感想・評価
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捉え方は自由だが…
あまり見たくない場面から始まるこの作品は、虐待から逃れたものの、親という絶対的な存在とのトラウマ、その過去への向き合い方の「一例」として描かれている。
この作品は、一例とみなさなければならない。ならないと思う。
主人公オトセの幼少期を見させられれば、同情しないわけにはいかない。
その彼女が18歳になって児童養護施設から旅立つ。
施設側も子供たちも、みなオトセの巣立ちとこれからの幸せを期待している。
オトセの母の身勝手さは一般的には目に余るものの、母という絶対的存在はオトセにとって変えることなどできない。
この心境は、彼女の特別なケースなので彼女自身でなければ理解するのは難しい。
しかしおそらく、親が子を思うベクトルよりも子が親を思うベクトルの方が強い。親が毒親でも虐待する親でも子供にとってベクトル値はそれだけ強いと思う。
ベクトルとは単に想いで、そこにポジティブもネガティブも加算される。つまりどうあれ、加算されていく方が子供なのだ。
ユメは地下アイドルグループ。彼女には父がいない。自分の夢を持ちながらも、母に甘えながらも、今ある微妙な幸せ感を感じている。
彼女は大人以上に大人的な考え方を持っている。妊娠という大きな出来事は、基本的には幸せそのものだが、彼女にとって、母にとっても喜べるものではないはずだ。
しかしユメは起きた出来事をそのまま受け入れる決心をする。通常そこに至るまでには大きな葛藤があってしかるべきだが、作品の主軸がオトセなのでそこには触れられていない。
オトセは、コンサート会場で精いっぱい自分自身を表現していたユメを見て涙を流したのは、自分との比較があったからだろう。
しかし彼女はユメに、妊娠したこととアイドルを引退したことを告げる。このときオトセは自分自身との向き合い方の違いに気づかされたのだろう。
似たような年代のふたり。おそらくオトセにとって、ユメの考え方に衝撃を受けたのだ。謎の男の声を無視しながら、彼女は実家へと歩き出す。
謎の男はオトセの別人格。彼女が持ってしまったトラウマそのもの。彼女のもう一つの声。
幼少期に彼の声に従い家を飛び出し、彼の声と対峙することになればその彼を殺してしまいたくなる衝動に駆られる。それが自損行為となるのだ。
以前オトセは男の声に救われたが、ついに対峙しなければならない時が来る。
母の本性 母の正体 殺してしまいたい母 その代役をしようとする謎の男 包丁を持ったオトセを見た母は「殺して、お願い」と叫ぶ。
オトセの葛藤と対峙、アクセルとブレーキを同時に踏むように包丁を突きたてながらその刃を握りしめる。
母への憎しみよりも母への愛情が勝ったとき、男は消えたのだろう。
オトセがいつも食べるハンバーグは子供の大好物の象徴だ。母のためにハンバーグ弁当を買う彼女に福引券が渡される。
3等賞 自転車 それは歩くスピードを象徴している。 オトセの人生が好転しスピードアップしたのだろう。
さわやかな風を感じなら自然と笑顔になって行く彼女の横顔のアップで作品が終わる。
自分自身 自分の過去 トラウマ それとの向き合い方、あるいは対峙の一例。
オトセにとっての方法が母に対する赦し。
母にとっては娘の殺意を受け入れること。
これができたことでようやくスタートに立った二人を描いた作品。
作品情報を見たが「地獄大夫」とか関西では有名なのかな。タイトルはそれと掛けられているようだがまったく意味不明だったところが残念だった。
「五尺の身体を売って衆生の煩悩を安んじる汝は邪禅賊僧にまさる」
モチーフである"地獄太夫"は、まるっきり存じ上げていなかったのだが、wiki位での知識なので今作にどのように落とし込んだのかは分らず終いである 大坂、堺という土地が同じということ、うつし世と常世の境を、社会の生き地獄とアイドルの華々しいステージとにメタファーとして印象づけることとしてのモチーフであったのか・・・?
モチーフである"地獄太夫"はエピソードとして"一休"さんが登場するのだが、今作ではその役目を同じ名前の
"ソウジュン"(劇中では一度も名前は未出)というイマジナリーフレンドが出演されているが、別に一休さんのようなトンチが織込んでいなかったので、どこか関連するシーンがあるのだろうか?
もう少し丁寧にストーリーに溶かしたら奥行きがでるのはないのだろうかと思ったのは、制作上の意図を読み間違っているかもしれない私の勝手な吐露である
2つのストーリーが同時進行する群像劇だが、収束する訳でもなく、影響は受けるのだろうが、そこからの展開は描かない というより、実際地下アイドルが大挙して出演する企画なのだろう、ネガティブには描けない大人の事情は想像に難くない とはいえ、"商品に手を付ける"という凡そプロとしての職業意識の欠如したマネージャー、そして別筋である母親とそれが連れ込んだ男と、保護園の代表、強いて言うなら就職先のホテルのマネージャー、兎に角大人達の自己保身の数々を、ここまで列挙して少女達に襲わせるストーリーテリングは、もはや"ホラー"といっても疑えず、尚且つイマジナリーフレンドの様相もこれまた柄の悪いあんちゃんときたら、心の荒み様は半端ないことを心象として作劇しているのだろう 現実の汚さ、理不尽さを協調することで、アイドルのコンサートの煌びやかさに心酔し、ぼうだの涙を映す かくして群像劇が合流し、その感動を伝えたところ、妊娠によって引退することを打ち明けられ、またもや少女は不条理さに打ちのめされる そこで寄る辺ない彼女の選択は、死ぬことよりも敢えて逞しく生存する超転換の成長を遂げるのである ここが人間のマジックであり、作劇として表現するには、"発想の転換"は他人からは、ほぼ理解不可能なのではないだろうか なので、こうなると都合の良いストーリーテリングと評価され易くなってしまうのも詮無き事であろう だがその心変わりや、"窮鼠猫を噛む"的事象、身近なところでは"逆ギレ"といった行為は、幾らでも事件性を帯びながら社会に至るところで発生している 少女は大人を赦さないであろう だから冷酷に大人を観察、学習し、そして利用する そこにはもう、一片の情は差し挟まない その生存への飽くなき決意に祝福するかのような福引きの自転車 運は一気に少女に舞い込む序章だという予感を抱くのはカタルシスのなさる業か・・・ 但し、クライマックスでの母親への敬語が一気に消え、対等な言葉遣いを発した少女の、これからの女としての成長を、"地獄太夫"誕生のそれと重ね合わせたことをモチーフというのならば、自分の少々乱暴な解釈なのであろうか・・・
社会に出れば、信用ならざる者が外も内も数多だ 教訓めいたことを言うほど野暮ではないし、かといって世の中を憂いても解決策など皆無 さて、この世の地獄をどう成敗するのか、それとも自ら終わらせるのか、その境が『彼岸』なのである
"暑さ寒さも彼岸まで・・・"
凄惨な映画かと思いきや。。
木村拓哉と綾瀬はるかの信長作品がにぎやかに報道される中、レイトショーで本作を見ました。
児童虐待の凄惨なシーンから始まる今作ですが、全体を通して根底に流れるのは、人が前向きに生きていく姿勢で、鑑賞後は登場人物たちの明るい未来を願わずにはいられませんでした。
エンディングは人それぞれの捉え方がある作品かとは思いますが、個人的には願望も含めハッピーエンドだと考えています。
地下アイドルのフェスもエンタメ要素として差し色になっていて、同シーンで児童虐待で心を閉ざしていた主人公が涙を流すシーンは無言でありながらすごい迫力でした。
お母さん役の並木愛枝さん、作品中でお母さんに対する印象が540°変わりました。180°×3。怪演!!
自転車
気になっていた映画を仕事帰りに池袋で。もっときつい話かと思ったけど、思いのほかライトでクスッと笑えるとこもあったりで見やすかった。アイドルの話はなくても良い気もしたけど。途中苦しいけど希望を持てるようなラストは、個人的にはすごく好きだなぁと思った。お母さん役の人すごい。配信されたら、もう一回見てみたい。
朝食メロン
幼い頃母親の育児放棄と継父による虐待を受けてグループホーム手間育った女性と、妻子持ちのマネージャーの子供を妊娠した地下アイドルの話。
グループホームを出て堺市のシティホテルで清掃員となったオトセのもとに母親が金をせびりに来る話しと、マネージャーに妊娠を言い出せないアイドルの話しが交互に描かれ少々交わるけれど…アイドルの話しいらなくね?
そしてオトセの話しも過去からずっと友達が現れているならまだしも、久しぶりに呼ぶなら喫茶店の後からじゃない?
男と女の違いか個人の違いか知らないが、あの状況で母親に会えて嬉しいっていう感覚はこれっぽっちも解らないし…。
とはいえ、母親とのトラブルとかその後の展開も悪くは無かったんだけどね…なんか色々と微妙にズレている感じだし、なんかあっさりキレイにまとめちゃった感じだし、実は何も解決していないしで釈然としなかった。
とりあえず大人がポンコツ揃い過ぎということで。
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