ウィッシュのレビュー・感想・評価
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もしも悪い願いを願ったら…
観る予定はなかった映画でしたが、巷のマグニフィコ王の評判を聞いて見て見ようと思いなおし、公開日からかなり遅れてようやく本日、観ることが出来ました。
観終わった後にふとツッコミたくなったことが一つあるのですが、もしも、国民の中に「マグニフィコ王と不倫したい」とか「マグニフィコ王とワンナイトしたい」や「マグニフィコ王をお妃から奪って王と結婚したい」みたいな願いを願った場合はどうなるんだろう?と思ってしまいました。
お妃様は一人だったのでそういった類の願いは叶えてないというのは分かりますが、あれだけのイケメン王様だし、割と有り得そうな願いだと思いますが子供向けだからそういうのはNGだったんでしょうか?
まあ流石にそういったドロドロした願いはNGなんでしょうけど、願いの中に「私利私欲」の願いが混ざっていないところに違和感を覚えました。
あれだけの願いの球の中に1個くらい「ギャルのパンティおくれ」や「イケメンの彼氏が欲しい」みたいな(*DBネタ)のがあってもおかしくないと思うのですが……
うーん、子供向けだから純粋な願いだけを集めてたって事でいいんでしょうかね?
しかしこの物語は本当にハッピーエンドなのか?
とも思ってしまいました。
期待を裏切る100周年作品
子供の頃からディズニー映画が好きで、長編、短編、アニメオリジナルなど全て必ず見て来ました。
100周年を記念する作品との事で観に行きましたが、非常につまらない!
主人公アーシャの見た目が黒人なのは別にいい。
地中海の島といえど、色んな国から人々が移民してると言う設定で、黒人主人公なのには納得できた。
だけど、本人の願いが伝わって来ない。
ティアナのように父親との夢を叶えたいと言う事でもない。
みんなが願いを叶えられるようにしたい的な願いを持っているんでしょうが、イマイチ刺さらない。
国民の願いをみんなに返すと豪語しておきながら、まずは家族の願いを取り返す事を優先し、国民達の夢は後回し。というか、スターが来なければ多分取り返さなかっただろうな。
これ見よがしに意味ありげなタペストリーを出しておきながら、それに対する掘り下げが全くなく、国民にしつこく質問様にあっただけで国民を無礼者呼ばわり。
優しく慈愛に満ちた国王と慕われているのに、結局中身はナルシストで傲慢で短気。
スターが登場してからは、自分より強い魔法を使えるスターに嫉妬丸出し。
なんで、国民の願いを集める事に執着しているのか、ちゃんと掘り下げられれば面白くなるのにそれがないから内容がペラッペラ。
禁書がなぜ禁書と言われるのかと言う説明もなく、質問攻めにして来た国民にイラついて禁書を使用。ただの仕返しにしか見えから、集めた願いなんて二の次なのかと。
同じく王妃も過去の掘り下げがないおかげで、あっさり王様を見限っただけに見える。
ラストでは王様を更生させ、1からまた2人でやり直すとかなら感動もあったんだろうけど、自分がトップの立場になっただけで、ここはしっかりとポリコレ。
全てが音楽で押し切ってる。最後みんなで歌わせればいいと思ってるんだろうな。
歌詞の内容も薄すぎて泣ける要素なんて皆無。
泣いてる観客いたけど、どこがよかったのか納得させてほしい。
過去作のオマージュがたくさんあって、そこを探すのが楽しみで、話は最低。
唯一、スターの表情とか動きが可愛いだけが救い。でもスターがなんで現れたかも曖昧。
本編は2時間でも2時間半でもしっかりとキャラの過去を掘り下げられる設定と尺があれば、面白くなっただろうに残念。
映像に関してだけど、CGがディズニーチャンネルにありそうな安っぽさがあるから、思い切って手書きでやって欲しかった。
常に進化し続ける、がディズニーのモットーでもあるけど100周年なんだからアニメーターやウォルトへのリスペクトも兼ねて原点回帰でも喜ぶ人は居ると思う。
もうディズニーの長編映画には期待出来ない。
私の感動のピークは本編前の短編。
ディズニープラスで何度も見たけど、観るたびに泣ける。
短編になら1800円出す価値はある。
無礼者たちへ
全作観てはいないけど、私はディズニー映画が大好き。
モアナまでは「安心と信頼のディズニー、絶対面白い」という安心感があった。
しかしトイスト4、アナ雪2がどちらも主人公のこれまでの生き方を否定していてがっかりして「あれおっかしいな…」と思い始めた。
仕方ないんやけどラセター氏が去ってから明らかに面白くなくなったよね。
それでもディズニーが好きだから、100周年記念作だからと期待して字幕版を鑑賞した。
結果100周年がこれか……とがっくりしながら帰宅。
ショックすぎていつもパンフ買うのに何も買わずに帰った。
しばらく悲しみと怒りが収まるのを待っていたけどどうにも収まらずここで吐き出すことにした。
絵も話もキャラもまるでだめ。歌だけは良かったのにもったいない。
話が薄すぎる。盛り上がるとこが一切ない。これが本当にディズニーか?と疑いたくなる。
願いは人任せにしてはいけない、なんてディズニー作品が好きな人は皆とっくに知ってんだよ。
キャラがあかんと全てだめ。誰にも感情移入できないとは何事やねん。
まず主人公アーシャやけどほんまに空っぽ。
お父さんが亡くなってから新しい願いもないし何をしたいのか分からない。
舞踏会に行きたいとか誕生日に飛ぶ光が見たいとかてめぇにはねえのか!
おじいちゃんとお母さんの玉だけ救出しようとしてて、友だちとか国民の分は…?
次に山羊のバレンティノ。
相棒やマスコットキャラって存在意義が必ずあったのに彼にはない。
例えばオラフは姉妹の絆を象徴し、2人をまた結びつける重要な役割を果たしていた。
でもバレンティノはおらんでも何も困らん。無理矢理作った山ちゃん枠?
次にスター。何でアーシャを選んで彼女の元に現れたのか不明。
アーシャがお父さんのことを思い出しながら歌ってから現れたので
スターは亡くなった=星になったお父さんだった、とかなら感動したのに何もない。
お父さんだからアーシャのピンチに駆けつけて、で全て解決した時に一瞬人の姿になって
アーシャと抱き合ってからまたスターに戻って去っていくとかなら泣けた。
お父さんが亡くなってることにも何も意味がない伏線もない。
そして王様。一代で平和な国を築いたのに小娘にクーデター起こされて闇堕ちしたかわいそうな人。
ディズニーヴィランズって皆強い信念とか野望とか、自分の心に突き動かされて行動してるイメージやのに彼は禁書に手を出してから操られてるだけ。
元は国の平和を大事にしてる賢王やったから、そのために禁書を頼ったわけやからそんなに悪い人ではない。
むしろ年に14人も願いを叶えてあげてたから本当に優しくて立派だと思う。
王妃、あんたは酷い。夫を諭してる時はなんて良い奥さんなんだろうと思ったのに。
ずっと愛して支えてきたのにあんな簡単に切り捨てられるもんか?
夫が自我を失う瞬間も見てたというのに。別人になってること知ってるのに。
それともあの杖の先っちょ、閉じ込めても簡単に取り出せるとかで
反省したら地下牢から持ってきて出してあげようとしてる?そうじゃないなら冷たすぎ。
唯一個性が強くて面白そうな7人の小人…アーシャの仲間たちも掘り下げ全然ない。
それからアーシャのおじいは音楽で誰かを感動させたいってのを人生の夢にするな。
すぐ出来るやろ。ミゲルみたいに反対する人もおらんし、現に最後自力でやってたし。
ロサス国民。こいつらも空っぽで人任せすぎる。
王様に丸投げしといてちょっと扇動されたら敵扱いしてなんやねん…。
一人くらいこれまで頑張ってくれた王様の味方に付く奴おらんかったんかい。
皆で王様の自我を取り戻させて、王妃が手を差し伸べてまた皆で頑張っていきましょう、ならまだ良かった。アーシャとスターが平和な国を崩壊させただけやん。
セルフオマージュ詰め込んどけばオタクは喜ぶやろ!と雑な作りでなめられているとしか言いようがない。
これ観て素晴らしい!最高!って言ってる頭パッパラパーな信者は目を覚ましてもっと危機感持った方が良い。WDASが終わってしまう。
こんなに悲しみと怒りを覚えたのはトイ4以来やわ。ウォルト泣いとるぞ。
今までのキャラが大集合な傑作短編の方を本編にすればよかったんや。
シスーとジムが一緒に飛んでるとこなんか嬉しくて奇声上げそうやった。
本当にプリキスと同じスタジオが作ったのか?10000回観直せ。
ティアナはお父さんの愛を胸に、夢のために頑張ってた。
私の好きなディズニーの物語はどこへ行ってもたんや。
マグニフィコ王がかわいそう
ストーリーについては、ヒロイン・アーシャの行動に全く共感できませんでした。王は国民を大切にしていて願いもかなえてくれているのに、「願いを勝手に選ぶなんて!」と悪者扱いするのがひどいと思います。確かに願いを捧げたらその願いを忘れてしまうという仕組みは良くないかなと思いますが、それが嫌なら国から出て行けばいい話です。最終的に王が国民からも王妃からも裏切られて地下牢に閉じ込められるのが本当にかわいそうでした。
ストーリーは納得できませんでしたが、生田絵梨花さんと福山雅治さんの歌はとてもよかったですし「見てよかった」と思えるくらいには面白かったです。マグニフィコ王のキャラクターがかなり良かったのでそこも見どころだと思います。
ディズニーの意思表明
ややテーマ先行だが、100周年作品と考えればディズニーの意思表明としてちょうどいい。
18歳を過ぎれば願いを他力本願的に諦めなければならない(成人すれば学生の頃の願いを忘れて働かなければいけないような)
願いが叶わないよりはいっそ忘れてしまった方が気が楽になる、そして宝くじ的に叶えばラッキー、そういう大人の気持ちが分かるかどうかでここら辺の納得具合は変わってくるように思う
おじいちゃんも一度アーシャが願いを教えようとしたのを拒否する。
こじつけ気味の設定を駆け足に済ましてしまっているのがもったいない(ただあと30分最初に付けると子供的には退屈なのかも)
アーシャが王の側近としてしばらく働いてじわじわとディストピアが暴かれていく方が納得できる流れではある
あるいはアーシャ自身にアーシャ自身のための願いを持たせて、18歳が近づくにつれそれを手放したくないと思う感情を描くとか。
何かしら背景を補強するエピソードを描いた方が納得できる気がする。
王政を少数のレジスタンスによってひっくり返す、なかなかワイルドな話
後半流れに乗ってしまえばかなり楽しめる。
独裁や新興宗教を打ち崩すというニュアンスでの解釈もできてしまう。
レジスタンスはまだ願いを自身に持った新世代。ピュアな心が、願いを忘れてしまった大人世代をも奮い立たせる。
王のキャラクターがいい。
実力者ゆえの自信と自尊心、支配欲。
案外現実にいるタイプの男。
奥さんへのモラハラも良い。
(奥さんによって何とか抑えられてきた短気な性分が暴走する)
スターのキャラクターも愛くるしい。
森や鳥小屋でのミュージカルもいい。
予告で期待してなかったのに、心が反応してました。
予告編をみて、どうせ、願いは自分で叶えるんでしょう~と、ちょっと甘くみてた私。
確かに、そうなんですが…劇中歌を聞いているだけで、涙が止まらない。
何か、私が抑えつけてる感情が、出して!と叫んでいる。
王様役の福山雅治氏の歌唱も素晴らしいです。
アーシャの願い
は無い。
かなりの酷評を受けていましたが、紅白で聞いた生田絵梨花さんのウィッシュがかなり良かったので吹替で見てきました。
とにかく盛り上がらなかったなという印象でした。
おまけのワンスアポンアスタジオは、ディズニーで育った自分としては、ディズニーのマルチバースのようで、今後見られる機会はおそらくないと思うので良かったなと思いました。
星に願いをも流れていて、本編のいい前振りになっていたのではないでしょうか。
本編が始まってまず思ったのは、3Dに若干違和感を感じました。
キャラクターの動きにリアルさが増したから?今までこんな感じだったっけ?と
アーシャの髪の毛の動きは、アニメーションに相当力を入れことが伝わってきましたが、リアルすぎるのか不自然なのか理由は分かりませんが、気になりました。
次に気になったのは、福山さんの吹替です。
会話のシーンはそんなにですが、メインで歌うシーンは思いっきり歌手福山雅治で、以降福山にしか聞こえませんでした。
そもそも、福山さんの声色とあのヴィランのキャラクターは合ってない。福山さんのセクシーっぽい部分がいらなかったと思います。
小さいヤギの声優も山寺さんじゃない。
誰でもいいけど、あれじゃグッズが売れないんじゃないか?あとあのヤギすごい既視感があると思ったらピノキオでも同じようなヤギがいたと思います。
劇中にいろんなディズニー作品のオマージュ的なものが出てきたのでこれもそうなのかもしれませんがだとしたら主要キャラクターデザインでオマージュしちゃダメじゃね?
スターに関してはマリオにおんなじようなのいるし、結局よく分からないキャラでした。
作品全体をとおして思ったのは、見てる側が全然盛り上がってないのに突然ミュージカル始まるのですが全然ついて行けませんでした。
また、メインテーマ以外はパッとしないのでこれも空振った原因でしょう。
そしてアーシャの願いは何なのか?全然でてこんし父の死に伏線ないんかいと肩透かしをくらいました。
ヴィラン倒す時は、みんなで歌って倒すのですがアーシャはあまり役に立ってないというかずいぶんあっさりしてるなと。
願いは人に叶えてもらうものではなく、自分で叶えるもの。あなたも星に願いを
的なメッセージはシンプルで分かりやすかったと思います。
他作品のオマージュはもう少し思い切ってやれば、ファンに少しは救われたんじゃないかな。
楽しめました
レビューがあまり良くなかったので、期待していませんでしたが、楽しめました。
『願い•夢は、自分で叶えるものであり、それかあるからこそ、生きる力、パワーとなる。
叶うと信じ、行動されば、必ず叶う。
自分一人で無理なら、みんなで協力すればよい。』
そう言っていると感じました。
他人頼み、神頼みで、何もしないのはダメってことですよね。
それと、素晴らしく見える権力者も、本当にそうなのか、疑うことも必要と言っているように感じました。
福山マグニ彦がノリノリだった!!
生田さんの歌が良いのは、予告編の通りでした。出だしから早口の作風で、あまり内容が頭に入りませんでした。導入部で願いが叶う事の素晴らしさ等のエピソードもなく、権力者が強いだけで世界観が薄いと感じました。台詞や演出の「間」等がなく、近年の所謂タイパ重視の悪い面を感じました。また観客の感情の高まりとかは関係なく、唐突に歌が始まるので、パークの出し物を見せられている感じでした。普段から福山さんの癖のある歌い方が苦手ですが、本作では合っていると感じました。ハンサムで性格が悪い、ご本人らしいキャラをノリノリで演じていました。生田さんの主題歌が素晴らしくて(「きっと叶う」ではなくて「諦める事はない」と歌うのが諦めてる自分には凄く良いです)、家でも繰り返し聴いていますが、映画自体は主題歌に見合わず、早口でスケール感が無くて微妙だと思いました。
短編だけは良かった
吹替で鑑賞しました。
本編前の100周年短編映画はすごく良かったですが、肝心の本編がつまらなかったです。
どうしても主人公と国民が好きになれなかったし、共感も出来なかった。自分で努力して願いを叶えるというメッセージ性はいいだけに、とかく残念でした。
・序盤で、主人公が願いを渡して気持ちスッキリと歌っていましたが、叶えてくれない願いなら返すべきと王に進言するところから共感しづらい。スッキリするんじゃないの?そもそも国の多くの人々の願いを集めているのに、願いを叶えられるのは月に1人なんだから、叶えられない願いがあるのは分かるはずでは。
・フレンドリーな王様という設定なのだろうが、主人公の王への態度が非常に軽く感じた。緊張しているとはいえ、尊敬している王なら尚のことあんな態度にならないし、身内の願いを叶えてなんて言えない。
ほかにも色々ありますが、共感しづらい要素が多々ありました。
また、ディズニー映画ということもあり歌にも期待していましたが、期待しすぎました。主人公の方は歌も演技も下手ではありませんが、やはり他キャラクターの歌唱力・演技力にのまれてます。肝心の歌のパートもなんだかなぁ…と。せめて歌の部分は別の方に歌っていただきたかったです。
結論としては、ストーリー・歌ともに微妙で、少なくとも吹替版は映画館で見る必要ないと思います(字幕版だと印象・評価も多少は変わるかも)。
100年の映画でこの程度か
評価100点中15点
( ˙-˙ )良いところ
歌はいい
ちょっとディズニー過去作の小ネタあってよかった
スターは可愛いだけ可愛いグッズを買わせようという魂胆が見える結局金儲けかよ
ソシャゲみたいな内容やストーリーよりキャラの可愛さ、エロ、美男美女、ガチャを売る安直な売り方すんじゃねえよ
俺はそういうやり方が1番嫌いなんだよ
((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミ
アニメーションはまあ普通に良かった
以上
⚠️悪いところ⚠️
初めて映画でブチ切れました💢
💢フィクションであろうと非常に不愉快💢
子供に悪影響です見せるのはよしましょう
・王様意外バカ
王様がなぜ夢の自分達の願いの込めた青い玉を渡し、平和に暮らせているのに、自分の願いを返せと怒るんだよなんでもかんでも願いを叶えたら
それはもう平和の欠けらも無い混沌とした終末を迎えるだろ
なぜそれを誰も理解しねえし
意見言わねえんだよ
・ましてや!?💢💢
王妃お前も王様の活躍最初からずっと見てるんだろうがだったら尚更
「違うアーシャあなたは王様のやってきた苦労や大変さを知らないだからあなたやっていることは間違ってるもう一度王様とちゃんと話し合いなさいそうしたら彼のことがきっと分かるわ」って言えよ何国を滅ぼすのを協力してんだよ💢
・国民も国民皆で「願いを皆に渡してくださいよ」「願いが変わったらどうするの」「願いをどうするおつもりですか」1人の人間を言い攻めしてさちょっとは自分の頭で考えたらどうなるか分かるだろ
王様を追い込むなよ可哀想だろ…
そりゃ王様だって人だから恐怖覚えるし、
魔法は王様以外使うなという法律も破られたらそら悪の魔法をつかうだろ
マジで無礼な大馬鹿者しかおらんいじめてるのを2時間見てる気分不愉快
・で小さい頃願い叶えたいという欲望のせいで王様の両親と故郷を亡くした
誰もそんな思いをさせたくないだから、人の心動かしたい、騎士になりたいや、強い魔法使いになりたいなどの反乱分子となる可能性がある願いを叶えずに、
床屋になりたいや髪の毛伸ばしたいなど歩ける足にしたいなどの国の発展や経済的に役に立つ願いを叶える
当たり前でしょ?
更には防衛、経済、住処、食料、衣服、水
衣食住がある安定な生活を与えてくれる素晴らしい王様でした✨
・そんな素晴らしい王様を鏡に閉じ込めて?地下牢にぶち込むとか最悪だろ💢
ひとつの過ち程度であまりにも酷すぎる仕打ちだ💢💢💢
・ヤギはなんか活躍しないわ助言や手助けもしない。
いても
金魚のフン如くくっついてるだけ別にいてもいなくても変わらん。
メタルマン見た方がずっっっっっと楽しいです
モブキャラも影薄い
・14分の100周年記念短編映像は素晴らしいかったもはや奇跡の映像
苛立ちを感じる映画
つまらなくはない。展開のテンポが良く、それだけで楽しめる作品だった。
主人公側にツッコミどころが多く、全く感情移入ができず、観ている間は楽しさと苛立ちが同時にあった。
子供向けだから仕方ない、とも思ったが、良い子供向け作品と言うのは、単純な話を大人も楽しめるものだ…
まず、主人公の祖父。100歳でずっと夢が叶うのを待っているという。マグニフィコ王は50代前後に見える。そしてロサスを人を集めて建国したと言うから、この祖父は40代で自分からロサスの建国メンバーに入ったと考えられる。
40代。夢はギター上手くなって人の心を動かしたい。……………自分で練習すればいいんじゃない?
きっと才能なかったんだな、と自分を納得させて見ていたが、許せないのはラスト、国家転覆から3週間後、ギターで民衆を沸かせていたことである。彼は言う。「はじめたばかりなんじゃ!」…………………努力すれば3週間で叶う夢を40年間なにもしなかったって事になる。
100周年に準えて100歳にしたのはわかるけど、それでキャラクターが馬鹿になるのはどうなの?
次に、7人の仲間達がアーシャの説明を受け、王を倒す決心をして、歌う「真実を掲げ」。
威圧感のあるメロディが王の歌よりヴィランっぽかった。王は敵だ!ということを勇ましく歌い上げる。なんとなくプロパガンダを連想させた。特定の主張に取り憑かれて狂ったように同じ言葉を繰り返すところとか……思想の是非はさておき、怖い。
何より許せないのがクッキーをガンガン踏みつけて歌の拍をとる部分、アニメーターの発想に品が無さすぎてびっくりした。乱暴に顔部分を食いちぎるとか、百歩譲って手で握り潰すとかの方が嫌悪感がなかった。食べ物を粗末にするな!とディズニーアニメの味方サイドを見て思うとは思わなかった。 作った本人ダリアが目の前にいるのに、踏み潰せるのは並の神経でないように思える。彼女自身も王反逆派になっているとはいえ、友達が作ったお菓子を目の前で踏み潰すのはやさしい人のすることだろうか?
アーシャが真実を伝えて、すぐに受け入れるのも納得いかない。10年以上信じてきたことが覆された時ってもっと見苦しいと思う。物分かりが良すぎてキャラクターに魅力を感じない。個人的にはもっと叫んだり喚いたり欲しかった。
「真実を掲げ」という歌詞も、リークされたのは今日が初かもしれないが公式から出されてる情報で予想できたことだろう……叶える本人が決めるのも普通そうだし、叶えられた願いの傾向とか、統計しようとすればできるし、よく考えもせず自分の大切なものを他人に預けて利用されて怒っているのバカすぎ
ロサス、魔法というありえない前提で作られたあり得ざる美しい国だが、人の心は醜いままだった。
王の思想は元から歪んでいる。王もそれを承知で歪んでいる人の為の国を作ったのだろう。自分がおかしいと自覚していない権力者は、暴君となり他の国を侵略するのが定石だからそう推察する。
王は自分の民を信じていない。見下している。傲慢である。でも衣食住を与え、自分の能力をそれらに使い、尽くしている。
これが慈愛でなくてなんだ?ノブレスオブリージュの擬人化に見える。
王は努力の人だ。その夢は「幸せな王国をつくること」であったように思う。自分のために他者を幸せにしたかった人だ。それを叶えていた。居心地の良い鳥籠を用意した。自分より弱いものを苦しみから守るために。
…………王は自分の信念があり、魅力がある。なんで国民はあんなことになる?王が有能すぎたからだ。
国民等の不愉快・不満点
・「空を飛びたい」「ネバーランド」これが18歳の夢???いや、魔法がある世界なら叶えられるのか………それならもっと自分で魔法の勉強するとかないのかな。
・最初にアーシャは「夢を忘れるだけ、気持ちスッキリ!」と言っていた。忘れたい夢はもう諦めた夢なんだわ。諦めてないのに忘れていっか!はただただ、バカ
・18歳になって変わってしまったサイモン、この状態になった奴少ならからず居そうなもんだが危機感も抱かず、自分で国を出ようともしない。
・国を出ちゃダメ!みたいな描写はないけど、設定があったらされてるだろうし、観光客受け入れるほど開放的な国だからその気になれば密出国できそう。
・願い捧げるのが18歳なのは設定ミスだと思う。18歳は自分で判断できる大人だし、大人は具体的な夢を持つもので、具体な夢持ってる人は努力ができて、努力ができる人は自分で叶えられるなって思って出ていくように思うので、あの国には多分まともなやつがおらん。
・「子供に夢を与えること」がディズニーがこれまでしてきた事。だから18歳が10歳とかで、「子供の頃の幻想的な夢見る力を奪う」だったら、説得力がある作品になったはず。国民の碌でもなさも薄れる。子供は抵抗できないから。
・「私たちのロサス!」←王なしでロサスはありえない。
・「夢は自分で叶える!」←じゃあなんで住んでたの?
・王がめちゃくちゃ努力して魔法使いになったのによくわからん星に願って魔法使えるようになったアーシャに負けるところが可哀想でよかった
・「お前らは願いを叶えてもらうしか頭にないのか?」と言われ 笑顔でこくこくうなずく奴、人間こうなったらおしまい
・夢乞食
・ちょっと前まで尊敬してた王の悪口で盛り上がってるのクソ
・王妃、愛してたって建前なんだから笑いながら牢へ!はおかしい。もう違う奴が権力者だからどうでもいいのだろうか。どちらにしろ嫌な奴!
・自分の夢の生殺与奪を他人に委ねてる時点でダメ
こんなところかな…。
現実世界におけるディズニーの立場はマグニフィコと近いように感ずる。才能と努力を兼ね備えた人が、幸せを与えている点において。
主人公サイドの違和感に、作り手側が気づかないのは違和感があるから、もしかしたら壮大な皮肉なのかもしれないな…とか適当に考えたりした。(近年のポリコレの攻勢を受けてのディズニーの低迷を見て)
作画は、色の乗り方が皮膚が硬そうに見えた。眉毛が濃いキャラが多くそこだけリアルで、プラ製着せ替え人形の髪の生え際を見ているようで懐かしい気持ちになった。これまでの遍歴を表した面白い試みだと思うけど、3DCGにアニメっぽい塗りは相性悪いような気がした。個人の好みです。いつもの柔らかさを感じる質感のすごさを再認識。
CG自体はいつも通り綺麗だった。低評価もあるみたいだけど、私は気にならなかった。
ワンス・アポン・ア・スタジオは良かった。現実世界にアニメが居るところは、ロジャー・ラビットを彷彿とさせる。小さな笑いが止まらなかった。知らない作品のキャラクターもたくさん出ていて興味が湧いた。これをきっかけに、ディズニープラスで見るのが楽しみ。
危うい国づくり
いまのご時世、勧善懲悪の悪役を作りづらくなり、苦肉の策で作り出した悪役ぽく感じた。
そのための苦労は感じるが、タイトルにもなってる「願い」とはそういうものではない様に思えた。
王様がもし願いを叶えてくれるのなら誰しも努力をしなくなるだろう。そんな願いよりも観る子供たちには叶えるための努力が可能性を広げることを謳って欲しかった。
唯一、山寺さんのヤギは観てて面白かった。
本当のディズニーファンには心底物足りない
映像も綺麗だが、期待はずれ。残念。テーマ曲は良いが、最近のディズニー、ウィッシュに関しても、曲が多すぎる。アラジン、リトルマーメイド、美女と野獣などは、「ここぞ」という時に、気持ちの高まりがあって歌うし、一つ一つの曲の意味が重たい。
それに比べて最近のディズニーは気持ちの高まりもないのに、挿入歌が多すぎる上、キャスティングも実力派ではなく話題性のある人ばかりを選ぶ。また、ミュージカルに寄せすぎており、曲が多すぎて飽きてしまい、ストーリーに没入できない。
本当のディズニーファンは物足りなかったと感じたはず。
もっと素晴らしい作品だと思っただけに、残念である。
唯一良かった点は、作中に現れる、昔の作品の付箋は、とても萌えるポイントであった。
アランメンケン以上にディズニーの名曲をかける人はいない。アランメンケンに頼ってほしい。心からお願いする.....クラシックな、ディズニーを愛しているので、どうか新しいそんな作品が作られないだろうか....
希望や夢を持つことの大切さ
ディズニー100周年記念作品ということで、本編が始まる前に、ショートムービーがついており、特別感のある始まりでした!
そのショートムービーでも印象的だったのが、「星に願いを」です。
確かに、ディズニーアニメ、映画といえば、「願えば叶う」というのが1つのキーワードなのかなと思いました。
今回のウィッシュが、今までのディズニー作品と少し違うのが、普通の人たちの願いにスポットが当たっていたことだと思います。
そのためか、自然と感情移入して観ることができました。
大人になって、「夢」や「希望」という言葉から遠ざかっていたように思います。
この映画は、私たちは唯一無二の存在であり、夢や希望は叶えることができる、と思い出させてくれたように思います。
何かの音楽番組で、生田絵梨花さんが主題歌を歌っているのを聴いて、アーシャとマッチするのかな?と思っていたのですが、大きな勘違いでした。
繊細さもありつつ、力強さもある声は、アーシャのキャラクターに見事にマッチしていたように思います。
ぜひ、ストーリーと一緒に曲も堪能して欲しいです。
ディズニーありがとう!と心から叫びたくなる、そんな作品でした。
そこまで悪く言われるほどではないかな
映画館で観てきました!
正直、映画見る前はかなり心配でした。
YouTubeなどでネタバレなし感想は見てたのですが、
「マグニフィコ王、そこまで悪くないのに最後可哀想」
といわれていて、それが気になっていました。
結論言うと、面白かったです!
今回の映画を見る上で心配なのは下記の二つでした。
・マグニフィコ王の最期
皆さん言っているように、前半のマグニフィコ王はそんな悪い人じゃないです。
誰からかまわず願いなんて叶えてたら国なんて成り立ちませんし、そもそも私も
「いや、夢なんだから自分でがんばりなよ」
って考えです。
なのでマグニフィコ王が最期悲惨な目に遭ってたらすごい後味悪くなってました。
いつもの崖から落とされたり、地獄に落とされたりそういうのを想像しました。
ですが見てたら牢屋にいれられて
「しばらく反省しようね」
みたいな最期で安心しました。
彼自身も後半は力に飲まれて悪いことはしてしまったので、あれくらいなら良いんじゃない?
と思います。
・夢を叶えてもらうと言うこと
正直市民にはどうなのって終始思ってました。
これで結局魔法をみんなが手に入れて夢は叶えてもらうって着地になるんじゃないかと心配でした。
最終的には自分で努力して、力を合わせて叶える!という着地。
この着地で安心しました。
自分たちのことを反省あんまりしないでマグニフィコ王のせいに全部する市民にはどうかと思いましたけど。
そしてアーシャ!
魔法の杖を受け取るんじゃない笑
マグニフィコ王はあんなに努力して魔法を会得したんだから、アーシャも努力しなよ。
あとアーシャも最近のヒロインの中では、
ビジュアルも可愛くて、私は好きですね。
ただちょっとキャラが弱い、、笑
結局星の力をたまたま手に入れて反乱起こしたラッキーガールになってます。
これならマグニフィコ王を主人公にして、
村の元気で優しき少女アーシャと出会い、
過去のトラウマも乗り越えて完全な賢王になる!
みたいなストーリーの方がよかったんじゃないかな、笑
あとこれは余談ですが、アラジンに通ずるとこがあるんじゃないかなと思います。
アラジンもジャファーは野心強すぎましたが、
大臣としては優秀でしたよね。
ジャファー亡き後はアグラバーは成り立つのか、、と最近見直して思いました。
今回のウィッシュも似たような展開なんじゃないかな。
でも当時はそんなところはつっこまれなかったので、僕らの見方とかも少し変わったのかな、、。
といろいろ言いましたが、普通に愛や夢が魔法のような力を持つディズニー映画としては面白いので、見てみてください!
マグニフィコ君さぁ…
本当によく頑張った。お前は悪くない。
「ディズニー史上最恐ヴィラン」って宣伝してたからジャファーやスカーみたいなゴリゴリの純粋悪かと思ったら全ッ然違う。
むしろ真逆。
王国に害ある願いは叶えない、でも叶えられない願いは保護(もともと国民が自力で叶えられそうにないと思った願いだからかえって戻すと国民が願いに苦しむことになるため)、くわえて一代で無人島を王国にまで成長させた政治手腕。
国民目線で実に優秀な統治者そのもの。
これのどこが悪なのだろうか。
アーシャは「王は願いを奪っている」「王が保護した願いに国を脅かす恐れがあるとは思えない」と思い、結果的に王打倒の根拠としてるけどちょっと待て。
別に王は私利私欲のために願いを奪っているのではなく、国の発展のために使っている。2つ目の主張でも、王とアーシャとでは魔法能力にかなりの差がある筈。魔法に関してはほぼ素人目の彼女にそんな事を言えるだけの説得力ははっきりいって無い。
むしろ、いつまでも王に願いを任せきりで自力で願いを叶える努力をしない国民にも問題があるし、それ故に退場(実質)した王は不憫としか思えない。
まあでも流石に禁書使用後の諸行動は擁護できない。でもそれを考慮しても謝罪や和解の言葉なしの速攻牢屋行きはあり得ない。マジで。
華麗なミュージカルシーンと声がどハマリして無かったら危うく☆1だった。それぐらい胸糞な2時間弱(最初の100周年短編は別。あれは神( ´∀`))。
可哀想な王様、その他大勢でしかない友人たちと逆差別
2回吹替で観ました。
とにかくマグニフィコ王が可哀想。
願いは「国民自ら」「忘れてしまうことも、月に1つずつしか叶えてもらえないこと」も承知の上で差し出したのに
しかもその上でみんな(サイモンみたいな例外はいるとしても、「ようこそ! ロサス王国へ」で歌われているように概ね)幸せに暮らしてたのに
ちょっと不安要素が出てきたら急に手のひら返して王を責め出すの、「なんて無礼な恩知らずめ」って言いたくなるのも当然かと
去年は2個もおまけしたのに!
確かに禁断の書に手を出してからの王は国民の願いを壊すわ、その力で国を支配しようとするわで最悪だけど、これはあくまで本のパワーに取り憑かれてしまったからだし
そもそも禁断の書に手を出すまで追い詰められたのも「ロサスが危険だ!」という思いからだし、それも一度はアマヤの声かけで思いとどまったし……
ただの一国民であるアーシャの父のこともよく覚えてたし、叶える願いを取捨選択してたのだって私利私欲じゃなく「ロサスのため」だし、彼が平和に固執するのは自分が経験した悲劇(タペストリーを見た感じアマヤとの間に子どもがいたのかな?)を二度と国民に味わせないためだし
道を誤って暴走したのは間違いないけど、国民をのことを第一に考える王様だったことも間違いないと思う
なのに最後は杖に閉じ込められて地下牢行き、国民はほぼ何もしてない女王を讃え、しかも禁断の書の支配は不可逆……
せめて「しばらく地下路で頭を冷やしていなさい」ぐらいにできなかったのか
国全体として「感謝してるけど暴走は許せぬ」じゃなくて、一気に手のひら返して彼を100%悪者扱いするのが可哀想でならない
今まで彼の努力を間近で見ていたはずの王妃様まで……
マグニフィコ王のおかげでなんだかんだ楽しくやれてたんじゃないの? 王妃様はアーシャたちのところに向かうよりも、夫に縋りついてでも止めるべきじゃなかったの?
彼だって「スター」の一人じゃないの? 一度道を踏み外したら二度とその輪には入れてもらえないの?
「マグニフィコ王」でGoogle検索したら「可哀想」「かわいそう」と候補が出たから同じことを思ってる人も少なくないはず。
誰よりも願いを叶えるために努力してきたのが彼だろうに。「おんぶに抱っこで暮らしてきた自分たちも悪かったよね」って結論にはならないんだろうか。
それ以外のところだと、「アーシャの行動理由の弱さ」と「全体的なキャラの薄さ」が気になるところ。
そもそもアーシャの「私の祖父は100歳まで待ったんだから願いが叶わないなんておかしい!」って考えがおかしいし、キャラクターもここ最近のディズニーのテンプレート通りの「明るく優しい、ちょっとうっかりだけど強い意志と行動力を持った女の子」でしかない。
サビーノの意見を無視して行動するし、迷いもせず自分の家族の願いを最優先で持ち出そうとするし(サイモンのは? 他のみんなのは?)、どこが「優しすぎる」んだろう。
家族は連れて逃げたけど、自分のせいで友人が危険に晒されるかもみたいな心配は一切しないし。
アーシャの友達も7人のこびとをモデルにそれぞれ設定されていることはわかるけれど、それによって物語への関わり方がさほど変わるわけでもなく、あくまで一括りに「アーシャの友達」でしかない印象。
特に「アジア人で、眼鏡で、障害者で、優しく賢い大親友」のダリア。
ここまで要素を盛っておいて、それらがなんの働きとしないという……まぁそれでこそ今時の「ポリティカル・コレクトネス」なのかもしれないけど。
障害がある人にもちゃんと仕事があるロサス、いい国だよね。
クッキー踏み潰すの酷すぎる。
Twitterで見かけた「ダリアの病気を治してほしい、って願いをアーシャの原動力にした方がよかったんじゃないか」という意見に賛同。
全体的に彼らの友情の描写が少なすぎる印象。どういう仲間なのかよくわからないし、そこまで信頼し合っている感じもないし……
何よりも「顔のいいやつはやっぱりダメだ。だからオレはお前らとつるんでるんだ」みたいなセリフがあまりにも直球の逆差別でびっくり。
「魔法がかかると草木も動物も人間の言葉を理解して歌い出す」辺りの「人間中心主義」といい、やっぱりディズニー様の人権意識はどこか歪だよなぁと感じることがしばしば。
とはいえ生田さん福山さん初め吹替の皆様の歌声は素晴らしく、映像もとても綺麗で、2回観たことを後悔することはない素敵な作品ではありました。
皆さんおっしゃっているように、100周年記念のショートムービーも最高!
なんだかんだ言いつつ、これからの作品も楽しみです。
“願い”について真摯さのカケラもない作品
まず最初に。
CMやあらすじで「公式から最恐のヴィランとまでネタバレされているマグニフィコ王はどのように願いを悪用してるんだろう?」「願いの秘密とは一体なんだろう?」と想像を巡らしている未視聴者がいるとしたら、あの、驚かないで聞いてくださいね。
なんと“王は国益になる無害な願いを選んで叶えていた”。たったこれだけです。
これを知った主人公アーシャは憤慨します。国民の願いは全て叶えられるのではないのか?叶わないのならせめて返して。王に願いを奪われたままだなんてこんなのおかしい、と。
しかし、待ってほしい。この国益云々だけが国民には知られていないだけで、願いのシステム自体はアーシャが観光ガイドをしている時の歌で9割くらい説明しちゃっているのである。国民周知の事実があまりに多いので意外性なさすぎて拍子抜けした。
映画の描写で、悪堕ち前の王は他人の願いの力に頼ることなく、自身の魔力のみで国民の願いを月一で叶えていた。平均年12回だ。こんな回数では国民全員の願いは叶う訳ないと察しておいてほしい。算数できないのか、主人公よ。
不特定多数の願いの中から益になる願いを選り好みしている……というのは悪の側面があるのかもしれない。しかし、そこに触れると主人公なんて「弟子にしてもらえば優先的に身内の願いすら叶えてもらえるというウワサを信じきって王に祖父の願いを叶えてと直訴」しているのである。
つまりは、多数ある願いの中で自分の利になる願いを選んでしまっているのは主人公も同じというかまだ国益になるものという王個人ではなく国全体で定義づけしているマグニフィコ王の方がマシまである。
で、主人公は願いたちを見て、おじいちゃんの願いだけ叶えばいい身内贔屓だった己を反省したと思うじゃん?
みんなの願いを解放したいと歌ってスターを降臨させてやることが、王の部屋に忍び込んで身内の願い最優先して盗むことであった…。
映画館で観てずっこけたわ。そこはランダムに取って名も知らぬロサス国民返しとけ!と。身内贔屓続けんな。
王が願いを返さないのも「そもそもこの国に来る人間は、困難に阻まれ努力ではどうしようない願いを抱えているから」「忘れたままの方がいい」という独りよがりで過保護ではあるが、善意からである。
主人公は序盤から故郷を盗人たちに滅ぼされた末裔である王がこの国の安全安心な暮らしを優先させ、願いが壊れるよりは叶わないまま保存されている方が良い、と考えてしまう理由を知っている。
でも別に主人公がそんな王を思いやる気持ちは一瞬たりともありません。
禁書で悪堕ちしても「正体現したね」って態度。
あんまりである。
王が悪堕ちしたのも、一度は禁書を使うのを躊躇った王に国民が願い叶えてクレクレbotと化したからだ。
……これ、いる?
ここはマグニフィコという男は凶悪なヴィランの素質があったと見せる場面なはずだ。しかし、国の危機だと王が話しているのにも関わらず、自分の願いばかり心配し叶えてよを連呼する国民の姿を見せつけられて王は無礼者だ恩知らずだ忘れるな感謝の気持ちと歌いながら誰にも頼れない私が国を守らなければという強迫観念で禁書に手を出すのである。
めっちゃこっちに王の心情を共感させるな。
制作者がいくらイケメンだが傲慢でナルシストのヤな奴だと主張しても作品に間違った形で反映されてしまっているから公式YouTubeのコメント欄でもこのキャラ悪人じゃないで溢れるのである。
正直、物語の起承転結の転の部分である真実掲げのシーンは思い出したくもないので手短に。
クッキー踏むな紫バンダナ。あれで一気にテメーの顔覚えたからな。秒で忘れたけど。
パンフで既婚者であるマグニフィコ王に片想いしていると明言されているダリアが友情と恋心で揺れ動く葛藤もなくもううんざりでしょ!と叫ぶ。
いやー歌の力って怖いね!こりゃ王も封印するわけだ!ガハハ!
悪堕ちしてもなんだかやっていることが手ぬるいマグニフィコ王と、ノーリスクノーコストでスターの力を利用しながら歌で友人や王妃を洗脳じゃなくて仲間にして国家転覆革命を成し遂げようとするアーシャたちの特に盛り上がらない戦いが今始まる――。
悪の王にスターが捕まってピンチ!みんなァ!心のスターは持ったか!?歌、いくぞォ!でスターのチートパワーが高まり王は封印されてやったー!王妃さまバンザーイ!これからアーシャはフェアリーゴッドマザーになります!
……これ、どこが面白いの?
国民が自分の願いは自分で叶えたいと歌ってたけどさあ、ちょっと前まで願いは王に預けたり叶えてもらうのが当たり前のクレクレbotだった癖に、いつ願いが叶わない悲しみや願いが現実によって壊される痛みを覚悟したんだよお前らは。
国のトップが王妃になったけどこっちからすると「時々は厳しい稼ぎ頭な父親を追い出してただ甘やかしてくれる週一パートタイマーの母親だけが残ったニートの家」にしか見えないし、変に昔の時代の地中海を舞台にしているせいで、この先のロサス王国の明るい未来が全く見えない。
こんなので「マグニフィコ王という過保護で独善的だが、その分だけ庇護も半端なかった存在への“別離と自立”」を表現しているのならあまりにもお粗末である。
“願い”を題材にした作品は今までのディズニーだけではなくそれこそ星の数ほどある。
どれも作品の完成度による出来不出来はあれど、願いの素晴らしさだけではなく、叶わない願いを持ち続ける苦しみ、社会的に叶ってはいけない願いを持つことへの是非、願いが叶ってもそれがゴールではなく本人や周りの幸せには繋がらない現実など……そういうデメリットを描きながら作品の制作者なりの願いに対する答えは見させてもらってきた。
だが、この作品はどうだ。願いは想い続けてたらいつか叶うよ☆彡なんてちびっ子でも鼻で笑う主張のみを繰り返している。
自分からマグニフィコ王というキャラクターを使って「叶いそうにない願いを持つ苦しみや痛みをどう解決していくか?もしくはどう向き合って生きていくべきか?」を提示した癖にやることはこのキャラは悪人なんで完膚なきまでに倒しますというズレた話を持ってきて誤魔化している。
パンフで脚本家が「王は願いを単なる思いつきだと勘違いしている(だから願いに傲慢に振る舞える)」という風な一文があったが、作中では主人公に「願いは単なる考えではなく人間の大切な一部なのだ」と最初に教えているのが他ならぬマグニフィコ王なのである。
原作者は原作読め状態である。
こんなんでいい作品になると思う?なるわけないって。
願いの素晴らしさというメリットを伝えるということはそのデメリットにも真摯に向き合うことだ。
しかし、主人公も国民達も願いに真摯に向き合っていたとは到底思えない。
スターパワーで好き勝手やるアーシャに、無邪気というより得体がしれないが妙に王には当たりが強いスター、その場その場の流れで生きているパリピのロサス国民……これで願いの素晴らしさとか言われても困る。
願いは自力で叶えるモノなのか、それとも魔法パワーで叶えてもいいのか。作中それすらあやふやだった。まあ魔法そのものすら否定するとアーシャがフェアリーゴッドマザーとして誰かの願いを叶えたり手助けするのに矛盾するから出来ないのだろうけど。
もう素直に願いが題材のディズニーなら無難にピノキオやアラジン観ようね。
ストーリーの不快さや完成度の低さから星0でもいいと思っているが、それでも一部の曲と福山氏によるマグニフィコ王の理解度が高い演技力は評価したいので星1つ。
追記:間違って繰り返し書いてた単語などを削除訂正しました。レビューで伝えたい中身については変わってないのでよろしくお願いします。
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