「“願い”について真摯さのカケラもない作品」ウィッシュ とっしーさんの映画レビュー(感想・評価)
“願い”について真摯さのカケラもない作品
まず最初に。
CMやあらすじで「公式から最恐のヴィランとまでネタバレされているマグニフィコ王はどのように願いを悪用してるんだろう?」「願いの秘密とは一体なんだろう?」と想像を巡らしている未視聴者がいるとしたら、あの、驚かないで聞いてくださいね。
なんと“王は国益になる無害な願いを選んで叶えていた”。たったこれだけです。
これを知った主人公アーシャは憤慨します。国民の願いは全て叶えられるのではないのか?叶わないのならせめて返して。王に願いを奪われたままだなんてこんなのおかしい、と。
しかし、待ってほしい。この国益云々だけが国民には知られていないだけで、願いのシステム自体はアーシャが観光ガイドをしている時の歌で9割くらい説明しちゃっているのである。国民周知の事実があまりに多いので意外性なさすぎて拍子抜けした。
映画の描写で、悪堕ち前の王は他人の願いの力に頼ることなく、自身の魔力のみで国民の願いを月一で叶えていた。平均年12回だ。こんな回数では国民全員の願いは叶う訳ないと察しておいてほしい。算数できないのか、主人公よ。
不特定多数の願いの中から益になる願いを選り好みしている……というのは悪の側面があるのかもしれない。しかし、そこに触れると主人公なんて「弟子にしてもらえば優先的に身内の願いすら叶えてもらえるというウワサを信じきって王に祖父の願いを叶えてと直訴」しているのである。
つまりは、多数ある願いの中で自分の利になる願いを選んでしまっているのは主人公も同じというかまだ国益になるものという王個人ではなく国全体で定義づけしているマグニフィコ王の方がマシまである。
で、主人公は願いたちを見て、おじいちゃんの願いだけ叶えばいい身内贔屓だった己を反省したと思うじゃん?
みんなの願いを解放したいと歌ってスターを降臨させてやることが、王の部屋に忍び込んで身内の願い最優先して盗むことであった…。
映画館で観てずっこけたわ。そこはランダムに取って名も知らぬロサス国民返しとけ!と。身内贔屓続けんな。
王が願いを返さないのも「そもそもこの国に来る人間は、困難に阻まれ努力ではどうしようない願いを抱えているから」「忘れたままの方がいい」という独りよがりで過保護ではあるが、善意からである。
主人公は序盤から故郷を盗人たちに滅ぼされた末裔である王がこの国の安全安心な暮らしを優先させ、願いが壊れるよりは叶わないまま保存されている方が良い、と考えてしまう理由を知っている。
でも別に主人公がそんな王を思いやる気持ちは一瞬たりともありません。
禁書で悪堕ちしても「正体現したね」って態度。
あんまりである。
王が悪堕ちしたのも、一度は禁書を使うのを躊躇った王に国民が願い叶えてクレクレbotと化したからだ。
……これ、いる?
ここはマグニフィコという男は凶悪なヴィランの素質があったと見せる場面なはずだ。しかし、国の危機だと王が話しているのにも関わらず、自分の願いばかり心配し叶えてよを連呼する国民の姿を見せつけられて王は無礼者だ恩知らずだ忘れるな感謝の気持ちと歌いながら誰にも頼れない私が国を守らなければという強迫観念で禁書に手を出すのである。
めっちゃこっちに王の心情を共感させるな。
制作者がいくらイケメンだが傲慢でナルシストのヤな奴だと主張しても作品に間違った形で反映されてしまっているから公式YouTubeのコメント欄でもこのキャラ悪人じゃないで溢れるのである。
正直、物語の起承転結の転の部分である真実掲げのシーンは思い出したくもないので手短に。
クッキー踏むな紫バンダナ。あれで一気にテメーの顔覚えたからな。秒で忘れたけど。
パンフで既婚者であるマグニフィコ王に片想いしていると明言されているダリアが友情と恋心で揺れ動く葛藤もなくもううんざりでしょ!と叫ぶ。
いやー歌の力って怖いね!こりゃ王も封印するわけだ!ガハハ!
悪堕ちしてもなんだかやっていることが手ぬるいマグニフィコ王と、ノーリスクノーコストでスターの力を利用しながら歌で友人や王妃を洗脳じゃなくて仲間にして国家転覆革命を成し遂げようとするアーシャたちの特に盛り上がらない戦いが今始まる――。
悪の王にスターが捕まってピンチ!みんなァ!心のスターは持ったか!?歌、いくぞォ!でスターのチートパワーが高まり王は封印されてやったー!王妃さまバンザーイ!これからアーシャはフェアリーゴッドマザーになります!
……これ、どこが面白いの?
国民が自分の願いは自分で叶えたいと歌ってたけどさあ、ちょっと前まで願いは王に預けたり叶えてもらうのが当たり前のクレクレbotだった癖に、いつ願いが叶わない悲しみや願いが現実によって壊される痛みを覚悟したんだよお前らは。
国のトップが王妃になったけどこっちからすると「時々は厳しい稼ぎ頭な父親を追い出してただ甘やかしてくれる週一パートタイマーの母親だけが残ったニートの家」にしか見えないし、変に昔の時代の地中海を舞台にしているせいで、この先のロサス王国の明るい未来が全く見えない。
こんなので「マグニフィコ王という過保護で独善的だが、その分だけ庇護も半端なかった存在への“別離と自立”」を表現しているのならあまりにもお粗末である。
“願い”を題材にした作品は今までのディズニーだけではなくそれこそ星の数ほどある。
どれも作品の完成度による出来不出来はあれど、願いの素晴らしさだけではなく、叶わない願いを持ち続ける苦しみ、社会的に叶ってはいけない願いを持つことへの是非、願いが叶ってもそれがゴールではなく本人や周りの幸せには繋がらない現実など……そういうデメリットを描きながら作品の制作者なりの願いに対する答えは見させてもらってきた。
だが、この作品はどうだ。願いは想い続けてたらいつか叶うよ☆彡なんてちびっ子でも鼻で笑う主張のみを繰り返している。
自分からマグニフィコ王というキャラクターを使って「叶いそうにない願いを持つ苦しみや痛みをどう解決していくか?もしくはどう向き合って生きていくべきか?」を提示した癖にやることはこのキャラは悪人なんで完膚なきまでに倒しますというズレた話を持ってきて誤魔化している。
パンフで脚本家が「王は願いを単なる思いつきだと勘違いしている(だから願いに傲慢に振る舞える)」という風な一文があったが、作中では主人公に「願いは単なる考えではなく人間の大切な一部なのだ」と最初に教えているのが他ならぬマグニフィコ王なのである。
原作者は原作読め状態である。
こんなんでいい作品になると思う?なるわけないって。
願いの素晴らしさというメリットを伝えるということはそのデメリットにも真摯に向き合うことだ。
しかし、主人公も国民達も願いに真摯に向き合っていたとは到底思えない。
スターパワーで好き勝手やるアーシャに、無邪気というより得体がしれないが妙に王には当たりが強いスター、その場その場の流れで生きているパリピのロサス国民……これで願いの素晴らしさとか言われても困る。
願いは自力で叶えるモノなのか、それとも魔法パワーで叶えてもいいのか。作中それすらあやふやだった。まあ魔法そのものすら否定するとアーシャがフェアリーゴッドマザーとして誰かの願いを叶えたり手助けするのに矛盾するから出来ないのだろうけど。
もう素直に願いが題材のディズニーなら無難にピノキオやアラジン観ようね。
ストーリーの不快さや完成度の低さから星0でもいいと思っているが、それでも一部の曲と福山氏によるマグニフィコ王の理解度が高い演技力は評価したいので星1つ。
追記:間違って繰り返し書いてた単語などを削除訂正しました。レビューで伝えたい中身については変わってないのでよろしくお願いします。