「人魚は涙を流せない。だから余計につらかった」リトル・マーメイド 神社エールさんの映画レビュー(感想・評価)
人魚は涙を流せない。だから余計につらかった
元の原作である人魚姫は未読でロブ・マーシャル監督作品を観るのも初めて。
ディズニープリンセスの作品は『白雪姫』、『シンデレラ』、『眠れる森の美女』、『リトル・マーメイド』、『美女と野獣』、『アラジン』、『アナと雪の女王』、『モアナと伝説の海』を観賞済。
ただ、『アナと雪の女王』以前の作品を観たのは20年くらい前なのであらすじ以上のディティールはほぼ忘れてる状態。
『リトル・マーメイド』以前に公開されたディズニープリンセス作品の実写版は、どうしても他の新作映画と比べて大まかなあらすじを知っている分観賞の優先順位が低く観る機会を逃してた。そんな中でリトル・マーメイドでハリー・ベイリーさんがキャスティングされ、個人的には特に気にならなかったものの”自称リトル・マーメイドファン”を語る人達がキャスティング発表の時点でバッシングをしているのを知った。
今までそういう”原作と違う!”みたいな批判を(公開前から)受ける作品を実際に観てみると実際に受けた印象と乖離していた経験や、そういう作品が如何に良い作品でも観ていない人達のヘイトスピーチを受けると劇場へと向かう足が遠のく(そして後々レンタルや配信で観て後悔する)経験も多く、本編を全て観ない状態で評価を下すことの危うさを知っているので実際に(公開されてなるべく早めに)観た上で感想しようと思い、公開初週に字幕版を観に行った。
観終わって個人的に思ったのは”差別と復讐”って重いテーマが根底にありつつ、エンターテイメントムービーとして子供たちが観ても楽しい一作に仕上げてあったことだった。
”海の世界”と”陸の世界”をアニメーション版ではなかった分断された人々(かつ主役の2人以外は基本的に歩み寄ろうとしない)として描いていることで、今の世界を暗喩しているように見える描き方だった。
それはトリトン王の娘である姉妹がそれぞれの海の世界出身なのを表すキャスティングや、序盤の”妙なジンクス”があるからとの理由で人魚を船上から銛で突こうとする船員、今回追加された沈没船の残骸で珊瑚礁が傷ついたシーンや、アースラは海の世界でも虐げられた存在として描いている部分(マイノリティの中でも差別や迫害がある)、アリエルが覗き込むシーンが多い(陰に隠れているマイノリティを暗に示している)こと、アリエルやアースラの正体が露わになるシーンで恐怖する(表情に見えた)披露宴の客など、”エンターテイメント”にはなってるけど”ただのおとぎ話”じゃなく、道徳の授業で使って良いんじゃないかと思うくらい観終わった後に現実の問題を考えるきっかけになる良い作品だと思った。
また、相手に対して歩み寄る気持ちが無いのも分断の理由として描かれてるようにも感じた。
劇中、食事の際に出されたフォークを間違えてクシの様な使い方をしたアリエルに対して、地上の人間は不可解なものを見るような訝しんだ目つきで見ていたけど、最近SNSでよく見る躓いたような小さな失敗に対してまるで鬼の首でも取ったかのように拡散する風潮や、失敗した人間に対するセカンドチャンスを許さない風潮、そしてまさにこの作品に対してもあった観る前からヘイトスピーチを吹聴する風潮を、かなり希釈して描いてるように感じた。
エリザベス女王のフィンガーボールのエピソードでもあったけれど、本当の識者は客人に不愉快な思いをさせないためにマナーを相手に合わせるのが、お互いの距離を埋める一番の方法なんじゃないかな。
その後に(元々外の世界を知ろうと船に乗って旅してきた)エリック王子が声が出せないアリエルの為に図鑑や地図を読んだり話して聞かせるシーンが入ったのが、問題に対しての解決方法を表していて観客としてもアリエルがエリック王子に惹かれる十分な理由づけになってたと思う。
そして最後に2人が結ばれ、帆船じゃなくヨットで漕ぎ出すところは2人がどちらかの世界に片寄るんじゃなく、どちらの世界も見据えた上で新たな世界に漕ぎ出していくように見えて素晴らしかった。
冒頭シーンでの「人魚は涙を流せない。だから余計につらかった」って原作の一文は、冒頭見た時点では”海の中では涙はすぐに水中に溶け込んでしまう=それぞれの世界の常識とその常識を覆せない悲しみ”だと思ったけれど、最後まで観てみると涙を流せないアリエルが初めて涙を流すのが”悲しみ”じゃなく、トリトン王がアリエルと分かり合い二人の旅立ちを祝福したことによる”喜び”の涙だったのが、それぞれの世界の常識もお互いの融和や理解しあうことで覆せるってメッセージに感じられた。
ディズニーがアンデルセンの『人魚姫』から『リトル・マーメイド』をアニメーション映画として制作する際に再解釈され、そこから『アナと雪の女王』や『モアナと伝説の海』、『アナと雪の女王2』で変わっていくプリンセスを描いていった今のディズニーたからこそ描ける『リトル・マーメイド』になっていたと思う。
人種やマイノリティへの差別と差別に対する復讐は、去年公開された『ブラックパンサー ワカンダフォーエバー』にも繋がるテーマ性で、ここ数年公開されている中でも『アクアマン』、『ブラックパンサー ワカンダフォーエバー』、『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』など海の世界を描いた作品がよく公開されるのは、CG技術の発展はもちろんのこと(制作自体が数年前なのに示し合わせたように同じようなタイミングで公開されるのは)”分断”が今現在世界の問題として描かなければいけないと各々の監督が思ったからだと思うし、後々になっても重要なポイントとして語られるタイミングなんじゃないかと感じた。
役者陣はアリエル役のハリー・ベイリーさんの歌声は言わずもがな、純粋さやおてんばな感じも素晴らしかったと思う。
個人的にはトリトン王役のハビエル・バルデムさんが(おそらくノーカントリー以来観たこともあってか)アニメーションでのトリトン王よりも前半の恐さが出ているように感じた。
逆にアースラ役のメリッサ・マッカーシーさんは今まで観てきた作品(ゴーストバスターズ、デンジャラス・バディ)のイメージやアースラの描き方も変わってたのもあって、恐ろしさよりも元々持っていたであろう愛らしさやトリトン王からの迫害に対する怒り、復讐心をより感じた。
エリック王子役のジョナ・ハウアー=キングさんもアニメーション版より出番が増えたことで素晴らしい歌声やただのヒロイン的な立ち位置では無いアリエルとの対等な関係性が上手く出てたと思う。
セバスチャンやスカットル、フランダー役のダビード・ディグスさん、オークワフィナさん、ジェイコブ・トレンブレイくんも素晴らしかったんだけど、オークワフィナさんとジェイコブ・トレンブレイくんは出演映画を観たことがあるからかキャラクターの後ろに姿が見えそうになるくらい印象的な演技でとても良かった。
アニメーション版のリトル・マーメイドを観返さずに観に行ったので、自分の記憶の中の印象よりもミュージカルシーンの進化と、実写×CGだからこそのファンタジー感の強化がより感じられた。
序盤の『Part of Your World』は予告編ではラストのフレーズのみ使われていたけど、ハリー・ベイリーさんの楽しくも力強い、地上の世界への憧れも感じさせ観客の心を序盤でガシッと鷲掴みする素晴らしい歌だったし、『Under the Sea』は普段(水族館などによく行く人でなければ)見ない海の中の生き物たちのカラフルさ、二足歩行する生き物がいないのに巧みに擬人化されていたり、クライマックスで規則的に集まったさまがまるで素晴らしい模様になっているのは、CGで描けるようになった今だからこそのシーンになっていてかなり好きだった。
個人的には和傘のような動きをするクラゲ?がいたのが嬉しかったけど、ロブ・マーシャル監督作品『SAYURI』の影響があったのかな、と思った。
全ての楽曲がレベル高いのは言わずもがななんだけど、個人的にはこの作品で追加されたジョナ・ハウアー=キングさんの『Wild Uncharted Waters』やダビード・ディグスさんとオークワフィナさんの『The Scuttlebutt』も、その楽曲目当てでもう一度観たいくらいとても好き。
youtubeで上がってる楽曲のサンプルを聴いているとサウンドトラックも欲しくなってくるくらいで、アラン・メンケンさんとリン=マニュエル・ミランダさんが手掛けた他の作品の楽曲も観て聴きたくなった。
2回目は吹替やIMAXなどの音響が良い場所で観たいな…。
もちろん、全てが最高!!って訳じゃなく(先にライアン・クーグラー監督やジョーダン・ピール監督を通ったってのもあって)白人監督が撮るのは説得力弱くなっちゃうんじゃないかって懸念点はあった。
でもロブ・マーシャル監督の過去作を観たことがないので観たらまた印象は変わるかも。
観賞後に、アニメーション版を改めて観直してみた。
もちろんアニメーション版を下敷きに脚本を作っているからってのはあるけれど、アニメーション版は(あらすじしか覚えてなかったのもあって)話の筋が荒々しく、メッセージとしても前時代的過ぎるように感じられた。
セバスチャンの指揮の説明や、アリエルがエリック王子を救った後の岩場での歌のシーンなどアニメーションだからこそ飲み込みやすいところもあったけれど、アリエル以外の七姉妹が文字通り空気のような存在になっていたり契約書を署名しているのに筆談をしないシーンなどの作劇上の意味をなしていないシーンや、海の世界の人魚や陸の世界もが全て白人なのは"白人以外はいないもの"として描いてるようにも見えて不自然に感じたし、巨大化したアースラに沈没船を追突させるのがエリック王子のシーンやアースラが前時代的なヒロインのようになればいいとアドバイスするシーンは男女平等を掲げている今現在魅力的に映るかと言うと疑問にも感じる、セバスチャンを八つ裂きにしようとするシェフのシーンやアリエルとエリック王子が旅立っていくシーンが帆船に乗り込んで(カットはされてるかも知れないけれど)家族や海の世界の者たちに目もくれないシーンは、もし今そのままで映画化されていたらそれこそ総スカンにあっていてもおかしくないシーンになっていただろうし劇場を爽やかな気持ちで出れなかったと思う。
もちろん、リアルタイムやそれ以後にアニメーションで観て素晴らしいと思った人達のその思った気持ちや、その時アニメーション版を作ったクリエイターが悪いとは1ミリも思わない(セル画とは思えないほどの枚数を描いて躍動感を表してるように感じたし)けど、日本の昔話も元の話と今の話に差異があるように物語が時代に合わせてアップデートしていくことは必要だし、それに対して頑なに拒否感示すのは、それこそ劇中のトリトン王のような分からず屋な気がする。