「今のディズニー、アリエル? アリエナイ?」リトル・マーメイド 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
今のディズニー、アリエル? アリエナイ?
いやはや困ったものである。
キャスティングが…じゃなくて、
地元の映画館ではここ数年、ディズニー作品(マーベルなども含めて)が上映しない。昨年一時だけ久々に上映したが。
おそらく原因は、コロナ禍に於ける配信を巡ってのディズニーと全興連のいざこざ。
おまけに最近ディズニーはDVDやBDのレンタルをしていない。セルのみ。
今ディズニー作品を見るには、劇場に観に行くか、購入か、ディズニープラスの配信しかない。
ちなみに私のスマホ(au)からはディズニープラスに入会出来ない。
よって、劇場に観に行くしかない。地元の映画館では上映しないから、わざわざ隣町の映画館まで。
やれやれ困ったものである。
かつてのように当たり前のようにディズニー作品が地元の映画館で上映され、観に行ける事はもうないのだろうか…?
頼みますよ、郡○テ○トルさんよ!(それでなくとも上映本数少ないし…)
今年100周年のアニバーサリーのディズニー。
ここ数年、不振が続く。『ラーヤと龍の王国』『ミラベルと魔法だらけの家』など良作もあったが、昨年は『バズ・ライトイヤー』『ストレンジ・ワールド』が大コケ。『ストレンジ・ワールド』なんてポリコレ云々以前に作品自体がディズニー作品歴代ワーストレベルのつまらなさだった。
この続く不振と手腕の不評もあって、CEOが解任される事態に。
前CEO時代の2019年、同社歴代最高の業績を記録。もうディズニーの天下はやって来ないのか…?
そんな中迎えた100周年アニバーサリー。
現在のディズニーの巨大帝国を築いた前CEOが復帰。
ディズニーの威信を懸けた、絶対にコケられない勝負年。
その先陣を託されたのは、まさかまさかこの作品がまた担う事になろうとは…!
1989年、ディズニー第二の黄金期を開いた『リトル・マーメイド』。
ディズニーにとっても久々のプリンセス物。これぞディズニーと言うべき王道と魅力いっぱいで、世界中で大ヒットを記録。アカデミー作曲賞と歌曲賞も受賞。
今見ると難点やツッコミ所も目立つが(全く自立性のないヒロイン像、世間知らずのバカ娘、自分の愚かな判断のせいで最悪の事態を招く、にも関わらず最後はラブ&ハッピーエンド、人魚は全員白人だけ…)、名作として今も尚愛され続けている。
その“話題”の実写リメイク。
アメリカでは昨年までの不発を払拭する会心の大ヒットスタート。
中国や韓国では不調が伝えられているが、その他の国でも軒並み好調。さて、日本では…?
これだけでもディズニーは安堵した事だろう。
それに見合った成果はあったと思う。
さすがのクオリティーとビジュアル。
実写では表現が難しい海の中。ましてや人魚の世界。
ファンタジーとリアルの狭間。相当苦労したであろう。
海上の近くでは陽光差し込み、本当に海のファンタジー世界に相応しい美しさ。
遊泳シーンの心地よさ。人魚になってお魚さんと一緒に海を泳ぎたい…そんな夢を叶えさせてくれる。
アリエルの魚部分の光沢や尾ビレのヒラヒラ感などは見事。
が、ひと度深く潜ると、結構暗く…。まあ実写(リアル)なのだからそうなるのは当然だが、アニメのような終始ファンタスティックに…とはならない。
セバスチャンやフランダーやスカットルもリアル。それでも最大限デフォルメはされているが、さすがにアニメのような愛らしさはない。
リアルなカニや魚や鳥が喋るんだから、ある意味ホラー。ま、こればっかりは仕方ないが…。
90分弱だったアニメ版の尺から、130分超えの長尺へ。
より丹念な心情や描写で補完。
アリエルもエリックもアニメよりキャラ像をしっかりと。
アニメではアースラとの契約の際、ほぼ流されるままだったが、本作ではいったん拒むなど、ただの夢見少女だけではない。
エリックはアニメ版ではなかったミュージカル・シーンが設けられたり、これまたアニメ版では居なかった母君が登場するなど、特にキャラの描き込みが追加されたと言えよう。だってアニメのエリック、単なる理想のハンサム王子にしか過ぎなかったし。
アニメでは時に印象残らなかったエリックに仕えるグリムズビーもナイスなキャラに。
ここら辺の新解釈は実写リメイクならではだろう。
実写ならではと言えば、序盤の船沈没シーンやアースラの魔力、クライマックスの巨大アースラなどは、スペクタクル感やスケール感や迫力は増し。
まあその分尺が伸び、飽きはしないが、ちとアニメに比べ長さや間延び感も否めないが…。
音楽は引き続きアラン・メンケン。やっぱり、この人が担当してこそ。
リン=マニュエル・ミランダも参加。
ディズニーの新旧御用達作曲家、夢のコラボ!
有名曲も復活。「パート・オブ・ユア・ワールド」は美しいし、「アンダー・ザ・シー」の楽しさは変わらない。これらを劇場大スクリーンで聞けただけでもめっけもん。
新曲もいい。声を奪われたアリエルの心の声を代弁すらも。
ディズニー作品に於いて音楽は如何なる場合も“ハート”だ。
ビジュアルや音楽については一通り語ったので、いよいよこの“話題”に触れたいと思う。
アリエル役に抜擢されたハリー・ベイリー。
本業は歌手。姉との姉妹デュオで人気になり、ディズニーのTVシリーズで女優活動も。本作が初の大役で初の主演。
まさに彗星の如く現れた大型新人!…と注目の的だが、その“注目”は別の意味でも。言わずもがな。
実際見た限りの私の印象は…
最初はやはり違和感を感じた。やっぱり、ねぇ…。
でも確かに、歌声は素晴らしい。普段ディズニー作品は吹替で見る事多いが、彼女の歌声がどんなに素晴らしいか聞きたい為に、今回は字幕で見た。
純粋に歌声と魅力で選んだ。ディズニーのその選出理由に嘘偽りはないだろう。
魅力もあり、当初の違和感は薄れていった。
が、完全払拭とまではいかなかった。と言うのも…
アニメのアリエルって確かに世間知らずのバカ娘だが、それでもあの愛嬌やくるくる変わる喜怒哀楽の表情が愛らしかった。ハリー・ベイリーも頑張ってたけど、ちと乏しかったかな。まあ、アニメのような表情やリアクションをしろなんて無理な話。それが出来るのはジム“グリンチ”キャリーくらい。
それからアニメのアリエルのもう一つの魅力は、ボリューミーな赤毛。今回はハリー・ベイリーの“人種”に合わせてかドレッドヘアになってたけど、これは監督やヘアメイクの意向なのかな…? だとしたらこれもステレオタイプの押し付けに過ぎない。ヘアなんてやりようによっては再現出来るし。
総じて、言われるほど悪くはなかった。歌声は素晴らしいし、魅力もあった。が、以上の二点からアニメほどの魅力には至らなかったのが本音。
キャスティングが発表されて以降、何かと言われ続けている。言いたい気持ちは分からなくもないが、中には作品を見もしないで貶す輩がいる。せめてちゃんと見てから言おうよ。見れば何言おうとこっちのもんだし、そもそも見ないで貶すのは作品や関わった全ての人たちに失礼。言語道断。
こんな心ない誹謗中傷を知ったら、ハリー・ベイリーも泣くよ。日本に失望するよ。
アリエルの黒人化もさることながら、他に気になった点が幾つか。
アニメでは人魚は皆、白人。さすがにこれはダメだろうと、今回はほとんどが黒人やアジア人やラテン系など、寧ろ白人がいないくらい。アリエルの姉も人種様々で、一応“七つの海の娘たち”という設定だからこれはこれでありつつ、アリエルの黒人化以上に昨今のディズニー印のポリコレ意識が濃すぎる。ラストシーンの人魚と人間の垣根を越え、多様性に溢れた世界は一つ…というメッセージは素敵だが、昨今のディズニーのやり口からあざとさもうっすら感じる。
アニメでは登場しなかったエリックの母君。エリックは白人なのに、母君は黒人。何で…? エリックの「元々王家の人間じゃない」って台詞から察するに、養子とか何かしらの設定あるんだろうけど、何故ここを変える必要ある…? ストレートに王家の子供じゃいけないの…?
女王の実子だったら、エリックも黒人にしなければならない。でもそうしたら、黒人少女と白人イケメンの“ラブストーリー”が描けない。また、女王がエリックと同じ白人だった場合、そういう位に就けるのは結局白人だけ…なんて言われるだろう。おそらくディズニーの狙いはこれらにもあるだろう。個人的に、こっちの方こそ指摘すべき点だと思った。
スカットルの声はアジア系のオークワフィナに。ラップ調の歌は良かったけど…。
アニメでは音楽家のセバスチャン。本作では執事長に。音楽家だからこそ「アンダー・ザ・シー」やボートのランデブーのロマンチックな即興演奏が活かされたのに、そこも変える必要ある…?
メリッサ・マッカーシーのアースラ。今他に考えられないくらいのぴったりのキャスティング。さすがのコメディエンヌぶりと存在感。ある理由から一部のドラァグクイーンから批判が起きているというが、その理由にメイク担当がうんざりするのも分かる。確かに「バカバカしい」。(アースラはドラァグクイーンをモデルにしたキャラなのに、メイク担当にドラァグクイーンがいないという理由)
作品の魅力や楽しさより、こういう点ばかり指摘される。
もうディズニー作品は純粋に見れないのか…?
見る側の意識の問題でもあるし、ハリウッド/ディズニーの過剰なポリコレ意識の問題でもあると思う。
ハリウッドで長らく問題視されていた“ホワイトウォッシング”。
これ、何でもかんでも白人ばかりって問題もあるが、ちゃんとオリジナル通りやろう。オリジナルを尊重しようって事だとも思う。
だから『アラジン』のオリジナルを尊重したキャスティングは良かった。『聖闘士星矢』でさえ主役に日本人を起用した。
非白人を白人にするのはダメ。
なら、元々白人の設定を変えるのはOKなのか…?
非常に矛盾を感じる。私が気になるのは、この矛盾一点のみだ。
ディズニーでは『リロ&スティッチ』や『モアナと伝説の海』の実写リメイクが企画されているが、もしその時、人種が変わったら…?
今のディズニーがそんな事絶対する訳ないだろうが、今回みたいに“純粋に歌声と魅力で選んだ”と“変わった”場合、納得するだろうか…?
間違いなく、人種差別だ!何故白人に変わる?…と、大炎上するだろう。
それは本作だって同じ。ディズニーやハリウッド業界、評論家たちにとっては誇らしい多様性アピールだろうが、反して声を上げているのは、何も人種を差別したいからではない。
オリジナルを愛しているからこそ。
皆が愛したオリジナルのイメージを崩したくないから。
例えば、今大ヒット中の『マリオ』。もしディズニーで映画化されていたら、ピーチ姫が黒人になっていたり、ルイージがゲイキャラになっていたかもしれない。…いや、なっていただろう。今のディズニーならやりかねない。
誰だって好きなキャラのイメージは変わらず、そのままであって欲しい。
私の今回の『リトル・マーメイド』の意見はどちらかと言うと、否定派寄りだ。そんな私の意見も“差別”に当たるのだろう。それは甘んじて受け入れる。でも…
ディズニーの押し付けがましいポリコレは確かにうんざりだけど、黒人のアリエルが嫌なんじゃない。
オリジナルを尊重して欲しい。これが私の本音だ。
あれこれ色々書いていたら、今のディズニーの立場には少々同情も禁じえない。
ポリコレのアピールを躍起になる余り、おそらくディズニーは今後、主役に白人や白人キャラを設定する事が難しくなるだろう。
もし白人にした場合、また人種差別だのホワイトウォッシングだのって言われるに決まってる。
だからずっと、ポリコレを意識しなければならない。ひょっとしたら今後製作される『トイ・ストーリー』や『アナと雪の女王』の新作だって、キャラ設定が突然変わってるかもしれない。その時ディズニーは、キャラの必要性に応じて…なんて抜かすかもしれない。
そんなディズニー、アリエル? アリエナイ?
そんなしがらみにモヤモヤせず、またかつてのようにディズニー作品を純粋に楽しめる時はもう来ないのだろうか…?
近大さん
初めまして。レビュー読ませていただいて共感しました。
人種差別を取っ払うんなら、モアナを白人俳優が演じたら良いんですよ。
やっぱり物語の舞台となった土地の特色とかあると思うんですが、それも認められない多様性ってなんなの?って疑問です。
私は、ポリコレの定義をキチンと理解できていないのですが、ある特定の人種の起用について、数量的なバランスだけで差別的とされているような、或いはそういうことにされてしまうという風潮が、もしあるのなら、なんだか本末転倒な気がします。やれやれです。
炎上が怖くて、映画を作る人たちが心配を先取りし過ぎなのでしょうか。