「なんとなく、年齢不詳の「ぼったくり風俗」にひっかかったような敗北感……(笑)」神回 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
なんとなく、年齢不詳の「ぼったくり風俗」にひっかかったような敗北感……(笑)
7月は仕事が忙しくて、久々の映画鑑賞。予告編以外の予備知識ゼロ。
シネマカリテのレイトショーで観てきました。
観客は全部で15人くらいで、大半が若者。
うーん、これ、なんていったらいいんだろうなあ。
とても意欲的な作品だし、こういう邦画はぜひ応援したいとは思うんだけど……。
なんか……俺の観たかった映画じゃなかったや(笑)。
ほんと、すいません。
「タイムループ青春映画」と銘打たれた映画で、
あの予告編を観て、内容が気になって足を運んだ人間にとって、
後半の「アレ」は、果たして観客の期待に添う演出なのか。
少なくとも僕は、入口のカワイ子ちゃんの写真に惹かれて入った風俗で、とんだババアをつかまされたような、あるいは好みのパッケージで選び抜いて借りたアドルトヴィデオをいざ再生したら、中身が「大正生まれのAVギャル」だったような……
そんな、超ヤバい地雷を踏まされたような気分になりました(笑)。
(ほんと下品なたとえで申し訳ない。いやもちろん、そんな店とか入ったことないんですよ、マジで。あくまでも想像ですw)
たぶんね、そういう話になると最初からわかって観てたら、そこまでの忌避感、精神的ブラクラ踏んだ感は、もしかしたら感じなかったのかもしれない。
でもこちらは、観始める前から「青春映画」の「口」になってしまっているのだ。
甘酸っぱくて、若やいでいて、爽やかで、胸にキュンと来るような。
そういう若者たちの青い春を堪能したくて、僕は映画館に座ったのだ。
それがまさか、終盤、あんなしろものを食わされる羽目になるとは……。
うーん、ワイプして「アレ」に切り替わった瞬間は、けっこうホラーだったなあ。
しょうじきその後は、『食人族』よりなお恐ろしいものを、延々観させられた気分だった。
誠実につくられた映画であることは、よく伝わってくる。
主役の二人も、心を込めて演じているのはよくわかった。
(主人公の樹くんは若干「怪演」ぎみだが、ヒロインの恵那ちゃんはマジ天使)
一見すると「人生で一番の神回だった瞬間」を繰り返す物語に見えて、
その実「人生で実際には起きなかった神回」を繰り返す物語だというのも、実に切ない。
あと、この内容の映画に『神回』というタイトルをつけたのは、マジで素晴らしい言語感覚だと思う。良タイトルだ。
本来なら、こういうアイディア勝負の邦画は、僕も前向きに評価したい。
でも、全体の作りや、終盤の仕掛けについては、僕個人としてはやはり受け入れがたかったとしか言いようがない。率直に言って、趣味が合わな過ぎた。
たぶん、監督さんの「良いと思うところ」や「感動する回路」と、ぼくのそれにズレがあり過ぎるんだろう。
本作を観て心から感動した人もたくさんいらっしゃるだろうから、そういう方は単純に気が悪いと思うので、以下のいちゃもんは無視して、決してお気になさらないように。
― — —
そもそも、出だしの時点で「いやあ、それやっちゃあ絶対ダメでしょう!?」ってすごく思っちゃったんだよね。
だから、気分的にその後も評価があがりにくくなっちゃった部分は、間違いなくある。
なんのことかというと、
冒頭の、病院で寝たきりの老人が昏睡しているシーン。
ええ?? それ、最初に見せちゃっていいの???
マジでここから始めて、監督的に「OK」なのか??
だってそんなことしたら、ここから起きる話は全部『実は脳内ネタ』だって、大音声でバラしてるのとほぼ一緒じゃないの?
しかもいざ観てみたら、ブラフでもなんでもなくて、実際にそういう話だったし。
「不思議な現象」で前半を引っ張る映画で、
そのネタばらしを冒頭でやっちゃうのって、
方法論として果たして「あり」なんだろうか?
僕にはぶっちゃけ、そうすることで何かプラスの効果があったようには、どうしても思えない。
よって当然ながら、肝心の「5分ループ」が
個人的には全然楽しめなかったんだよね。
最初から、5分ループの「不思議な出来事」は、
僕のなかでは不思議でもなんでもなかったし、
教室から脱出できようが、できまいが、
生徒会にたどり着けようが、つけまいが、
飛び降りて生きていようが、死んでいようが、
ヒロインを性的に襲おうが、襲うまいが、
正直どうでもいい気分でしか、観られなかった。
だって、どうせ「夢落ち」なんだもの。
そのへん、たとえば似たような趣向の映画でも、『ア』で始まって音引きで終わる映画とか、『シ』で始まって『ド』で終わる映画とかは、ネタの隠し方と真相の明かし方、ジャンルチェンジの衝撃度とそのタイミングなど、本当に良く出来ていたように思う。
その点、『神回』の手つきはあまりにも素人じみていて、無防備すぎる。
冒頭でネタばらしすることに何らかの意図があるのかもしれないが、僕にはその意図が皆目わからなかった。
ループ中の種々のイベントに関しても、なんとなく引っかかる部分が多かった。
なんで上履きを下履きに履き替えてから外に行かないのかとか、
携帯持ってるのになんで外部とか家とかに連絡しないのかとか、
写真や動画を撮って次のループに持ち越そうとしないのかとか、
恵那がやろうとしている行為を事前に予測することで、ループ現象を信じさせようとする試みをなぜしないのかとか、
毎回必ず起きることとランダムに起きることの区別/場合分けをして、「ループの法則」を探ろうとなぜしないのかとか(実際、恵那のリアクションは結構バラエティに富んだ変化を見せる)、
総じて、きちんと「タイムリープもののお約束」をこなしていない分、いろいろと設定に隙が多くなっている印象はいなめない。
あと演出面で言うと、「最初のループ」はやっぱり、「きっちり正味5分でリアルにやったとわかるように見せた」ほうが、ずいぶんと効果的だったと思うんだけどなあ。
そのあとの「ループ」も、同じことのリフレインを延々する箇所と、省略・カットする箇所のバランスがあまりよくないので、観ていてどうも居心地が悪いというか、やり口が素人臭く感じる。
他にも、言いたいことはいろいろある。
ゲームのNPCのように、ただ上履きを履いていないというだけの理由で、何度も何度もタックルを仕掛けてくる教師も、あまりに張りぼてキャラ感が強すぎるし、
生徒会長の居丈高な絡み方や言い回しも、なんだか低予算のラノベアニメみたいだし、
どんだけループのあいだに年を寄せていたとしても、白髪や目じりの皺に気付く前に顔が大人のそれに変わるわけで、いくらなんでも気づきそうなものだし。
終盤の「メタモルフォーゼン」も、最初から言っているとおり、なんだかえらいゲテモノを見させられているような感覚で、およそ「感動」からは程遠いものだった。
見舞いに来た婆さんが、いけしゃあしゃあと「あたしのこと好きでいてくれたのね」とか自分の口で言ってるのも、猛烈な違和感があったなあ。
へんな格好をした医者のうろんな雰囲気も、なんでそんなキャラ設定にしているのかいまひとつ理解できなかった(最初は延命治療してるんじゃなくて、安楽死専門のドクター・キリコみたいなやつかと思った)。
中盤から出てくる現実世界の方の「甥っ子」が、しきりにべろべろ泣きながら、うそ寒い調子で叔父さん愛を述懐してるのも、ふつうに気持ち悪い。
そもそも甥っ子と奥さんの出てくるシーンの寸劇感が、全体にバラエティ番組の再現ドラマみたいで、かなりダサいんだよな……。
甥っ子いわく、叔父さんには良く育ててもらったというのだから、叔父さんは最近まではふつうに元気だったのだろう。
ということは、監督は敢えて「余命のつきかけた老人が、延命治療中の死の床で、十代の頃に告白できなかった初恋の、うまくいったヴァージョンのifの『神回』を、延々脳内リフレインしている」という、猛烈に童貞くさくて執念ぶかい、生臭い「箱庭もの」に物語を仕立ててみせたわけだ。
話としては、若くして倒れて、ずっと同じ青年期の夢に囚われているといった設定のほうが、よほど綺麗でロマンティックな気もするのだが……。いやまあ、いいんだけどね。
あと結局のところ、「この老人がどのタイミングで、何をきっかけに、このループの夢を見始めたのか」が今一つ観ていてよくわからないのも、なんとなく気分の収まりが悪い理由のひとつかもしれない(少なくとも「映画が始まってから」ループはスタートしているはずなのだが、冒頭の病室で何か特別なことが起きたような気配がない)。
ラストのプロジェクション・マッピングも、感動的だったかと言われると、あんまり僕の胸には響かなかった、としか言いようがない。
致命的なまでに勘所を外した、Keyゲー「もどき」のラストの畳みかけ演出を、無理やり見させられているような……。
だいたい、勝手に自分の脳内で都合よく捏造してた「偽記憶」を、壮大なプロジェクション・マッピングで走馬灯のように見せられてもなあってのもある(笑)。
例えば、Keyゲーの場合は、実際に少女の身に起きたことの記憶のフラグメントが、最終盤に畳みかけられるからぐぐっと泣けるわけだが、ここに出てくる樹くんの場合は、少年の存在自体がそもそも虚像に過ぎないわけだし、彼がここで経験していることも、実際は単なる年寄りの見ている夢に過ぎないんだもんなあ。
ケツのむず痒いような気分でもじもじしながら、そろそろいい加減終わりにしてくんねえかなと思いつつ、半笑いで観る感じになってしまい、我ながら本当に申し訳ない。
たぶん、終盤の展開に全くハマれなかった大きな理由としては、以下の点が挙げられるだろう。
●死にかけの老人が見ている夢のなかで、永遠に続く青春の軛から敢えて逃れて、彼女と二人リアルによぼよぼになるまで年を寄せることに、積極的かつ前向きな意味を個人的には見いだせなかったこと。
●老人どうしがわちゃわちゃしている絵面自体が、僕には単純にグロテスクなものにしか思えなかったこと。
●老人が夢見た「二人だけの閉じた世界」の物語に、甥っ子と嫁のリアル勢力が介入してきて、延命がどうのこうのといった社会派的な観点をぶっこんで来るのに耐えられなかったこと。
●タイムループを体感的に認識しているのは樹爺さんだけのはずなのに、ラスト付近だけ恵那婆さんがやたら共感性の高い行為を取っていることへの違和感(ご都合主義の香りがする)。
個人的には、同じ話を語るにしても、現実パートは「ほんのツマ」程度でよかった。
そして、ここで描かれているのが実は全て老人の夢だというのは、ベッドすら映さず、分かる人にだけ分かるくらいの曖昧さで、ただぼんやり呈示するだけでも十分だった気が。
夢の中で、最後まで樹と恵那は老人にならず、若い二人のままで話が終わっても、同じテーマは十分に語れたはずだとも思う。
若いふたりが、もっと他愛のない話を交わすのをききたかった。
若いふたりが、もっとお互いの距離を意識し合うのを観たかった。
だって、青春映画だから。
それと、この世界のルール上「樹くんが恵那になぜかどうしても告白できない」点に、ぐっとフォーカスを合わせてみても面白かったかもしれない(「告白できなかった」世界線の分岐からこの世界に来ているので、多分樹は「告白すること自体が出来ない」から「告白しない」のではないか)。
それでも敢えて「老人どうしの恋愛描写」の世界に足を踏み入れたのは、もちろん監督さんのはっきりした信念があってのことだろうし、そこをとやかく言うのはきっと野暮だし、失礼な話なのだろう。
とは言え、いっとう最初で書いたとおり、
これは僕が観たかった「タイムループ青春映画」ではなかった、
というのが率直な感想である。
そもそもタイムリープものではなかったですよね。ただの夢想というか。
しかも、思い出ですらないという悲惨な話でした。
ひどい作品だったと思います。(こう思うのも期待しすぎていたからでしょうか)
こんにちは。
同じく『夏の爽やか青春SF』のクチで観た者です。笑
正直、御老体ふたりの演技力の低さも、終盤の違和感に繋がったように思います。
無数にループを繰り返した樹と、精神と肉体の年齢差が大きいハズの恵那。
理想を言うと、その違いまで表現しきれる深みがあれば(老いらくのコスプレ感はあれど)、まだ見れたかな、と…