福田村事件のレビュー・感想・評価
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現代に通じるメッセージ
人種差別、部落差別といった陰に隠れた、しかし今でも確実に存在する問題について、史実に基づき再現された作品。震災後の人心乱れる世相の中、流言蜚語に振り回される人々の気持ちは悲しい程、分かります。情報が撹乱する現代にも十分通じるメッセージが伝わりました。
常識の向こう側
美醜善悪清濁。
世間の認識の反対側に、
常にカメラを置く森監督。
『A』と続編では教団側、
『FAKE』では本人。
本当に濁なのか、
世間がいうように悪なのか、
観客のみなさん、どうですか。
と。
本作は、
善悪清濁を並べて、
整理しないでそのままを観せる。
ラブシークエンスも、
整理しない、
醤油工場での経験に基づくセリフや、
通訳をした経験のセリフ、
のような、
活きたセリフのシークエンスを基準にプロットの整理もしない、
どこかに書いてあった事件をそのままセリフにしても活きないがそのまま。
ハンセン病患者が住処を追われるのは、
『砂の器』でもあった。
そんな清濁善悪美醜全部乗せ、
さあ、直列繋ぎで召し上がれと。
国籍による、
仕事や住処による、
病気などによる、
この直列繋ぎを、
五部作くらいの、
ドラマのような、
映画のような、
作品にすれば、
最近でいうと『三体』や『ダーウィン事変』のような、
エンターテインメントの
ちょっとしたパラダイムチェンジの、
可能性も孕んでいる。
もちろん、
パラダイムチェンジといっても、
古今東西の作り手にとっては、
普遍的な内容だが、
観客にとって、
繰り返し起きている現実に、
見ないふり、
知らないふり、
では済まなくなってきてるのでは?
という危機感が迫ってきているのかもしれない。
『i 新聞記者』の評はyoutube にアップしています。
何故、朝鮮人の生活を描かない??
日本で暮らす朝鮮人の日常の様子が殆ど描かれてないので、「偏見に満ちた思想で朝鮮人を殺すな」というメッセージに深みが感じられなかった。
以前観た「山女」が日本のムラの持つ「狂気じみた閉塞感」を表現していたのに対して、こちらはそんなに感じられなかった。
話の内容に関して言うと、登場人物がバラエティに飛びすぎていて、感情移入し辛いように感じた。
単純に村人のありふれた日常を淡々と過ごす様子をもっと丁寧に描いていた方が、震災後に村人の感情が豹変した時の恐ろしさみたいなものをもっと感じられたと思った。
マイナス面もある
多くの方が既にコメントされているので、そのプラスの評価には私も同意する。朝鮮人や部落出身者差別は決してあってはならないし、反面教師として現代社会でも十分留意していく必要があり、そこに一石を投じた作品として極めて高い価値がある。ただし、一方で気になる描写もあり、その点だけ述べさせていただく。例えば当時の官憲が朝鮮人犯罪を捏造流布したとの単純な前提があるが、果たしてそうなのか?実際犯罪はあったがために注意喚起が
されたという可能性はないのか?この映画やレビューではそこは完全に所与のもの(官憲による捏造犯罪)として取り扱っているが、疑問が残る。またうら若き朝鮮人女性一人を名前が朝鮮人名だというだけでいきなり警護団員が竹やりで突き刺すというのは、過剰表現ではないのか?これは韓国や中国の反日映画の日本人像そのままであり、こんな表現に異を唱えるスタッフはいなかったのか?更に朝鮮人被害者数が6000名としているが、これは諸説あり数百人~なかには6000人という説まで明確にはわかっていない数字であるが、これまた最大値の6000人が所与のものとなっている。これでは南京虐殺10万人のフェイクの数字(中国共産党の一方的発表の数字でこれは当初の数字から年々拡大していった)と扱いは同レベル。テーマや問題意識は素晴らしく決して否定するものではなし、福田村事件そのものは悲惨な事実として忘れてはならないが、このような周辺部分の表現はサブリミナルに鑑賞者に事実として刷り込まれてしまうリスクがあり、懸念が残る。その点恐縮ながら星一つマイナスである。
なかったことにはできないぜ
100年前の史実を基にしたドラマで、特別な筋書きはないのがドキュメンタリー監督の森達也らしい。それゆえ、どのように虐殺が起きたのかと、地震が起きてから次第に高まる不穏さに息苦しさが増していく。
政府(内務省)の意向に沿って偽情報を拡散するメディア。国や村を守るとイキって人々を扇動する男と軍人。不安に過敏で付和雷同で行動する民衆。弱い者がより弱い者を見つけて安心する心理。日本と日本人のクソな部分が100年前の事件に凝縮されている…と、実はそれらはすべて現代にも通じている話なのだった。
そんななか、当時としては奔放なコムアイや田中麗奈と、私生活から当て書きしたのかと思われるモテモテの矢切の渡し?東出君の姿には、事件と対照的な平和さがあってホッとしてしまう。
「地震のあとには戦争がやってくる」と阪神淡路大震災の後に清志郎が書き遺しているけど、東日本大震災から干支が一回りした今、Jアラートが無駄に鳴り響き、台湾有事が喧伝される…。負の歴史を繰り返さないためにも、まずは大年増の厚化粧(by石原慎太郎)や官僚のメモを読むだけのメガネに朝鮮人虐殺の歴史をうやむやにさせるべきではない。
日本人だと事件になるが朝鮮人だと事件にならない
今見ると自警団が胸くそ悪く思いますが、当時に生きていたらどうしていたか。
なかなかの鬱映画ですが、そういう事を考えさせるという意味では成功しています。
SNSで誹謗中傷するような人に見て貰いたいですね。
暴走正義
今までたくさんの正義と思い込みの暴走 集団ヒステリー よく戦争肯定派は アナタの家族や友達を暴力から守れるのか?と 言って暴力を肯定する
僕たちは 漫画デビルマンで こういった市井の正義の民の残虐さを学んできた
誰もが陥る そうゆう状態だよな
日本人だったらどうする と言う問い掛け自体が 間違ってると分からない人も 未だにいると思う
とは言え エキストラの緊張感の伝わらなさが 残念
比べるのもアレだが 大部屋俳優の頃のホントに殺しかねない存在感は 現在の邦画では あんまり見るコトが出来ないのよね
忘れ去られる歴史
福田村事件という歴史上の小さな村で起きた事件にスポットを当て、映像でしっかり掘り起こしてくれた功績は大きいと思う。神は細部に宿ると言うように、この些細な事件を映画で観られた事で100年前当時の空気感を感じられた。
忘れてはいけない教訓として
森監督のドキュメンタリーではない作品という事で非常に興味を持って鑑賞しました。内容的には演出的に少し理解しにくい部分もありましたが、とても社会的意義のある素晴らしい作品でした。
今年は関東大震災100年という年で多くの震災関連の作品や出版物が出されていますが、特に本事件を中心としたデマ流言飛語による朝鮮人や共産主義者等への惨殺、殺害事件と関東大震災の死者10万人のうち4万人近い死者を出した本所被服所跡地の火災事故は今でも語り継ぐべき教訓です。人数の問題ではないのですが遠い昔や戦時中などと比べ現代では事故や事件などで数名亡くなるとニュースになってたりしますが、人の命の重さってなんだろうなあと思います。
福田村事件の判決は、田中村の1名のみ「懲役2年、執行猶予3年」の第二審判決を受け入れたが、あとの7名には大審院で懲役3年から10年の実刑判決が出された。しかし、受刑者全員が、確定判決から2年5か月後、昭和天皇即位による恩赦で釈放された。事件について調査を行った石井雍大によれば、出所した中心人物の一人は後に、選挙を経て村長となり、村の合併後は市議会議員を務めたという。今では想像もつかない時代です。
釘付けでした
ラスト20分はスクリーンに釘付けでした。映画ファンとして今までたくさんの映画を観てきましたが、釘付けなんて相当久しぶりかもしれません。外的要因で節度・モラル・良識などが通じなかった時代がたった100年前にあったということを改めて感じる映画です。久しぶりに書き込みをさせてもらいます。
監督の森達也さんの作品である新興宗教を題材にした映画が話題になったころ、監督がテレビ討論会にたくさん出演していて、「(思想が)右や左やではなく、もはやどっちでもいい」のような発言を始めとした監督の考え・理屈にとても共感したことを覚えています。現在も監督の名前が出てくれば自然と身体が反応してしまうので、今回この映画に遭遇することが出来ました。
この映画の根底にある「差別・集団心理」というテーマにとても関心があります。第二次大戦下でナチスのゲッペルスが「嘘も百回言えば真実となる」と発言したそうですが、ITの普及で「嘘か真か」が早急かつ簡単にわかる現代とは違い、当時の思想下で大震災後という強烈なストレス・心労下だと誰かが大きい声で同じことを延々と繰り返せば、容易に嘘が真実化してしまう・・そんなことを考えながら観賞し、特にラスト20分に釘付けになったのだと考えます。またこの映画のテーマの一つである「非差別部落と在日朝鮮人」について、これらを身近に感じながら齢を重ねてきた私にとってこの映画を観ないという選択肢はなく、またこれらが映画のなかで繋がったストーリー展開になっていることが新鮮で衝撃でした。
朝鮮人なら殺してもええんか?!
今年の邦画ベスト1はこれで決まりだろう。関東大震災からきっかり100年に狙いを定めての公開、折しも政府が「朝鮮人虐殺の記録は見当たらない」としらばっくれる中でかつての軍国日本のみならずまさに今の「新たな戦前」に向いつつある日本を痛烈に糾弾する社会派エンタテイメントの傑作である。「記録が無い」は全く大ウソで震災の2か月後に神奈川県が「朝鮮人を145人殺しました」と内務省に詳細に報告した文章も残っている(東京新聞9/5)らしく、そもそも内務省が「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり・・各地に於て充分周密なる視察を加へ鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし(横浜市史)」と地方長官に打電し警察が率先してこのデマを流布したとされる。今作の切り口が鋭いのは、数千人にのぼるといわれる朝鮮人虐殺を正面から描くのではなく千葉県福田村での行商一行9人が「朝鮮人と間違われて殺された」という事件にスポットを当てた点であろう。真っ先に殺される行商のリーダー永山瑛太が言うように「朝鮮人なら殺してもええんか?」という叫びがこの映画の全てである。讃岐から来た行商一行の言葉がおかしいので「朝鮮人だろう」と疑われ、村の警官が行商人が示した「鑑札」を調べるからそれまで手を出してはならんと言う。つまり間違って日本人を殺してしまってはまずいけれども、朝鮮人なら殺してOKだというのだ。行商一行は香川県の被差別部落の出身であったことから公に告発をせず、事件は80年近く闇に埋もれていた。ずっとこの件を世に出そうと企画していた森達也と若松プロの荒井晴彦がタッグを組んだ奇跡的作品。撮影の桑原正が素晴らしく森達也のハンディカメラでは到底描けなかったであろう一級の名作が生まれた。
幸せになりたかった
大衆心理
村制度
昔のこと?
今のネット社会と変わらない気がする。
暴力が目に見えるか見えないか。
私は40代だけど、子供の頃は母親から「朝鮮人は汚い」って聞かされていたし、えた非人の家は調べればわかる。と言われていた。
それが差別だったと気づいたのは大人になってから。
生まれた国や生まれた環境が違うだけで、差別を受けるなんておかしくて、瑛太が最後に言ったセリフが全てだと思う。
ほとんどの時間を普段の生活に焦点を当てていたのが、狂喜をみせるのに、とても良い演出だった。
恐怖と残虐性
ドキュメントの森監督が撮る映画ってどうなんだろうと言う興味と、見なければいけない題材という責任感とで最近みたい映画No. 1でした。
お客の入りもよいようで良かった良かった。
実際にあった事件を元にしたフィクションとは言え、当時の事はかなり調べられているようで、小さなエピソードの積み重ねが説得力に繋がる良い例だと思いました。様々な境遇、経験、立場の普通の人達が淡々と日常を積み重ね、それが突然狂っていく恐ろしさが描かれてます。役者達の熱量も半端なく、東出君はかなり初期から監督に参加のラブコールしていたそうです。あとコムアイ美しい!
結局、じわじわ広がる恐怖に火をつけたのは国からの伝令であり、それに乗じて思想弾圧をカモフラージュする目的だった?という、、なかなか映画化されずらい日本の黒歴史を描いた事だけでもこの映画の価値があります。
実際に亡くなった朝鮮人は各地でたくさんおったわけですが、本件の間違って殺された行商人が四国からだという事で勝手に東京西側の話かと思っていましたが、実際は千葉県で起きた事件なんですね。
自分がやった事が仕返しされるのでは、、という恐怖。
それが論理や倫理性を飛び越え感情的な行動になる過程をしっかりと見て、心に焼き付けて帰りました。
二度と同じ過ちを繰り返さないように。
100年経っても進歩出来ないニッポン
今日の日本で本作が制作されこうして鑑賞出来る事に感謝し、一縷の望みがまだある事を信じたい。本作の内容はもちろん脚色は当然ですが、全て事実です。何の証拠もないなどと、馬鹿な官房長官と同じ嘘八百を言ってはなりません。証拠はたっぷり公式に残されております、歴史修正主義者なんぞ調べる気はさらさらなく、都合のいいことしか言いません。低能だからだけでなく、それが「楽」だからに他なりません。
本作で再現された構図は過去完了どころか、さらに増大して今も私達の直ぐ側に大口開けて待ってます。現政権はもちろん知事レベルにおいてすら、無かったことにしましょう、が今日ですから。謝ってばかりはもうウンザリ、もうとっくに金で決着になってるでしょ、俺たちは前だけを見て一丁前に正論を吐きたいのだよ、と被害者側への想像力ゼロで平気で出鱈目を言う。そんな勢力に入っていれば楽だし威勢がいいからね、真に正しい事を言い出す奴等には、速攻突っ込み入れて叩きのめしますよ、金も貰えるかもね。正しい事は面倒臭せぇ、そんなのはフタすりゃ楽だろが。って皆様ご存じの通り。
映画の中の福田村の村民・憲兵たちと何にも変わっちゃいないのです。100年経っても全く進歩どころか、後退しているのが今の日本なのだと言う現実を、本作は観客に突きつけてくる。日本人の精神構造がオカシイのではなく、真の反省を避け続けた結果であり、戦後においても集団行動優先の教育がなされ、出る杭は打たれる意識構造ゆえ、忖度が蔓延り今に至る。「朝鮮人は出ていけ~」と叫ぶ奴等が朝鮮半島に大金を貢ぎ続ける奇怪さ。公文書改竄からもろもろの人権軽視、国会機能不全、各種国際指標の著しい低下、などなど。だからジャニーズ事務所も安泰、汚染水も処理水と呼ぶ欺瞞を公然とミスリード、映画の内務省と全く同じ。
人間はその字の通り、人と人の間と書く、すなわち群れを成して生きる動物なのです。忠実な集団行動で回り続け、それが正しい方向に向かっていればいいけれど、そうとも限らない。そこで異論が出る、生まれながらに多数派に属せない人もいる、そんな異分子は切り捨てるのが楽って考え。1ミリも少数派の身になって考える事が出来ず、ひたすら金の論理のみで行動する。障害のある方やLGBTQだって悪用のリスクばかり強調して苦しみを想像なんて一切しない。嗚呼、没落国家まっしぐら。
映画は一種の群像劇の様相で、福田村を立体的に描いてゆく。井浦と田中の崩壊夫婦とその秘密、永山の薬売りの集団エネルギーの発露と裏側にある被差別、東出の船頭の欲情と孤立、カトウの左翼言論、木竜・ピエールの新聞報道の苦悩と忖度、そして戦争未亡人の立ち位置から憲兵達の単細胞愚直。ことにも水道橋博士の元軍人の造形が白眉の出来。何故なら彼の総てのセリフはそれだけを聞けば至極真っ当で、村をひたすら護る意識に満ち溢れる、だからこそそれを取り巻く状況の危うさが、実に恐ろしいのです。間男役に挑む東出昌大は本当にいい役者に成熟したもので、今村昌平ムードに男の色気が充満です。それぞれにトップスター級を配し、製作者の意欲と参加したスタッフ・キャストのレベルの高さが心強い。
いよいよの震災シーンに至るまでがやや冗長ですが、9月1日を境にカウントダウンを踏んで悪魔の惨劇クライマックスに突入する。流言飛語、付和雷同、思考を停止し大勢に流れる人間の愚かをこれでもかと描く。しかし、現実はこんなもんじゃないだろうと推測、もっとここだけは嫌と言うほどの強烈が欲しかった。朝鮮人と日本人、どちらが偉いか? なんてナチスドイツと全く共通する。竹槍で突かれる恐怖と痛みを思い知る。
そもそも当時日本に何故朝鮮人がかくも居るのか、国家は何をしたいのではなく、何を隠したくて、スケープゴードを操作しようとするのか。人間の弱点を悪用した国家の犯罪は、どこまでも糾弾せねばならないでしょう。人は見下す相手がいれば安泰と思う習性がある。下には下があるのだと、上には上があることは隠したがるのに。
みるべき。
葬られるべきでない史実、と思う。ただ、作品からだけでは得られないもっともっと多くのいろいろな状況が重なって起きてしまった事件なんだろうと。胸糞悪さがとにかく残るがもし自分がこの場にいても何もかわらないだろう…
目をそらさない人でいたい
関東大震災の直後、多くの朝鮮人が虐殺されたのは明らかな史実だ。この歴史の怖いところは、殺したのが自警団を結成した一般の日本人市民たちだということ。ヒステリックな集団心理の怖さを感じる。
そんな震災後の朝鮮人虐殺が行われた中での日本人殺害を描いたこの映画。序盤は地震発生までの福田村の姿と香川から出発する行商一行が淡々と描かれる。それが結構長いのに不思議と飽きない。仕事をし、飯を食い、セックスする。今で言う不倫や浮気もあったりする。時代だなーと思うところもある。でも、時代は違えど彼らが普通の人々だということをうまく描いていた。
そこで地震が発生。不穏な空気に一変する。そこで活きてくるのが、今まで描いてきた普通の人々の中にある朝鮮人への差別意識。福田村には朝鮮人がいない中、行商で訪れていた薬売りの一行を、村を襲いに来た朝鮮人だと勘違いする流れ。とても緊迫感のあるシーンだったが、朝鮮人だろ?日本人だ!のやり取りを聞きながら、猛烈な違和感を覚えていた。そこじゃないよと。そのモヤモヤを、永山瑛太演じる行商の長が振り払う一言を放ってくれた。あの展開はハッとさせられる。
説教くさくなるのを極力抑えたように思える作りだったが、それでもインパクトは絶大だ。悲しいシーンもあるのに、その悲しさよりもショックのほうが強くて泣けなかった。最後の字幕も含めてやるせなさと憤りを強く感じてしまう。なんて映画だ。これは目をそらさずに観ておくべきだ。
観たい度◎鑑賞後の満足度✕ これだけの凄惨な事件だから如何様にでも作劇出来たのにこんな脚本では駄目である。演出も平板。何が普通の農民を「鬼」にしたのか、なれたのか、誰でもなるのか、掘り下げが足りない。
①戦後生まれの身としては(といっても1961年生まれだから戦後から16年しか経っていなかったとは、戦後78年目の今から見ると不思議な感じ)、戦前の日本が何故にあれ程挙国一致的に戦争へと突き進んで行ったのか、国民は何を思い考えていたのか、抗う気はなかったのか、抗えなかったのか、流されただけなのか、いつも疑問に思っていた。
母親が戦中派、といっても当時は小学生だったので竹槍の訓練には早かっただろうと思っていたら、なんとチャンと訓練の時間が有ったという。「敵が来たら本当に刺し殺す気やったん?」と訊いたら「そうや。でもその前にパンパンと撃ち殺されるやろなぁ、と友達と笑い合ってた」、とのお話。
子供らしい無邪気さと言えばそれまでだが、戦後生まれとしては何となく笑えない話。
その当時の空気とか時代の雰囲気とかが分からないとなかなか理解しづらいんだろうなぁ、と思う。
そういう戦前の時代相と“福田村事件”の背景の時代相とには通底するものが有るように思う。
しかし本作は、起こったことを表面的に描いているだけ。‘昔、こんなことがあったですよ、ひどいですねぇ、怖いですねぇ’というだけ。100年も封印されてきた(私には何故に100年も封印されてきたのか、という方がより深刻で向き合わねばならない問題のように考えるが本作では最後のプロップで紹介されるだけ)だけに、断片的な出来事しか分かっていないから映画としてはフィクションの部分(人物とか、その人の行動とか)を設けて話の間を埋めなければならないのはわかるが、そのフィクションの部分がいかにも作り物っぽく+不必要(というかもっと上手作れなかったのか)で興ざめる。
②関東大震災の時に関東で何百人という朝鮮人や中国人が流言飛語のせいで虐殺されたのはよく知られた話である。
”流言飛語”が東京内だけでなく関東一円に拡がっていたためである。
この流言飛語(震災の混乱に乗じて朝鮮人が日本人を殺そうとしている等々)が何故出てきたか広がったか、人々が信じて自警団まで作ったか。
現代はそんなことはもう起こらないと言い切れるのか。SNSでフェイク情報や流言飛語が当時より拡散しやすくなっている現代、その怖さは全くないとは言えますまい。
③あげつらいたい欠点は山ほどある本作なので、どこから言えば迷うところだが、今(2024.02.12)本作を思い出しながら頭に浮かんだことを先ずは書こう。
本作は基本的に井浦新と田中麗奈の視点から描かれている。つまり、部外者・第三者からの視点だ。
視聴者の大部分と同じ立ち位置であり、言い方は悪いが安全圏にいる者たちの視点である。
当事者の視点はない。だから生々しさがない。
資料が少なく百年前の話だから、当事者の観点から描きようがない、という意見も有るかもしれないが、そこが想像力が有るかどうかの分かれ目であり、フィクションにする意味があると思う。
要りもしないSEXシーンなど挿入せずに、もっと描くことがあった筈だ。映画には兎に角濡れ場が必要だと思う制作側のあまり上品でない下心が透けて見えるようだ。
④
中学、高校で差別、偏見の授業として観せるべき
大正時代、朝鮮人差別が日本人に蔓延っていた。
関東大震災の発生をきっかけにデマが流れ、朝鮮人が拘束されまた見つかり次第殺害されるように。
軍国主義下、敵視された者は殺される悲惨さと殺らなければ殺られる不安、現代人が観ると何で?と思うだろうが今現在ウクライナでも同様なことが起こってるだろうし、災害時にフェイクニュースがSNSで瞬く間に広がりを見せたりアメリカでの人種差別による暴行や殺人もこの福田村事件と何ら変わらない。
ネット社会で匿名を良いことに好き勝手に有ることないこと発信し誹謗中傷する世の中。またそれを見聞きし信じてしまう現実は殺害までしなくても死に追い込むことは誰もがしうることです。
近所の住人の噂話、地域でもデマや新聞報道、ロシアや中国のように情報統制や発信の規制、岸田政権はこの事件の記録がないので確認できないとしているが確認しようとしないのが現実。
この映画はありとあらゆる多種多様な差別、偏見が度を越すと悲惨な結末しかないことを伝えている。
クラウドファンディングもあって作品が完成し役者達のリアルな演技に良くぞここまでの作品を制作してくれて有難うと言いたいです。
必見です
ちょうど100年後のこの日に鑑賞しました 平日の昼下がりなのに満席...
ちょうど100年後のこの日に鑑賞しました
平日の昼下がりなのに満席で、
こういう映画がたくさんの人に見てもらえて良かったと思った
人間は恐ろしい生き物だ
まさに、人間の愚かさが凝縮したかのような映画『福田村事件』。出来事は、関東大震災の大正期だけど、いまだってたいしてかわらない。人間の本質なんて今も昔も同じだ。だから、同じ過ちを繰り返さないためには、過去の出来事の正しい認識が必要となる。
関東大震災の人災
それは、1923年の関東大震災後に起きた。
いわゆるデマがゆきかい、人々の不安を煽った。
社会主義者や朝鮮人、あるいは不定の輩が、混乱に乗じて井戸に毒を入れたとか、乱暴をはたらいたとか。
なぜ、マスコミがこんなデマを流したのかが大事だ。
真相が、今の時代に正確に伝えられているとは思えない。
映画は、そんなデマに振り回される千葉県東葛飾郡福田村の出来事。
この事件の顛末を、映画は、丁寧に描いてゆく。
デマが、本当のことになってゆく
そんな過程が、怖い。
疑えばきりがないのに。
ある方向に集団が向いてしまうと、修正がきかなくなる。
その過程が、おそろしい。
時代背景の要因も大きい。
富国強兵からはじまる、軍国主義国家日本。
そして、大正時代にはいり、自由を謳歌する大正デモクラシー。
社会主義の台頭。
これらを手動するのは、インテリ層。
当然おもしろくないのは、農民層と取り残された人たち。
政府の政策の失敗からくすぶる市民の不満。
市民の対立を上手く利用したのが、政府とそれに加担したマスコミ。
一度言い出すとあとに引けない怖さ
そんな、関東大震災とその後の動乱を凝縮したのが、『福田村事件』
嘘も、100回言い続ければ、真実になる。
そんな人間の怖さが、よく出ている。
一度言い出したことを訂正できない、修正できない変なプライド。
なんなんだろうこれって。
軍国主義国家のいびつな倫理観が、アチラコチラに出てくる。
怖い話だ。
今の時代は、大丈夫なのか
これもあやしい。
東京都知事なとは、関東大震災の慰霊に書簡を送るのをやめた。
もう、この日本人に都合の悪い出来事を消し去りたい勢力がいる。
政府の閣僚にも。
これが、今の日本社会の一つの流れになっているのが、怖い。
そうではないはずだ。
過去の過ちをちゃんと正確に認識することが大事だ。
さらに、事実を歪曲するのでなく、事実を事実として認識する。
でないと、同じことの繰り返しだ。
人間の愚かさだけで済む問題ではない。
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