福田村事件のレビュー・感想・評価
全281件中、261~280件目を表示
虐殺に至る前に「また黙って見過ごすの?」(正確なセリフではないかも...
今も昔も
雰囲気だけで中身をほぼ知らずに観にいってしまったため
思っていた内容とは全く違ったけど
ちょうどこの関東大震災100年を迎えて
テレビでやってる内容は今後起きた時の被害に関する話ばかりで
その時に起きた虐殺には触れていない。
北朝鮮や中国がメディアに操作されてると言われてるが
逆を返せば日本だってそういうふうに憎むように操作されてたっておかしくない。
結局、今も昔も日本の政府なんて日本を維持出来れば良いだけで
国民の事なんてなんも思ってないし
敵国を使って煽って防衛費を増額してるだけで
そんなことで解決をしないことに税金を使ってるだけ。
結局、軍事に訴えてたら昔と全く変わっておらず
もっと理解し合えるはずなのに差別を誘導して
昏倒に陥れてるだけ。
本当に必要なのは戦争ではなく対話。
そして、これからの子供が
自分で考えられるようにすべき
教育機関はブラック過ぎて手詰まり。
異次元の子育て支援よりも
異次元の国会改革をして欲しいと思う映画だった。
脱線してすいません。
単純な 人間の悪 から目を逸らしてはいけない。あと複雑に考察すべし、チト凹んだのも事実。
タイトルは穏便に書いたけど、正確には 日本人の悪 と言って良い
今では普通に関東大震災に伴う流言飛語の酷さはほぼ理解されているが
子供や妊婦まで被害が出たこの事件は、すでにウイキペディア【薄っぺらですみません】
で確認した事実の段階で さすがにムカついた 勿論加害者側にムカついた
鬼畜 人でなしという呼び名が相応しい。 なぜ大正天皇崩御で恩赦になるのか意味不明だ。死刑だよねぇ
という先入観で 被害者寄りで本作に臨んだ。
どうせ空いてるだろう と思ったら5割程入ってて驚いた。
ココは重要なので最初に述べておくと
高価な@1500の有料パンフ購入して見るとわかるのだが
フレームワーク、被害状況は 客観的事実 で在郷軍人会の連中の所業も事実
しかし、セリフや、加害者側の心あるもの 村長豊原功補さん 船渡し東出昌大さん の行動に関してはややフィクションがかっており
朝鮮での日本帝国の蛮行でおかしくなった井浦新、田中麗奈 夫婦は架空の人物であり
千葉の新聞社 女性記者も架空である
しかしそれを踏まえても、見るに忍びない 日本人の日本人に対する蛮行だ。
正直な感想として
在郷軍人会の分会長、犯行に手を染めた連中の描写は ただひたすら ムカついた
【言い争いや、取っ組み合いはあった可能性大であるが、丸腰の人間、女性子供妊婦にまでは 全く理解できない】
ある意味 悪役を演じた 戦前日本人の悪い のを演じた 水道橋博士 に敬意を表したい。
特に事件のあった地区は震災被害ほぼなかった模様・・・ハテ
自分に問うてみた。今の令和の便利な個人主義の時代では無く、自分が大日本帝国の当時の、義務教育だけの村民農民だったら
大きな集団の流れに反して【ちょっと待て、薬売りの鑑札確認までは 少なくともやめろ😡】なんて自分は言えただろうか
答えは残念ながら 否 だ。さすがに川で女子供をやるまではしない自信があるが、全体の流れに乗って調子に乗ってたろう
そう、コレは普段なんの刺激もなく、こき使われている、当時の田舎の庶民の都合の良い【鬼退治】の物語だから
私もその流れに乗ってただろう、むしろ 私は 井浦新のインテリ教師ではなく 名もなき暴力を振るった農民だったカモと思う。ウイキペディアだけでなく、有料パンフ見ればわかるが、単なる、朝鮮への差別 職業差別、被差別部落への差別
では理解できない 複合的な差別があったと理解した。
多分今でも根深い 人を見下して 差別して 快感を得る【職業、学歴、金、門閥 ルッキズム】に通ずるものだと思い
暗澹たる鬱な気分になった。それは現代のマスゴミが当時となんら変わりがないように見えるからでもある。
内務省通達の伝達事実は現実と違うかも知れないが、水道橋博士役の情けない最後の一言 に国の責任を見た。
【誤解を生むので】私は基本、保守派ですが、日本人が 混乱に乗じて 異端者である方々を虐殺した事実と向き合いたい。
最近、唐沢寿明、田宮二郎の【白い巨塔】の【医師が癌に屈するのを恥じる】動画で見てまして
私は 人間の集団心理の愚かさを恥じる と 自分が居ました。
なお有料パンフは分厚くて高額ですが、シナリオ とかクラウドファンディングの人名入れてるからかさんでいます。
【必見❗️】とまでは言いません。でも若い方、大学生レベルのまだ柔軟な思考のある方に 見ていただければ良いなぁ⭕️と思いました。だって観客みんな 私より年上ばかりジジイババアばかりでした。
特定の立場の方を憎むのでは無く、当時なら誰しもが 加害側に立ちえたことに思いを致すのが正論かと最後に思いました。
長文、すみません。🙇 せめて作品見なくともウイキペディアぐらい見てください。
私も亀戸事件、甘粕事件は十分知っておりましたが、本事件については無知でした。
忠誠とは
間違える男たち
公開1週目の土曜、午前中回のテアトル新宿は案の定長蛇の列。恐らくは満席に近い入りだったのではないかと思います。ざっと周りを確認したところ年齢層は高めな感じ。ただ「若者こそこういう映画を観るべき」なんて老害発言している場合じゃありません。むしろ、私の世代の方が差別に対してまだまだ無頓着とすら言わざるを得ない時代を生きてきたわけで、本作の題材である関東大震災直後における「日本人による朝鮮人等に対する虐殺行為」について、きちんと触れてこなかったことこそ大きな問題だと自覚します。思い起こせば、自分が若かった当時、まだ部落民や外国人、障碍者(現代ではこの言葉も考え物)に対する蔑称が日常的に使われ、放送メディアなどでは「放送禁止用語」という、単に「使ってはいけない言葉」という認識しか感じられない扱いでしたし、ましてや、差別に対する啓もうは義務教育時の「道徳」や「社会」「国語」などでわずかに触れる程度。おそらく、今の若者の方がよっぽど見識があり、そして意識も高くて我々こそ教えられることが多いはずです。
森達也監督、初の劇映画作品ということですが手練れですね、狭い村とは言え震災直前から震災6日後の事件までを複数の視点で描く群像劇になっており、下手を打てば散漫になりそうなところをそれぞれの人の背景や普段の言動を観進めていくうちに、いざ事件が起こるきっかけからのそれぞれがとる言動に説得力があって厚みが出ます。元々キャスティング自体が絶妙なのですが、演出が素晴らしく違和感がありません。それぞれの立場で生き、考え、思い悩み、そして間違える男たち(情けない…)。そんな男たちに振り回されるも、生きていくためにそれぞれの選択をしていく強い女たち。そして、異常事態における集団心理で判断能力が狂った人間のすることに恐怖します。
俳優の皆さん、須らく本気の名演で素晴らしいのですが、中でも印象的な静子役の田中麗奈さん。周りから見たら訳あり気で謎めいた雰囲気なのですが、実は人当たりもいいし多分他の誰よりもまともな人。特にある決意から、それでも流されそうな自分を振り切る仕草に強い生命力を感じます。そして終盤に虐殺が起こり、事件の犠牲になった方々の行き所のない絶望シーンでドスンと落とされた気持ちを、あのエンディングシーンは意外性を感じつつも救われた気がするのは、静子の生命力の強さのおかげなのかなと感じました。
戦後の日本と朝鮮人に対する迫害!
こういう映画もたまには必要
昔の実話からチクりと現代社会の人々、マスコミ、政治をも風刺しながら警告する映画も必要と感じた
ただ、役者が誰が出てるのか知らないで観に行ったので、話題になった役者が出る度にそっちに意識が引っ張られ最初は集中できなかったかも
まあでも終わってみれば全体的にエピソードも含め良い映画だった
震災の教訓を活かすということ
ちょうど100年前の1923年9月1日に発生した関東大震災。10万人余りの死者・行方不明者を出した大災害でしたが、同時に地震直後の混乱期に生じた流言飛語に端を発して、朝鮮半島出身者(1910年に日韓併合が行われており、この当時朝鮮半島は日本の領土なので、彼らも国籍は日本人ですね)や中国人が虐殺され、また内地出身の日本人でも大杉栄や伊藤野枝などの社会主義者がこの機に乗じて粛清されたり、聴覚がなく言葉が喋れない聾啞者も殺されてしまうという被害に遭うこともあったそうです。
そして本作で取り上げられた福田村事件では、香川県出身の行商人の一行が、現在の千葉県野田市にあった福田村で、そもそも行商人に警戒しろという俗説があったことが土台とあり、さらには震災直後の流言飛語により、しゃべっている讃岐弁が分からないので朝鮮半島出身者ではないかと疑われて殺されるという、実に惨たらしい事案も発生。本作のパンフレットによれば、地震そのものや火災による死者以外に、出身や属性、思想を理由に殺された人たちが6千人以上もいたというのだから、驚くほかありません。
本作は、上記の史実をベースに物語仕立てにしたものでしたが、テーマの重要性やその記録・記憶としての意義のみならず、ドラマとしての面白さ、俳優陣の演技、大正当時を再現した風景など、ひとつの映画として全般的に非常に優れているように感じました。
ドラマという部分で注目すべきは、エンドロールやパンフレットの並びで本作の主役に位置付けられた澤田夫妻(井浦新と田中麗奈)の存在でした。夫の智一は、福田村出身だったものの、教師として京城(現在のソウル)に渡っていました。それが震災の直前に妻とともに故郷に戻り百姓をしていました。震災後、沼部新助(永山瑛太)が率いる行商人の一行が福田村を通り、そこで朝鮮人ではないかと疑われて結果的に村の自警団などが沼部たちを襲うに至った時も、沢田夫妻は第三者的な立場の者として仲裁に入ります。
テーマ的には、加害者側であった在郷軍人会のリーダーである長谷川(水道橋博士)か、被害者側であった沼部が主役だと言えるお話です。それを敢えて第三者である澤田夫妻を主役に据えたのは何故なのか?思うに彼らは、加害者と被害者のいずれにも属さないという意味で現代で本作を観ている観客と同じ立ち位置にいる存在であり、つまりは現代に生きる我々の分身だったと言えるように思えます。つまり、主役は我々ということなのです。
そして1919年に朝鮮半島で発生した三・一独立運動の際に発生した提岩里教会事件(暴動を扇動した首謀者29名が、日本の憲兵に提岩里の教会に監禁され、放火により殺された事件)に居合わせながらも傍観するしかなかった澤田智一が、福田村での虐殺に際しては、傍観することなく、冷静さを失って行商人たちを襲おうとしている村人を止めようとします。その努力は虚しく、15人いた行商人のうち9人(胎児を含めると10人)の命が失われてしまう訳ですが、この現代人の分身たる澤田の行動こそが、本作が最も観客に伝えたかったことではないかと感じたところです。
また同時に、澤田や福田村の村長らが、「彼らは朝鮮人ではない」と言って沼部たちを襲おうとしている村人たちの説得を試みますが、それに対して沼部が「(朝)鮮人なら殺していいんか?」と言うシーンもとても印象に残りました。被差別部落出身であった沼部ら行商人の一行でしたが、沼部は朝鮮半島出身者に対しても融和的であるところが描かれる一方、一行の中には自分たち被差別部落出身者よりも朝鮮半島出身者は下であると言う者もいることが描かれていました。この辺りの描写は実にリアルで、この世から差別がなくならない構造的、心理的な状況を表現していましたが、「〇〇だから殺していい」、「排除していい」、「差別していい」という話には1ミリの正当性もありません。それを一言で表現したこのセリフは、本作最大の見せ場であったと思います。
さて、関東大震災の教訓を如何に現代に活かすべきかという話になりますが、毎年1月17日や3月11日、そして9月1日になると、「防災」が語られます。関東大震災を例にとれば、10万人以上の人が震災により亡くなった訳で、これを如何に減らすかということは、まず第一に考えるべきところでしょう。
一方で、前述の通り直接震災で被害に遭ったわけではないのに、朝鮮半島出身者を中心に6千人以上の人が亡くなりました。主に流言飛語がその原因になった訳ですが、こうしたことを防ぐには、過去に福田村事件のようなことが起きてしまったことを語り継ぎ、それを戒めとすることで、こうした悲劇を繰り返さないようにするしかないのではと思います。そうした観点からすると、松野官房長官が「関東大震災における朝鮮人虐殺の記録がない」とコメントしたり、関東大震災の朝鮮人被害者の慰霊祭に追悼文を送らない小池都知事の言動は、過去の震災を教訓に未来の防災を確立するという考えの対極にあるもので、実に嘆かわしいと思わざるをえません。(あの石原慎太郎氏ですら、都知事時代に追悼文を送っていたそうです。)
そんな訳で、テーマ性から物語性、俳優陣の奮闘に至るまで、実に見事な作品だったので、評価は★4.5とします。
集団心理
1923年9月6日に千葉県東葛飾郡福田村で実際に起きた、讃岐の行商人達が9人殺された事件の話。
現在では公になっているし、事件のあらましぐらいは知っている状態で観賞したけど…これは福田村事件が主というより、村に帰ってきた元先生とあんみつ姫の夫婦のお話しですか?事件後のことも少々知っていると熱血記者もねえ。
何を観に来たのか良くわからなくなりそうなドラマをタラタラと見せて、やっとキーとなる関東大震災と思ったらまたまたタラタラ。
事件の様も何だかイマイチ規模が小さく感じるし、何でそこで挑発的な言動繰り返すかな…と言い訳がましいし、終いにはバッチリ標準語で何やら唱えるし、事件後のことは字幕で少々。
事件のことをまるで知らないとそれなりにショッキングかも知れないし、知ってもらう機会としては良かったかも知れないけれど、変な色恋ドラマをみせるぐらいなら、事件後の逮捕者のこととか、事件が公にされてこなかったこととか、そんなことをみせて欲しかった。
丁寧に作られた映画
救いのない話の中の救い
流言飛語に飲み込まれ侵してしまったとりかえしのつかない過ち
映画の中の出来事が実際にあったのかどうか、もう資料の中でしか確認する事ができないが、何れにせよ、今の時代にもあてはまる事ではないか?
観ている者の胸を締め付ける
事実確認もしないまま一方的な口撃をする人達には特に観てもらいたいし、自分もそうなっていないか考えさせられる
凄く重たい題材に演者も猛者がそろっている
井浦新はじめ、東出昌大、ピエール瀧、水道橋博士、豊原功補、柄本明など一癖も二癖もある配役に痺れた
日本人なら観ておくべき作品と思う
なお、監督はオウム真理教信者達の日常を追うドキュメンタリー映画『A』を撮った方だとか(まだ見てない多分)
Wikipedia辺りでもいいから目を通しておいた方がよいとおもう
不謹慎ですが
朝鮮人差別というテーマもあるとは思いますが大義名分があれば他人の尊厳や命までも奪うことが許されると思っている村社会の異常性を描いた映画でもあります。前半は東出への禊なのか不倫問題と性欲には勝てないという内容もあり笑えますが他のキャストも色々と世間を騒がせた人たちが何人か登場します。意外だったのは水道橋博士の怪演が割とハマってます。後半からは日本の村社会の異常さをこれでもかと地獄絵図のように見せつけられます。
不謹慎ですが私はデビルマンの最終回を思い出しました。
村社会の少しでも異端のものや変わってるものにレッテルを貼り排除しようとする異常性に辟易する映画ですが今の時代の日本に生きる人々に是非観てほしい映画です。
これは大成功
目を背けてはならない負の歴史
衝撃的です。
観るべき映画の一本ではないでしょうか。
被害者の子孫の方々、加害者の子孫の方々、無念にも、亡くなられた被害者の方々、どういうお気持ちなのか想像もつかず、とにかく苦しくて涙が出ます。
長い時間蓋をされ表に出なかった理由が作品を観て納得しました。それだけの内容だという事。
その時、その瞬間は自分達は正しい事をしていると強く信じたいという加害者の集団的心理、そこからあっという間に曲がった真実と正義が作り挙げられてしまい、それらに巻き込まれて殺害されてしまった被害者。
観ていて大変辛い作品ですが事実なのです。
現代社会にも通ずる事があり深く考えさせられます。
鑑賞後も考え続ける自分がいました。
目を背けてはいけないと強く思える作品であり、演じられた役者の皆様も忘れられない作品になったと思う、とても強烈な作品でした。
タイトルなし
名古屋初日初回、満席。今日という日に見ることに意味があっただろう。脚本にはもう少し洗練が欲しかったけれど、物語の構成は悪くない。階級や村の人々の関係など描かれていた。東出くんのキャラは曖昧だ。群衆心理や在郷軍人の様態はよく描けていたと思う。でも、少し図式的。
荒井さん?の脚本は性愛に寄せ過ぎか。今村なら、同じく性愛を入れても、そっちに寄らないはず。
また、在郷軍人たちが警察のせいにするくだりも、ベタなセリフで説明しているだけで、これなら、しょうがなかったことになってしまう。
曖昧な状況から、暴発のように殺戮が始まって、それが止まらなくなるシーンは、秀逸なのだが。
在郷軍人がエリートたちをディスる構造は今の反教養主義と重なる。でも、古い脚本家たちが、ただプチブルを図式的に批判してる感も。
情報
全281件中、261~280件目を表示