福田村事件のレビュー・感想・評価
全272件中、261~272件目を表示
震災の教訓を活かすということ
ちょうど100年前の1923年9月1日に発生した関東大震災。10万人余りの死者・行方不明者を出した大災害でしたが、同時に地震直後の混乱期に生じた流言飛語に端を発して、朝鮮半島出身者(1910年に日韓併合が行われており、この当時朝鮮半島は日本の領土なので、彼らも国籍は日本人ですね)や中国人が虐殺され、また内地出身の日本人でも大杉栄や伊藤野枝などの社会主義者がこの機に乗じて粛清されたり、聴覚がなく言葉が喋れない聾啞者も殺されてしまうという被害に遭うこともあったそうです。 そして本作で取り上げられた福田村事件では、香川県出身の行商人の一行が、現在の千葉県野田市にあった福田村で、そもそも行商人に警戒しろという俗説があったことが土台とあり、さらには震災直後の流言飛語により、しゃべっている讃岐弁が分からないので朝鮮半島出身者ではないかと疑われて殺されるという、実に惨たらしい事案も発生。本作のパンフレットによれば、地震そのものや火災による死者以外に、出身や属性、思想を理由に殺された人たちが6千人以上もいたというのだから、驚くほかありません。 本作は、上記の史実をベースに物語仕立てにしたものでしたが、テーマの重要性やその記録・記憶としての意義のみならず、ドラマとしての面白さ、俳優陣の演技、大正当時を再現した風景など、ひとつの映画として全般的に非常に優れているように感じました。 ドラマという部分で注目すべきは、エンドロールやパンフレットの並びで本作の主役に位置付けられた澤田夫妻(井浦新と田中麗奈)の存在でした。夫の智一は、福田村出身だったものの、教師として京城(現在のソウル)に渡っていました。それが震災の直前に妻とともに故郷に戻り百姓をしていました。震災後、沼部新助(永山瑛太)が率いる行商人の一行が福田村を通り、そこで朝鮮人ではないかと疑われて結果的に村の自警団などが沼部たちを襲うに至った時も、沢田夫妻は第三者的な立場の者として仲裁に入ります。 テーマ的には、加害者側であった在郷軍人会のリーダーである長谷川(水道橋博士)か、被害者側であった沼部が主役だと言えるお話です。それを敢えて第三者である澤田夫妻を主役に据えたのは何故なのか?思うに彼らは、加害者と被害者のいずれにも属さないという意味で現代で本作を観ている観客と同じ立ち位置にいる存在であり、つまりは現代に生きる我々の分身だったと言えるように思えます。つまり、主役は我々ということなのです。 そして1919年に朝鮮半島で発生した三・一独立運動の際に発生した提岩里教会事件(暴動を扇動した首謀者29名が、日本の憲兵に提岩里の教会に監禁され、放火により殺された事件)に居合わせながらも傍観するしかなかった澤田智一が、福田村での虐殺に際しては、傍観することなく、冷静さを失って行商人たちを襲おうとしている村人を止めようとします。その努力は虚しく、15人いた行商人のうち9人(胎児を含めると10人)の命が失われてしまう訳ですが、この現代人の分身たる澤田の行動こそが、本作が最も観客に伝えたかったことではないかと感じたところです。 また同時に、澤田や福田村の村長らが、「彼らは朝鮮人ではない」と言って沼部たちを襲おうとしている村人たちの説得を試みますが、それに対して沼部が「(朝)鮮人なら殺していいんか?」と言うシーンもとても印象に残りました。被差別部落出身であった沼部ら行商人の一行でしたが、沼部は朝鮮半島出身者に対しても融和的であるところが描かれる一方、一行の中には自分たち被差別部落出身者よりも朝鮮半島出身者は下であると言う者もいることが描かれていました。この辺りの描写は実にリアルで、この世から差別がなくならない構造的、心理的な状況を表現していましたが、「〇〇だから殺していい」、「排除していい」、「差別していい」という話には1ミリの正当性もありません。それを一言で表現したこのセリフは、本作最大の見せ場であったと思います。 さて、関東大震災の教訓を如何に現代に活かすべきかという話になりますが、毎年1月17日や3月11日、そして9月1日になると、「防災」が語られます。関東大震災を例にとれば、10万人以上の人が震災により亡くなった訳で、これを如何に減らすかということは、まず第一に考えるべきところでしょう。 一方で、前述の通り直接震災で被害に遭ったわけではないのに、朝鮮半島出身者を中心に6千人以上の人が亡くなりました。主に流言飛語がその原因になった訳ですが、こうしたことを防ぐには、過去に福田村事件のようなことが起きてしまったことを語り継ぎ、それを戒めとすることで、こうした悲劇を繰り返さないようにするしかないのではと思います。そうした観点からすると、松野官房長官が「関東大震災における朝鮮人虐殺の記録がない」とコメントしたり、関東大震災の朝鮮人被害者の慰霊祭に追悼文を送らない小池都知事の言動は、過去の震災を教訓に未来の防災を確立するという考えの対極にあるもので、実に嘆かわしいと思わざるをえません。(あの石原慎太郎氏ですら、都知事時代に追悼文を送っていたそうです。) そんな訳で、テーマ性から物語性、俳優陣の奮闘に至るまで、実に見事な作品だったので、評価は★4.5とします。
集団心理
1923年9月6日に千葉県東葛飾郡福田村で実際に起きた、讃岐の行商人達が9人殺された事件の話。 現在では公になっているし、事件のあらましぐらいは知っている状態で観賞したけど…これは福田村事件が主というより、村に帰ってきた元先生とあんみつ姫の夫婦のお話しですか?事件後のことも少々知っていると熱血記者もねえ。 何を観に来たのか良くわからなくなりそうなドラマをタラタラと見せて、やっとキーとなる関東大震災と思ったらまたまたタラタラ。 事件の様も何だかイマイチ規模が小さく感じるし、何でそこで挑発的な言動繰り返すかな…と言い訳がましいし、終いにはバッチリ標準語で何やら唱えるし、事件後のことは字幕で少々。 事件のことをまるで知らないとそれなりにショッキングかも知れないし、知ってもらう機会としては良かったかも知れないけれど、変な色恋ドラマをみせるぐらいなら、事件後の逮捕者のこととか、事件が公にされてこなかったこととか、そんなことをみせて欲しかった。
丁寧に作られた映画
構成の上手さなど無いかもしれませんが、今後何十年も残っていく映画であることを意識され、無骨に丁寧に作られた映画でした。 後半の混乱シーンで流れる音楽がシンプルかつコミカル であり、良い対比になっていたと思います。 やっている本人(村人)は真面目なんですが、一歩引いて見ると滑稽に見える、というあれです。
救いのない話の中の救い
この作品は、観た人達の口コミで拡がる映画だと思いました。 加害者からの視点で描かれた福田村事件、この作品を見て私が感じた点は、誰一人本当の悪人がいない事での、やるせなさ救いのなさです。 本当の悪人がいれば、「こいつが悪い!」で、スッキリ出来たと思います。 家族を村を故郷を国を愛する善良な普通の人達が、いくつかの行き違いから殺戮に走ってしまう。 異常な快楽殺人者ではないので、彼らの延長線上に自分の姿を見てしまう、そこがこの作品から感じる、やるせなさや救いのなさの正体ではないかと思います。 ただ、まったく救いがないわけではないので、その点は映画を見て自分で感じて下さい。
流言飛語に飲み込まれ侵してしまったとりかえしのつかない過ち
映画の中の出来事が実際にあったのかどうか、もう資料の中でしか確認する事ができないが、何れにせよ、今の時代にもあてはまる事ではないか? 観ている者の胸を締め付ける 事実確認もしないまま一方的な口撃をする人達には特に観てもらいたいし、自分もそうなっていないか考えさせられる 凄く重たい題材に演者も猛者がそろっている 井浦新はじめ、東出昌大、ピエール瀧、水道橋博士、豊原功補、柄本明など一癖も二癖もある配役に痺れた 日本人なら観ておくべき作品と思う なお、監督はオウム真理教信者達の日常を追うドキュメンタリー映画『A』を撮った方だとか(まだ見てない多分) Wikipedia辺りでもいいから目を通しておいた方がよいとおもう
不謹慎ですが
朝鮮人差別というテーマもあるとは思いますが大義名分があれば他人の尊厳や命までも奪うことが許されると思っている村社会の異常性を描いた映画でもあります。前半は東出への禊なのか不倫問題と性欲には勝てないという内容もあり笑えますが他のキャストも色々と世間を騒がせた人たちが何人か登場します。意外だったのは水道橋博士の怪演が割とハマってます。後半からは日本の村社会の異常さをこれでもかと地獄絵図のように見せつけられます。 不謹慎ですが私はデビルマンの最終回を思い出しました。 村社会の少しでも異端のものや変わってるものにレッテルを貼り排除しようとする異常性に辟易する映画ですが今の時代の日本に生きる人々に是非観てほしい映画です。
これは大成功
と言えるのではないか? 忘れ去りたい闇に葬られてきた事件を掘り起こして、それで現在の事にも思い致させる造り、それでいてエキセントリックになり過ぎない抑制されたトーン。これは、今迄ドキュメント中心で初の劇映画という森達也監督の功績と思う。 興行収入もある程度望めるんではないか? 色々取り上げたい所がありますが、一つ。いい意味で浮いていた田中麗奈。
目を背けてはならない負の歴史
「福田村事件」はこの映画で初めて知った。さらに、殺された日本人9人は、当時日本人の中でも差別されていた「部落民」(この言葉を使っていいのか迷う)であったということも知った。 そのうえ事件の背後では、大震災後の混乱に乗じて、革命を訴えていた日本人たちも殺されたこと。さらに、朝鮮人に対する非道な行いの報復を恐れ、大震災の火災の責任を彼らになすり付け、その結果、多くの朝鮮人、中国人が殺されたことなどが、語られる。 中盤まで、村人たちの不倫などの人間関係描写でやや退屈したが、見終わった時には、言葉も出ないほどショックを受けた。我々日本人が、目を背けてはならない負の歴史である。
衝撃的です。
観るべき映画の一本ではないでしょうか。 被害者の子孫の方々、加害者の子孫の方々、無念にも、亡くなられた被害者の方々、どういうお気持ちなのか想像もつかず、とにかく苦しくて涙が出ます。 長い時間蓋をされ表に出なかった理由が作品を観て納得しました。それだけの内容だという事。 その時、その瞬間は自分達は正しい事をしていると強く信じたいという加害者の集団的心理、そこからあっという間に曲がった真実と正義が作り挙げられてしまい、それらに巻き込まれて殺害されてしまった被害者。 観ていて大変辛い作品ですが事実なのです。 現代社会にも通ずる事があり深く考えさせられます。 鑑賞後も考え続ける自分がいました。 目を背けてはいけないと強く思える作品であり、演じられた役者の皆様も忘れられない作品になったと思う、とても強烈な作品でした。
タイトルなし
名古屋初日初回、満席。今日という日に見ることに意味があっただろう。脚本にはもう少し洗練が欲しかったけれど、物語の構成は悪くない。階級や村の人々の関係など描かれていた。東出くんのキャラは曖昧だ。群衆心理や在郷軍人の様態はよく描けていたと思う。でも、少し図式的。 荒井さん?の脚本は性愛に寄せ過ぎか。今村なら、同じく性愛を入れても、そっちに寄らないはず。 また、在郷軍人たちが警察のせいにするくだりも、ベタなセリフで説明しているだけで、これなら、しょうがなかったことになってしまう。 曖昧な状況から、暴発のように殺戮が始まって、それが止まらなくなるシーンは、秀逸なのだが。 在郷軍人がエリートたちをディスる構造は今の反教養主義と重なる。でも、古い脚本家たちが、ただプチブルを図式的に批判してる感も。
情報
公開初日に鑑賞🎞️✨ 福田村事件の事は全く知りもせず、井浦新さん目当て映画でした 初めから重たい内容 ずしんとくる映画だと思い挑み 観ましたが、 なかなか ヘビーですね 色んな方が出てきますが、みなさん何か抱えていて、そんな時に関東大震災という災害を機に、根も葉もない噂が出回り、人々を疑心暗鬼させて、事件が起きる 現代にも通じる内容で、沢山の方に観てほしいと思う映画です🎥
日本人が向き合わなくてはいけない映画
関東大震災から100年目のその日にこの映画を見る事が出来た意味を考えたい。 怖い。怖い。ひたすら怖い。 日本人は世界的に見ても善良で平和的な民族であるという“うぬぼれ”を、この映画は木っ端微塵にぶっ壊してくれる。 テレビドラマでよく見かける「地方の村の閉鎖的な環境や因習による犯罪」は、もしかしたらその地方に限ったではなく、もしも何かとんでもない事件・事故が起きれば、日本中どこの街でも起こり得るのではないか。 裏を返せば、そこに日本人の残虐性、特に集団となった際の狂気が潜んでいる事実を、自分自身も含めて考えておかねばならない。 「お国のため」を錦の御旗に掲げて突っ走る在郷軍人会の連中や、デモクラシーや民主主義を唱えながらも暴力の前にあまりにも無力な村長を我々は侮蔑したり、あるいは嘲笑したり出来るのか。 その答えは過去にあるのか?未来にあるのか?
全272件中、261~272件目を表示