「人間の複雑怪奇な多重性、個と集団での存在における変化(へんげ)を描いた大傑作」福田村事件 mayuoct14さんの映画レビュー(感想・評価)
人間の複雑怪奇な多重性、個と集団での存在における変化(へんげ)を描いた大傑作
長文ですが、興味を持たれた方はよろしければお読みください。
■人間の持つ「多重性」を当時の日常生活に据えた描写
少々長いな・・と思って見ていた時間もあったが、終わってみれば「必要だった」という感想。出てくる人たちは善人ではない。普通の人々。
・すぐに女の人に暴力を振るう粗野な男
・村に戻って来た静子さんにいろいろ詮索する村の女たち
・記者が見たことよりお上の伝達を信じるのかと、ジャーナリストとしての矜持を問われる新聞社の部長
・讃岐の薬売りのリーダーは、嘘も方便とばかりに商売では強かに振る舞うも、癩病のお遍路さんに施しをする。また、朝鮮飴売りの女の子に優しくする面を見せ、この人物も食べていくための表の顔と心根の優しさとが多重性として描かれる。
・東出さん演じる船頭も、単なる好色な若者なのかと思いきや、集団虐殺の時にはもめ事のきっかけを作ったことをすぐに悔やみ、皆を制止するような正義感も発揮する。
・その船頭を静子さんに寝取られた腹いせに豆腐に結婚指輪を仕込んで届ける咲江の気持ち。
みんなみんな、生々しい人間のいや〜な部分だが、誰もが普通に持ち合わせている性質。
・新さんが演ずる主人公「澤田」は最も多くの日本人の型を体現している。
→「見ているだけ」と静子さんに嫌というほど指摘され、クライマックスでも「またあなたは見ているだけなの⁈」と言われ、そこで漸く一瞬正義の人になる。
が、「嫌なものを見てしまったらそこから逃げる」(福田村に戻ることになる動機が表している)のがやっぱり人間の本質なんじゃないかと思わされる。
そういう「見なかったことにする」「見て見ぬふりをする」私たちを今回の主役で表している。
・薬売りの瑛太さんへ最初にマサカリ(ナタ?)を振るい、集団虐殺の口火を切る「トミ」。
→この人が強く印象に残った。彼女は本所に出稼ぎに行った夫が殺されたと思っている。その恨みは「火を放った」「井戸に毒を入れた」と言われている朝鮮人…この恨み、負のエネルギーがここで一気に爆発する。
頭で考えるより先に手が出てしまうこの描写。ホントにすごい。驚愕。
こういう、人の多層性というか多重性の描写には唸らされた。
■入れ込まれたテーマと、そこから受け止めた感想は大きく三点
・集団になった時の人間の残虐性(ヘイトや戦争に通じる)と、そうなったらどうにも止められない状態になることの恐ろしさ
・メディアやジャーナリズムとはどうあるべきか
→メディアに踊らされぬ「熱い心と冷たい頭」(by緒方貞子)が必要だということ
・集団(ムラ社会)のもつ異質排除、日本の持つ個を認めない社会構造と、そこに含まれる問題
感じたのは以上3点だが、新さんの舞台挨拶にあったように、澤田が受けた「日本人による朝鮮人の虐殺を目の当たりにした心の傷(感情が死んでしまった、見ているだけになってしまった状態)も一つ重要な要素としてあると後で思わされた。
さらに、プロレタリアートのサイドストーリー(亀戸事件。ここだけ実在の人物=平沢計七)も入ってきて、ちょっと情報量多すぎ感もあるが、まあそこは映画が「見せる」ので許容範囲。
木竜麻生さん演じた記者は確実に「作り手の思いで足したフィクション」だと思ったが、澤田夫妻もフィクション。そこはちょっと意外だったが、彼らが外側から村人やムラ社会を俯瞰するというつくりの映画だからそれも当然か。
人として、一番やってはいけないことは弱いもの(自分より下の者)いじめだと思っている。
だがそれは人間の最も醜い本質として誰の心にもあり、時に怪物のように出てくる。
これを、理性でコントロールできることこそ、また人間の本質である。
その究極の「弱いものいじめ」にどう至るのかをわかりやすく、説得力のある形で描いた凄まじい力と、ドラマとしての高揚感を持った大傑作のエンタメ作品だと思った。
■その他印象に残ったところ
・自分たちが穢多だとわかったらだめ、と行商の先輩がのぶ少年に諭す場面。
・瑛太扮する薬売りが村人に「鮮人なら死んでもいいってことか⁈」とつかみかかる場面。
・殺される薬売りの敬一(子どもたちをよろしく、の杉田雷燐)が
「俺は何のために生まれてきたんだ…」と呟きながら絶命する場面。
→このセリフはパンフ収録のシナリオと異なる。こちらの方が良いとされたのだと思う。
・音楽が素晴らしかった。エンドロールのピアノ曲も良いなあと思っていたら、鈴木慶一。
虐殺のクライマックスの太鼓による劇伴音楽が、止められない勢い、行くとこまで行ってしまう凄さを表すのに非常に効果的に使われていると感じた。
・ラストシーン、のぶ少年は生き残りとして讃岐の村に帰り、そこで好きなミヨと再開する。この結末が、映画冒頭のミヨがお守りをのぶにかけてやり「これがいつかあんたを守るから」にバックデートする、一筋の希望につながる作りになっている。
一度死んだも同然の壮絶な体験をしてもなお、良くも悪くも、のぶは生き残りとして人生を積み重ねて行くのだ。ラストにこれを持って来たことこそが、作り手が後世に残したい言葉なのだと思った。
■映画から派生して考えてしまったこと
なぜここまで観客を動かすことができているのか、自分なりに考察してみた。
今の日本で起きていることが100年前と変わらない、「変えないと」「それでいいのか」と思っている人が多いということではないか。
自分が職場で、学校で、いじめられている、あるいは、社会や政治にいじめられている
…と感じている人が多いということではないか。
ネットでのヘイト攻撃や外国人に対する日本社会や政治のあり方、自分たちが国(政治や社会)から受けている苦しみや閉塞感(分断や格差)、疑問等もあるのではないか、というところに落ち着いた。
映画全体から本当に、本当に、多くのことを考えさせられた。
・朝鮮人と日本人の対立構造
・被差別部落問題の歴史的背景
・軍人や警察のヒエラルキー
・男性の従属のもとで生きている当時の女たち
このように学びの材料が詰まりまくった映画。それをよくここまで消化、整理できたと感心する。
シナリオ(脚本部)、演出(監督)、演者、その他すべてこの映画にかかわった人々に最高の敬意を表します。