「残すべきか、忘れるべきか」福田村事件 toro koiさんの映画レビュー(感想・評価)
残すべきか、忘れるべきか
みてよかった、思ったことを散文につらつらと。
歴史を描く映画を観るといつも考えることがある。この歴史を、史実を、残したくない、忘れたいと思う人がきっと居るのだろう、と。今回の映画もそうだった。何が正解か、私にはきっと答えを出すことはできないけど、少なくともこの映画を見た方たちとこの議論はすべきなんだと思う。
一度誰も口に出さずになくなりそうだった歴史を映画に残すことの意味や、重さをもう一度考えたい。
讃岐三豊から出稼ぎに出てきた彼らに同族意識を持って観ていた。私は香川に生まれ育ち、全国水平社宣言を道徳の授業で劇にしてまで学習した。驚かれるかもしれないが、同和問題は私の学校では週一の道徳の授業の頻出トピックだった。(十数年前の話だし、私の生まれた場所も関係あるのかもしれない)それくらい私たちにとってそれらの問題は今でも関係がある話だし、祖父たちの代までは普通にその名を口に出していた。数年前、香川という田舎から出てきた私に立ちはだかった方言という壁が、当時の彼らを悩ましたのだと思うと、どうしても重ねてしまう部分がある。愛おしい故郷の言葉たちが耳に残り、映画を見た後も消えない。じょんならんね。
新聞記者はどうして最後真実を書くというのか。今世まで残らなかったということは、書かなかったのでは??嘘ではないのか…と思ってしまった。
一緒に見てくれた友人とは「人の弱さ」話になった。集団心理の中で、自分の思ったことを大きい声で伝える勇気はどこから生まれるんだろう。そんな人ほんとにいるんだろうか。人の弱さは集まっても弱いまま、汚い刃物になって誰かをボロボロにする。強さをもって、あつめて、それらから誰かや何かを守りたい。硬くありたい。その強さは教育から生まれる正しい知識からできるんではないか。そんなこんな。
共感ありがとうございます。
新聞記者は書かなかったでしょう、書いても載せられなかったか。忖度しなければひねり潰される世界は今も変わっていない・・小声でもモノ言うのがせめてもの良心と思います。