「今に通ずる事件の教訓とは?」福田村事件 しゅうへいさんの映画レビュー(感想・評価)
今に通ずる事件の教訓とは?
odessaで鑑賞(前売り鑑賞券使用)。
原案は未読。
福田村事件については本作の製作が発表されるまで全く知らなかった。発表後にウィキペディアで調べ、その凄惨さに衝撃を受けた。公開されたら絶対に観ようと決めていた。
不安と恐怖が歪んだ正義感を増幅させ、最悪の事態へ発展する。実話故の重みが心にずっしりのしかかって来た。
事件の起こるまでのドラマがやがて訪れる悲劇的な出来事へ向け、その下地となる人間心理や空気感を詳らかにする。
「朝鮮人ならば殺してもいいのか!?」と云う永山瑛太演じる行商人の言葉から惨劇へ移行するシーンがおぞましい。
猜疑が殺意に変わり、目を背けたくなる所業が繰り広げられた。日本人による日本人の殺戮。ただただ悲惨すぎた。
しかしそこで、私はハッとさせられたのである。自警団が行商人たちを朝鮮人ではないかと疑い詰め寄るシーンを観ながら私は、「この人たちは朝鮮人じゃない、日本人だから殺しちゃいけないよ!」と(劇映画だから悲劇が起こることは分かっていても)惨劇が回避されるように祈っていた。だが、上記のセリフを聞いて、この祈りは裏を返せば「朝鮮人ならば殺してもいい」と云う意味になるのではないかと気づかされ、無意識の内にそう考えていた自分に恐怖し、そして嫌悪を覚えた。
SNSが発達した現代社会にも通ずる情報・印象操作や集団心理の危うさに、周囲に踊らされず自分の頭でしっかり考えることの大切さを痛感させられた。
当時よりもさらに情報が氾濫する世の中において、どこまで己を貫くことが出来るか。おかしいことに声を上げねば新たな福田村事件が容易に生まれてしまう。
しかしながら、傍観者になっていないかと問われれば、否と言える自信の無いことにも気づかされた。井浦新演じる教師のように、果たして前に出られるかどうか…
※修正(2024/11/29)
きりんさん
コメントありがとうございます。
お返事不要とのことでしたが、拙文に過分なお言葉を賜りましてお礼を申したく存じます。
ありがとうございます。
嬉しいです。
レビューを消されたと云うのはさすがにひどいと思います。くれぐれもお気を落とされませんよう…
しゅうへいさんへ、
僕のレビューは、また消されていました。
たぶんこれで5回目だと思います。
何度も消されたので全てを「○○○■■■」の伏字にして投稿してあったのでしたが、先ほど見たらまた無くなっていました。
僕もお返事は不要ですよ。
しゅうへいさんの命のこもったレビューには胸を打たれました。
集団心理の恐ろしさは「ミスト」で描かれてますが、「福田村事件」の場合、先に差別意識、朝鮮人は危険だというすり込みがされていますから、抵抗するのは難しかったでしょうね。
朝鮮半島で生活して朝鮮人との接点がある井浦新と田中麗奈、博学でデモクラシー思想を持つ村長の豊原功補だから、かろうじて抵抗しました。が、村長も家族を持つ一住民に過ぎませんでしたね。
最初に斧を振り下ろした女性も、夫が朝鮮人に殺されたと思い込んで朝鮮人憎しの意識が高まっている状態でした。
みんな、可哀想でした。
共感ありがとうございます。
この村の凶行が特別なものではなかった所が恐ろしい・・震災ド真ん中の東京の厳戒、どさくさでのスト潰し、コミュニスト抹殺。秘密に出来ると思うのが愚かですよね。
こんばんは。確かに同調圧力の強い中で声を上げるのは勇気がいりますよね。当時、記者の中にもデマを信じず声をあげた人もいたみたいですが、興奮状態の民衆には届かなかったらしいですね。
この福田村で起きた虐殺の被害者が日本人でなかったなら、このように取り上げられることもなかったかもしれませんね。
事情がありこちらのサイトにはレビューがあげれませんのでお返事は無用です。