「過去の失敗をかみしめることは未来にとって不可欠」福田村事件 だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
過去の失敗をかみしめることは未来にとって不可欠
2023/9/6に鑑賞した。
見終わって気づいたけど、福田村事件が起きたのは1923/9/6で、ちょうど百年前のことだった。
百年は、遠い昔のようでそうでもない。
1923年は大正12年で、私の父方の祖父母は大正6年あたりに生まれているから、彼らはもう生きていた時代なんだな。
東出昌大と永山瑛太が小競り合いを始めたあたりからの、凄惨で愚かな描写には強いショックを受けた。
加害者は無知で偏見があり、毎日必死で生きているどこにでもいる人たちだった。
私も、不安定な状況に追い込まれれば、あのような凶行を起こしうると思った。
あるいは、澤田(井浦新)のように何もできずに、誰かが誰かを殺すことを傍観してしまうと思った。
永山瑛太達の行商団は、被差別部落出身者だったらしい。パブではあえて伏せられていたようにも思った。
彼らも出自によって差別されることもある。差別されるものが、より”下”を設けて憎悪をぶつける。
愚かしいことだけど、今の世でもよく見る光景で、瑛太はにがにがしく思ってるようだった。
らい(ハンセン病)の患者に適当な口上で薬を売り、その罪悪感を別のらい患者への小さな施しですこしだけ慰める。
仲間が発する朝鮮人への憎悪をそらすために、朝鮮飴を売る女の子からたくさん飴を買って、女の子から扇子をもらう。この伏線すごいなと思った。
柄本明とその息子夫婦のくだりはなくても本編に支障はないけど、田舎の閉塞感、親子の微妙な関係が生々しく、印象に残った。
狭い村で、娯楽も社交も思想もぜーんぶ共有するしかない。村の空気にそぐわないことはできない。
あの感じ、地元を思い出す。
東出昌大と浮気する豆腐屋の嫁は、コムアイだったらしい。初めましてだった。
コムアイが豆腐に指輪を仕込んで井浦新・田中麗奈夫妻に波紋を投げかけたところで、東出・田中の船上のまぐわいを恨んで何かやばいことしないか心配してしまったけど、そっちは杞憂でよかった。
水道橋博士がすごいいやな役をしていて、学がある村長への劣等感、そんな中で在郷軍人会の会長?という、肩書ができて少しは劣等感をかき消せると躍起になってる感じがすごーく出てて、よかった。
新聞社でのやり取りも緊張感があって、脚本もすごくいいと思うし、役者も豪華でよかった。
永山瑛太を殺したのは、乳飲み子を背負っている出稼ぎ夫が朝鮮人に殺されたと信じてしまった若い女だった。
彼女を断罪すればいいとは思えない。
世の中の悪事は大体(共産)主義者、不逞鮮人がやってるとの言説が流布し、実際に共産主義者と朝鮮人をいじめ倒しているから恨まれてるって分かってるし、真偽を確かめる術がない。
その状況で、反抗できるわけないよね。
でも愚かしい差別や、差別を燃料にした虐殺は起きてほしくない。その防止には何ができる?
教育?大事だけど万能じゃない。格差是正?富める者が既得権益を手放すとは思えない。
人間の歴史は、美しい面と福田村事件のような惨たらしい面があり、特効薬はない。
ので、現時点で道半ばなのは致し方ないのだけど…
鑑賞後にニュース動画を見たら、松野官房長官が、朝鮮人虐殺は記録がなくて確認不能と言っていて、びっくりした。そういえば小池都知事は、虐殺被害者追悼集会への追悼文を出さないし、南京大虐殺もやっていないって考えるひともいるし…何を見るとそんな見解になるのか理解できない。そんな意見の人に政治を担われたくないと思った。
映画『福田村事件』を観て、「鮮人」という蔑称を初めて知った。まだまだ知らないことが多いんだなと思った。