「オールスター不発祭」アムステルダム 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
オールスター不発祭
監督はデヴィッド・O・ラッセル。
キャストはクリスチャン・ベール、マーゴット・ロビー、ジョン・デヴィッド・ワシントンを筆頭に、クリス・ロック、テイラー・スウィフト、ゾーイ・サルダナ、マイク・マイヤーズ、マイケル・シャノン、アニヤ・テイラー=ジョイ、ラミ・マレック、andロバート・デ・ニーロ…。
画面に誰かしらビッグスターが映っていると言っていいほどのオールスター・ムービー。
史実とフィクションを交錯させたサスペンス、アンサンブルとユーモアと風刺、友情や愛のドラマのエンタメ性。
連続ホームランを飛ばすラッセルが、またまた大ヒット&高評価で、今度のアカデミー賞でも大いに賑わす。
…と、誰もが思っていた。ところが、
大コケ。批評も酷評レベルに鈍い。
どうした、ラッセル!? 7年ぶりの監督で勘が鈍ったか?
とは言え、ラッセルがホームランをかっ飛ばしたのは『ザ・ファイター』『世界にひとつのプレイブック』『アメリカン・ハッスル』までで、前作『ジョイ』はちょいコケ。
それに、見ればまあ納得。
話は面白味はある。
第一次大戦下で出会った医学生のバートと黒人兵のハロルド。野戦病院で看護師のヴァレリーとも出会い、3人は終戦後のアムステルダムで友情を深め合う。
1933年のNY。バートは負傷兵相手の医師に、ハロルドは弁護士となり、親交は続いていたが、ヴァレリーとは疎遠になっていた。
ある日、兵役中の上官であった将軍が不審死。将軍の娘から解剖を依頼されるも、彼女も何者かに殺され、挙げ句にバートとハロルドはその容疑者にされてしまう。
潔白を証明する為に独自に調査を開始。その渦中で芸術家となったヴァレリーと再会。
やがて3人は、世界を揺るがす大陰謀に巻き込まれている事を知る…。
基となったのは、1933年にアメリカで実際にあった政治的陰謀“ビジネス・プロット”。
ナチスに傾倒した財政家たちによる組織(劇中では“五人委員会”)が大物軍人(劇中でデ・ニーロのモデル)を指導者に立て、政府転覆を企てたもの。が、反発した大物軍人に暴露され、クーデターを起こす事もなく失敗…。
民主国家のアメリカを独裁国家へ。何とも前代未聞の陰謀。これが成功してたら歴史的大事件になっていただろう。
歴史に埋もれていた史実だが、何処か都市伝説的な匂いもする。“ミスター都市伝説”なんかは好きそう。
あのドヤ顔がちらつく。いいか、これは本当にあった事だからな。いい加減気付けよ、お前ら。
ラッセルはあくまでこれをエンタメに昇華。
主人公が陰謀に巻き込まれる設定は、ヒッチコックの十八番の巻き込まれスリラーを彷彿。
思っていた以上にユーモアもあり、豪華アンサンブルとアムステルダムや1930年代NYの美術や雰囲気、衣装や凝ったヘアメイクなどが彩りを加える。
しかし、これだけの材料、要素、超一流の映画人が揃いながら…。
今回ばっかりはラッセル、策士策に溺れたようだ。
批評で“複雑なプロット”とあるが、確かに入り組んではいるが、そこまで複雑ではない。
複雑と言うより、いまいち分かり難いプロットと言った方がいいだろう。
妨げてしまったのは、作風。多ジャンルを巧みに捌いたように見えて、巧く捌けていない。つまり、
サスペンスにしたいのか、コメディにしたいのか、歴史劇×メッセージ性のある風刺劇にしたいのか、男二人女一人の友情と数奇なドラマにしたいのか…?
例えばヒッチコック巻き込まれスリラーはサスペンスを主軸にエンタメに徹していた。『シャレード』はサスペンスの中にロマンチックなムードと洒落たセンスが際立っていた。
本作はハラハラドキドキのスリルが盛り上がらない。3人がクライマックスの戦友会にて陰謀を暴く作戦を立てるも、スカッとするようなカタルシスにも欠ける。ユーモアも時々空回り気味。題材は食指そそるが、全体的にちと把握しづらい。
ラッセルは実話を基にサスペンス×コメディ×豪華アンサンブルの『アメリカン・ハッスル』路線を再び狙ったのだろうが、ダラダラ説明的な会話が続き、演出も話の面白味も展開も弾けず。ムードやこの豪華スター共演だけが楽しい作品になってしまった。
この題材、この面子。
クライマックスのデ・ニーロのスピーチも今の世だからこそ響く。
本来面白くなれた筈なのに、成り損ねたような…。
本当に、う~んう~んう~ん…惜しい!
嗚呼、惜しい!