「奇妙だが斬新」泥の子と狭い家の物語 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
奇妙だが斬新
とても奇妙な物語
登場人物たちの持つ問題点をすべて解決するための手段が「家族解散」だった。
そこには家族みんなが納得済みであり、解散してもなお家族という絆だけは残っている。
家族というものに対する新しい形を視聴者にプレゼンした作品とも取れる。
この最後の家族解散が大どんでん返しと同時にオチにもなっている。
カガミという名前も非常に気になる点だ。
彼女は魔女役として登場しているが、実際には内田家の負の感情の総合であり、まさにそれを鏡のように生き移したと考えることができる。
そして影絵のような黒猫たち
彼らは影であるにもかかわらず、内田家の負の感情を実在化したカガミを訝る。
黒猫たちを飼う占い師の登場はお決まりのパターンにも見えるが、この物語はそんな予想を超えてくる。
カガミは実在したのだろうか?
タックンは警察を呼びに行ったが、その後の鏡については語られていない。
さて、
父はなぜ自宅を破壊し始めたのだろう?
冒頭から自宅の狭さを嘆く主人公小豆のセリフがあるが、それを指摘していたのは小豆だけであり父も母も祖母も家の狭さに言及していない。
当時身の丈ではあったものの無理をして購入した一軒家
そこに生活のすべてと家族の思いのすべてを詰め込んで生きていかなければならない。
多少の我慢
誰かの所為にしてしまうこと
それが「あたりまえ」だと認識されれている。
そこに疑問の余地はあまりない。
そこに意義を申し立てれば、「家族解散」となる。
そこに現代社会の見えない線がある。
「決して超えてはならない」という暗黙の一線がある。
だから誰もそれに意義を唱えることはなかった。
しかし、
この作品はそこに切り込んだのだ。
内田家の人々はすべて別々に住むことで家族の絆を保つことに成功した。
昨今聞く熟年離婚
すべてのすべてが多様化するようになった。
したいことが「できない」のはなぜ?
もしそこに取り払うべきことがはっきりしたならば、「こんな解決方法がある」のかもしれない。
本音 本心
体裁と取り繕いが上手な日本人
でも、本心を明確にしてそれに沿って生きることには大きな価値が隠れているのかもしれない。
私の本心
本当にしたいこと
それを「何か」がある所為で考えないようにしていることは誰にでもあるように思う。
自分の本心を明らかにする。
この純粋な取り組みは遅すぎることなどないのかもしれない。
面白い作品だった。