劇場公開日 2022年11月19日

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「内容は面白い」森の中のレストラン R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5内容は面白い

2024年9月29日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

原作はないようだがプロットがよくできている。
最後のテロップで自殺者の数について書かれていることから、この作品は自殺を考えている人に向けられていることが伺える。
さて、
最初の自殺願望者が主人公であるシェフの京一だ。
飛び降り自殺が他人までも巻き込んでしまう。
実際に池袋で起きた事件もある。
それによって一人娘をなくした京一
そのどうにもならない感情の方向は、妻とは全く別へと向かう。
それが自殺者に対しせめてもの贈り物として料理を提供する森の中のレストラン
最後の晩餐レストラン
通常客が基本的な客層だが、「ひとり」という合言葉のような予約方法と、お金がなくても問題はなく、可能な限り食べたいものを提供する。
それがネットき書き込まれていること、そしてそこを最後の晩餐として、その森で命を絶つ者がいることに村人は腹を立てている。
このレストランへやってきた少女サヤ
父からの虐待は日常的に起きていた。
さて、
物語の変化は、このサヤとの出会いをきっかけに始まるが、京一はサヤの中に娘キョウカを見る。
キョウカの好物と同じものを最後の晩餐に注文したサヤに、心を動かされないはずはない。
寒い森での一夜
彼女を守ったのが飼っていた犬だった。
こうして彼女をアルバイトにするが、やがて警察と両親がやってきた。
父のお仕置き DV
それはエスカレートする。
父によって完全に支配されていたと思われた母だったが、娘に対する蛮行によって母性というのか良心のようなものを取り戻したのだろう。
再び森のレストランで仕事をすることになるサヤ
その顔は生き生きしているものの、収監されている母との面会はとても辛いことが伺える。
京一が始めた「最後の晩餐」
それは、自殺者のためのせめてもの贈り物だった。
それこそが「死ぬことだけを考えて生きていた」京一の見えていたこの世の救いだったのだろう。
しかしサヤとの生活の中で、その考え方は大きく変化したのだろう。
キョウカの死を招いた少年の飛び降り自殺
その両親をレストランに招き料理をふるまった。
それは、京一にとっての長い長いトンネルを抜けることができた証拠だった。
この大きな赦しこそ、この作品のメインテーマだ。
彼は「最後の晩餐はやめる。これからは料理で人を救う」と言ったが、救うというような大げさな表現ではなく、喜んでもらえるというような小さなことでいいと思った。
無口で無表情で無感情だった彼の仕事は、言葉と喜びとようやく動き出した感情によって味も大きく変わったことだろう。
サヤの救いは同時に心の傷を伴ったという現実感。
母の最後の気力が生まれたきっかけもいいプロットだった。
ハンターの欣二が店のオーナーという設定とサヤの携帯番号を知っていたプロットもよかった。
ただ、京一一人でサヤの自宅に乗り込んでいくのではなく、外にでも待機するあの二人がいてもよかったように思う。
また、
「死ぬことだけを考えて生きてきた」という言葉は、村上春樹の「多崎つくると彼の巡礼の年」の主人公のセリフだ。ちょっとだけ気になった。
物語は自殺をモチーフに描かれているし、何よりも最後のテロップもある。
ここに、物語との乖離が生じてしまっているように思えてならない。
この作品はもっと「赦し」に焦点を当ててほしかった。
自殺し損ねた京一が死ぬことだけを考えて生きてきたことから、彼の特質した思考を知ることができる。
妻との対峙もわかる。
そして出会ったサヤ
娘のような少女との再会が大きく彼の感情を揺り動かす。
サヤを守るための迫力のある格闘シーンは良かったが、サヤの自殺願望の理由を両親の自殺または事故死などにして、迫力シーンは欠如するが、お互いに何故死を選ぼうとしていたのかについて描く方が、自殺願望者や遺族へのメッセージにつながったように思う。
しかしながら、作品として面白かった。

R41