「90分のカップ麺」メイクアガール つつじさんの映画レビュー(感想・評価)
90分のカップ麺
ロズと迷ってこっちを見に来たが、自身がユアストーリーと二ノ国どちらを見るか迷って後者にした人間だということを改めて思い知らされた。
結果、大変楽しく鑑賞することができた。
本作は人造人間の明くんが、人造人間の女の子0号ちゃんを制作するところから始まるボーイミーツガールに見せかけた、ヤバい女性の狂気が主題の硬派SF作品である。
ボーイミーツガールを求めて鑑賞しに行くと、終盤で0号ちゃんが「明くんを傷つけることで自身がプログラムにとらわれない行動ができるのを証明する」という名目で本気バイオレンスを行うため、非常につらい体験をすることになる。
あと稲葉さんが0号ちゃんに成り代わったりする。そうして永遠の輪廻を獲得するための途中経過を見ることができる。
本作において主人公である明くん、ヒロインの0号ちゃん、明くんを制作した研究者の稲葉さん以外は全員舞台装置だ。
特に友人2人は気持ちが悪いくらい都合の良い動き方をするが、展開のためにそういうキャラ付けがされているだけなのでむしろ進行を妨げない自然な動きをしているということになる。
にもかかわらずどこか気に障るのは、そうした装置やモブにかなりの労力や情報を割いているからだろう。
例えば、幸村茜が明くんに対する好意を持っていることを執拗に描写するが、明くんがそれに足る人物であることの描写はほとんどない。なんか手はあったかいらしいが、それくらいだ。明くんは作中の大半で上手くいかないことに腹を立てたり稲葉さんと会話したりしている。加えてソルトを2体も使ったLUUPは惜しまず乗り捨てる。もっと気張って足で走れば追いつきそうなスピード感を演出されているのにも関わらずだ。
もしかすると0号ちゃんがそれを学習したという設定なのかもしれないが、「そういうふうにプログラムされたものである」という旨のセリフが存在する以上、幸村茜の必要以上の描写はノイズに感じた。
特に大林邦人はなんのためにいたのだろうか。彼女でパワーアップという衝動は彼からじゃなくても拾えたのではないだろうか。
そうした画面のディティールに対するあまりの情報量の少なさに、中盤あたりから恐怖を覚え始めた。
確かに、キャラは美しく豊かな表情に輝くような瞳は3DCGに思えないほど繊細で、学校机や自販機といった物でさえたっぷりの光とテクスチャを注がれてリッチな画面作りに貢献している。だからなんだ?
それらが美しく見える説得がされない。ただ理由なく、あたかも美しいみたいに演出される。都会の空を鳥が駆け、色づいたイチョウが舞う、それが次第に苦しくなる。キャラでさえこれはなんだと繰り返し問う。
物語は主要3人の内面で繰り広げられるのに語られない。キメのシーンこそ手厚いが、それに至る思考を追うような描写は薄味だ。
白々しい日常に時間が割かれ、セリフは表面をなぞる。そしてなんかカッコいい言い回しでまとまらない。
映画は冒頭でこう語る。これは5分かかるがカップ麺を自動で作る装置だ、人力の方が早いけど、と。
それがそのままこの映画のすべてだ。本作を90分流されるより、観た人から映画評を聞いた方が話も理解も早い。
しかし90分かけて作られる美しいカップ麺を味わいたいのであればこれほどおすすめできる作品もそうないだろう。
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追記
こんな評価にしているが心の底から楽しんだのは事実で、次回作を鑑賞しに行くことのは確実だ。
鑑賞を終えて帰宅した後、AIに強い口調でメイクアガールの批判をするよう頼み、それに対して私が擁護をするという形のセルフカウンセリングを行った。
それから、AIがあれば何かが変わると語る父の顔を思い出し、じゃあアンタはAIで何したいのよ浮かばないでしょと糾弾した母の顔を思い出した。
自分でも何を言っているのかわからないが、星5の作品が心を動かすのだとしたら、1.5の作品は心の座標をずらすような感覚にさせられる。
その晩、日本にいながらブラジルの朝日を望んでいるような気持ちだった。
何を言っているのかわからないと思うが、この作品を見れば実際このような気分になる。観てほしい。そしてネットでメイクアガールの話をしてほしい。頼むから。