「深刻なモラル欠如と脚本の未熟」メイクアガール 映画読みさんの映画レビュー(感想・評価)
深刻なモラル欠如と脚本の未熟
映像表現にはこだわりを感じ、作画や動きは良質に感じました。
ただ、映像にしか興味がないのかな?
ストーリーやキャラクター、そもそも他人や社会には一切興味が持てないままずっと生きてきたのでは?
と思わされる不快表現が、自覚できていない感じで90分続く印象だったので、星1.5とさせていただきます。
カップルやファミリーでは絶対に観に行かない方がいいです。
本作には後半に意図的な露悪演出シーンがありますが、全編を覆う不快感の原因はそこではありません。
物語全編を通して、全てのキャラクターが当然そういうものとして共有している人間関係の異常さが、とても苦しいです。
正直、この脚本を書かれた方(監督)は
・社会で発生するすべての人間関係を「支配と被支配」だけで見ている?
・「家族とは、暴力を伴う一方的な八つ当たりを受け入れてくれる相手」と考えている?
・↑それが異常どころか、とても尊い関係であると考えている?
・「才能のある人間は、大勢の他者に迷惑をかけてもいい」と考えている?
などなど、とても受け入れがたい倫理観を持っているのではないかと感じます。
見続けるほどに、疑惑が確信めいてきます。
これが「おかしな人たちしか生き残っていない何もかもおかしな世界」というテーマの作品ならまだ説明がつきますが、そうではないようで、しかも後半は「家族をテーマにした感動大作」のノリに持っていき、できると思っているようなので、異様なものを感じました。
以下、倫理的にアウトな所と、脚本的に未熟な所を具体的に指摘します。
---倫理観のズレ---
主人公アキラはASD傾向でパワハラ気質で自己中心的で暴力家の「人の心がわからない、高校生の天才科学者(工学&生物学)」です。
この「人の心がわからない」には一応理由もあるのですが、アキラが「自分がスランプを脱出するべくパワーアップするために、『彼女』を人造した」という噛み合わせがきついです。
アキラは自分が作った彼女=0号のことを、徹底的に自身に対して奉仕するモノとしか見ていません。人間らしくなれと指示して、バイトをさせ、飯を作らせ皿を洗わせ、0号が頑張って人間に近づいたら今度はその言動が研究の集中を欠くからと苛立ち、「彼女がいても、パワーアップできない」とわかると、時間の無駄だった!として、モノとしてあっさり捨てます。そして、時間の無駄をしてしまった自分は、なんて間抜けで、才能に恵まれていなくて、可哀相なんだ! とひとり嘆いてオフィスで暴れ回りモノに八つ当たりします。
このアキラと0号の「関係」描写は、ラブコメや少年の苦悩ではなくて、単に極めて自己中心的な人間の、前時代的ないじめ描写です。
これらは「不器用な少年にとって、0号が手に余る存在だったから」と解釈しようにも、主人公は頑張ったり奉仕してくれているソルトたちに対しても「ただのモノ」として杜撰に接しますし、なぜか0号まで他のソルトに対してそういう描写があります。
「作者側がヒーローのつもりで描いている、食べ物を遊んで無駄にして笑いを取るキャラ」のようで、見ていて気持ちのいいものではありません。
また、特に主人公と同じ背景を持っているわけではない他のキャラクターたちも、他者をモノ的に扱っている描写がかなり滲みます。
例えばアカネは「つかんで相手を逃げられなくして、力を溜めて打つグーパンチ」を何度も日常シーンのツッコミに使いますが、それを受ける男子側は怯えた顔をしたり背中を背けて怖がっていたり、まったく笑えません。これも、いじりでは済まないいじめ描写です。人間関係を支配と被支配で捕らえるのが当然、または他者をモノとしていないと出てこない描写です。
これらは、なぜ私たちの暮らす現実世界では
「頭を冷やしてほしい相手に、溜めグーパンチではなく『張り手』をするのか」
「冗談やボケへのツッコミは、溜めグーパンチではなく『やさしいチョップ』なのか」
という人間の自他感情の機微を、脚本(監督)がまったく理解できておらず、映像的にこっちの方が映えるからと溜めグーパンチで作ってしまっている印象があります。
モラルに欠けた人が投稿してすぐに炎上する「面白動物虐待動画」をずっと見せられているようで、とても気分が悪かったです。
倫理的な面で、意図せずして一線を超えている表現が多すぎます。
これらの根本的な問題に比べれば、終盤の露悪展開はまったく邪悪にも感じません。
---脚本の破綻---
上のクリティカルな要因と比べれば些事ですが、一応具体的に指摘しておきます。
粗探しはしていません。
①賢い設定のキャラが全く賢くない行動をしている
主人公アキラは(出自が曰く付きで、母の研究を引き継いだとはいえ)ソルトを作りあげた天才科学者です。エリの発言からも、研究者としての能力は極めて高い設定が読み取れます。巨大なラボを維持できたり、ソルトが広く普及している様子からも、世間的な評価もそうなのでしょう。
しかし「うまくモノが作れないスランプ」に陥り、友人のクヒニトが「彼女ができたらパワーアップできた」と言えば、それがスランプ脱出の突破口だとなぜか確信し、一瞬で人造人間たる彼女を作り、「ラボのどこに立っていれば自分の能力が勝手に上がるか」を試すも効果がなくて首をかしげる……
この世界でも初めてのレベル(後半判明)である「人造人間を一瞬で作り」の時点で大偉業で、スランプは脱出しているとしか思えないのですが、彼の中ではなぜかそういう判定にはなりません。後半になれば、母が自分を作った時のデータを流用したからそう考えているのだろうなとは繋がりますが、じゃあ彼は何ができれば満足するのかがわかりません。
また、天才科学者という設定なのに「彼女ができたら、自分の能力値が自動的に上がり、失敗していた研究が勝手にうまくいくと思っている」(0号の立つ場所実験から推測される内容)という言と動が、並未満にお馬鹿で、どこが天才なのだろうかと思ってしまいます。彼自身が人造人間なので、能力=パラメーターと捉えているのは発言から推測できますが、それでもこの頭の悪さでは周りが天才科学者と持ち上げることも無いと感じてしまいます。
これは彼だけではなく、研究者であるエリの「ソルトが泥棒されないように、サポートロボットであるソルトからサポート機能を抜いて高機動型にした。これでソルトも泥棒に捕まりそうになったら時速60km、車並の速さで逃げられる」という謎発言にも通じます。
サポートロボットからサポート機能を取ってしまったら、壊したと同義です。作中でもツッコまれていますが、研究者という立場ではギャグになっていないです。しかも「泥棒から逃げるため」もロジックの面でわかりません。泥棒を撃退または捕らえる戦闘力を与えるとか、勝手に帰って来られるようにするとか、そういう方が凡人でも思いつく実用的な発想に思います。彼女がソルトを盗んでいた犯人でありそのフェイクだとしても、泥棒と追いかけっこする前提のフェイクというのは教授相手には無理筋ですし、しかも言った直後にあっさり目の前で持ち去られ、ギャグのオチ的に場面転換します。大慌てで通報ぐらいの動きをしないと変です。さらに、終盤では高機動型ではない無改造のノーマルソルトたちが、主人公と共に車並の速度でカーチェイスします。「サポート機能を抜いたから高機動にできた」というエリの話と矛盾しています。
②嫉妬するはずがない
結局は自分自身が人造人間だったから優秀だったというアキラのオチですが、本作はモノに対して全員の当たりがキツく、その倫理観で言えばアキラもまたただのモノです。
クニヒトやアカネも実は知っている上で世話係をしていると取れるシーンがあるので、エリが知らないわけはないでしょう。明らかに便利なモノ(研究だけする、モノ)である主人公に対して、エリが嫉妬するとは思えません。エリは主人公の才能を飛行機、自分の才能を車だと思っていたようですが、思わないと思います。
あとこれは演出面ですが、エリが犯罪行為の頼みとする乗り物がSUVのレクサス?というのは非常に違和感がありました。メタ的に好みのクルマを入れてしまっただけかな、と。
③話のメインに0号がいない
0号は中盤に八つ当たりで捨てられると事実上退場し、最後にちょっとだけ唐突で強引な役割があります。
このコンセプトアートを提示しておいて0号が実は添え物というのは、企画としてとても残念です。
④よくあるネタが、過去作を下回っているまま出ている
0号の葛藤と真相は、『エヴァンゲリオン』の綾波レイ~碇ユイで、そのままのフレーズまで存在します。ネタが被っていることが問題なのではなくて、30年前の作品の方がずっと上手くやっている状態で提供されているのに問題があると感じます。人造彼女とクラスメイト含めて高校生活というのも、3年数ヶ月前にあった『アイの歌声を聞かせて』と路線かぶりで、しかもアイ歌のが上手くやっています。自分的にはアイ歌はかなり不満の残る作品でしたが、本作と比べればずっと上に感じました。やはり、先行例が多い手垢のついたモチーフを未満状態でそのまま出すというのが、脚本という構成要素自体の軽視を感じます。
⑤ヒーロー性に共感できない
前述の倫理的な指摘とも重なりますが、主人公が街中をハッキングして(あの何度も首が取れていた失敗ソルトが、身勝手な広域ハッキング研究だったことに唖然です)0号誘拐犯を追い詰めるのが、かっこいいと思えません。いちいち信号機が無効化され自動運転を乗っ取られた車同士がぶつかるシーンまで描かれていて、最低だなと思いました。
映像的にかっこよければ、なんでも無茶苦茶できる全能の力があれば、イコールで「爽快感のあるヒーロー」になのか? なりません。
応援したくなるヒーローとは、自分の欲望のためだけに無辜の他者(モノ含む)をぞんざいに扱ったり傷つけたりしない者です。ダークヒーローも、自分の美学に意識や覚悟をもって動く結果悪になるという存在ですので、本作のような「ただの強い力を作者から与えられただけの、無神経」ではありません。人気が出るキャラクターの造型についてもっと学ぶ必要があります。
⑥説明不足
見ながら「あれ? どういうこと?」となる場面が多いです。
主人公と0号は別々に住んでるの? じゃあ夕飯シーンは通い妻? え、エリが隣に住んでる? 冒頭のラボでは久しぶりに会ったみたいな会話だったのに? というかこの主人公、この性格なのにラボで寝泊まりしてないの? クニヒトとアカネは当然のように同じバイト先だけどなんで? 0号を働かせるって、バイトの採用までクニヒトが決められるの? 二人は主人公の監視役だった? ならバイトする必要もその暇もないのでは? そもそも主人公は高校通う必要ないのでは? 主人公が母の意志を継いで本当にしたいと思っていた研究はどれ?(まさか広域ハッキング?)……などなど
脚本術的な指摘で言うと、「突飛な設定を繋げれば脚本、ではない。5W1Hをちゃんと自然に入れていこう(お話をストレスなく追えて入り込めるように、情報の提示順を整理していこう)」という、大前提に対する指摘となります。
はっきり言って脚本とは、映像制作や声演よりもはるかに、ほとんどの総合エンタメコンテンツの構成要素の中で、最もコスト&スピード的に調整しやすいパイです。それは逆説的に、低予算だからという言い訳が効かない箇所ということでもあります。
クラウドファンディングで資金を集めた映画と鑑賞後に知りましたが、それならば使い道の力点が大きく間違っているように感じました。ストーリーもオリジナルIPも、「映像だけ」で好評が得られるほど甘くはありません。
---まとめ---
脚本が未熟と感じる作品には自分は厳しくなってしまいがちですが、本作は未熟というよりももっと根本的な所で躓いていると感じました。
本作の監督は、脚本を書く資格がないのでは、集団制作の上に立ち他者を使う資格がないのでは、と思わされる作品でした。どんな方にも、おすすめはしません。