ファミリアのレビュー・感想・評価
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つまらなくはないが、自分の期待値ほどでもなかった。
前半パートはほのぼの家族物
後半パートはヴァイオレンス抗争物
感動作品という触れ込みだったが、
前半はやや退屈で
後半はちょっとやり過ぎ感が残りました。
全体を通して構成的にちょっとゴリ押しが過ぎる印象。
家族愛をテーマにした隠れた傑作
役所広司が主演であり、日本に不法滞在しているブラジル人をテーマにした話かと思っていた。
しばらくはそのつもりで観ていたが30分程でまったく違うテーマであることがわかった。
息子が紛争孤児である女性と結婚しナイジェリアでのプラント開発の仕事を辞めて陶工房を継ぎたいと話すも、それを拒否する役所広司演じる神谷誠治。
陶工房では満足な収入がなく、妻が働きすぎたことで病死したからだ。
誠治の住む地域にはブラジル人の不法滞在者が住む団地があり、男性は土木作業などの日雇い労働を、女性はキャバクラで働いている。
ここからブラジル人と誠治の交流が始まるかと思いきや、半グレがどんどんブラジル人たちを追い込んでいく。
半グレのリーダーである榎本の妻子がブラジル人の飲酒運転事故に巻き込まれ亡くなっていたという理由が明かされ、ここで役所広司に始まり吉沢亮や佐藤浩市、松重豊などのそうそうたる俳優陣がこの映画への出演を決めた理由を垣間見た気がした。
誰しもがそう行動した「理由」を持っているのだ。
誠治の息子である吉沢亮演じる学がナイジェリアでテロの人質に巻き込まれてしまった時はここまで風呂敷を広げていいのか?と勝手に心配したが、ここでの息子の死が重要なファクターとなった。
誠治やブラジル人少年のマルコスが現状を打破しようと必死にもがくが、現実は時に無情で残酷だった。それは榎本にとってもそうだったのだろう。
終盤にマルコスとその恋人エリカが半グレに追い詰められ生きるか死ぬかの瀬戸際にいることを知った誠治は身を張って半グレ集団のアジトに乗り込み、マルコスたちを救った。
息子や孫を失った誠治にとって、ある意味で自分自身をも救う行為だったのだろう。
今日も誰かが誰かのために行動している。
血縁関係に関わらず、絆や愛はそこに自然と生まれるものなのだと感じた。
おそらく大ヒットはしないだろうが、観た人の心を打つ隠れた傑作になる映画だった。
ひどい日本人達のお陰でウルウル。
あ、こりゃ予告編に騙されてたな。てっきり役所広司と吉沢亮の親子にブラジル人の男子が家族になる国境を越えたハートフルコメディだと思っていたのに、全然違ったわ。
在日ブラジル人のマルコスは、半グレに追い詰められていた。ん?シャブを捌くように言われてたのに、暴力団に横取りされる。その金返せって?それ、悪いのヤクザじゃね?いや、全員ダメだよ。暴力に追い詰められたマルコスは逃げようと誠治のトラックを盗もうとしてミスってトラックぶつける。そこで出会った誠治の優しさが凄い。クルマ壊されたのに、全く怒ってない。そんな人いる?それからマルコスの彼女を絡めてジワジワ仲良くなっていく3人。
驚いたのは息子の学、仕事先のアルジェリアで出会った女子と結婚し、ちょっと帰国。会社を辞めて家業を継ぎたいと告白するが、誠治に断られる。本人は納得してないだろうけど、仕事を終わらせる為にアルジェリアに戻り、事件に巻き込まれてしまう。まさかのウルッ!
全体的に嫌いな暴力にだらけなんだけど、その暴力に正義がないのがハッキリしてるので、それほどモヤモヤせず、ムカムカできた。それにしても笑いながら人殺すってひで〜よな、日本人って。
役所広司と吉沢亮の親子の関係、何だかあるあるで、とても共感できたのと、役所広司と刑事役の佐藤浩一の幼馴染みトーク、とても良かった。最後はこれで?って感じでしたが、とても楽しめました。
問いたい。
大事な問題を扱ってるのにドラマに頼りすぎてないか?
ドラマのためのドラマ、悲劇のための悲劇になってはいないか?
例えば、何故吉沢亮があんな上滑りする演技しか出来なかったのか?あのシーンでマルコスがせいじさんの台詞を待ってしまうのは何故か?あんな東映ヤクザ映画みたいな展開は必要なのか?テロのくだりは必要なのか?
そこを問いたくなった。
🎥バベルのアンサー作品と言う見方。
詰め込みすぎ、展開がご都合主義的、という批判を敢えて考慮してもそのテーマ性、伏線の回収率、カタルシスの高さ、明確なる作り手としての解も重さ、高く評価して良い‼️役所もさることながら佐藤浩一、MIYABI の演技は素晴らしい。敢えて言えばMIYABI の演技のニヒリズムと物語上の設定が少し噛み合ってないのが難。
地球上のすべてが家族と思える日が来てほしい
今日は2023年最初の金曜日で、公開作品がめじろ押し。で、上映スケジュールを考慮して2本目に選んだのが本作。
ストーリーは、一人暮らしの陶器職人・神谷誠治が、赴任先のアルジェリアから婚約者ナディアを連れて一時帰国した息子・学を迎えたところに、半グレ集団に追われたマルコスが逃げ込み、彼をたまたまかくまったことから在日ブラジル人と交流するようになり、そこで知った彼らの思いやアルジェリアに戻った息子を襲った事件を通して、ある決断をしていくというもの。
物語では、主人公の神谷誠治を中心に、誠治の息子とその婚約者、義理の兄夫婦、在日ブラジル人家族、半グレリーダー・榎本と妻や娘など、さまざまな家族が描かれます。また、家族に近い存在として、誠治と同じ施設で育った旧友・駒田隆、マルコスと恋人のエリカ、彼らの幼なじみ等が描かれます。(広く捉えればこれに、半グレ集団、ヤクザ、テロ組織も加えてもいいかもしれません。)そして、それぞれが自分の家族や恋人や仲間をとても大切にしています。
それ故に、それを踏みにじるような行為は決して許すことができず、相手を恨んだり、憎んだり、復讐しようとしたり、排除しようとしたり、信用できなかったりしてしまうのだと思います。本作でも、そんな悲しい負の連鎖が描かれているようで苦しくなります。ラストは、「暴力には暴力で」という決着かに見えてさらに暗い気持ちになりかけましたが、ぎりぎりのところでそれを回避した展開にわずかながらの光が見え、ちょっとだけホッとしました。
本作の舞台は、在日ブラジル人の最も多い愛知県、その中でも上位の豊田市です。豊田市在住ではないですが、自分の住む街にもブラジル人が本当に多く、仕事で関わることも少なくありません。言いたくないですが、トラブル発生率はかなり高くて、つい「だからブラジル人は…」と彼らを一括りにしたくなることもあります。でも、それがダメなのです。言葉も通じない異国で不安と戦いながら生きる彼らに、その一人一人にもっと寄り添う必要があるのだと思います。国際間の緊張が高まる一方の昨今、人種、外見、言葉、文化、風習等、さまざまな違いを乗り越えて、地球上のすべてが家族と思えるような日が来たら素敵だろうな、なんてことを考えてしまいました。
主演は役所広司さんで、期待どおりの抜群の演技です。脇を固めるのは、佐藤浩市さん、中原丈雄さん、室井滋さん、松重豊さんらベテラン俳優で磐石の布陣。若手では吉沢亮くん、高橋侃くんらが好演。あと、なにげにMIYAVIさんが、うまくハマっていました。「ヘルドッグス」の時も感じましたが、この手の役は抜群にいいですね。
詰め込み過ぎで、練り込み不足?!
ブラジル移民の問題あり、半グレ集団の問題あり、中東ゲリラの問題ありと、今どき(?)の政治問題、社会問題がてんこ盛りに詰め込まれていて、視点がとっ散らかってしまったというのか、フォーカスが甘くなってしまったというのか、ストーリーの練り込みが足りなくなってしまったというのか…。とにかく、そんな残念な一本になってしまいました。評論子には。
おまけに、誠治(役所広司)と半グレ集団のボス海斗(MIYAVI )との対決は、いかがなものだったでしょうか。
評論子の脳裏には「アジャン・プロボカトゥール」(教唆する刑事巡査)」という刑事訴訟法の教科書であれば、どんなに薄い本にも必ず載っているフレーズが思い浮んでしまいました。
これは、「捜査機関またはその協力者が犯罪を犯しそうな者に接近して犯罪に導き,犯罪の実行をまってこれを捕らえる捜査方法」のことを言い、「国家がみずから犯人を作り出しながらこれを捕らえて罰するというのは不公正の感を免れず,アメリカでは犯罪実行者の処罰自体を問題にする」とも解説されています(出典はいずれもコトバンク)。
(老婆心ながら、せっかく誠治に対する殺人未遂などに基づいて半グレ集団を立件・起訴できたとしても、ちゃんと裁判官を納得させられて、有罪判決が取れるのでしょうか。録音した証言だって、あとで「それは暴行されて、やむなく誠治の意に沿うウソの証言をしただけ」と言われれば、それまで(誠治が拷問をして証言させたことは事実)。作品中では、警察当局は(懲役)15年は固いと、自信満々だったようですけれども)。
いろいろと詰め込み過ぎて、ストーリーの練り込みが足りなくなってしまっている弊害が、そんなとこにも出てしまったように、評論子には思われます。
名俳優たちの演技に魅了される!が、
役所広司さんの圧倒的な演技力。
前半の父親としての姿、職人としての姿
後半の復讐心を持った父親の姿。
本当に素晴らしい。
何気なく見たのもあって、びっくりするほど有名な俳優がたくさん出て驚きもしました。
内容としては、ブラジル、テロ、半グレ、家族
と大きく分けても4つの内容がごちゃ混ぜで、てんこ盛りすぎる。でも話の流れ的には全部ないと理由付けができないんだろうなと思った。
ただ、SEXのシーンは本当に要らないと思った。
テロも人種差別ももう懲り懲り
心揺さぶるヒューマンストーリー。
アクターの皆さんの好演が光る秀作です。
移民の皆さんへの差別と無用な仕打ちは許し難い非道な行為で心が痛みます。現実社会では起きていない事を願うばかりです。
アフリカ大陸のテロ行為で罪のない善良な人々が殺害されるのは断じて許せないことです。平和な世界の実現を願うばかりです。
3
何か惜しい
役所広司は素晴らしい。
でも、なんか惜しいのよ。
説明が長いというか、会話のテンポが悪くて。
比べることや同じようにする必要もないのかもしれないが、外国の映画では1分で済むような会話が5分とかダラダラと。
それと、終盤のマルコスとエリカのマンション屋上でのシーン。
それ要る?そこだけ外国風に濃厚にしてみました的な。
なんだかちぐはぐな感じ。
難民や出稼ぎ(死語?)ブラジル人達が日本で受けてきた理不尽な待遇、仕打ち。
アルジェリアの紛争。人質問題。
解決出来ない問題、いろいろ盛り込み過ぎのようにも感じて。
マルコス達だけがファミリアになっても問題は山積みだからね。
ブラジル期間工問題
人の世は、ほんとに様々な矛盾をかかえております。
トヨタ自動車のホームグラウンド、豊田市が舞台で、自動車工場の製造工、とくに派遣や期間工は今や日系ブラジル人の方や、東南アジアからの技能実習生等の外国人の方々に支えられてることは、周知の通りですが、雇い止めによる外国人期間工の急激な貧困化、とくにリーマン・ショック時の一斉雇い止め問題をチラッと匂わせております。
失業手当をもらえばいいだろう?とか、トヨタだから給料よかっただろう?とか、一回帰国してまた戻ればいいじゃん?とか、雇い止め後にクーリング期間あけてまた雇ってもらえばいいじゃん的な他人事的発想で問題を非人道的に矮小化することもできますが、もし自分が同じ立場ならそんなこと言われたらキレますよという話。
でも、これで製造業に勤める日本人が飯を食わせてもらうというのは、なかなか居心地の悪いハードな問題。
そして雇用促進団地はブラジル人だらけ。かなり不謹慎な表現ですが、わかりやすくいうと銃なしの超リトルシティ・オブ・ゴッド化していくという話です。闇は深ければ深いほど、怖い、悲しいといった人の感情に訴えかけますからドラマティックになるわけです。
日産のある横浜、スズキのある浜松、ホンダやスバルの工場がある群馬や栃木、マツダのある広島、バイクでもいいですが、その他全国各地で少なからずある話と思います。
銃はなくとも、包丁やスコップはあるわけで。
貧困や無意味な外国人差別は犯罪の温床や治安悪化につながりますよ、という単純でつまらない説教で終るならわざわざ映画にしなくてもよいのです。差別はリアルなものは描かれてません。特定の恨みをもった半グレを登場させることで無理やり差別感情を映画全体に漂わせてる感があります。それでも、ドラマを暗く盛り上げるには必要だったと思います。
外国人労働者を同一賃金同一労働でこれから雇うのか?とか話は複雑ででかくなりすぎるので、役所広司と吉沢亮の演技と人気で収めておきましょう、ということでしょう。そして、ブラジル人の役者さんも当たり前だけどリアルで素晴らしい。
今をときめく吉沢亮はここ最近どんだけ映画出てるんでしょうか?このような社会派映画にも出演。お体大丈夫でしょうか?というより、なぜかプラントメーカーに就職して治安の悪い国に勤務。トヨタ自動車がある街で、英語もできて、プラントメーカーみたいなエリート会社に就職できるくらいデキる人なら、地元でよくない?みたいな、野暮な疑問もわきますが、外国人労働者の多い街に生まれ、外国人労働者の貧困や差別をみてきたので、そういう人たちのために働きたかったということでしょう。そう捉えるのが人の道というものでしょう。
それが、そういう純真で素晴らしい人を、何も知らないテロリストが、私利私欲、怨恨晴らし、仇うちに利用するというところから、物語は一気にダーク化します。
役所広司も、息子の吉沢亮に劣らず、ものすごく優しくていい人。でも、昔は手がつけられないワルだったということで、怒りの発露はプロ中のプロだったはず。まさかの不幸続きで、いつ来るかと期待感が募ります。その怒りがいつ爆発するか?というスリルが見物なんですが、暖簾に腕押しというか、なかなかどうして怒りを沸き立たせない。う~ん。いつ怒るの?
それが、さらっと突然優しい素顔のまま殴り込み。なんか、爽やかなやり方。もうちょっと怒りを爆発させて、悪いやつをメタメタにして、観客に待ってました!を言わせてもよかったんじゃないか?
見た目がまんまなので、スコップではなく、『オールド・ボーイ』のチェ・ミンシクばりにハンマーでやってもらえれば盛り上がったはず。
しかし、豊田市はあんなマッドな街なんでしょうか?半グレが幅をきかすというのは、この暴対法の時代にありえないので、そこはかなりファンタジーでした。
役所さん
少し前にハマり役のしこちゃん先生を観てしまったからか、コメディ吉沢亮を観てしまったからか、結婚した相手役とのバランスにしっくりこなかったのは私だけかな。
後半は少し気持ち持ってかれて悔しくて苦しくて辛くて。
役所さん、良かった。
MIYAVIさんはやっぱりこんな役ばかりなのか。
救いの糸は切れない
痛切。
そうとしか言いようのない映画でした。
そんなことがあって欲しくない、起きて欲しくもない、だけど、現実には世界のどこにでもあるし、もしかしたら、あなたの家族に関わるほど身近で起きるかもしれない。
客観的な立場にいたら、自分だってきっとこう言ってます。というか、それしか言えない気がします。
「まずは落ち着いてください」
では、あなたが当事者だったら、どうしますか?
①逆恨みだろうが、なんだろうが、怒りの矛先を見つけて攻撃する(海斗の場合)
②不確かな情報であっても一縷の望みを抱き、自分のできることで何とかなるかもしれないと縋る(誠治の場合)
③絶望して自殺する、もしくは返り討ちで死ぬことを前提の反撃に出る(マルコスの場合)
現実の社会ではどれも難しいし、もし実行できたとしても解決することはほとんどないし、そのことで癒やされることもない。
映画的な決着としては、主人公の犠牲的行動で、一定の救いと希望がもたらされたが、脅しによる証言は裁判の上での信憑は得られないだろうし、犯した罪に見合うほどの懲罰は受けない可能性もある。
なので、誠治のような犠牲的行動も、現実味が薄いし、この映画も決してそのような行動を美化したり、容認しているわけでもない(と思う、たぶん)。
理不尽な出来事がもたらした不幸が、次の理不尽のきっかけ(例えば、被害者側から逆恨みによって加害者側に回る、というようなこと)にならないこと。
そのためには、自分ができる範囲で、誰かに救いの手を差し伸べること。
とここまで書いていたら、中島みゆきさんの『倒木の敗者復活戦』の歌詞の一部を思い出しました。
望みの糸は切れても
救いの糸は切れない
生きていてくれ、という願いは叶わなくても、誰かを救うことで、自分もまた救われることもある。
そういうことだと解釈しています。
展開が気になる傑作
2023年劇場鑑賞1本目。
昨年は302本でした。
さて、記念すべき2023年1本目。
役所広司が出ることぐらいしかしらず、
なんなら今予告でやっている銀河鉄道の父と勘違いしていたくらい。
平穏な幸せそうな家族と、不穏な半グレと移民ブラジル人たちの小競り合いが交互に描かれ、このまま交差しなければいいのになと願わずにはいられませんがまぁそんなわけありませんよね(笑)
佐藤浩市が出演しているのを全く知らなかったので大ファンとしてはめちゃくちゃ儲けものでした。職業を聞いたとき後で助けてくれるんだろうなと安心感もありました。
展開としては「これどっちかだけでよくない!?」というくらい役所広司を中心に二つ大事件が起こるので映画としては緊迫感が続いて本当に面白かったです。
落とし所も見事で、完全ハッピーエンドというわけではありませんが、ファミリアというタイトルに納得の作品でした。
それにしてもMIYAVIはこんな役ばっかりだなぁ。
キャッチコピーで感動が半減
和製『グラン・トリノ』。
名優ぞろいの演技は文句なしだし、3人の「父親」を対比で見せる脚本はそれなりに上手かったが、なんかこう「泣けよ」「感動しろ」みたいな押しつけがましさを感じちゃったのは、ポスターに書かれた「感動の名作」ってキャッチコピーのせいかな?
(感動は自らの内から湧くもので、他人が「感動できます」「感動しろ」と心の中に手を突っ込むようなものではないからね)
絶望と憎しみの連鎖を断ち切るものは
ラスト直前まで思った以上に救いがなく、観ていて苦しかった。
マルコスの抱えたトラブルはこじれてゆき、海斗の八つ当たり的暴走は収まらず、誠治は幸福の絶頂にあった息子をナディアとともに亡くす。
大切なことを描いた作品なのは分かるのだが、吉沢亮演じる学が亡くなったあたりで、きつすぎて心が一歩引いてしまった。スクリーン越しのことなのにたじろいでしまうような絶望。
物語に登場するブラジル人の多く住む団地には、一見おだやかな雰囲気があった。しかし、モデルとなった豊田市の保見団地では、特にブラジル人住民が増加した90年代に、周辺の日本人との軋轢が深刻な時期があったようだ。
私はそのような環境に住んだことがないので想像でしかないが、文化や慣習の違う者どうしがほぼ半々の割合で共存するというのは、双方にかなり苦労があるように思う。
本作では海斗が過去にブラジル人の事故で妻と子供を亡くしたエピソードを織り込み、差別をする側を愉快犯的な単純悪としないことで問題の複雑さを暗示している。
そして、やはり役所広司の醸し出す雰囲気が素晴らしい。昔やんちゃだったという言及が一言あったとはいえ、いかにも陶芸家らしい寡黙な壮年男性が、終盤で突然半グレを殴り倒して首を絞めても、キャラがブレたような印象が全くないのは彼の力量だと思う。序盤で家に転がり込んだマルコスを受け入れる時に見せた胆力も効いている。
ただ、誠治が最後に解決手段として暴力を使ったことはちょっと引っかかりもあった。刑事の駒田に根回しした上で行動に及んでいて、事後にお咎めがあった様子もない。綺麗事を言うつもりはないが、半グレの暴力が散々悪として描写された後なので余計気になった。
それと、誠治が軽トラでいきなり首相官邸に行く場面やテロ対策室関係者などの人物描写は、製作者側の思想が透けて見える気がしてちょっと萎えた。プラントでのテロ勃発直後に誠治宅を訪れた政府関係者、東京で面会したテロ対策室長、学の棺の側にいた担当者、おしなべて「役人のお役所仕事」を絵に描いたようなキャラクターで少々うんざりした。
国籍という属性で一括りにするのではなく一人の人間として相手を見ようよ、という映画なのに、公務員の描写は見事に類型的で一括りにされているので、そこだけ浮いているような印象だった。こういうちょっとした描写で作品が一気に薄っぺらくなるので非常に残念。
ラストにはようやくかすかな希望が見える。
「話す言葉も、育った環境も違うのにさ、俺たち家族になるんだよ」学が遺した言葉を、誠治が継ぐ。そうすることでマルコスは絶望から抜け出し、息子を失った誠治の心も少しずつ癒されてゆくのだろう。
(1/11情報追記) 2つの見方ができる映画/(一応)2023年版「マイスモールランド」?
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★ 1/11追記は一番下にあります。
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今年7本目(合計660本目/今月(2023年1月度)7本目)。
※ この前に「噓八百なにわ夢の陣」をみたのですが、この映画にレビュー要素が見当たらないので省略します(ネタ枠とは言わないにせよ、お正月のドタバタ枠?)。
こちらの映画です。
大きく分けて2つの見方ができると思います。一つは、「守りたかったものが守れなかった、多くの人たちの葛藤」という論点、そしてもう1つは当然のごとく「在日ブラジル人と日本とのかかわり」という論点です。
行政書士の資格持ちで、常日頃から外国人問題に興味関心を持っている立場としては後者の立場でみました。特集などからもその見方も一定数想定されているように思えます。
以下では「その後者の立場にたった場合」の採点になります。
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(減点0.3/在日ブラジル人と日本の関係の描写がどうしても不十分)
・ この映画、実は「どこが舞台か」は明確に出ません(ただ、いくつかの描写から、愛知県であることはわかります)。そして、在日ブラジル人は日本では、愛知・静岡で6割を占めます(逆に、日本の首都や第二の首都である東京・大阪ではマイナー)。
以下、映画とかさなる点もありますが、在日ブラジルと日本のかかわりについて知る範囲、調べた範囲で書いておきます(映画内には大半出てきません)
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(前提)
・ 在日ブラジル(2世、3世…)については、先行する「ブラジル移民」という日本の先行した事業がもとになってできた事情があるため、日本では扱いが特別です。
なお、南米の国の中で、ブラジルだけが「ポルトガル語」である(他はスペイン語)点は注意です。
(日本とのかかわり)
・ 上記のように、扱いが特殊という事情がある一方、単純労働で多く従事した経緯があるため、愛知県・静岡県(西部)で全体の6割を占めます(平成30年度データ)。
※ ほか、三重県、岐阜県など。要は「東海地方に集中している」ということです。
このため、国土交通省のガイドライン(交通案内等の言語は、日本語、英語を中心に4言語とし、地域事情を考慮して加えることもできる)から、愛知県や静岡県西部では、現在でも「ポルトガル語」(実際はブラジルポルトガル語)の看板等が見られます。
一方、単純労働で多くの外国人を受け入れた当時(リーマンショックの少し前)までは、日本自体でそもそも「ポルトガル語」の認知度が低く(スペイン語と混同されることもあった)、そもそも論で「道徳・マナー」に関する学習教材が少なく、ゴミ出しマナーや、軽犯罪・微罪と言えるもの(万引きや車荒らしなど)も見られましたが、現在では改善されています(これらが日本では(程度の差はあれ)犯罪だ、という認識差があったし、学習教材も足りなければ、意味不明だったり誤訳等は普通にあり、当事者を混乱させた)。
※ 日本の首都東京や、第二の都市、大阪では在日ブラジル人はほとんど見られなかったという事情も実際存在し(現在も同様)、愛知、静岡という「地方都市」が先だって取り組んだものの、どうしても主要都市とはまだ知見の差があり、いろいろと「必要な手助け」が遅れたのも事実です。
映画内で描かれるようにリーマンショックで多くの単純労働者が解雇されたことは事実で、これにより、子供への日本語教育が遅れて「負の連鎖」を生んだのも事実です。
一方、当時の「日本語教育」は主に、韓国・中国など「漢字文化圏」を想定した作りになっており、「漢字文化圏でない外国人への日本語教育」は試行錯誤でもありました。
このような事情のため、単純労働で生まれた yakin(夜勤)や baito(バイト)などの独特な単語が生まれたほか、日本の労働文化の特徴の「頑張る」(ganbaru)から、ポルトガル語の動詞 gambatear 「頑張る」が逆形成され、そこからポルトガル語の一般的な動詞の活用からこの動詞が一般的に使われるようになるなど、独特のポルトガル語語彙・文法が形成され、これがまた帰国事情にも影響を与えました(そのような語は現地には存在せず、コミュニケーションにも支障をきたす)。
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※ このため、日本で暮らしていく、という前提でひとつ重要になる「日本語の力」を客観的にはかる「日本語能力試験」(便宜上、現在の名称。当時は2級と3級の差がありすぎるとされた4段階だったため、現在は5段階で施行)も、「夜勤」や「遅番」といった「特殊すぎる」語ばかりが優先された当事者にとっては、あまり参考にはなりませんでした(←これらの単語は少なくとも初級で学習するような語とは言えない)。
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(母国とのかかわり)
上記でも書いたように、在日ブラジル人は特殊な事情があるため、帰化条件が比較的緩く設定されています。
しかし、「日本語ができること」と、「契約形態は問わないから(当時はリーマンショックだったので、外国人はおろか日本人も多くの影響を受けた)、300~400万円程度の年収はあるか」も満たすことができなくなり(原則、生活保護を受けていると帰化は許可されない)、一方で上記にも示したように「在日のポルトガル語」が特殊な発展を遂げたこと、さらに、ブラジルの労働需要も日本の事情と一致せず(BRICS成立、ブラジルW杯、大統領選などでバラバラだった)、「帰ることも残ることもできない」という状況になりました。
(時代によっては、国内(ブラジル国内)でさえ雇用の奪い合いになっており、在日ブラジル人はその性質上、日本で労働した経験があるため相当な技術力があるとみなされたため、国民からは「雇用のパイを奪う」と考えられていた)
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…といった、在日韓国、中国の方とは「論点の異なる大きな点」があることは紛れもない事実です。
この観点でいえば「在日ブラジル人とのいろいろなできごと」を扱う映画なのか、というと全然違うし(まったく違うわけではないが、表立っては出ない)、いろいろな見方が可能だろう、というところです。
ただ、個人的には「外国人の人権枠」という趣旨でみたので、こうした点は気になりました。
(減点なし/参考/不動産登記について)
・ 映画の中で、不動産登記書を渡してお金を借りるシーンがありますが、当事者間では有効ですが、第三者に対抗(ここでは、登記の有り無しを主張すること)するためには、登記が必要です(民法177条)。
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★ ここから、1/11追記
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(減点なし/参考/日本人側の「危ない人たち」がブラジル人に抱いていた事情)
・ 「自分の娘が…」という部分です(詳細ネタバレ回避と、被害者加害者の名誉による)。
この事件は、本映画それ自体が「実際の出来事とは関係ありません」とはしますが、実際に同趣旨の事件が起きた事件です(2005年)。このとき、加害者のブラジル人は勝手に帰国しています。
しかし、日本とブラジルには「犯罪人引渡し条約」が当時締結されておらず(現在、2023年でも結ばれている国は少ないです)、結局「現地での刑法で処罰する」(代理処罰という)ことしか期待できなくなりましたが(日本や、日本の被害者を応援する会などは引渡しを要求したり署名を提出したりした)、日本の刑法に時効という概念があるのと同様に、ブラジルもこの事件に対しては時効適用、無罪とした経緯があり、これが一部の被害者を激怒させた、という事情はあります(映画内と違い、ブラジルにいって抗議はされていないようです)。
ただ、「犯罪人引渡条約」というのは、「相手あっての条約」ですから、勝手に強制することは原則できません。また、日本も「過度に」ブラジルに抗議することもできません(内政干渉にあたります)。このような特殊な事情が映画内には見え隠れしています。
全108件中、81~100件目を表示