「眩いばかりの栄光の傍にある深い闇からの絶唱に魂が震えました」ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY よねさんの映画レビュー(感想・評価)
眩いばかりの栄光の傍にある深い闇からの絶唱に魂が震えました
1983年のニュージャージー。シンガーの母シシーの厳しい指導のもとで歌唱力を磨く彼女は母のバックシンガーとして度々ライブハウスに出演していたが、その類稀な歌声と美貌はたちまち評判を呼んでアリスタレコードのプロデューサー、クライヴ・デイヴィスの耳に届く。ライブハウスの客席にクライヴの姿を見つけた母シシーは急遽ホイットニーにオープニング曲として“グレイテスト・ラブ・オブ・オール”を歌わせると・・・からの実録ドラマ。
断片的にしか知らなかったホイットニーの波乱万丈が圧巻。ロビン・クロフォードとの関係は『ボヘミアン・ラプソディ』におけるフレディーとメアリーのそれの裏返しのようであり、マネージメントを仕切る父ジョンに徹底的に搾取され、夫ボビー・ブラウンに延々と裏切られ続けるくだりは『ブリトニー対スピアーズ -後見人裁判の行方-』におけるブリトニーと父ジェイミーや元夫達とのそれと酷似していて、眩いばかりの栄光の傍にある闇の深さに胸が痛みます。
元々はカトリックの教会でゴスペルを歌っていたことは冒頭でも描かれますが、彼女の敬虔な信仰心は劇中で随所に滲んでいて、特に彼女がクライヴとの会話の中でマタイによる福音書について言及するところが印象的。絶大な人気を博しながらも一部の聴衆からは黒人的でないと罵られ、“手に入れた後でも愛には努力が必要”と嘯きながらどんなに働いてどんなに稼いでも砂漠に水を撒くように全てが霧散し消えていく。焦燥や絶望の中で憤りを露わにしたりドラッグを乱用したりして自分を見失いボロボロになりながらもなお彼女がなぜ全てを捨ててしまおうとしないのか、その答えの断片がマタイによる福音書に由来していることに気づくとドラマが俄然輝き始めます。そしてクライマックスを飾るのは私がホイットニーの歌でベスト中のベストと考えているあの曲。その歌詞が誰のことを歌っているのかが解った瞬間に涙がとめどなく溢れました。
ホイットニーの生き様を体現したナオミ・アッキーの演技は実に見事。前述のドラマにおける熱演も素晴らしいですが、『すてきなSomebody』のMV、数々のステージシーンやスーパーボウルでの国歌斉唱等名場面を再現したカットにはもう何度も泣かされました。
そしてこのドラマをがっつり支えているのがクライヴ・デイヴィスを演じたスタンリー・トゥッチ。『ボヘミアン・ラプソディ』におけるレイ・フォスターとは異なり、ホイットニーに寄り添い、彼女のわがままを受け入れて彼女のありのままを理解し支える献身を体現した穏やかで優しい佇まいがホイットニーの傍で小さく輝いていて、彼の一世一代の名演となっています。
2022年の映画鑑賞を締めくくるにふさわしい素晴らしい作品でした。