「決して色褪せない歌声の輝き」ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
決して色褪せない歌声の輝き
歌姫ホイットニーの人生のヘビーな部分まで描きながらも、観た後には彼女のまばゆい歌声の余韻が響き続ける作品。
私自身は彼女の熱心なファンというわけではないが、それでも劇中の曲の半分くらいは知っている。歌声の多くは実際のホイットニーの音源だそうだが、ナオミ•アッキーの存在感はその声に負けずによく馴染んで、彼女のカリスマがかなり再現されていた。
綺羅星のような楽曲とサクセスストーリーの中で、父親と夫のボビーの致命的なクズぶりが際立った。父親は、さすがに死の床でホイットニーを前にすれば父らしい愛情を見せるかと思いきや、今際の際まで守銭奴で怖かった。ボビーは実際にはDVで逮捕されたりしていることを考えると、ちょっとやんわりした描写だったが、ホイットニーをドラッグから遠ざけようとしなかったことだけでも彼女の夫としては失格だ。
結局、彼女を本当に助けようとしたのはクライヴだけだった。
作中でホイットニーが歌うメドレーの最初の曲は、ガーシュウィンによる黒人キャストのオペラ「ポーギーとベス」のアリア。ヒロインのベスが、自分に想いを寄せ暴力的な夫のクラウンから守ってくれる足の不自由な乞食ポーギーに愛を伝える歌だ。ベスは最終的に麻薬の売人にたぶらかされ、売人と二人で遠いニューヨークに行ってしまい、ポーギーはその後を追う。
彼女の人生にポーギーが現れなかったことが悲しい。クライヴの、彼女をドラッグから救おうという気持ちは一番それに近いものがあるが、彼はあくまでホイットニーのビジネスパートナーであり友人だ。早い段階で距離感を踏まえない助け舟を出しても、ホイットニーの方が拒否したに違いない。
(ところで、物語の中にあった薬の売人との接触シーンの意味が最初分からず、後で調べてドラッグの売買のやり取りなのだということが分かった。勉強になった……)
それでも、スクリーンに蘇った彼女のステージの圧倒的な華々しさは、陰鬱としたエピソードの重さを払拭する。デビュー時の鮮烈な歌唱、スーパーボウルでの国歌斉唱、アメリカン・ミュージック・アワードでのメドレーを、彼女の人生を背景に見ながら聴いた時、それぞれに違う感動があった。
本作のプロデューサーを務めたクライヴ・デイヴィスは、彼女の人生の光も影も全て受け止め、不遇な死がクローズアップされることで霞んだ彼女の栄光に再びスポットライトを当てたかったのだろう。”The Voice”の輝きが色褪せることはないのだ。
エンドロールを見ながら、彼女の楽曲をもっと聴きたい気持ちが湧き上がってきた。