「ヤングケアラーの末路」君だけが知らない きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
ヤングケアラーの末路
僕は、他のレビューアーの皆さんとはちょっと違う見方で、鑑賞中に足が止まってしまいました。
これ、
《共感が過ぎておかしくなってしまった兄の物語》でしたよね。
養子の“妹”を受け入れたヤングケアラーのジフン。
彼は子供ながらに優しかった。そして責任感がものすごく強かった。
エンパス(empath)が、そして情動的共感性が強すぎて、兄としての責任の境界線を越えて、もはや兄は心が壊れて“ストーカー”になってしまったのだと思います。
7Fの、顎傷DV男の部屋で、兄ジフンは”妹“スジンと殴られながら肩寄せあって一緒に暮らし、
スジンがやっと成長してホッとしたのもつかの間、”妹“が不幸な結婚生活や保険金殺人事件に巻き込まれるくだりは、
(それはそれでストーリーの流れとしては大事件ではあるのだけれど)
“妹”を守り切れなかった自身を責め、復讐と、成り代わりと、リハビリと、故郷からの逃避行と、バミリオン湖での死ぬまでの介護までをば自分に課そうとする このお兄ちゃんが、僕はあまりにも痛々しくて、彼のPTSDの生い立ちが 鉛のように重たく心に残りました。
これこそがこの映画の隠れ主題だったのではないだろうかと・・
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なぜそんなことを思ったか、
養子や里子を迎える家庭は様々でしょう。
僕の少年時代、うちには里子の男の子がいたのです。
彼が8歳から18歳までの10年を一緒に暮らしました。
その里子と僕の実弟は同い年で、つまり弟は8歳から18歳までの間、兄弟になった里子を学校で、地域で、親戚の間で、周囲の奇異の目から守り抜いたのです。
まだ母親に甘えたい盛りのはずの8歳の次男坊が、崩壊家庭から来た里子のために自分の母親を里子に譲ってやった姿を、僕は遠くから見ていました。
弟の”無理“は小さくなかったはず。
劇中、スジンを守る兄ジフンの、あそこまでの自己犠牲を見ながら、可哀想だった弟のことを想ったのでした。
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女性監督ソ・ユミンと朝倉加葉子の対談インタビューを読みました。
「頭の白いリボンの髪飾り」は、韓国では肉親を失った女児の喪中の姿なんだそうです。
その女児の体に触れたときに、スジンはその女の子がかつての自分なのであり、記憶の底に忘れていた (=忘れようとしていた) 自分自身の幼少時代の姿であることに気付く
― というシーンなのだと。
スジンのあの”記憶喪失“は、実は、山での事故由来だけではなかった・・という事です。
複層的。ますます辛い物語です。
韓国映画「パラサイト半地下の家族」を彷彿とさせる、ホームレスの兄と妹。その半生。
マンションと、廃墟と。
たくさんの閉じられたドアと、コンクリからほじくり返される過去と。
団地に暮らす日陰の家族の物語であったように思います。