「ぬいぐるみを洗うひともやさしい」ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい cmaさんの映画レビュー(感想・評価)
ぬいぐるみを洗うひともやさしい
ふわふわとしたチラシと予告編だけのイメージで鑑賞。思いのほか、持ち重りのする作品だった。
なにより、大学(主にサークル活動)の開放的なようでそうでない、じっとりとした息苦しさをぐりぐり描いているいる点が新鮮。「ウチはこういうところだから」と異論を許さない役割(新入生や女子がいわゆる雑用をやり、表に立つのは上級生男子)があり、その仕組みが会社勤めに連なっていくという構図。「これがふつう・当たり前」が絶対的で、はみ出る者は笑われて当然という暗黙の了解。自由で気楽とされるはずキャンバスライフが、意外にもめんどくさくて煩わしい…ということが、ヒリヒリするくらい鮮明に思い出された。
日々のもやもやを、それぞれの事情からため込み、ぬいぐるみとだけしゃべる人びと。ぬいぐるみサークル=ぬいサーのメンバー同士さえ、互いに本音を出さず、探りを入れず…と緊張が漂う。スクリーンの空気さえも、うっすらと淀み、重たい。
そんな中、彼らがほぐれ、こちらもふっと和むのは、巨大なうさぎの着ぐるみを洗うシーンだ。冒頭、中盤と、主人公・七森はひとりで黙々とぬいぐるみを洗う。沐浴のように水の中を漂わせたあと、水を吸ったぬいぐるみを沈め、ぎゅっとしぼる。愛おしい時間のはずが、どこかさびしい。そして、少しばかり暴力的。一方、いわくつきの着ぐるみを学校の流し場で洗う白城たちは、ふしぎに楽しげだ。ぬいサーたちにやさしく洗われ、水をたっぷり吸った着ぐるみは、屋上で日向ぼっこしながら、ゆっくりと乾いていく。彼女たちの共同作業は、ぬいぐるみと、それにまつわる重みの共有に繋がっていくようで、ほのかな幸福感があった。
ときどき織り込まれる、ぬいぐるみの視点。ぬいサーたちに春が巡ってきたラストで、意外な彼女と視線が絡む。そんなふたり(ひとりと一匹)を見た私も、それまで少し苦手だった彼女を、少し好きになった。遅まきながら、原作も読んでみよう、と思う。