劇場公開日 2023年1月27日

「戦争は人間の本質なのか?」イニシェリン島の精霊 f(unction)さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0戦争は人間の本質なのか?

2023年1月29日
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f(unction)
琥珀糖さんのコメント
2023年4月13日

丁寧な返信ありがとうございます。
とても分かりやすく書いて頂き感謝しています。

確かに「退屈な男」と決めつけられ、疎遠にされたパードリックは、
コルムの「話しかけたら一本づつ指を切る」との挑発(?)に乗り、
結果として、コルムの家に放火してしまいます。
善良で退屈な男パードリックが、内なる凶暴性に目覚めるような結果になりました。
確かに仰るように結果として、2人は戦争のような状況に進んでしまいました。
戦争の原因は様々あるかと思いますが、暇すぎたのはコルムも同じですから、
寓話のようにはじまり、諍いの火蓋が切られる。
ちょっとfunctionさんとはニュアンスが違うかも知れませんが、
それがテーマと言われれば、そうかも知れません。
親子関係も友人関係もちょっとしたキッカケで破綻する。
その大きな事例が戦争なのかも知れません。
2人の中年男の絶交が、こんなドラマティックな映画になる。
すごい技をマクドナー監督に見せて貰いました。
退屈は日常、それが私たちの世界・・・なのでしょうか。
ありがとうございました。
勉強になりました。楽しかったです。

琥珀糖
f(unction)さんのコメント
2023年4月13日

観客や映画好きの中にあるかもしれない暴力への欲求の存在に気づかせることによって、「娯楽としての暴力・争い」という側面に気づかせ、「暇だから戦争をせざるを得ない、それを生きがいにせざるを得ない」というような魂の貧困さを指摘することが作品のテーマの1つとしてあるかもしれないなあと感じました。

f(unction)
f(unction)さんのコメント
2023年4月13日

②の補足

人間は理由なくむやみやたらに暴力を振るっても罪悪感を抱くと思うのですが、映画に出てきた悪徳警官に対して震われる暴力は「正当」だと感じ、快感を覚える傾向があるのではないでしょうか?
これは相手が「悪」だからですが、ここに相手を「悪」とみなして自己正当化し戦争を開始する国際情勢だとか、あるいは映画の中におけるアイルランド内戦だとか、戦争や暴力の性質が反映されているように思えます。
自分は相手を悪だとみなすから戦争を開始する(暴力を振るう)ことによって気持ち良くなろうとしているのですが、戦争・紛争(だとか市井で発生する喧嘩や言い争いでもいいですが)においてはお互いにそのように考えていることがしばしばです。お互い「相手が悪い」と考えています。

f(unction)
f(unction)さんのコメント
2023年4月13日

② 警官の暴力に興奮することはなかった。好戦的な部分もあまり感じない。

ざっくり言ってしまうと、警官はこの映画における悪役のような立ち位置にいます。子供を虐待し、理不尽にパードリックを殴る。権力を利用して一般市民を虐げています。
このような悪をどう始末するのか、ということが映画に対してはしばしば期待されます。観客は悪役にむかつき主人公に対して「始末してほしい」と期待します。そこで暴力によって解決を見るのが、典型的なアクション映画であったり、ヒーロー映画であったりします。
悪を暴力によって倒す需要に応えたり、悪を暴力によって倒すことの快感を提供するのが、アクション映画という娯楽だと考えます。

このようなアクション映画への需要には、個人差があるでしょう。おそらく女性よりも男性にとっての需要が高いでしょうね。

『イニシェリン島の精霊』という映画は、このような「アクション(映画)への需要」を感じ取り、「戦争を求める心」との共通点を見出しているのではないか?と考えるのが私のレビューです。
戦争を開始したり参加したり、あるいは応援したりする人間の心には、「戦争が必要だから」という必然性を超えて、勝利への欲求だとか、功名心、名誉、単に「気持ちいいから」と言った、まるで娯楽のような側面もあるのではないか、と。

戦争の実態は、『西部戦線異常なし』のようにただただ過酷なものかもしれません。しかし戦争を求める心理のどこかに、スポーツをしたり、アクション映画を観戦したりするような娯楽的感覚があるのではないでしょうか?
先述のように、ここには統計的な傾向としての性差があるかと思われます。そこには人体の構造、脳の構造や脳内で分泌される化学物質の量の差も由来していると思われます。

以上で述べたような、「娯楽のように暴力を求める心」「暴力によって気持ち良くなる心」が人間、観客の中にあるということを、悪徳警官に対してコルムが暴力を振るったシーン(正義を振るった瞬間?)で、作家は確認したのではないでしょうか。
このように「娯楽のようにして戦いを求めるのか?」それとも芸術を求めるように平和に生きるのか?と、この退屈な島を舞台に問うのがテーマに感じられます。

f(unction)
f(unction)さんのコメント
2023年4月13日

① パードリックの存在は愚鈍の象徴なのか?

確かに、パードリックには愚鈍な部分がありますね。
どこか情報に疎く、島の住人から蚊帳の外に置かれている印象があります。
そのことを妹も気を使っていましたし、どこかとぼけたような性格も「愚鈍」に当てはまるかもしれません。

しかしながら本レビューの中で「愚鈍」を最も象徴する存在として挙げたいのは、パードリックの飼うロバと、バリー・コーガンの演ずるドミニクです。
ロバやドミニクは「田舎の暮らし」を象徴する存在であると考えますが、同時に、「牧歌性」や「平和」といった尊ぶべきものを示唆するものでもあります。
パードリックの中にある「のどかな心」が、ロバとドミニクの死と同時に失われ、争いの日々へと向かっていく、というのが本作の終盤の展開だと考えています。
「愚鈍さ」と「牧歌性」「平和」はイコールではありませんが、ロバやドミニク(ステレオタイプな田舎の人間)が登場し、失われることはメタファーであると感じられました。

f(unction)
f(unction)さんのコメント
2023年4月13日

琥珀糖 さま
コメントありがとうございます!
私のレビューを読んでくださったこと、疑問点について質問をくださったこと、とても嬉しいです。
私のレビューに不足もあるでしょうから、補足として、質問に回答させていただきますね。

f(unction)
琥珀糖さんのコメント
2023年4月13日

お邪魔します。
貴レビュー読ませていただきました。
とても目を開かされる記述に驚きました。
パードリックの存在は愚鈍の象徴・・・なのですか?
「優しさ」はすぐに忘れ去られると、コルムは言ってました。
そしてコルムの精神生活は豊かで、蓄音機のクリシック音楽を楽しみ、
部屋にはおっしゃる通り、般若面やら能面など広い世界観を感じました。

ただ私は女だからなのか、警官の暴力に興奮する・・・ことはまったくなかったです。
好戦的な部分もあまり感じなくて、
パードリックもコルムにも好戦的な描写は感じませるでしたが、
内戦の影響は当然強く受けているでしょうね。
分からなかった事が、理解できるレビュー読ませていただき
ありがとうございました。

琥珀糖