バルド、偽りの記録と一握りの真実のレビュー・感想・評価
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【アメリカでドキュメンタリー監督として成功したメキシコ人の男が自身のアイデンティティを自問する作品。虐げられて来たメキシコの歴史や、男が抱えるトラウマを独特なシーン満載で描いた作品でもある。】
ー 今作の主人公、ドキュメンタリー監督シルベリオ・ガマは、どう見てもアレハンドロ・G・イニャリトウ監督であろう。
そして、今作ではアメリカ、スペインを含め、虐げられて来たメキシコの歴史も随所で、アーティスティックに描かれる。-
◆感想<印象的なシーン>
・冒頭から、ガツンとヤラレル。
シルベリオの妻、ルシアが分娩室で子供を出産した後に、医者が”こんな世には出たくないらしい”と言い、子供をルシアの胎内に戻し、二人は臍の尾を引きずりながら部屋を出るシーン。
ー 後半、マテオと名付けられた彼の子供が30Hだけ生きた後に、息を引き取った事が語られる。シルベリオのトラウマなのであろう。-
・その後も、アメリカのアマゾンがメキシコのバハカリフォルニア州を買収したとか、現在も続くメキシコ難民のシーンが描かれる。
ー シルベリオの"友”、ルイスは、シルベリオの事を、メキシコ人でありながら、メキシコを捨てた気取った映画監督であるとみなして、彼のトーク番組で彼を容赦なく、痛罵する。
が、それはシルベリオの夢である事が分かるが、彼はルイスの番組出演を勝手にキャンセルした事が、後に語られる。これも又、シルベリオのトラウマなのであろう。-
・シルベリオが町を歩いていると、人々が次々に倒れて行き、シーンはいつの間にか500年前に、レコンキスタとしてインディオを虐殺したコルテスが、虐殺された人々が積み上げられた人々の遺体の山の上におり、シルベリオと語り合うシーン。
ー だが、その後人々は立ち上がり、”気取った監督の作品だ・・”等と言いつつ、ロケ現場を後にする。-
・シルベリオが亡き父とダンスホールで、シルベリオのドキュメンタリー作品の受賞を祝う会場のWCで出会うシーンも印象的だ。
ー ”レッツ・ダンス”が不思議な曲調で流れる会場を後にした、シルベリオは父との再会を喜び、更に父は息子の成功を喜ぶ。その際のシルベリオは子供の大きさになって、父を愛おし気に見上げている。-
・海岸で、マテオを思われる子供を海に放つシーン。
ー シルベリオの長年の苦しみの解放であろう。-
<今作は、メキシコ人である、アレハンドロ・G・イニャリトウ監督が、自国を脅かすアメリカに媚び諂っているというメキシコ人からの批判を受け傷ついた心を、様々なメキシコの虐げられて来たシーンを背景に、自身のアイデンティティを求める作品である、と私は解釈した。
今や、アレハンドロ・G・イニャリトウ監督は世界的な監督であるが、相当に疲弊してるのかな。
嫌、違うな。
冒頭とラスト、荒野を飛ぶ影のシーンや、脳梗塞になったシルベリオが、亡き父たちと荒野を歩くシーンは、アレハンドロ・G・イニャリトウ監督が自身のアイデンティティを見つけ、再生している事を暗喩しているのだろうと思った作品である。>
まあまあよかった
不思議な映像センスが面白いのだけどとにかく長い。死にかけた主人公が見た景色で、自分に対する批判まで描く。あんなことを考えているのはつらい。
特に面白いわけでも感動するわけでも興奮するわけでもない。主人公が特に魅力的でもない。主人公に共感を抱ければ面白いのかもしれない。
最近『ナルコス メキシコ編』を見終えてメキシコのドラックなど暗黒面の現代史に触れており、どれだけ物騒なのか理解しているため、主人公が娘に危険を話すところはそうそうと思う。
同じ列の女の人が飽きたのだろうか、ずっとスマホを見ていた。迷惑なのだがそうしたくなる気持ちは分かる。
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