TAR ターのレビュー・感想・評価
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ミステリーホラー色々な問題を孕んでいる
あまり知識を入れず観たのだけど、
ミステリーホラーの雰囲気で、
謎が散りばめられてるので最後まで
頭がグルグル回りながら集中力高く観る事が出来た。
全てのカットに意味があり、
不自然な行動にも意図があるのは分かるのだけど、
それを汲み取ろうとしてもほとんど理解が出来なかった。
女性の立場、性的マイノリティに向けられる視線。
嫉妬、孤独、色々問題が孕んでいて
どんなエンディングが用意されているのかと、
観ていたのだけど、
ラストは何を意味していたのだろうか?
ただ堕ちていく主人公、と言うわけではないはず。
ケイトブランシェットの演技は言わずもがな、
傲慢なマエストロにも見えるけど、
孤高である事の孤独も感じられた。
彼女の隣には常にパートナーがいるのだけど、
孤立しているように見える。
映画館で観たのだけど、
帰りにスーパーマリオのお客さんと一緒になったのだけど、楽しげな客と、何が言いたかったんだろ?と
呟くお客さんのコントラストが面白かった。
解説を見て振り返りたいと思います。
ワケ分からん★★★(1回目)→なるほど★★★★(2回目)
2回観た感想です。
1回目 ★★★
終始ねむい、ワケわからん😪
サイコロジカル・スリラーって書いてあったので、もっとホラーっぽいかと思ったら、不穏な感じ、不可思議な演出、が少し…
期待していたが、開始そうそう眠くなる眠くなる(笑)
静かで退屈なオープニングで感じた予感どおり、静かで小難しい映画。
40分ぐらい切れるだろ!と思える、ムダに長く感じるシーンばっか。
2回目 ★★★★
なるほど🤔
YouTubeで、町山智浩さん&藤谷文子さんの解説動画、その他の方の解説動画、を観てから、再観賞。
細かい演出や物語の内容まで、よく分かり、面白かった。
ホラーも、けっこう入ってたのね(笑)
結論…
たぶん、1回じゃ分からないと思われ。
1回観てから解説も観て、2回観る事をオススメします。
冒頭で分かるので、ネタバレじゃなく言いますが、ターはレズビアンです。
それを念頭に、察しながら、目を見開き、頭を回転させながら、観て下さい(笑)
僕は、もう1回観たいです(笑)
ラスト10秒からエンディングロールラストまでが、凄すぎる!
クラッシック音楽🎵に疎い私には
ラストまで、難解な映画でした。
が、しかし
ラストシーンで、わかりました。👍😅
クラッシック音楽は
知識や作曲家を理解することではない
(楽器を操り、奏でることではない)
感覚の世界
こそが、醍醐味なんだと。
ラスト10秒で始まる演奏曲
(作曲者は大阪にいる人らしいです)
日本のアニメ世界観
の中で使われる音楽🎵
に、クラッシックの可能性を
示唆しているかのようです。
エンディングロールの最後の最後
の"終わり方"が
カッコ良すぎます😆
余談ですが
広告業界で"クリエイティブディレクター"
を、名乗っている
技無しの輩には
自害の念をこめて
見て欲しいものです(笑😆)
ケイトブランシェットに魅入った160分。
映画のオープニングにはいつもワクワクするのですが、黒い背景の中、いきなりエンドロールのような文字が流れ、タイトルも小さくTARと表示(その前の、日本語のTARがデカすぎたので、その対比に苦笑)、場面が切り替わるとインタビューシーン。いやぁ、ググッと惹きつけられるオープニングでした。
楽団の演奏以外は挿入音楽はほとんどなく、一方で、効果音は多用されており、臨場感や緊張感が半端なかった。
ターという人物が実在していて、その生活をのぞき見しているようなリアリティがありました。
そのリアルティを体現したケイトブランシェットの演技がすごい!
長い・わからない・面白くない 三拍子揃った大傑作
罰ゲームでした。上映開始一週間でお金払って観た人ばかりだから評価は高めですけど「何か面白い映画ない?」って聞かれて10人に薦めたら9人に背中から袈裟懸けで斬り殺されます。一部の評論家やマニア向け、一般的には面白くないということは自信を持って言い切れます。
①長い:2時間半は拷問、行きたくもないのにトイレに行って時間を潰しましたが、大勢に影響はありませんでした。1時間半で十分。
②わからない:あらすじ読んでから観たのに、なんだかさっぱりわからない。PTAやノーラン選手のような狙った分からなさではなく、下手くそでわからない。セクハラもパワハラもレズも、別に許容範囲の程度で 過剰反応しすぎ。「だから?」ってとこです。何言いたいの?
③面白くない:話に盛り上がり無く、ユーモアなし、平坦にグズグズ続くだけ。そして暗い。開始早々からつまらなさトップギア、1ミリの面白さもなくそのまま最後まで駆け抜けたのはお見事。
久しぶりの最高傑作、この素晴らしさ「パワーオブザドッグ」に似てる。
行ったタイミングが悪かった(タイムリー過ぎた…)
まったく予習無しでいったのだが、観続けるにつてれ歌舞伎の猿之助さんスキャンダル&事件が頭の中で巡り続けて、いまいち作品に没頭できなかった(笑)
前半のセリフも長くて字幕追いきれなかったし、有料パンフレットも欲しいしのでもう一回観に行くしかないな
リアリティのあるクラシック映画だが、あまりにネタが生臭くてくたびれました……
先に観に行った会社の後輩に「まさに●●さんのための映画ですよ」とか言われて、じゃあなるべく早く観るよ、と慌てて行ってきた。
たしかに、僕はマーラーをこよなく愛している。
年間100回を超えるクラシック鑑賞のうち、10%はマーラーの演奏会だ。
1980年代までのマーラー演奏のCD音源も、90%くらいは蒐集できたと自負している。
交響曲第5番は、第9番ほどではないにせよ、とても好きな交響曲だ。
しかも、主人公のリディア・ターは、レナード・バーンスタイン(愛称レニー)の弟子という触れ込みらしい。
さて、あの若い男が大好きだったレニーが女の弟子なんかとるもんかしらん、と思わないでもなかったが、いざ観てみたら、思っていた以上に「そっち方面」の話に深く食い込んだスキャンダラスな映画だった。
結論からいうと、さすがにちょっと生臭かったかな?(笑)
あまりにセクシャリティとMeTooの問題にのめり込み過ぎてて、音楽家としての苦悩とかの「ぜひ観てみたかった」話が3、同性愛やら告発絡みの「僕にとっては関心の薄い」話が7くらいの割合になってしまっている。
このバランスが逆くらいの仕上がりなら、もっと素直に楽しめたんだろうけど。
なんか、よりによって猿之助があんなことになっちゃった日に、
よもやこんな内容の映画を観るはめになるとはなあ、と
ちょっともやもやした気分に。
単なる同時性ってやつかもしれないし、ジャニーズ、歌舞伎、クラシックなど、旧弊な芸事における「支配者による性的搾取/表面化しにくい同性愛の性被害」に世界的にメスが入り始めた時代のただ中にいるということかもしれないが、現実ですでに猛烈にいたたまれない、報われない気分になってるのに、さらに追い打ちをかけるように映画でまでおんなじような話を観させられるとね……。
この映画の前提として、
●クラシック業界には星の数ほど同性愛者がいて、無視できない勢力を形成していること。
●レニーもバイセクシャルで、自ら「芸術家はホミンテルンじゃないとな」(ホモ+コミンテルン)とか言ってたこと(弟子も大植英次とか佐渡裕とか……)。
●近年、女性指揮者の進出が目覚ましく、ようやく女性の常任指揮者も増えてきたこと(昔はシモーネ・ヤングくらいしかいなかった)。
●ベルリン・フィルの常任指揮者は、大戦中のフルトヴェングラーから、カラヤン→アバド→ラトル→ペトレンコと引き継がれていて(映画で出てくるリディア・ターの前任者は架空の人物)、フルトヴェングラーは戦争協力者として訴追されたこと。
●カラヤンは1982年にクラリネット奏者のザビーネ・マイヤーを強引にベルリン・フィルに入団させようとして、当時100年近く「男性だけのオケ」でやってきた楽団員と対立し、マイヤーは入団できず、カラヤンとオケの蜜月も終わったという事件があったこと。
●ベルリン・フィルは自主運営の団体で、指揮者の選定から広報まですべてを楽団員自身が民主的に決定し、自ら業務にあたっていること。
●MeTooの流れはクラシック界でも席捲して、アメリカではドミンゴ、デュトワ、レヴァインなどの追放者が出て、コンセルトヘボウでもガッティが追い出されるなどしたこと。
といった、業界基礎知識がないと、なんでこんな話になっているのかよくわからないんじゃないか。ちなみに、目覚まし代わりに流れるショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」のオーラスで、リタルダンドをかけてリディア・ターに「性行為の喘ぎ声じゃないんだから」みたいなネタをかまされているマイケル・ティルソン・トーマスも、バーンスタインの弟子であり、かつカミングアウトゲイである。
全体に、実在の演奏家に対して、ずいぶんと「失礼」な映画ではある。
「失礼」だという言い方が耳障りならば、えらく「攻めてる」映画だなあと。
リディア・ターが脚でマーラー5番のレコード盤を「仕分け」していく印象的な冒頭のシーン(最後に残されているのは、レニーとアバド)や、実名で性犯罪者呼ばわりされるドミンゴ、デュトワ、レヴァイン、明らかに男色ネタを匂わせながら名前を引き合いに出されるレニーやMTTなど、個人的な印象でいえば、存命者もいるのに「よくこんな失礼な取り上げ方、実名出しながらできるな」と思わざるを得ない。
ベルリン・フィルも(映画内でモロの実名が出てたかは定かではないが)よくこんな映画で自分のオケが使われること許可したよなあ、と。たぶん、逆に長年女人禁制でやってきたことへの贖罪とか、ちゃんと近年のポリコレ機運には対応してるよとアピールしたかったんだろうけど(ちなみに実際に演奏したりしているのはドレスデン・フィル。マーラーだとケーゲルとの第1番のセッション盤と第3番のライブ盤がつとに名高い)。
なんにせよ、ニューロティックだとかひりひりするだとか、サスペンス的要素を評価する以前のところで、とにかく監督の「底意地の悪さ」がじゅくじゅくとにじみ出てるんだよね(笑)。
なんで、この文脈で実名出さないといけないの、みたいなのもそうだけど、
話のつくりにしても、全体にわたってかなり嫌~な話で、出てくるやつはみんな勝手なうえに精神不安定のメンヘラばっかり、どいつもこいつもターへの依存度が高いわりに、簡単に裏切るし、寝返る。「情」を感じさせる人間がどこにもでてこない。
あまりに同性愛絡みの話にねちねちと執着しているのも観ていてしんどいし、ちょっとでも問題が明るみに出たら寄ってたかって引きずりおろしにかかるキャンセルカルチャーも十分気持ち悪く描かれていて、このノリを150分の長きにわたって観ていると、だんだん心がうんざりしてくる。
観る前はダーレン・アロノフスキーの『ブラック・スワン』(2010)みたいな映画なのかな、と思ってたんだけど、あの作品ほどヒロインに感情移入させてから揺さぶって来る作りじゃないから、超優秀だけど高圧的なオバちゃんが、はめられてボロボロになってくのを観てても、そこまではまれないんだよなあ。いや、ケイト・ブランシェットはマジで凄いけど。
とはいえ、声高に性的虐待やLGBTQやMeTooを主張する側の論理と、それによってキャンセルカルチャーに攻撃される側の論理については、どちらも相応にバランスよく配されていた気はする。
たとえば、ジュリアード音楽院のレクチャーで、バッハが20人子供を作ったドイツ人男性だから受け入れられないと主張する黒人のゲイは、明らかに「ばか」で「くだらないやつ」として描かれていて、リディア・ターにこてんぱんにいじり倒されて留飲がさがる(あとあとここにも落とし穴が待っているのだが)。
また、フルトヴェングラーのナチ協力者疑惑についても、それなりに擁護者側からの反論が紹介されていて、視聴者に最終判断を預ける形をとっている。
とはいえ、「こんな話ばっかり頭から終わりまでしつづけている」こと自体が、観ていてしんどくなる理由だともいえる。
― ― ― ―
肝心のマーラー交響曲第5番のリハーサル・シーンは、なかなか見ごたえがあった。
大学生時代、学内オケに所属していた先ほどの会社の後輩も、「リハーサルシーンはすごい臨場感で、ほんとのリハの現場に居るみたいでした!!」と言っていた。
マーラー5番のリハについては、レニーがウィーン・フィルとの映像全集を作ったときのものが残っているので、たぶん映画製作者も結構参考にしていると思う。
あのレニーのリハ映像で、第一楽章冒頭のトランペットソロの12小節目、一般に「吹き癖」で直前の付点につられて「タッタタター↗」と節をつけがちなのを、ここは三連符だからちゃんと「タタタター↗」と吹くようにとレニーが指示する印象的なシーンがあるのだが、一応リディア・ターの演奏でもちゃんと「タタタター↗]となっていた気がする(少し怪しいけど)。
終盤出てくる「別の指揮者」の演奏だと、思い切り「タッタタター↗」になって聴こえるので、そこはやはり「わざと」差異を強調してあるのかもしれない。
ただ、冒頭のトランペットを下手袖のバンダ(別動隊)にするアイディアは、スコアや演奏効果を考えるかぎり、個人的にはあまりいいアイディアとは思えないけど……(最初のffのところでやっぱりTpの音は壇上から客席に突き刺さらないとダメでしょう)。これまでに誰か、こういう趣向やったことがあるんだろうか? たぶん、交響曲第1番の第1楽章のバンダに発想を得ているのかもしれないが。
ターのアプローチは、フレーズが引き伸ばされていてアタックも激烈で(とくに2楽章の入り)、アバドやラトル以降の趨勢から比べるとかなり主情的だ。師匠とされるレニーのスーパーロマンティシズムを引き継いでいるといえるだろう。
ライブの前半で演奏するエルガーのチェロ協奏曲は、劇中でロシア人チェリストが憧れていると言及してきたジャクリーヌ・デュ・プレの得意曲。彼女は難病に犯され早逝したが、リディア・ターが名前を挙げた、当時の夫ダニエル・バレンボイムとフィラデルフィア管がバックを支えたライブが残っている(バルビローリとのスタジオ録音もある)。
いずれにせよ、クラシックを題材とした作品だと、なんでこんな設定にするのだろう? という映画もたくさんあるなか(なぜかコンサートのメインが協奏曲になってる『オーケストラ!』とか、指揮者の勝負曲が「マタイ受難曲」の『ポンポさん』とか)、ちゃんとリアルな演奏シーンを緊迫感をもって仕上げてくれたのは素晴らしいと思う。
また、オケが崩壊したり指揮者が退任するのが、たいてい「人間関係」か「性的なもめごと」だという「クラシックあるある」をきちんと踏まえた内容になっているのも良い感じだ。基本、クラシック業界ネタ映画としては、今までないくらいの完成度だと思う。
その他、気づいた細かなことなどを。パンフを買い損ねたのでよくわからないことも多いんですが。
●会社の後輩から「TAR」が「ART」のアナグラムじゃないか、という話は事前に聞いていたが、作中で何度も実際に、ターや助手がアナグラムで人名を綴り変えるシーンが出てくるのね。これ、レニー由来で、ユダヤのカバラと関係あるんだろうか?
●冒頭からしきりにターが手を洗う描写や、おまじないの九字みたいなのを切るしぐさ、不眠、薬漬け、冷蔵庫の音が気になる描写などがあって、彼女の潔癖症ぶりや虚勢、神経質な部分、支配欲などが端々の描き方でうまく出るように作られている。
●音響はいろいろすごかった。とくに異音やノックの音、咳などが、映画館の右後方から飛んでくるので、最初ほんとに観客のノイズかと。今はこんなことできるんだね。
●各シーンのつながりをぶつっとした感じにして不安を煽る編集や、廃墟の怪しげな描写、奇怪な隣人など、アロノフスキーやデイヴィッド・リンチぽい部分も含めて、雰囲気は良く出ていたと思う。ただ、いまいち意味のとりにくいショットが多いんだよな。
●最終盤に、ターが自宅の隠し部屋みたいなところで、レニーの「ヤング・ピープルズ・コンサート」のビデオを見て涙を流すシーンがあるが、あれ再現だよね?(声も顔もレニーとちがう気が) 総じて、ターがレニーの弟子っていうのも「眉唾」というつくりに映画はなってて、もしかするとこの録画テープを何度も何度も見ただけかもという疑念も……。
あと、家族の呼びかけで「リディア」が本名ではないふうな描写があって(それとも綽名で呼ぶのをやめただけ?)、リディア・ターというミューズが、片田舎の少女が背伸びをしてつくりあげた「虚像」であることがよく伝わる。
●ラストは最初虚をつかれてトンデモエンドかと思ったが、そのままエンドロールを見ていて「どういうコンサートで客が誰なのか」は理解した。なるほどその手のをやるところまで……って話なのね。そんな曲でも「作曲家の意図は?」とか言ってるのがまた切ない。でも、ポリコレの重要な本作で『地獄の黙示録』みたいな流れになるのっていいの?(笑) レズ性風俗も含めて、70年代映画の東洋見下してるトンデモ感がプンプンするけど。
圧巻のケイト・ブランシェット
作品のテイストがとても新しい。クラッシック界を舞台に伝統や歴史を重んじる要素もありつつ、実際はいかにも今っぽい、多様性、LGBTについてが自然と絡みつつ、人間の欲望、妬み、嫉妬、虚栄心が状況を複雑にしていく。SNSのチャットや切り取り合成動画などで、一方的に叩かれるが、その中で、何よりも音楽のことを考え、音楽の高みを目指すことがPriority1st。だがそれを理解してくれる人は、いない。
とにかくケイト・ブランシェットが圧巻で、Tarそのもの。狂気と見るか、情熱と見るか。是非スクリーンで見ることをお勧めしたい。
すっきりしないが引き込まれる
難しい。まさに難解な作品。
『セッション』の先生側視点で描かれ、生徒が耐え切れずに逃げ出した……みたいな印象。
ターの行いは、およそ過去にあったであろう様々な人々の行ってきたセクハラ、パワハラを体現したもののよう。
噂に聞く、カラヤンのエピソードとかに似たものもあれば、ネットの動画(複数の発言を編集したものが)炎上まであり、古今東西の「成り上がり頂点に立った人間の思い上がった態度」を全て実行。
また、『砂の器』のごとき、クラシック音楽界の権威主義と足の引っ張り合い、罠にかける人間関係なども描かれ。
「これただ不快なだけじゃない?」とか「スリラーホラーの文脈で見ればいいの?」とか「新手の嫌がらせ?」とか思い悩みつつ観ていました。
謎が謎のまま終わった部分も多く。
公園の叫び声はなんだったのか?
結局メトロノームは誰が鳴らしたの?
なくなった楽譜は誰が持って行ったの?
などなどすっきりしないままでした。
その解明・説明は物語上には不要だということなのか?
いろいろ謎解きがしたくて2回目を…と一瞬思うが、それにしちゃ長すぎる158分なんすよね。
ラストはどん底からの再生であり、彼女にとっての救済だと思うのですが……
すっきりしない。
それでいて、画面から目が離せない。
引き込まれた。
面白かった。
23-069
ケイトブランシェットの演技に終始圧倒された。冒頭のインタビューから引き込まれる。
男性社会の中で女性が頂点を極めるのは、
並大抵なことではないと思うが、
残念ながら転落の要因には男も女もない。
傲慢、羨望、嫉妬、色恋、浮気
やってる事が男と同じ😭
まぁ娘のパパだから仕方ないか😫
サスペンスでもミステリーでもない
クラシック音楽はあまり得意ではない。好きな曲もあるが、幅の広さと奥深さに尻込みしてしまう。そもそもポップスやロック、ジャズの感覚で考えるとクラシック音楽はすべてカバーなんだよ。指揮者の解釈・演出で曲の聴こえ方も変わってくる(らしい)が、それも細かいディテールの話。素人には誰の指揮したバージョンがこう違う!なんてことはわかりもしない。
本作でもリディアがもっとこう!なんて指導して演奏を変えてもその違いはよくわからない。でも指揮者がオーケストラの中でどれだけ力を持っているのかがわかれば十分。スキャンダル的なものに巻き込まれて、精神が不安定になっていく様は緊迫感があってよかった。
ただ、最終的にモヤモヤが残る。それもかなり。あの人がやってたのか!とか、実はそうだったの?なんてことが明らかになるわけではない。成功者の転落が淡々と描かれるだけだ。え?これで終わりなの?と思ったのは私だけではないはず。映画ってそういうもんだよな。整合性があるものだけが面白いというわけではない。
そして主人公が女性指揮者で、レズビアンで、パワハラセクハラの疑惑があるという設定が現代的だと感じた。今までなら男の指揮者でパワハラセクハラしまくる主人公になっていた気がする。セクハラやパワハラについては真相がはっきりしなかったこともあるが、リディアがそんなに悪いやつだとも思えないでいる。人が落ちていくのはなんと些細な理由なんだろうという気持ちになってしまう。それが監督が伝えたかったことなのか?
難しい話で冒頭が長い。 28点⇒56点
最初が長すぎて寝てしまった。他のお客も寝ていて、いびきかいてました。。
なんだろうね、、、最後の結末とは?
あまり指揮しないし、なんなんだろ?
よく分からないです。難しい映画!
ただただ長い映画拷問。
指揮している主人公は輝いてカッコよかった!
自分みたいな人はアクション映画で頭空っぽで見れる映画が好きかもしれないことに気づかせてくれた映画。
卓越した天才の盛衰
音楽にも詳しくないし158分だし。ちょっと見るのに勇気がいるわぁ、色々と入り込めなかったらどうしよう…と不安半分で挑んだもの。あっという間でした。魅せに魅せられたケイトブランシェットの迫真の演技が強烈すぎました。最高に息苦しくて、どうしようもないくらい追い詰められていく彼女の背中をひたすらに見守り抜いた時間でした。冒頭から音楽の専門性や歴史についてやたらめったら語るシーンが長かったんだけど、それもそれで彼女の超越したエゴイスティックな要素を大風呂敷で描かれるにあたって必要だったわけです。ある音楽家の卓越した才能の頂点と転落。自分自身を尖らせて、戦って、鼓舞しつづけて、才能を煽り続ける人生というのは…辛いだろうなぁ。最終的には「人間性の弱点」を叩かれまくっていく過程を観ながら、それはそれで当然な部分もあるけれど、周りと信頼関係を紡げなかった彼女の孤独性を想像すると悲しかった。どんな状況下においても音楽を続けていく事が彼女にとっては生きること。それだけが救い。
何を支配するか、時に心身を任せる
TAR
ター
ケイト・ブランシェットでないとターは演じきれない、さすがの存在感。
支配〜パワーゲーム
支配から逃れ執着を手放すことが人生の河(時)に流れていくのに大切なことだと感じた。
もう一度観ないと解らない。
TARは観る人それぞれに意識の変化をもたらす。
本質に近づくために
#TAR
#ター
#ケイトブランシェット
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