TAR ターのレビュー・感想・評価
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変な映画。だが、もうこの映画のことしか考えられない。
よく分からない映画に出会った時、「わかんね」で済ませることが大概だが、ごくたまに「わかんねーけど、これは何かすごい映画なんじゃないか」と取り憑かれたように頭から離れなくなる映画がある。
そして『ゴーン・ガール』で映画にハマり、現在『TAR/ター』に直面している。
この映画を難解にしているポイントは大きく2つある。
1つは、映画内で引用される多数のクラシックと映画に関する教養が前提となっている点。
冒頭から洪水のように人名と歴史の引用が捲し立てられ、着いていくのに必死になる。しかもそれは単なる引用ではなく、つまり聞き流して良いものではなく(そういうものもあるが)、その後の展開に結びつくものもある。バーンスタインがその良い例だろう。
さらに、あらゆる映画のエッセンスがそこかしこに散りばめられている。
例えばジョギング中の悲鳴。初見は「いったいこのシーンはなんなんだ」と戸惑ったが、調べてみるとあの悲鳴は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のラストの悲鳴と完全に重なるらしい。
つまりあのシーンは、リディアの中に生じた軋みが、彼女の映画音楽の記憶と呼応することで生まれた、彼女の幻聴であることが分かる。
事ほど左様に、様々な教養が映画のかしこに散りばめられているため、一寸の気の緩みも命取りとなる。
もう1つは、解釈が観客に委ねられている部分が非常に多い点。
例えば、序盤に大学の講義で男子学生を論破し授業から追い出すシーンがある。確かにリディアの口調は激しく、まだ10代の学生に対しては容赦のないアカハラと取られてもおかしくはない。
ただ、彼女の論理立ては音楽の教鞭を取る者として非常に筋が通っており、男子学生は大学に入った理由も曖昧ならば、リディアの話中しきりに貧乏ゆすりをしている無礼者の側面も見せる。
本当に彼はリディアの可哀想な被害者なのだろうか?
自殺したクリスタの件も同様だ。
彼女はリディアからの性的強要を拒んだ結果、彼女に指揮者としての将来を絶たれたと訴えて自殺した。確かにリディアは傲慢で、ベルリンフィルも私物化し、若いオルガに靡いている様子も描写される。
だが、本当に彼女が性的強要までしたのだろうか?
少なくとも作中ではそのようなシーンはない。妻のソフィアや秘書のフランチェスカとも関係を持ったようだが、どちらも無理矢理強要されたという様子は見られなかった。オルガに関しても、えこひいきから彼女の得意なチェロ曲を選曲したが、ソロを決める最終的な判断は民主的なオーディションに委ねている。
大学での論破もそうだが、彼女の行動はいわゆる権力を笠に着る状態とは異なり、リベラルな印象も与える。これが議論を呼び、いつまでもこの映画が頭に取り憑いて離れない最大の要因だ。
話の持つそもそもの難解さと、議論を呼ぶリディアの多面性。間違いなく見る人の思考に取り憑き、迷路へと誘う怪作だ。
長い が 画面をくまなく観れる利点あり。ミステリアス 細かいこと気にしなければストーリーは容易【本作は、マジで有料パンフオススメ】
ワシにクラッシック音楽 は 猫に小判🐈🎹 と同義 しかし同志の9人と・・・
正直、マーラー と言われても知らんし
バッハもモーツァルトもシューベルトも
音楽無知 な ワシにとって 何にも関係ないし、一生聴かなくて結構。
仮に、タダで交響楽のチケット🎫もらっても
絶対行かない。ワシの周囲も同様。
だいたい 昭和の時代 音楽の教科書📕クラッシック正統派ばかり
ポピュラーソングは ビートルズのイエスタデイ のみだったのは相違ない。
だから大音楽家の顔 は音楽室に貼ってあったし
小学校の図書館の伝記も 彼らは常連【ポピュラー的な人物は ベーブ・ルース ゲーリック⚾️のみ】
ゆえに 交響楽団 もクラシックも 縁がない というより 虫唾が走る
しかし、そう言った意地悪な観点から 本作 大作感漂うので鑑賞してみた。
結論は帰宅が遅くて家族の不興を買った・・以外に
日曜の夜、わざわざ こんな大作観にくる 映画に一家言あるツワモノ猛者たちと
【なかなか、やるじゃんか トッド・フィールド監督 主演ケイト・ブランシェット⭕️】との意識を共有したぞ❗️
正直、音楽用語はわからないし、後述する町山さんが引用した「砂の器」と違い つまらない音楽が延々と続く。
だが、実際にサウンドトラックはじめケイト・ブランシェット 本人指揮【吹き替え無し との有料パンフ情報】
という音楽は つまらないしわからない だけど迫力満点 で荘厳なのだ。
ただ、同性愛LGBTQ の設定は飽き飽き 多様性はどうでも良い【あくまで個人的に思う】
身から出た錆サビ 怪物が原点回帰 作品で
別に音楽ツウでなくても、若干ホラー的で面白いのだ、映像的に。
本作に関しては 有料パンフの情報入力無ければ、あまりのロングショット長回しに凡人は耐えきれないと思う
ネタバレではなく ネタのヒントなのだ。お金に若干でも余裕ある方は事前に有料パンフ購入して
イントロダクションのページ と 評論家 町山智浩さん の解説 わずか2ページだけでも 精読すれば そこに
考えるヒント 気づきのヒントがある【小林秀雄氏の評論よりかはワシ的に 1万倍面白かったズラ ただ受験に小林秀雄氏は必須】
キーワードは 赤い髪の女性 だが町山さん指摘の5点は目を凝らして見たが2つしか気づかず❗️無念【なんかホラーみたいだね】よくできた 陶酔の映像作品。ジャンル分けがよくわからないけど 狂気 権力 生き様映画。
疑問①まさかの、チコっと 地獄の黙示録 繋がり ・・だが コッポラ監督は ベトナム🇻🇳では
②ジュリアード音楽院 と ハーバードの音楽専攻は意味違うような・・・
③アメリカ🇺🇸様のドイツ🇩🇪映画は中途半端なドイツ語挿入が イラつく💢
あっ コッポラ監督さんの 地獄の黙示録【特にファイナル・カット版】カーツ大佐のこと理解できた興味が持てた人
には興味津々で向いています。カーツ大佐がわからない
論理的すぎる優秀な方or映画耐性、堪え性のない方 には向いていません。
国立大学重厚⭕️ 私大文系3教科お手軽マークシート入試❌ の方がわかりやすいですね。
【私大も名門校はありますよ 念のため】エンドロール的なもの順序逆なのでビックリ‼️しないでね。
評価の高いのも低いのも理解はできるかな…。
今年158本目(合計809本目/今月(2023年5月度)15本目)。
※ 当方の前側にとても背の高い方がいて、字幕が読み取れていないところがあります。
女性天才指揮者にまつわるお話ですが、特に前半、クラシックに関する語がたくさん出てくるので、そこの理解度でかなりの差が生じると思います。映画そのものはそれさえ乗り越えればあとは一本調子…ではないですが…進みますが(ネタバレ回避)、この映画も3時間ないものの2.75時間級なのですよね…。インド映画でもないのに3時間級は厳しいです。ただ、どこを削ったらよいか…というのは一度見ただけではわかりづらいです。この手の映画はできるだけ当人を尊重して描かれなけばならず(さもないと裁判になってしまう)、そうするとインド映画級になってしまうことは言えてしまうからです。
個人的にはこういう映画は好きですが、音楽映画として見た場合、「もう30分くらい短くならなかったかな」と、音楽グッズ等の販売がなかったのが残念でした(ただ、後者は映画館帰責理由)。
そうですね…。昔も今もエレクトーン・ピアノ等、音楽に何らか親しんでいる、市民の音楽会等(プロアマ問わない)等の方にはおすすめですが、そうでないと特に前半は音楽用語や専門用語が飛び交うのでちょっと厳しいが、好きな人には好きという分野の別れが激しいタイプかなと思います。
なお採点にあたっては、下記の4.7を4.5まで切り下げたものです。
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(減点0.3/どうしても一定の音楽的教養が必要)
・ 私も字幕がよく見えなかった(最初に書いた事情)こともありますが、かなりマニアックな字幕が特に最初のほうに出るのが厳しいかな…というところです。音楽といえばクラシックだのジャズだのありますが、この映画はクラシックであるところ、クラシック一般の深い知識が要求されるので、「途中わからない部分もあるけど、これは音楽映画なんだ、音楽をききながら楽しんでなんぼなんだ」としないと本当につまりが生じてしまいます。
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「そんな単純じゃない」
この映画の宣伝につられたのか、主人公のパワハラが自明であるかのような感想を書いている人がいますが、ちゃんと見てもらえばそんなことはないとわかるはずです。
そんな自明なものは何もない世界の話です。
それだけがテーマではないのですが、SNSのなかで起こることやSNSのなかで通る論理にしか興味がない、あるいはそれしか知らない人たちばかりの世界で、芸術や芸術家の占める位置はどんなものだろうかとちょっと考えてしまう映画でした。
車の中で横を見るとずっとスマートフォンをいじってこちらを見ようともしない人物。
その人物をフックアップした主人公の方が、いつのまにかあとに取り残されている。
でも世界はそれだけじゃないだろう!!
と思っていたら、最後の音楽はタイトルが「WORLD」っていうんですね。
もちろん、この音楽の指揮にもまったく手を抜かない彼女。そんな彼女に新局面が開けるといい。
ベルリンフィルのリハーサルをしながら、「そんな単純じゃない、もっと複雑よ」という彼女の言葉は、音楽の解釈のことだけを指しているのではないのでしょう。
ケイト・ブランシェットは座って会話しているだけのシーンでもまったく目を離せない演技をします。
力のない役者と演出家がそれをやるとただの動きのない画になるんですけどね。
評価が高いのが理解できます
前半の冗長なシーンでなかなか乗れないし、ターというか、ケイトの神々しい出立ちと話し方で今ひとつターを批判的に見れなく、即ち話しに着いていけなかった。が、後半展開がどんどん早くなりラストに。
鑑賞後もう一度伏線を意識しながら見てみたいと思ったけど、2時間半あると思うと多分見ないような気がする。ラストも驚愕!って言うけど冷静にターの立場を見ていけば、まあそういう事もあるよね。って私は思いました。
それと、音楽の映画と思っていたので真ん中の席で鑑賞しましたが終始静かな映画で、むしろ繊細な小さな音や、静寂こそこの映画の肝でした。
ケイトの演技、脚本などとても素晴らしい作品で返す反す、前半もう少し短ければ、と感じました。
ケイト・ブランシェット劇場
頂点まで登り詰めたマエストロ(指揮者)の転落を描いた話。まずケイト・ブランシェットの存在感が圧巻です。そしてカッコいい。全編張りつめた緊張感で、主人公の孤高感が上手く表現されてます。他人の評価なんてわからない、手のひら返し。怖い映画です。(冒頭のスマホ画像の伏線回収とかね)主人公の隣人のエピソードもいいスパイス。ただ、破滅で終わらないのが救いです。
会話シーンが多く、登場人物の説明もされないので、誰の話してるんだ?になりますがそのうちわかります。クラシックの話も多く、詳しいと尚楽しめるかもしれませんが、クラシック詳しくなくても大丈夫!
貴い、ということ…
主人公の行動・考え方に決定的な間違いはない。だけど周囲とのほんの少しのズレが、幾つも重なってしまうと、いつの間にか思いもよらない場所に、自分がいることに気づく。
主人公の音楽に対する向き合い方は一貫している。
人との距離感は常に不安定かもしれないけど、自分の信じる「音楽」に対する距離感は、この主人公にとっては不変なんだと思った。
そこに貴さを感じた。
時間の支配者!!
ケイト・ブランシェット演じるリディア、ターがベルリン、フィルハーモニー管弦楽団に
女性として初めて指揮者に就任した後の
苦悩を描いたストーリーでした。
LGBTであるターは女性でありながら男性の性質を持ち、女性と暮らしながら男性の役割をしているように見えました。
重圧、周囲への抵抗、音を聴きながら感じてしまう不穏な雰囲気、天才的な能力を持ちながら、自分が崩れ去る瞬間!
人が亡くなることがあっても正義と向き合う事はなく、見る人によって賛否のある作品でした。指揮をするときは自分を出さずに
作曲家の思いだけを乗せて指揮をしているように見えました。
メトロノーム、ピアノの旋律、狂わしきアコーディオンの弾き語りが印象に残りました。
衝撃のラスト…
女性天才指揮者としての地位を確立し、交響曲の指揮も第五のみを残すところまで自分のキャリアを進める(クラシック詳しくないが凄いことなのだろう)
しかしながらその驕りから徐々に人が離れてゆく。
過去指導していたと思われる、将来有望だった女性指揮者の自殺を受けて両親が主人公を告発し、転落の人生を歩み始める…
ラストの描き方は、落ちるところまで落ちたことの表現なのか、それとも才能があればまた這い上がれることの表現だったのかは分からない
前者として捉えるなら、東南アジアの人々を、オーケストラの崇高さを理解できない野蛮人と思っている事にもなりかねず、後者であったと願いたい
面白かったが、元の英語が難解なのか訳がイマイチな気がした
反芻と余韻を楽しむ
ケイトブランシェットの最高傑作と呼び声高い本作、アカデミー賞でも大注目だった作品ということでワクワクで観賞しました。
観終わってすぐの今、感想は「わ、わからん…」。笑
クラシック界のトップに君臨するマエストロの苦悩や闇がとても繊細なタッチで描き出されており、些細な物音一つも聴き逃してはいけない、とても集中力が求められる作品。わかりやすく答えや結末が提示されるわけではないし、クラシック演奏シーンもほとんどありません。
予想していたタイプの作品ではなくちょっと拍子抜けな部分も正直ありますが、本作に込められた様々な意図を汲み取り反芻することでまた魅力が増していくのかなとも思います。
しばらく余韻に浸って、一つ一つのシーンの理解を深めていけるのが楽しみです。
ケイトブランシェットの演技は、噂通り素晴らしく強烈。そしてひたすらに美しかったです。
息苦しい、観てるこっちが吐きそうだ
SNSが発達し過ぎてしまった現代
成功者へのやっかみは過剰で、まるで蜘蛛の糸みたい。成功者が登る蜘蛛の糸に、すきあらば引摺り落としてやろうとする亡者たちが襲いかかる様は人間としての理性を忘れたかのように動物的で、もはや我欲まみれのケダモノの様、こんな便利なんだか不自由なんだかわからない世の中は、なんて息苦しいんだとあらためて思った。
セクハラ、パワハラ、ジェンダー、コロナ禍
今流行のものを全て詰め込み、ネチネチと神経質に画く159分は疲れますが、ケイト・ブランシェットの独演会だと思って観ればいいかも。
武装音楽祭
この映画はトッドとケイトから世界中の観客に投げかけられたメッセージだ。
人類史の黎明期から人間が直面してきた「権力」というテーマについて今こそ思索し、大いに語り合いましょう!
という投げかけだ。
物語の舞台をクラシックオーケストラ、主役をベルリンフィル主席指揮者としたのは世界を牽引する「最高権威」の象徴であり「権力の行使」などを画面の雰囲気や空気感といった感覚的なものでも伝えやすいからだと思う。
権威ある立場というのは気楽なものではない。バッシング対象になりやすいし、延焼速度は一般人より遥かに速い。
だから権威の座に立つ者は、常に己のパブリックイメージをコントロールする必要がある。
リディア・ターはそのコントロール能力に長けていた。さながら鎧を纏って武装するが如くだ。
しかし、風の噂にリディアが怖いとか職権濫用だとか聞いたのでよほど傲慢で気の強い棘のある人物かと思ったらかなり違うではないか。
悪意の編集でリディアを陥れたジュリアードの授業は客観的に見ると非常に親切な教師だと思う。
曲がりなりにも米国最高峰の音楽大学に指揮を学びにきていて、音楽とまったく関係ない理由から頑なにバッハを学ぼうとしない男子学生だ。嫌な教師ならばこんな不心得者はまともに相手にしない。しかしリディアは「指揮を学ぶならバッハにも向き合う方がよい」と辛抱強く諭す。
男子学生が性癖に対する偏見でバッハを否定するから「あなたが同様の理由であなたの音楽性を公正に評価されなかったらどうか?」と考えさせたのではないか。
子供のイジメの件だってそうだ。
相手の親や教師に言いつけてイジメ相手を追い詰めたりはせず、まずは
「もう二度とやらないように。今度やったら、わかるね?」と釘を刺しただけじゃないか。脅しちゃいるが、関係者を増やすよりは非常に優しい対応だと思うが。イジメっ子も親には知られたくないはずだ。
クリスタの件は「過去の過ち」だとしても「実際にはどこまでの事があったのか、或いはなかったのか」「どこまでがクリスタの勝手な解釈」なのかは不明である。
仕事に私情を挟んでいるのはリディアではなく周囲だと感じる。
副指揮者セバスチャンの更迭は、彼がその任に相応しい能力をすでに失っていたからだ。
市井のアットホームな楽団ならば温情優先だろうけど、世界最高峰のベルリンフィルですよ?
伝える言葉には配慮と労わりがあったしね。
リディアがフランチェスカを副指揮者に選ばなかったのは、彼女とフランチェスカの「仲」を疑う噂が楽団に蔓延していたからであり、リスクを避ける為であった。(実際シャロンの前に「関係」はあったようだし)
その点は可哀想だがフランチェスカだって「副指揮者になれたのはリディアの情婦だからだ」などとスキャンダラスなデマが蔓延ったなら未来は暗かったはずだ。
リディアを信じてもう少し待てばベルリンフィルのトップに立てただろうに、リディアに不利な情報をリークしたのは残念だ。
オルガの抜擢だって筋を通した根回しはしている。演者が誰かわからない公正なブラインドオーディションにて満場一致で彼女の技術が証明されたじゃないか。
トップチェリストの彼女だけがおかしな逆恨みはせずに大人の対応をしてくれて助かった。面子を潰されてショックではあっただろうけど、カラヤンでもバーンスタインでもない新しいベルリン・フィルをクリエイトするのが「仕事」なんだからさぁ。
1番哀しく思ったのはシャロンの言動だ。元々情緒不安定ではあるが、猜疑心から「嫉妬」にかられ、悪意の罠でボロボロのリディアから最後の救い(ペトラ)まで奪りあげて。
リディアが危機を相談しなかったのは心理的負荷が心臓などの変調を招くシャロンへの配慮もあっただろう。
打算が強かったのはリディアよりもシャロンやフランチェスカの方だ。シャロンはコンマス、フランチェスカは副指揮者の座を得る為に「権力者」と特別な関係になる事を受け入れた。
リディアは奔放な恋愛を楽しんだかもしれないが強要ではない。リディアだけが責められるべきではないと思う。
(5番4楽章はオルガをビョルン・アンドレセンになぞらえた隠喩だとは思いたくない。監督は「クラシックの中ではマーラー5番4楽章が1番好き」だそうなので、ヴィスコンティの事は「本当に気にしないで欲しい。本作とは関係ない」というメッセージな気がする)
トップに立つ者は常に孤独である。パートナーや家族、慕ってくれる仲間でさえも、その重責の凄まじさは決して理解出来はしない。
「権威」の椅子がいかに脆弱なものかを、本作は教えてくれる。
「悪意の捏造動画」や流言飛語一つで瞬く間に転落する砂上の楼閣なのだ。
攻撃のツールがSNSなど非常に現代的なのが観客の危機意識を喚起してくれる。
ラストは「落ちぶれた絶望」ではなく「次なる階梯に進んだ希望」だ。
「権力の楔」から解放されたリディアはもう重すぎる鎧をまとう必要はない。
「過去の音楽」ではなく「生の活気に躍動するこれからの時代の音楽」が彼女を迎え入れてくれた。元々、アフリカの音楽にもヨーロッパの古典音楽にも等しく価値を見いだすリディアだ。
登り詰めた者だからこそ見える次の草原が、彼女の前に広がっていることだろう。
監督はアジアやゲーム音楽を「田舎」「格調低いもの」だとは一切捉えていない。むしろクラシックという「権威の象徴たる過去の亡霊」に対し「今を生きる人達が作り上げる情熱的音楽」と見做している。コスプレは「音楽の為にわざわざ着替える(ドレスアップする)ほどの熱量を持って、音楽に向き合っている」という解釈だ。監督自身がそう語っている。
(モンハンが大好きで、その音楽にも高い価値を見出しているらしい。サブカルを蔑視する傾向はむしろ日本人特有の偏見かもしれない)
ここに記した「テーマ」と「ラストシーン」の解釈は監督とケイト・ブランシェッドのインタビューを参考にしているので彼らが表現したかったものと乖離してはいないはずだ。
彼らがターを通して描きたかったのは傲慢な女性の転落劇ではなくて「権力というものの本質」だ。
さて、ここからはトッド&ケイトへの私なりの回答。
彼らと同様に私もここ数年は「権力」について思索してきた。
私は昔から「7つの大罪」や「マズローの欲求階層説」が「人間と動物を分けるもの」を見いだす鍵になっていると思っている。
原罪やマズローだと少なくとも社会的欲求辺りまでは生命の進化の過程において自己の命を守り、種を保存する種を次世代に残す為に必要な能力が本能的欲求という形でDNAに刻み込まれていると思う。
そこでぶつかったのが「権力・支配欲の謎」という壁だったのだ。
人間関係のトラブル原因は大半がこの「支配欲」ではないか?という気がする。大きいところでは戦争だの、組織だの、イジメだの、ボスだの部下だの奴隷だのって話で誰でも納得だと思うが、小さいところでは「他者に対して腹が立つ」「なんかムカつく」というのも実はこれだ。
「相手が、自分が正しいと思っている行動をとらないから腹が立つ」のだ。
親が子供を叱るのもそう。パートナーに不満が溜まるのもそう。大抵は
「どうしてこうしてくれないの!」という感情に起因するのではないだろうか。
「自分の規範に他者を従わせたい気持ち」それはすなわち小さな「支配欲」なのだ。
この「権力欲・支配欲」というものは、一体なぜ私たちのDNAに刻まれているのだろう?進化の過程で命を繋ぐためのどのような役割があったのだろう?必ず何か「必要」があったはずだ。
その謎を解き明かせた時、我々人類は「権力欲」という罪を克服する事が出来るのではないだろうか?
そうすれば戦争も小さな諍いもない、平和な世界を築けるんじゃないだろうか?
この映画が多様な解釈が可能というのは具体的な案件に関してだ。
「権力」というものをウイルスに置き換えるとジェンダーやら差別やらパワハラやらそんなものは「咳」「鼻水」「発疹」などの「症状」なのだ。
症状への療法については千差万別で多様な解釈や議論が可能だが、本当に重要なのはそこじゃないんだ。
大元の「権力・支配欲」そのものの構造について俯瞰し、大局からその真実を解き明かす為の議論を重ねたい。
トッドやケイトと語り明かしてみたいものである。
トッドは64年、ケイトは69年生まれ。円熟した技量と最高の熱量。
今後、知性、心、技術は更に高みに向かうだろうが、創作にここまでの凄まじい熱量を注ぐ事は次第に困難になってくるだろう。
本作は2人それぞれにとって、彼らの人生における最高傑作になる気がする。
【追記】
最高傑作と言えばヒドゥル・グドナドッティルがこんなに凄いとは驚かされた!ウン十年ぶりにサントラ買うことにする。クラシックではマーラーが1番好きだからターの振る5番が収録されているのも嬉しい♪
大テーマ以外の部分では冒頭からラストまで全編通してユーモアも含む知的小ネタが散りばめられており、興味深いトピック満載でとても面白かった!
「過去の相手」から送られてきたサックヴィル・ウェストの「change」。読んでみたいと思ったけど邦訳でてないや。
レズビアン嗜好は理解し難いがサックヴィル・ウェストとヴァージニア・ウルフは読もうと思った。まぁ、愛の前に性別は些細なことなのかもしれんしなぁ、、、。
ケイト・ブランシェッドの【完璧】な仕事ぶりは驚愕した。生半可なプロ意識では出来るもんじゃない。
私もまだまだ頑張らねば、、、と喝を入れてもらった。うん、がんばろーっとw
ちなみに日本のモンハンコンサート「狩猟音楽祭」にてタクトを取るのは第1回シベリウス国際指揮者コンクールの最高位に輝く栗田博文。演奏は東京フィルハーモニー(大阪公演は大阪交響楽団)
(レビュータイトルは、これと個人的に好きな野阿梓の小説を絡めたものですw)
頂点から転げ落ちる
トップに上りつめた指揮者リディア・ターの栄枯盛衰を描いた、ヒューマンドラマ。
冒頭、いきなりエンドロールのように真っ黒のスクリーンに字幕、そして歌声。
上映ミスったのかと思った。
コロナの話もあるので、時代は現代。
頂点に上りつめた天才指揮者のター、セクハラ、パワハラ、そして告発されて・・・
3時間近い、長編の映画であったが、次から次へと展開され、
あわただしいけど、なんだかあまり理解もできず、
だんだん落ちぶれ、最期はアジアのどこぞへ。。。
途中で退屈になってしまった。
おまけに、英語の字幕は出ていたが、ドイツ語の字幕は少しで、結構省略され、
何を話しているのか、と気になった。
もっとクラシック音楽を聴きたかったかな、演奏しているシーンも。
観る前は、内容良ければ、サントラのCDでも買うか、と思っていたが、
買わずに退場となった。
ただ、これだけは言える。
主人公ターを演じたケイト・ブランシェット、演技はすごかった。
こればかりは拍手もの。
???
終始、頭の中が???で占められラストもよくわからなかった
ケイト・ブランシェットの凄さは充分わかるのだが、いかんせん途中途中の仕掛けが難解
中盤くらいから微妙な雑音が随所に入るのだが、最初聞いたとき前に座っているおっさんが発している屁かゲップかと思った
必ずもう一度観たくなると複数の方々が仰っていたが、個人的には2回目観ても多分よくわからないと思う
もっと指揮者の技術面を観たかった
同性愛のドロドロでトップから落ちた女性
って話。それだけだ。
指揮者の凄さや苦悩とかは全然伝わらない。
そっち方面に詳しい人ならわかるんだろうけど。
唯一良いと思ったのは、彼女が再起を賭けた場所。
今風で納得できた。
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