TAR ターのレビュー・感想・評価
全257件中、1~20件目を表示
緩やかに崩れ壊れていくリディア・ターの世界
権力は身に纏う者と同時に関係も変えてしまう。
ターが権力を纏うようになったのは、自らの能力による結果としての側面がある一方、「ベルリン・フィルで女性初の首席指揮者に就任したい」「公私ともに完璧でありたい」「名声を手に入れたい」といった欲望のために策略を働かせた結果と言っても過言ではない。つまり一つの大きな出来事が権力を生み出すのではなく、このような多面的な事態によって行われる日常の行為一つ一つが彼女に権力を纏わせ、関係する人々との権力構造をつくり上げる。だから本作では、ドラマを極力排し、彼女の日常が淡淡と描かれる。彼女が頂点にいる世界-日常。しかしそんな世界でも、他者は権力から逃れようとしたり、把持しようとしたりと欲望を働かせ行動する。オーケストラのコンサートマスターで恋人でもあるシャロンやアシスタントで副指揮者を目指しているフランチェスカ、新たなチェロ奏者のオルガなど。ターが指導していた若手指揮者が自殺をしてしまう〈出来事〉はあるのだが、彼女らのリアリズムに徹した権力への行動が、緩やかにターの世界を壊していくのである。
むしろター自身が世界を崩しているのかもしれない。講義の一場面で行われるハラスメントは権力の誇示に見えるから反発が予見される。交響曲第5番の録音や新曲の制作が上手くいかないこと、変わってしまう人間関係は、積み上げてきた世界が崩れてしまうことの不安へと転じてしまう。そして不安は権力のさらなる発揮といった狂気に変わり、予言の自己成就のように、世界が崩れていく。
このような世界-日常に狂気が侵入し、崩れていく様はフィクションとして描かれる。深夜にメトロノームが鳴り出すことや、オルガの住んでいる場所が廃墟であること、ターの隣部屋は老人が糞尿にまみれて介護されている悲惨な状況であるといったように。
本作は、権力を纏う者と彼らの関係はリアリズムで描くと共に、権力把持への不安が狂気に転じ、世界が自壊する様はフィクションに描く物語なのである。
ターの未来はモンスターハンターの冒険へと駆り出されるのだが、それはよいことなのだろうか。西洋の伝統的なオーケストラの世界からの失墜ととるか、アジアの未熟な世界への挑戦ととるか。少なくともターは、権力闘争への俎上にたっており、再び世界を築き上げる可能性があることは言えるのかもしれない。
観る側の欲望を反映する映画?
これは何を描いた映画だったのか、よくわからない。いや、色々と描かれているのだが。例えば、キャンセルカルチャーの問題などが描かれている。しかし、キャンセルカルチャーの危険性を伝えようとしている映画で、それが一番の主題かというとそうではない気がする。傲慢なアーティストの実像が描かれているとも言えるが、それが伝えたいことだろうか。同性愛を主題にしているわけでもないし、白人階級の傲慢さを主題にしたのかどうか、それもよくわからない。何が主題であったのか、それは見る側の嗜好でいかようにも変わっていく、そんな映画なのかもしれない。だとしたら、この映画を見るというのは、それは自分自身の鏡を覗くような、そんな行為と言えるのかもしれない。自分が観たものは映画か、それとも自分自身か。
ただ一つ確実なことはケイト・ブランシェットのパフォーマンスはとてつもなく素晴らしいということだ。
クラシック界による異例のサポート体制は、配信時代への危機意識の表れか
世界最高峰とも称されるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が名義を使わせていることにまず驚かされる。何しろ、名門楽団の首席指揮者となった女性主人公が、その絶大な権力を使ってお気に入りの新人演奏家を大抜擢したり、後進の音楽家や学生へのパワハラがスキャンダルになったりするなど、ネガティブな要素を少なからず含む話なのだ。しかも、カラヤンがベルリンフィルの音楽監督を務めていた時期に、若手女性奏者を独断で抜擢しようとして問題になったことが実際にあったと聞く。過去の醜聞をほじくり返されるようで協力を拒んだとしてもおかしくないのに、その懐の深さに恐れ入る。
劇中で“ベルリンフィル”として出演している楽団は、実際は同じドイツのドレスデン・フィルで、主演ケイト・ブランシェットが指揮するシーンの演奏は撮影と同時に録音もされ、その音源がそのままドイツの名門レーベルであるグラモフォンからサントラ盤としてリリースされている。クラシック界の暗部をえぐり出すような問題作に対する業界挙げての積極サポートは異例にも思えるが、配信全盛の時代にクラシック界が抱く危機意識の表れだろうか。音楽配信はもちろん、短尺動画のダンスなどのBGMとしても、短い時間に効率よく楽しめる曲が好まれる傾向が強まる中、クラシックは明らかに不利。それならば、伝統にあぐらをかかず、また従来の常識にとらわれず、ファン以外にも本物のクラシック音楽が届く機会を積極的に活用していこう、という気運が高まっているのではと想像する。
ケイト・ブランシェットの演技は、指揮のパフォーマンスや後半の追い詰められていく状況も含めて、キャリア最高のレベル。今年のアカデミー賞では最多7部門受賞の「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」と競って巡り合わせが悪かったが、「TAR ター」が別の年のノミネートだったら、ブランシェットが「ブルージャスミン」以来2度目のアカデミー主演女優賞を獲ってもおかしくない名演技だ。
人は一旦頂点に上り詰めると後は転落しかない!?
冒頭、指揮者として頂点を極めたヒロインのターは名だたる男性指揮者たちがタクトを振るクラシック・レコードを床に並べて、その中の1枚を何と足で物色する。男性主導の指揮者界を女性が制覇したことを物語る強烈なショットだ。
レズビアンを公言しているターには同性のパートナーがいるが、家事はその彼女に任せ切りだし、養子縁組で迎え入れた子供の子育ても同じくである。つまり、ターは男性のような日常を送っているのである。
そんなターがあるきっかけにより転落していくプロセスを、まるで観客を幻惑するようなホラー映画的演出を絡めて描く本作には、至るところに実在の人物や出来事が散りばめられているらしいが、それらをすべて理解するのは難しい。ターがかつてベルリン・フィルハーモニーを率いた伝説のコンダクター、ヘルベルト・フォン・カラヤンにインスパイアされたキャラクターだと聞くと、なるほど、と思うくらいだろうか。
しかし、確実に理解できるのは、性別に関係なく、人は一旦頂点に上り詰めてしまうと後は転落しかないと言うことだ。それを描く上で需要な要素となるキャンセル・カルチャー(ソーチャルメディア上でターゲットにされた特定の人物が排斥されていく形態の一つ、いわゆる炎上)も他人事ではない。
ターを演じるケイト・ブランシェットが本物の指揮者みたいに男前でかっこいい。ドイツ語も話すし、指揮棒を振る姿が板に付いている。そこが時々過剰に感じる場面もある。ラストについても解釈が分かれるところだ。一方で、ターが持つ天性のセンサーが実在する音は勿論、もしかしてあるはずのない音を察知してビリビリする感じを観る側にも味合わせてくれる音響が、随所で奏でられるクラシック音楽と共に耳を楽しませてくれる。
全神経が研ぎ澄まされたブランシェットの演技に感服
異色の存在感を放つ映画だ。大きな感動が仰々しく押し寄せるわけではなく、ある意味、観客を少し突き放しながら、世界で注目を集める最高峰の指揮者の日常が淡々と描かれゆく。何よりもケイト・ブランシェットの立ち振る舞いを見ているだけで圧倒されるし、音楽家としてのカリスマ性をはじめ、演奏に入る際の鋭い目線の変化から指先一本の表現性に至るまで、”演じること”の執念と途方のなさには頭がクラクラするばかり。また、主人公が音楽界や集団内で発言力や権力を維持し続ける姿にも、静かなる力学作用を観察しているかのような興味深さがある。かくも足場が完璧に組み上げられているからこそ、キャリアに亀裂が生じてからの顛末がまた際立つ。運命とは偶然か必然か。彼女はどこでボタンを掛け違えたのか。相変わらず説明を排した流れゆえ解釈や受け取り方は観客それぞれ違うだろうが、ひとりの人間に関する人物研究として非常に見応えのある作品である。
静かな日常のようで、危うさを感じる。
神秘的なオープニングに、あれ?エンドロールまで飛ばしちゃったのかな?と確認してしまった。
観終わって、映画館で観たら、凄いだろうなぁ。
音響最高だし、迫力もあって、そして逃れられない緊張感と、止められない混乱や疲労感に、どんな感想になったのだろうか。
それにしても、主人公の日常を映像で観ているのに、何故か感じる不穏な空気。
常に張りつめた緊張感、多忙な生活、指揮者としての音楽の才能、周りの人との関わり、眠りの浅い夜。
オーケストラ演奏や練習風景の迫力。
言葉にしないけれども、表現される感情。
何とも言えない、恐怖感。
何の予備知識も無く、写真の美しさに惹かれて鑑賞しましたが、ハラハラしてしまう怖さを感じる映画でした。
最後の終わりかた。
エンドロールのクレジットと音楽のバランス。
よく確認したら、題名の上に"狂気"って書いてある!
怖い。
最高のピカレスクロマン
面白かった。難解、みたいな評があったけど、別に難解でもなんでもない。昔からある「ピカレスクロマン」だよね、これ。「感情移入」絶対主義の人には受けないだろうけどね。
それにしても主人公に「共感できない」と言い、否定してる人が多いのには驚く。共感できないなんて当たり前だよ。
セリフで説明せずに描写し、しかもその描写が重層的なのが素晴らしい。
例えば冒頭の「パワハラ授業」の場面。パワハラには間違いないんだけど、ただし主人公が言ってる内容は間違いとは言い切れない。むしろ芸術家視点で見たら主人公の方が正論かもしれない、そういう描き方がほんとにうまい。
ちなみに論議を呼んでるラストはまさに「ピカレスクロマン」の文法を踏まえた終わり方だ。
主人公が暴れ回って死ぬか(スカーフェイス)か、負けてねえぞとガッツを示して終わる(キッズリターン)のどっちかしかないのでね。
この映画の場合は合わせ技。
主人公はあんな境遇に陥っても真摯に音楽に向き合い、出番前には緊張し、そしてニッコリ笑って式台に立つ。最高にカッコいいじゃないか。
ケイト・ブランシェットありき
ケイト・ブランシェットの演技は神がかっていて、近年比肩するパフォーマンスがちょっと見当たらないほど圧倒的。各方面から絶賛も「そりゃそうですよね」の納得感(アカデミー賞はノミネートで受賞には至らずでしたか。ミシェル・ヨーが受賞。。。ふーん)。
でも、それだけなんですよね。彼女の名演を披露したいというモチベーションの下、ストーリーが組み立てられている印象(そんなこと無いんでしょうけど)で伝えたいものが見えてこない。
トーンやディテールは全く違えど、アプローチはCG技術を極めたいがために創られたアクション大作のそれに変わりないと思ってしまいました。
劇場で観たら音への拘りとかもっと感じれたかも知れませんが、うーん・・・端的に面白くはなかったですね。
それにしても、ケイト・ブランシェットはもう誰も追いつけないほどの高みにまで来てる気がしました。
自業自得
カリスマ女性指揮者の化けの皮が剥がれていく話。
冒頭の「この人かっこいいなあ」からの
転落ぶりがすごい。
自分のためにやってきたことが
自分を苦しめていく様はまさに自業自得。
最後はハッピーエンド?だったからよかったけど
正直この作品の良さは分からなかったです。
1番印象深かったのは序盤の学校のシーン長回し。
ケイトさんの演技力の高さが光る作品でした。
才能とは…
エンドロールから始まる形式でマーラーの第五番、死から始まる内容に沿った作り。
女性指揮者の苦悩を中心に描いている為、オケの演奏シーンは控えめ。
重圧から徐々に闇堕ち。
最終的にリディアにとって落ち目か幸運かは観る側の解釈次第。権力構造についてもはっきりと描かれている作品。
好みではない
数々の賞を受賞しているからといって、自分に合っているとは限らない。
そんなことは百も承知だったのに、またしても失敗してしまった。
最近、伝説の音楽家を映画化しているパターンが多い気がして、ボヘミアンラプソディから始まったのではないだろうか。
その映画は映画館で見たし、結構面白く感じることができた。
その少し前にも、セッションという映画化あったけど、なんとなく今作と雰囲気も似てる気がしたが、それも楽しく見れた。
しかし今作はダメだった。
開始30分で、見切るか判断を迫られたけど、信じて最後まで見たが、やはり面白く感じられなかった。
偉大な音楽家の名前が飛び交うのだが、カタカナばかりで知らない名前ばっかりなので、ついていけない。
募り募った不満が最後に爆発するカタルシスがあるかと思いきや、それもない。
感性の問題であって、この作品自体の価値を問うわけではない。自分には合わなかっただけなのだ。
なにを迷うことなく、単純なエンタメ映画を見た方が満足度が高いということが、今回の教訓である。
自分を貫く姿がかっこいい
ドイツで初めて女性首席指揮者に任命されたリディア・ター。天才的な才能でその地位を手に入れ、周りからは常に機嫌を推し量られ、まるで最高指揮者はそういうものだと言わんばかりに、仕事も恋も感情の赴くままに手にする。
話しはそんな類いまれなる女性首席指揮者が、過去に指導したことのある若手指揮者が自殺したことで、彼女への辛辣な振舞いが明るみに出ることを恐れ、何とか取り繕うとする。そしてこれまでの言動が、ハラスメントと問題視され、精神的に追い詰められていく。
ケイト・ブランシェットのすがすがしい演技に魅了されました。
レズビアンで妻もいて子供もいて、夫、父として、天才的な指揮者として、かっこよく完璧なまでに演じていて、私は今までになく魅力を感じた。
女性として見るのか、いや、もう男でも女でもないが、天才的な才能で指揮をする姿も凄くかっこいい。イケメンにも見えるし、新しいチェロ奏者に翻弄される姿はちょっと可哀想だが、ちょっと可愛くも見えた。
そんな才気煥発な彼女が、どんどん負の連鎖に陥り苦悩する姿はどうなっていくのだろうと心配になったが、どこまで行っても才能は才能なのだ。誰も知らないところで1からやり直す姿。やっぱり根っからの最高な指揮者なのだ。不死身なリディアに感服。
そして見事に返り咲いた姿を見たいと思った。
☆☆☆★★★ いや〜なかなか手強い映画だった。 作品中に描かれない...
☆☆☆★★★
いや〜なかなか手強い映画だった。
作品中に描かれない部分が多すぎて全然画面から得られるPEACEが埋まらない。
観ながら「これ全盛期の鈴木清順の映画か?」…と思った程。
…とは言え、スクリーンで縦横無尽に涼しい顔して独裁者振りを発揮するケイト・ブランシェットを堪能出来る喜びに浸り続ける幸せを味わう映画でもあった。
指揮者の彼女は作曲もするのだが、「模倣になってしまい…」と語るが。師匠には「ベートーベンもだ!」と慰めらる。
現在進めている企画がマーラーの5番のライブ録音。
その為にジャケットにはアバドのジャケットを模倣する彼女。
「いや!それ模倣じゃん!」とは思うが、彼女にはそんな事は百も承知なのだろう。
最早レジェンドのバーンスタインよりも、現在の絶対君主アバドを越えるのが今の彼女の目標なのだから。
それだけの自信も充分に持ち合わせている。
今準備中のマーラの5番は、トランペットのソロで始まる葬送曲の出だしが有名。
作曲中に隣人の家から聞こえる謎のチャイムから、そのトランペットソロ直後へと繋がるリハーサルの指揮場面にはゾクゾクした。
次から次へと傍若無人な振る舞いをし始める彼女。
そんな彼女が、それまでの振る舞いがブーメランとなって自身に降りかかり。決定的に転落するのが、5番のオープニングにあたるトランペットソロの葬送部なのが楽し、、、ゴホっ!象徴的。
自分のお気に入りを手に入れる為ならばもうやりたい放題。
そんな彼女の仕掛けた罠も、長年に渡る彼女に周りに張り巡らせていた【罠】に彼女自体が嵌ってしまうのだが、、、
主演がケイト・ブランシェットだけにウディ・アレンの『ブルージャスミン』との比較で語られる事が多い気がするのですが。実はこの作品ってオリビア・アサイアスの『アクトレス 彼女たちの舞台』の模倣、、、とは言わないまでも、かなり構造上で重なっている箇所が多い気が個人的にはします。
勿論、模倣などとはこれっぽっちも思ってはいませんが。
ラストは、今後も彼女(モンスター)はハンターとして活躍し続けて行くのを感じさせて終わる。
後半はある意味での人間ホラー映画にもなっていた。
2023年 6月15日 TOHOシネマズ/シャンテ・シネ1
成功者は聖人君主では無い、人間的である
この作品にのところどころに
ドキュメンタリーの空気を感じる。
実際、そこに生きる人の感情は
生活をし、上を目指している。
演じてはいるが、生の風景が見える。
主人公のリディア・ターには
強く燃える鎧のような強さと
風に吹き飛ぶほどの繊細さを感じた。
夢を、栄光を掴んだ者には
欲望は無い、と言えば嘘になる。
映画は、その人を描いている。
彼女の選んだ人生の行方は
純粋な音楽への愛を感じた。
ケイト・ブランシェットの指揮は
プロと比べても見劣りしない。
※
上滑りの映画
2回観てしまった。
1回目、何か惹かれるものがあり、それが何なのかを知りたくてもう一度観た。
2回目、何に惹かれていたのか、それが、クラシック音楽のインテリジェンスに過ぎないことが分かってしまうと、底の浅さばかりが見えてきて、主演女優も魅力に欠ける。
不親切な映画
クラシック音楽に興味がないのに見た私がいけなかったのか?でもこれだけ評価されてるってとはその知識は必ずしも必要じゃないんだよね。でも音楽の話のシーンが多すぎ、きっとストーリーに関わることを言ってるんだろうけど興味なさすぎて全然頭に入ってこない。ケイト・ブランシェットの力の入り過ぎた演技も苦手だし、何しろ長いよなー。150分はもう今後の映画のスタンダードになっちゃうのかな、90分で十分素晴らしい映画つくる監督は山ほどいるけどね。
個人的2023ベストムービー
仕掛け不要、脚本・演技で王道勝負のThe映画。冗長な会話劇に散りばめられたキーを聞き逃さないよう集中を要するので鑑賞後疲れるのが難点。ケイト・ブランシェットは評判通りの名演。時事問題を中心に明らかに情報過多なのに、きっちりメッセージに収斂される見事な作り。
ケイト・ブランシェットすごい
長いし、情緒不安定になるし、普通のホラー映画より怖く感じるわで、あんまり好きなタイプの映画じゃない。
でも凄かった。ケイト・ブランシェットは言うまでもないが、脚本・演出がまた凄まじい。
組織の権力構造、人の嫉妬・嫉み、ジェンダー、差別、介護、SNSの弊害などなど、これほどまでに現代社会が抱える問題がぶち込まれているとは。
正直、1回観ただけじゃ理解が及ばないところが多かったが、解説、ネタバレ等を見て一気に作品の深さと面白さを知った感じ。
本作は賛否両論あるというが、あのラストもかなり分かれるでしょうね。あれに希望を感じるか、それとも絶望か。私は前者。
ちなみに、演技だけで評価するなら、米アカデミー賞の主演女優賞は誰が見たって本作のケイト・ブランシェットでしょ!
全257件中、1~20件目を表示