「ブルータス、お前もか…。 なかなか見どころはあるのだが、この予告編は誇大広告にも程がある😅」TAR ター たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
ブルータス、お前もか…。 なかなか見どころはあるのだが、この予告編は誇大広告にも程がある😅
世界的な女性指揮者、リディア・ターの受難を描いた音楽ドラマ。
世界最高峰のオーケストラとして知られるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、リディア・ターを演じるのは『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズや『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』の、レジェンド女優ケイト・ブランシェット,AC。
ターの支援者でもある銀行投資家兼アマチュア指揮者、エリオット・カプランを演じるのは『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』や『キングスマン』シリーズの、名優マーク・ストロング。
👑受賞歴👑
第80回 ゴールデングローブ賞…主演女優賞(ドラマ部門)!
第79回 ヴェネチア国際映画祭…ヴォルピ杯(最優秀女優賞)!
第76回 英国アカデミー賞…主演女優賞!
第88回 ニューヨーク映画批評家協会賞…作品賞!
第48回 ロサンゼルス映画批評家協会賞…作品賞/脚本賞!✨
第28回 放送映画批評家協会賞…主演女優賞!
ケイト・ブランシェットの怪演に世界中が賛辞を送った話題作。第95回アカデミー賞では作品賞を含む6部門でノミネートされたが、この年は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022)が7部門を制覇するという大旋風を巻き起こしており、その煽りをモロに喰らった結果、まさかの無冠で終わってしまった。『エブエブ』と同じ年でなければ、確実にケイト様は主演女優賞を獲得していた事だろう。巡り合わせが悪かったといえばそれまでだが、なんとも気の毒なお話である。
ケイト様の演技は確かに凄まじい。
冒頭から30分以上に渡り繰り広げられるセリフ・セリフ・セリフの嵐にはただただ感服させられた。その情報量も相まって、まるで本当にリディア・ターという人物が存在しているのではないかという錯覚を起こすほどのリアリティが映画を包む。
その後も、カメラは常にターの後を追うようにして彼女の姿を映し続ける。158分のランタイムのうち、150分は彼女が画面に居座り続けていたのではないか?
観客は延々と彼女の姿を見続ける事になるのだが、そうしている内に段々と彼女の一挙手一投足から目が離せなくなってしまう。ターの存在感、そしてそのリアリティに、現実と映画の境目はボヤけ、終いにはそこに境界がある事すら忘れてしまう。
キャラクターに本物と見紛うほどの肉と魂を与えてしまうケイト様の演技力はもはや魔法な魔術の類いといっても良い。ケイト=ターの支配力は、観客すら縛り付けてしまうのだ。
ただ、意地悪な言い方になるが、彼女の演技以上のワンダーがこの作品にあるのかと問われればその答えはNO。
予告編で「ケイト・ブランシェット史上最高傑作」だの「映画史に残る衝撃のラスト」だのと煽りに煽っていたので、すわ『ブラック・スワン』(2010)系のサイコ・サスペンスかっ!?…なんて期待していたのだが、全然そんな映画じゃないじゃんっ!!
お話のスジだけ追えば、傲慢な天才芸術家の栄光と転落が描かれた至って普通のヒューマン・ドラマ。予告編から期待するようなサイコな展開にはならないので、そこには正直ガッカリしてしまった。まぁ中盤くらいで「これそういう映画じゃないのかも…」となんとなく気付いてはいたんだけど。
「映画史に残る衝撃のラスト」との事だったが…。いやっどこがやねんっ!!!💦
まぁ確かに、「いやモンハンかいっ!」という驚きはあったが、だからと言ってそれがどうしたと。そこの驚きは別に映画の評価には繋がらんだろう。
あと、何やらこの映画のエンディングはその意味を巡って色々と解釈が分かれているらしい。うーん、普通に一つの意味にしか読み取れないと思うのだが…。
彼女が演奏していたのは「モンスターハンター:ワールド」(2018)のサウンドトラック。主人公が調査団の一員として新大陸へと派遣されるところからスタートするこのゲームは、新天地で新たな挑戦を始めた彼女の立場とシンクロしています。
また、フィリピンという西欧文化圏とは異なる地でキャリアをリスタートしたことは、南米の民族音楽を研究するために現地で生活していたという彼女のオリジンとも重なります。
そして、コンサートに集まった観客たち。彼らは基本的にはゲームファン。クラシック音楽のクの字も知らない人たちな訳です。ベルリン・フィルを聴きにくる客のように、やれマーラーがどうだのバッハがこうだの、ストリングスの強さがうんちゃらかんちゃらといった知識は持ち合わせていない。この映画はとにかくぺダンティックで、どの人物も音楽的雑学をペラペラと曰う。まるで音楽よりもディベートを楽しんでいるかのようだ。ターもそういった人物だったのだが、色々あった後に見直したレナード・バーンスタインのVHSで、音楽それ自体の持つ楽しみや喜びを思い出す。知識の有無など、音楽鑑賞にはなんの関係もないということに気がついた彼女が迎えるのが、ただ純粋にゲーム音楽を楽しむためにやってきたコスプレイヤーたちだというのは、彼女の新たな門出にとって、これ以上ないほどに相応しいと言えるのではないでしょうか。
世界一のオーケストラを率いていた指揮者が、ゲーム音楽イベントでタクトを振るう。確かにこれは、彼女の没落を象徴しているようにも見える。しかし、その裏にあるのは全てを失っても音楽だけは守り通した彼女に対する慈しみとエール。再出発を切ったターへのアンセムなのである。
この作品に込められているもの。それはキャンセル・カルチャーに対する批判的な視線である。
性加害やSNSでの失言など、「正しくない」行いをした人物を半強制的に社会から抹殺してしまうこの現象は近年ますます盛んになってきている。例えばハリウッドではケヴィン・スペイシー、ジョニー・デップ、アンセル・エルゴート、アーミー・ハマーなど、日本でも松本人志やフワちゃん、古谷徹などがキャンセル・カルチャーによって業界内での活動を制限された。
権力や財力を笠に来て好き勝手やってた奴が痛い目に遭うのは気持ちが良いし、被害者の事を考えるとそれもやむなしな事だと思う。
ただ、正義感や義憤は往々にして人を凶暴にしてしまう。疑惑の人物への非難はすぐに攻撃へと変わり、ついにはただのネットリンチになってしまう事も少なくはない。こうなってしまっては、どちらが善でどちらが悪なのか、その境界線はもはや存在しないのも同じである。
このキャンセル・カルチャーについて考えなくてはならないのは、仮にそれが冤罪だったとしても、一度燃え上がった炎はそう簡単には消えてくれないという事実。例えば、ケヴィン・スペイシーやジョニー・デップは裁判で無罪を勝ち取ったが、彼らにかつての輝きは戻らない。もちろん、「無罪」=「無実」ではない訳で、結局真実は闇の中ではある。だが、「疑わしきは罰せず」という法諺もあるように、無実の可能性のある人間を社会的に無理やり排除してしまうというのはちょっとどうなの…?と言わざるを得ない。
この映画内でも、ターが性的虐待を行っていたのかという点については曖昧模糊な形でしか描かれていないし、流出した動画も悪意的に編集されたものだった。自殺したクリスタとのメールを削除するよう愛弟子のフランチェスカに指示するなど、限りなくアウトな行動は取るものの、決定的な証拠は映し出されない。キャンセル・カルチャーにより糾弾され、愛する子供すら奪われたター。果たしてこの仕打ちは本当に彼女に相応しいものだったのか、この点を観客はしっかりと考えなければならないだろう。
まぁ何にせよ、ユリウス・カエサルがブルータスに、織田信長が明智光秀に、朴正煕が金載圭に弑せられたように、独裁者は信を置いていた側近に裏切られるというのがこの世の常というもの。
昨今のワイドショーは兵庫県の独裁知事の件でもちきりだが、地位と権力を手にした人間にはこの映画でも観て、今一度己を顧みて頂きたいものである。
たなかなかなかさん、コメントありがとうございます。同感です!横暴と権力・圧力絡みは絶対いや、でも何はささいなことか、笑えることか、無視できるか、鷹揚に構えるか、そんなことについても私達は考えることできると思いたいです
🔺同感ブラボー!
モンハンのこと何も知らず自分ができる範囲で調べた程度でした。拝読したレビューのモンハン以降について首肯するばかり。キャンセル・カルチャーへの批判、確かにそう思います。匿名で細工が簡単にできる世界で大量の【信頼できない】情報がかけがえのない一人の人間を追いつめることには悲しみと時には怒りを覚えます
ブラボー!
小さなサイトに残しておくのは本当にもったいない論文です。読み応えがありました。
「モン・ハン」についてはまったく不見識でしたので、東南アジアでのあの演奏会、そして聴衆のあのコスプレの意味を、ここまで明確にかつポジティブに解説していただき幸甚です。
でも僕の中にはあのコスプレをば生理的に受け付けない感情と、ジャングルの奥地でさえ商業主義のモバイルゲームに毒されていた若者たちの姿を見てしまったラストシーンで
主人公ターの新天地での活躍にでさえ、ものすごい暗雲を感じた次第です。
そこ、レビューアーの解釈が別れるのが面白いのですがね。
共感ありがとうございました😊
ではまた。