「緩やかに崩れ壊れていくリディア・ターの世界」TAR ター abokado0329さんの映画レビュー(感想・評価)
緩やかに崩れ壊れていくリディア・ターの世界
権力は身に纏う者と同時に関係も変えてしまう。
ターが権力を纏うようになったのは、自らの能力による結果としての側面がある一方、「ベルリン・フィルで女性初の首席指揮者に就任したい」「公私ともに完璧でありたい」「名声を手に入れたい」といった欲望のために策略を働かせた結果と言っても過言ではない。つまり一つの大きな出来事が権力を生み出すのではなく、このような多面的な事態によって行われる日常の行為一つ一つが彼女に権力を纏わせ、関係する人々との権力構造をつくり上げる。だから本作では、ドラマを極力排し、彼女の日常が淡淡と描かれる。彼女が頂点にいる世界-日常。しかしそんな世界でも、他者は権力から逃れようとしたり、把持しようとしたりと欲望を働かせ行動する。オーケストラのコンサートマスターで恋人でもあるシャロンやアシスタントで副指揮者を目指しているフランチェスカ、新たなチェロ奏者のオルガなど。ターが指導していた若手指揮者が自殺をしてしまう〈出来事〉はあるのだが、彼女らのリアリズムに徹した権力への行動が、緩やかにターの世界を壊していくのである。
むしろター自身が世界を崩しているのかもしれない。講義の一場面で行われるハラスメントは権力の誇示に見えるから反発が予見される。交響曲第5番の録音や新曲の制作が上手くいかないこと、変わってしまう人間関係は、積み上げてきた世界が崩れてしまうことの不安へと転じてしまう。そして不安は権力のさらなる発揮といった狂気に変わり、予言の自己成就のように、世界が崩れていく。
このような世界-日常に狂気が侵入し、崩れていく様はフィクションとして描かれる。深夜にメトロノームが鳴り出すことや、オルガの住んでいる場所が廃墟であること、ターの隣部屋は老人が糞尿にまみれて介護されている悲惨な状況であるといったように。
本作は、権力を纏う者と彼らの関係はリアリズムで描くと共に、権力把持への不安が狂気に転じ、世界が自壊する様はフィクションに描く物語なのである。
ターの未来はモンスターハンターの冒険へと駆り出されるのだが、それはよいことなのだろうか。西洋の伝統的なオーケストラの世界からの失墜ととるか、アジアの未熟な世界への挑戦ととるか。少なくともターは、権力闘争への俎上にたっており、再び世界を築き上げる可能性があることは言えるのかもしれない。