「天才カリスマTAR・・・神秘と名声の海に泳ぐ」TAR ター 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
天才カリスマTAR・・・神秘と名声の海に泳ぐ
この映画は実に巧妙に罠が幾重にも仕掛けられています。
ひとつは、
リディア・ターの性別。
ケイト・ブランシェットの容姿から、女性であると確信して
私は観ていました。
それは間違いではなくTARは女性指揮者として描かれますが、
TARは女性にして両生を併せ持つ多性な存在なのか?!
(後に子供と妻のシャロンの存在が明かされます)
妻と子供を持つカリスマ・指揮者?
そしてTARの能力が如何にずば抜けていて、
ベートーヴェンやリストなどの楽聖と
同じかそれ以上であると観客は思い込まされてしまいます。
バーンスタインの弟子で、EGAT・・・
(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞)を受賞した
15人のうち1人・・・などの経歴に目が眩みます。
半分以上を占めるTARのインタビューの受け答え、
会食中の会話、指揮や作曲を勉強する学生へのアドバイスなどなど。
監督・脚本のトッド・フィールドが音楽、特にクラシック界の博識や
見識が散りばめられて、
特に既に亡くなった指揮者や生きている音楽家の実名がバンバン
挙げられて興味は尽きませんでした。
(この辺りあまりに高尚な話について行けない部分もあり、
・・・寝落ちして首が何度か落ちました)
でもこの音楽界への提言がトッド・フィールド監督の一番言いたかったこと
なのだと思います。
指揮者であるTARのリハーサル風景。
このリハーサルは実に本格的で、ケイト・ブランシェットの手の動き、
指示の出し方など本物の指揮者にしか見えない程成りきっています。
そして流されれ名曲の20秒程のフレーズの断片が震える程美しい。
「もっと聴きたい、もうちょっとイエ永遠に聴いていたい」
その飢えと渇き。
それが更にTARの神秘性を盛り上げていくのです。
(でもエルガーのチェロ協奏曲はせめて1楽章ぜんぶ聴きたかった)
そして持ち上げるにいいだけ、持ち上げて、
今度は落としにかかります。
TARはパンデミックのため【マーラーの9つの交響曲の全曲録音】を
4曲完成したところで中断していました。
1人の指揮者がマーラーの交響曲9曲全てを録音した例は未だかつて1人も
いないのです。
TARですら、畏れと不安に慄いており、ナーバスになり周囲に
キツく当たります。
まず高齢のセバスチャンを解任し、
ソロのチェリストを楽員の中からオーディションで選ぶと言って
総スカンを喰らいます。
美人女性チェリストへのへのエコ贔屓。
(全ては天才の我儘・・・そう言って許されれ時代ではないのです)
悪いことは更に更にエスカレートしていきます。
絶望的な出来事。
若手指揮者のブリスタが自殺してしまうのです。
今までの追い風は猛烈な逆風になってTARを襲います。
多くの女性にセクハラをしていた。
もともとからのパワハラに加えての複数のセクハラ行為。
TARは妻のシャロンに嵌められたのでしょうか?
告発の動画やメール。
TARへのデモ行進・・・仕事を降ろされ・・・
暴漢に襲われて負傷、
住むマンションも体よく追い出されて住処も失い、
行く先はベトナム?
(幽玄の滝と川の流れ・・)
本当にセクハラがあったか?なかったか?
それは真実か?捏造か?罠か?
具体的な描写が殆ど無く、伝聞証拠のようなもの。
SNS社会の怖さとも重なります。
もう真実は私には分からない。
TARは奇跡の天才・楽聖であり続けてほしかったです。
(それでは映画は面白くない?)
この映画を観て、
この映画の主人公TAR。
存在しない筈の架空人物の哀しいまでの才能に
戦慄と羨望を覚えました。
この映画を制作したスタッフ・監督・脚本家・音楽とクレジットされている
チェリストで作曲家のヒドゥル・グドナドッテル、
そして誰よりこの難役を軽々とこなした異才
ケイト・ブランシェトに敬意と感謝を捧げます。
(ところで、ラストの意味は?)
《地球なTARには狭い?》
こんにちは♪
共感していただきましてありがとうございました😊
本作、私には全く意味不明❗️
何度か観たので、ラストのは、ゲーム音楽のコンサートであることはわかりましたが。
全く聞きかじりですが。どなたも本作推測こそすれ実際は何を伝えたかったのか、わからないところ。
ある方は、探究心逞しく、本作監督が本作を作った際のインタビュー記事などを読まれたそうです。
監督は、キャンセルカルチャーを描くことで制裁を加えたという事。権威主義へのアンチテーゼ、で、クラシックはその最たるものである、と。ゲーム音楽こそ大衆に支持されているものである。
ターは、権威主義のいろんなものから解き放たれて、皆に支持されるゲーム音楽で見事に返り咲いた、と。
もちろん、その方も監督の考えがおかしいと思ってられます。
ということらしいです。
私に質問しないでくださいね🦁
琥珀糖さん、コメントありがとうございました。
同時にお褒めの言葉をいただき、恐縮しています。
「TARター」は、今年観た洋画では最上級に面白い映画でしたし、自分史上2週続けて劇場で鑑賞した初めての映画だったこともあり、非常に印象深い作品でした。
リディア・ターのセクシャリティに関しては、男性社会でのし上がっていくためには、男性的にならざるを得なかったのではないかと解釈していますが、どうなんでしょう。その前提に立つと、世の中の風刺にもなっているような気がします。
コメント、ありがとうございます。
音楽に携わっていたのですね。ちなみに私は音楽、音響に関わった仕事していたのと趣味で、そんなレビューになってます。ちょっとした現実世界の音楽界の事からの映画の投入感が深まりましたし、私がスルーしていた所にここのレビューで発見できて、楽しかったです。
歴代クラシック界の音楽の巨匠は、様々な映画題材になって映画化されていますが、かなりの才能が故、感受性豊かであるものの、一般人とは違った奇行や行動の方が多いようですので、この映画の主人公も才能豊かな人物であったため、現代社会の試練(SMS、マスコミ、人権、・・)に見舞われたとも言えるかもです。
でも、1曲聴きたかったですし、コロナとはいえ、1曲完成してCDにしてほしかったですね。
ありがとう
コメントありがとうございます。ホントに、もっと聴いていたい!となる場面が多々ありました。
長大な楽曲を団員とともに創り上げていく指揮者って、どんだけすごいのか。ターはかつ作曲までして、それも究極の評価を受けているわけですよね。
糸屑なようなほころび、とターが過信してしまった事から、全てがガラガラと崩れ落ちていく、、その恐ろしさも感じました。でもターなら、再生出来る!かと。
今晩は。
今作の解釈については、私がこの映画サイトで”この人には敵わないなあ・・。”と思っているPIPIさんとビシバシやり合ったのですが、完膚なきまでにやり込まれました。
あんまり悔しいので、(超、負けず嫌い。何でも一番を目指す愚かしき男。)度々、PIPIさんのレビューにはちょっかいを出していますが、総て討ち死に。無念。
私は、今作の様な優れたる監督が観る側に観賞を委ねる作品が好きなんですね。最近だとヤッパリ、宮崎監督の作品ですね。では。
コメント返信ありがとうございます
ご指摘の通り、そのクリスマスに一番稼いでいるアーティストです(苦笑
SNSでの罪は"切り取り"なんでしょうね 前後の文脈、又は行間、そして無味乾燥な文字が、如何様にも受取る側の思惑に左右されがちです 私もこのレベルでしか見識がないのでこれ以上は語る言葉がみつかりません、悪しからず・・・
『列車か?飛行船みたいのに乗って宇宙へ飛び立つシーン』→今作は、私の記憶力の乏しさで、そんなシーンがあったことは憶えておりませんが、モンハンのコスプレをしてきた観客に披露する企画的な演奏会で、バックのディスプレイにその世界観を映していたのだろうと記憶しております それまでは彼女は文化人類学やクラシック等々、古いコンテンツを研究していて、それが現在のコンテンツに出会うことで又新しい刺激を享受できたことを果して喜んでいるのか、それともここまで落ちぶれた自分にさせた世間に強い怒りを秘めているのか、それは観客に委ねるソフトストーリーに仕上げたのだと思います 潮目を代えたあのマンション地下の幻のシーンは、現在の映画作品を作る上の一つのフォーマットになっていますね コレが続くのか、それとも一過性なのか、引き続き映画鑑賞での定点観測を続けましょうw
失礼します
共感ポイントありがとうございます
ラストの部分は、あの楽曲の指揮のことでしょうか?
キャンセルカルチャーが発動したとしても、そもそも持っている才能を世界は放っておけないという、或る意味皮肉も交えているんでしょうね(汗
昨今で言うと、ヤマタツとかでしょうか・・・ 本人がそれを信念だと疑わないならば、幾ら周りが糾弾しても本人の耳や心には響かない そして世界は広いので、幾らでも手を差し伸べるチャンスは訪れる でも、多分、又蹴落とされるんでしょうけどね(苦笑
上記の私の考えも、下衆な考え方ですけど(汗
汚してしまい、失礼しました
TARにとってモンハンの音楽であろうとマーラーの交響曲であろうと、上下はなく、芸術としての優劣もない。
人の心を豊かにするのが、音楽家の使命である。
それが、ラストでのTARの境地だと思います。