「クラシック音楽好きならわかると思うが」TAR ター arlecchinoさんの映画レビュー(感想・評価)
クラシック音楽好きならわかると思うが
最初の1時間半くらいはクラシック音楽の詳しいうんちくがたくさん出てきて、わかる人には面白かろう、という話。うんちくはほとんどが正鵠を得ていて、ややクラシック音楽オタクの私にはとても面白かったです。私にとってリアリティの担保にはなる。例えばカラヤンがその権威を利用してひいきの若い女性クラリネット奏者(ザビーネ・マイヤー)をベルリンフィルに入団させようとしてもめたことなんかも思い出させますし、バーンスタインが世界を回って若者のオーケストラを指導していたことなんかを想起させるシーンもある。EGOT獲得(メル・ブルックスも獲ってると言って笑うシーンもあるが笑、クラシック音楽業界だけでない業績もあるということ)、ベルリンフィル首席着任がどれだけ凄いことか、ということを知ってる必要はありますね。ただ、こんな話を続けて落としどころはどういう話なんだろう、と不安になります。ていうかわかんない人には全然面白くないし物語に入れないでしょう。というか長いことストーリー成分が薄い笑。丁寧にリディアの人物像を描いたってわけですね。こういう人物だから後々ああいうことになるという布石ではある。一応必要な描写なんです。
ブーランジェ、オルソップ、シュトゥッツマン、ジミー(!)・レヴァイン、チャールズ(って呼んでました! 日本では「シャルル」だ)・デュトワ、デュ・プレ、バレンボイム、MTT(ディスられてましたね笑)とか、どんな人たちだか知ってますか?当のオルソップはこの映画を観て文句を言ってるらしい。まあ世間はリディアをオルソップになぞらえて見るだろうしねえ。
それから、ベルリン・フィルハーモニーザールとして現れるホール。ちょっと本家と似てるけど(知らない人は似てることすら分からないし、知ってる人には似て非なるものだと判るところが微妙だ笑)ドレスデンにあるホールですね。
音楽はマーラーの5番がメインです。劇中で5番がリュッケルトの詩に唯一関連がない、って言ってるけどなぜだろう。ここには私は異を唱えたい。事実はリュッケルトに最も関係あるのに。4楽章(アダージェット)なんて同時期に書かれた「リュッケルトの詩による歌曲集」の「私はこの世に忘れられ」とそっくりの曲だよ。リハーサルのとき「ヴィスコンティの映画で知られてるけど気にしないで」なんていってたのに字幕は「有名だけどね」程度だったのはいささか残念。この映画を観るような人ならヴィスコンティを出したほうがニヤリとするだろうに。ことさら他でもない5番を選んでるってのいうも、ヴィスコンティとその映画の同性愛を想起させる狙いもあるんでしょう。
これを含めリハーサルシーンでドイツ語の指示には字幕を出さなかったのはどういうことだろう?手抜きだったら許せん。でも音楽の指示だからなんとなくはわかりましたけどね。
さて物語。本編には迷路模様などいろいろ謎めいたアイテムが出てきますが、別に回収されません笑。つじつまが合わないところは全部妄想ってことなんでしょう。予告編にはもっと迷路模様のシーンが出てきてるんですが本編映像には出てこない。本当は「《3人》での南米のフィールドワーク」などが描写されていたんでしょうがカットされたんでしょうね。この辺がちゃんと描写されていればクリスタとの関係とか、もっと分りやすかったと思います(「伏線が回収されません」なんて批判は少ないでしょう笑)が、3時間を超えちゃうんでしょうねえ....でも公開版の本編は竜頭蛇尾というか尻すぼみ、もしくは説明不足の感はありますね。リディアの描写をあれだけ丁寧にやったのに。そのバランスどうよ。
表面的に見ると、傲慢で権力に酔ったカリスマが権威をかさに着て悪事を働き失脚するって話かと思いこみがちですが、そんなに単純な話ではなさそうです。表向きリディアの言動はそれなりにまともです。ジュリアードのアカハラっぽいエピソードも私はリディアの言い分の方が真っ当だと思うし、副指揮者セバスチャンの解任だって(理由はともかく)本人と話してちゃんと筋を通そうとした。なまじっか(醜聞や批判を恐れて?そんなものは怖くないはずだがなぜか微妙にバランスをとって)正当な判断としてフランチェスカを副指揮者に指名しなかった。そのために却って大きな困難を招いてる。あくまでわがままを通すのならフランチェスカを選びそうなものなのに(副指揮者としての資質については曖昧でしたが)。クリスタの家族による告発も、本当に性的搾取があったのかどうかについて明示的には描写されていない。「(真偽は別として)告発されたらおしまいなんだ」っていう皮肉なセリフもありましたが。この辺りは観客によっていずれの解釈(リディアが徹頭徹尾悪者として描かれているわけではない)もできるようオープンになっていて興味深い(でもメールを削除したりして怪しくもある笑)。いずれにせよ悪意のあるSNSに引っかかったらもうおしまいという、必ずしも本人の善悪とか真偽と関係のないキャンセルカルチャーを皮肉ってることにもなってるんですね。その一方、栄光の陰で生活や健康や心は蝕まれていく、という芸術家の悲劇もしっかり表現されていました。このような多義的で重層的なヒロインをケイト・ブランシェットが完璧に演じておりました。ケイト・ブランシェットが当てられなければこの映画は断念する、って監督は言ってたそうです。
終盤はちょっとかわいそうでしたが、あそこまで狂気に走っちゃうか、ってのはやや疑問。
でも総じてつくりは悪くなかったとは思う。K. ブランシェットの演技がいいから一定レベルなんだな。
冒頭のプライベートジェットでのTikTok(動画チャット)は誰が撮影して誰とチャットしてるか、ってことについて考察します。順当に考えればベルリンから(インタビュー番組出演のため)NYに飛んでいる最中にフランチェスカがクリスタとチャットしてるんでしょうね。直後にNYのシーンになりますし。「まだ愛してるの?」みたいな文面からも腑に落ちます。
チャット主はオルガだって説もありますが、私は違うと思います。後半にリディアが告発されて公聴会みたいなのに出席するためにNYに飛ぶシーンがあります。この時にオルガが撮影したという説です。違うと思う理由(1)この映画はシーンの急展開はありますが、時間軸はそれほど大きく前後しません。終盤のフライトシーンが冒頭に来る必然性は薄い。ありえないとは言えませんが。違うと思う理由(2)チャットの内容からするとオルガはフランチェスカと対話してることになります。クリスタが死んでから後のフライトですから。フランチェスカとリディアの過去を知っていないと書けない内容です。とするとオルガはフランチェスカと前からの知り合いであるということになる。オルガはフランチェスカ側が送り込んだ刺客だ、ということになります。これは私は無理があると思う。リディアが依怙贔屓するようなルックスで、しかもブラインドオーディションで皆から余裕で認められるほどの腕前の刺客を用意することは不可能だと思う。リディアの没落のきっかけになったことは確かだけど、それを狙った刺客だとすると迂遠すぎる(絶対そうなるかわからない)気もするし。映画なんだからありだよね、と言われればそれまでですが随分なご都合主義で、それではこの映画の価値が下がると思います。刺客じゃないまでもフランチェスカに丸め込まれた、と考えられなくもないですが、それにしてはチャットの内容が深入りしてる。
チャット主がクリスタだって説。プライベートジェットにリディアと2人きりで乗ることはなかったでしょうからありえません。クリスタとリディアに関係があったのはベルリンに住むよりずっと前の話(リディアのプライベートジェットもなかった頃)だし、そのころの行動は《3人》が基本だったようですし。というわけでフランチェスカで決まりです。
いずれにせよ明示的には示されてないから、観客に解釈の自由は残されていますけどね。
最後のシーンについて、知らない人にはモンハンとは分からない(とか近くにオタクがいないとこの映画の理解に至らない)って文句言ってる人がいるけど、少なくともエンドロールに"Monster Hunter Orchestra"ってメンバー表が出てきますから、こういうモンハンのコンサートがあるんだな、ってことは察しが付くと思うんだけどね。
細かいことですが日本のポスターが"TÁR"でなくアクセントなしの"TAR"になっているところがちょっと気に入りません。この「アクサン」あるなしはリディアの人物描写の一部なんです。彼女の本名はLinda Tarrなんですが(最後の方で実家へ帰ると この名前が出てくる)、ヨーロッパ(非英語)風に見える(聞える)ようにLydia Tárという芸名を使っているのです(アメリカの音楽家はヨーロッパでは格下に扱われる傾向があるから)。冒頭の長いインタビューシーンでもわかるように、彼女は周到なイメージ戦略をとっているということ。芸名もその一環。この映画の広報担当者は報道に対して「重要な注意事項が 1 つあります。タイトルは TÁR です。常にすべて大文字で、文字 A の上にアクセントが付いています」というメールを送ったそうです。ある動画で彼女は「(監督に告げられた映画の題の)Tarって変な苗字だな、って考えてるときにたまたまブダペストの薬局の看板の一部に「tár」って部分があったのでこれだ、って思って監督に写メしたら採用になった。Tarの上にアクセントをつけたのはブダペストなの」って言ってました笑。 また、トッド・フィールド監督とケイト・ブランシェットがこの映画を語るYoutubeで、監督が「アクセント付きの"Tár"はアイスランド語で「涙」の意味だ」って言ってケイトが「そうそう、アイスランド語だったわよね」と応えてるなんてのもありました(だからこのタイトルにした、とは言ってない)。意味深いタイトル。ま、とにかく邦題つける人/ポスター作る人も気を遣ってほしいってこった。
フランチェスカ役のノエミ・メルランってどっかで見たなと思ったら「燃える女の肖像」の彼女ね。ちょっとエマ・ワトソンに似てると思ったから覚えてた。
ちょっとトリビア:最後の東南アジアのロケはフィリピン:ルソン島だと思います。なぜなら「地獄の黙示録」はここで撮られたからです。それから、泳いではダメな理由として「川にクロコダイルがいるからだ」といわれてリディアが「こんな内陸に?」と尋ねると「マーロン・ブランドーの映画云々」と答えるという話になってますが、クロコダイルは和名「入り江わに」というくらいで、アメリカの方では海辺にいるワニなんですね。だから「内陸?」の疑問が出るというわけです。ですが、調べたところフィリピンのクロコダイルはむしろ淡水を好むようです。だから地獄の黙示録と関係なく、もともと内陸にも棲んでるらしい。「マーロン・ブランドー云々」はジョーク(もしくは都市伝説?笑)なわけだ。どーでもいいか。