ブロンドのレビュー・感想・評価
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虚構と現実の狭間でも、我々は彼女がお好き
セックス・シンボル、ダム・ブロンド、恋多き女優、スキャンダラス問題児、タフな女性、名女優…。
形容出来る言葉は幾らでも挙げられる。
そんな悪評や伝説、史実に虚構まで入り乱れて、全て引っ括めて、“マリリン・モンロー”。
彼女ほど波乱に満ち、闘い抜いた生涯を持つ女優は居ないだろう。
故に映画の題材になる事もしばしば。“ノーマ・ジーン”と“マリリン・モンロー”として。映画撮影中の秘話として。
しかし、本作ほどの問題作はないだろう。何故なら、
本作はマリリン・モンローの伝記映画に非ず。マリリン・モンローは実在の人物だが、作中描かれるエピソードはほとんどが創作。
つまり、ノンフィクションとフィクションを交えて描かれる、異色のマリリン・モンロー物語。
作品自体もKO級のヘビーさ。賛否両論必至。本作を真に受けてマリリン・モンローの生涯はこうだった…と誤解される危険性すらある。
本当に本作で描かれるエピソードの数々は物議と批判レベルの衝撃だ。
マリリン・モンローの生涯は先述した通り何本か映画になり、伝説として後世に残るほど語られ、少なからず知っているが…
冒頭、母親から虐待を受ける幼少期のノーマ・ジーン。孤独な幼少期を送っていた事は知られているが、母親から虐待を受けた事はないという。里親からは虐待を受けたそうだが…。
多くの男性と浮き名を流したマリリン。それはスキャンダルやゴシップとしてマスコミや世間の注目の的となったが、本作では男どもの欲望にもみくちゃにされる悲劇性。
マリリンは“ノーマ・ジーン”を自らプロデュースし、圧倒的男上位のハリウッドと闘ったパワフルな女性ではなかったのか。
3P、DV、“噂”だった時の大統領との関係も生々しく。
晩年の不遇も演技派女優になりたい自身の本当の望みとセクシー女優を望む会社や世間との溝に疲弊したとされているが、これじゃあ悲劇の渦中に晒され病んだ精神薄弱者のよう。
では何故、こうも大胆脚色…いや、捏造レベルの創作劇に…?
まだまだ多くの謎や秘話、伝説に包まれているが、マリリン・モンローの生涯は一般的に知られ、幾度も語られてきている。
同じ事を繰り返しても焼き直し。
そこで敢えて批判も覚悟で、史実に虚構を交えて。
興味深いのは、マリリン・モンロー自体がそれという事だ。つまり、
虚構のマリリン・モンローと、現実のノーマ・ジーン。二つの名前、顔、人生を持つ。
セックス・シンボルとされているが、虚構と現実の数奇な人生を送った象徴そのものではないか。
だから嘘と分かっていても、否定指摘しても、その裏に含まれた誇張さを異様にリアルに感じてしまうのだ。
とは言え、本作は激しく好き嫌い分かれるだろう。
その独創性が刺激的でもあり、嫌悪感すら覚える。
男に暴力を受けるシーン、生々しい性描写、見てるこちらがヘビーになるほどの精神錯乱の様…。
悪夢か白昼夢か、ダーク・ファンタジーか、自分は何を見ているのだろうと分からなくもなってくる。
カラーになったりモノクロになったりも不思議な感覚に陥られる。その使い分けの意味も謎。当初はノーマ・ジーンがカラーでマリリン・モンローがモノクロと思っていたが、そうでもなく…。
これはあくまで彼女の精神や内面を反映し、尚且つ監督のセンスなのかなと。
アンドリュー・ドミニク監督の作風も好みの分かれ目になるだろう。
『ジェシー・ジェームズの暗殺』『ジャッキー・コーガン』…熱狂的に支持される一方、合わない人には合わない。ちなみに私は、後者…。
超異色問題作の本作は、監督作の中でもその極みになるだろう。
白人のマリリン・モンローを、キューバ人のアナ・デ・アルマスが演じた事も議論の的。
そもそもマリリン・モンローを真に演じる事の出来る女優など、この世に存在しない。それくらい唯一無二の存在。
だが、本作のアナ・デ・アルマスの熱演には、バッシングやプレッシャーの全てに挑む覚悟を見た。
セクシーさ、ヌード、大胆なシーンに果敢に挑み、キュートさ、儚さ、危うさ、その繊細で複雑な内面を全身全霊込めて体現。
マリリン・モンローが演技派として認められたかったのと同様に、可愛さが人気のアナ・デ・アルマスが実力派女優として大きく飛躍。
オスカーかラジー賞か、どっちに転ぶか分からない。が、その熱演にして怪演は一見の価値あり。
マリリン・モンローの伝記映画を期待したら…。
一人の女性の波乱万丈ながらも自らの生き方を貫いたサクセス・ストーリーを期待したら…。
ことごとくKOされる。
超問題作。
が、インパクトは格別。今年の作品の中でもある意味記憶に残るだろう。
そして、改めて知る。
どんなに創作されても、我々は彼女がお好き、と。
父の愛を求め続けて裏切られ続けた永遠の少女... セルフプロデュースで糧を得て未来を失った大女優伝記作品
本作では彼女が女優となってからスターダムに上り詰め、そのイメージに苦しみもがく姿を、結婚と恋愛と性にフォーカスしつつあぶり出しています。
そしてどの道であれ、スターとなった人物は往々にして金銭面であったり対人関係であったり創源性であったり爆弾を抱えているものですが、果たして何が彼女のアキレス腱であったのか、という生き方の話でもあると思います。
ともあれ、世の様々な男性のニーズにばかり迎合してしまったのが結果的にその後の彼女を苦しめ続けたのではないかと思います。もし孤児院時代に里親にNO!と自分の意志を突きつける女友達がいれば、モデル時代に自分の中に確固としたボーダーラインを持っていてオファー側の過剰な要求を断固拒否する女友達がいれば、女優になってから性接待や愛玩動物のような振る舞いを強いる周囲を毅然と固持する女友達がいれば、"ダム・ブロンド"と呼ばれる男性に都合の良いモンロー像の肥大化に待ったをかけてくれたのではないかと思います。
それではあそこまでのスターに、あそこまで早くして成れなかったのかもしれませんが、その後のアルコールや薬物への依存を見れば美人薄命という美辞麗句では片づけられないはずです。
本作を観る限り、彼女がセクシーなブロンド美女として出演した数々の全盛期のヒット作は製作側の覚えが良い一方で彼女にとっては忌まわしく、反対にそのイメージから脱却しようと我儘を貫いた晩年の作品は皮肉にも製作側には苦々しく興収という旨味の少ないものだったのでしょうか。
彼女が己の既成イメージを打破しようとした作品を、セックスシンボルとしてではない形で記憶するのが一つの供養の在り方になるのではないかと思いました。
心が平静な時に観て欲しい。
誰もが知るセックス・アイコンであるマリリンモンローの半生を虚構と狂気とシェイクさせ、グロテスクな耽美さを漂わせながらも淡々と描き167分も続く重い物語。
冒頭から母親の幼児虐待、そして性暴力、流産の描写も辛すぎる。
劇中でノーマが「映画の撮影は細切れよ。パズルと同じ。でも、ピースを選ぶのは(自分ではなく)監督」
と言及するようにノーマ/マリリンの肖像を描くために必要なピースの創造、選択、並べ方が卓越していた。
ただ映画としては優れていると思った。以上!
「マリリンは好き嫌いが別れる、私には関係ない」
ただの夢…ただの夢…なんて酷い夢なの、私の人生をこんな風にしたのは誰?マリリンは何を望んでいるの?良くも悪くも演技よ。2時間半以上ずっと靄がかかっているようだった。そして、その中をいくら手探りで進んでも決して出られることはなかった。終始陰々鬱々とした挑戦的な語り口は、もはや心理ホラーだった。
ベビーにはパパが必要、私のパパはあなたかしら?"彼女"は幸せじゃない。幼少の頃からずっと父性の欠如にさらされてきて、だからこそ父の面影、父という心の拠り所/支えを追い求めてきた。だって父親と名乗る人からの手紙が本物だという証拠もないわけで。夫のことを"パパ(Daddy)"と呼び、そうした代替の存在であったとしても彼に褒めてほしくて認められたくて頑張ってみせる。そうしてしまう、そうせざるを得ない。
ー泣いてる父より
冒頭の病んだ母から既にだいぶと本作のアプローチの遠慮のない恐ろしさを物語っているけど、作品通して見たときにもっと根幹からツラすぎて拒絶反応が出そうだった。
セクハラやレイプが罷り通る男尊女卑著しい性差別社会で、女性は"性"を全面的に押し出して売り物にするしか生きる術はないのか?精神を病んでいる人は他の誰かを演じたがる。あなたのお陰で世界が生まれ変わった。金髪という虚飾の象徴。マリリンから切り離せられなくて、いつまでもどこまでも付きまとってきては、モノ扱いされる。本当の意味でプライベートなんて無い名声。名作『お熱いのがお好き』などのときの彼女の情緒不安定だったというエピソードも納得した。
見ているこちらまで暗く辛く精神参りそうになる。伝記映画が公私の"私"にスポットを当てるのは当然だけど、これは流石に容赦なく行き過ぎていて、あまりに闇=病みが深く(憂)鬱。勇敢にも挑戦的で野心的で、ある意味では称賛に値する真に価値あるものかもしれないけど、やはりイチ観客として見たときに二度と見たくない。
今なおポップカルチャーに浸透し、世界中の誰もがその名を聞いたことあり知っているセックスシンボルとして(実体なく)"愛されてきた"=祭り上げられてきた"マリリン・モンロー"のノーマ・ジーンとしての本当の姿に迫り、生涯にわたってついて回ってきた葛藤や打ちひしがれるほどの絶望を体現するアナ・デ・アルマスの素晴らしい熱演。
彼女の存在が、『ジェシー・ジェームズの暗殺』という素晴らしい映画と『ジャッキー・コーガン Killing Them Softly』という観客ウケ最悪な会話劇を撮ってきた作家主義アンドリュー・ドミニク監督による突き詰めた解釈ビジョンと、ハイセンスな確固としたスタイルと陰々鬱々とした語り口から展開されるヘビーすぎる悪夢をどうにか支えている。カット毎に変わる画角、左右(上下)のマスクや、シーン毎に変わるカラーとモノクロ白黒世界など強迫観念的な演出。
スポットライトは君のもの、光の輪の中にいる
I changed my mind.
泣いている女は存在しない
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